後宮 6話
「左様でございます。ぼくは……陛下に命を救われました。その陛下を裏切ることなぞ、考えたこともございません」
「命を救われた?」
「陛下とぼくは異母兄弟です。幼い頃に、高熱を出したことがあります。そのとき、看病をしてくれたのが陛下でした。陛下の看病のおかげで、助かったのです」
「そんなことがあったんですね」
「はい。ぼくを『家族』といってくれた兄さまを、裏切るくらいなら自決を選びます」
迷いのない瞳を見て、彼は本当に
(――家族、かぁ)
飛龍の考えていることはよくわからなかったが、彼が
帝都の近くの町や村は人々の活気が溢れていたし、人々がその生活を気に入っているように見えたからだ。
だから朱亞は、飛龍がこの国を統べる能力に長けているのだろうと考えている。
(――たった十三年しか生きていない私が、そう思うのもきっと不敬になるのだろうけど)
心の中でこっそりとつぶやき、燗流をじっと見つめて桜綾の様子をうかがう。
「あなたのお母さまは?」
「え?」
「前王が亡くなられて、後宮の女性は外に出たのでしょう? そのときに、あなたのお母さまはどうしたの?」
「――母は、ぼくが高熱を出しているあいだに亡くなりました」
「えっ」
「見た目からもわかると思いますが、母はこの国の人間ではありません。
燗流は淡々とした口調で言葉を紡ぐ。朱亞は桜綾に視線を向けると、彼女も朱亞のことを見ていた。
「燗流さんが『梁』の苗字を使っているのは……」
「前王が亡くなったあと、陛下が選択肢をくださいました。母を見捨てた前王よりも、ぼくは母を選んだ。それだけの話です」
見捨てた……? と首をかしげながらも朱亞は黙る。桜綾も同じことが気になったのか、「どういうこと?」と眉間に皺を刻んで問いかける。
「母は……毒殺されたのです」
「どくっ!?」
朱亞の声が裏返る。はっとして両手で口元を押さえた。
燗流は困ったように眉を下げて、こくりとうなずく。その姿が痛々しく思えて、朱亞は口から手を離すと、きゅっと桜綾の服の袖を掴んだ。そして、緩やかに首を横に振る。
燗流も大切な人を失っているのだ。その話をするのは、きっとつらいだろう。
「燗流。あなたは手紙を陛下から受け取ったのよね。彼、あなたの目の前で手紙を書いた?」
「え? いいえ。ぼくはただの連絡係なので、封をされた手紙を届けるのが役目です」
「……なるほど。陛下は本当にあなたを信頼しているのね」
恐らく、桜綾と朱亞が彼に対してどんな風に接するのかを試しているのだろう。そう考えて桜綾は「先が思いやられるわね」と小声でつぶやいた。
「――ぼくを、信じてくれるのですか?」
「信じる、信じない、の前の問題よ」
桜綾は肩をすくめて、燗流を眺める。
彼のふわふわな
「わたくしたち、あなたのことを知らないもの。信頼関係とは、互いのことを知って成り立つのではなくて?」
ふわりと花が綻ぶように微笑む桜綾の姿に、燗流は一瞬言葉を詰まらせ、それから彼女と同じように微笑みを浮かべる。
「そう、ですね。ぼくのことを信じてもらえるよう、答えられることでしたら、なんでも話します」
「それはありがたいわね。ねえ、朱亞?」
「え? あ、はい。そうですね……?」
桜綾の手を立ち上がる燗流。彼は小さく頭を下げた。こうして桜綾と並んでいる姿を見ると、飛龍よりも背が高いように見えた。
「では、今から返事を書くので、待っていて」
「はい、待っています」
燗流は桜綾の部屋の隅に移動し、ちょこんと座った。来客用の椅子が必要だな、と朱亞が考えていると、桜綾はさらさらと文字を
「これを陛下にお願いします」
「はい、確かにお預かりしました」
手紙を差しだす桜綾に、燗流は立ち上がって早足で近寄り、両手で手紙を受け取ると「では、これで失礼します」と頭を下げて出ていった。
「なんてお返事したんですか?」
「内緒よ」
悪戯っぽく片目を閉じて、口元に右手の人差し指を立てる桜綾は、「着替えるから、手伝ってちょうだい」と朱亞に声をかけた。こくりとうなずいて、彼女の着替えを手伝う。
「ずっと花嫁衣裳のままでいるのかと思いました」
「まさか。ずっと着ていたら、肩がこっちゃうわ」
くすくすと楽しそうに笑い声を上げる桜綾に、先程までの視線の鋭さはない。
着替え終わり寝台に座る桜綾と、彼女の花嫁衣裳を丁寧にたたむ朱亞。
「……
「そうね……本当に宦官かしら、とはまだ思っているわ」
「なぜ?」
「歩き方が普通だったからよ。宦官の歩き方って、特徴があるの」
「特徴?」
桜綾は少し言葉に迷っているようだった。そして額に手を添えて悩んだ末に口を開く。
「こう……前かがみになって、小股でちょこちょこ歩くの。遠目からでもわかりやすいのよ」
「……と、いうことは、私が宦官のふりをするときは、歩き方に気をつけないといけませんね」
桜綾の話を聞いて、朱亞は燗流の歩き方を思い出しながら自分が宦官のふりをすることがある、ということに気付き、眉を下げた。
「そうなるわね……」
「……ばれたら、どうなるんでしょう。胸は……まだ小さいから誤魔化せるとしても……」
自分で言っていて少し悲しくなった朱亞は、重いため息を吐く。
「朱亞はまだ十三歳だもの。これからよ、これから」
慰めるように明るい声をだす桜綾を見て、朱亞は再び重いため息を吐く。桜綾の男性も女性も魅了する身体のようになれたら、と思わず彼女をまじまじと見つめた。
「でもまぁ、まだ『少年』と思われる身体で良かった、と考えたほうが精神的に良さそうです。そのおかげで、外に出られそうですし。……でも、少年の宦官もいるものなんですか?」
宦官については帝都に向かう馬車の中で、簡単に教わった。朱亞はその話を聞いたとき、ゾッとして思わず自分の身体を抱きしめるよう二の腕を擦った記憶がある。
寒気がする話だったからだ。
「……恐ろしい話だけど、そういう子もいるらしいわ。その子たちは後宮で可愛がられている、らしいのだけど……今の後宮にいるかはわからないわね、聞いていないし」
「桜綾さんはそういう話、どこから仕入れてくるんですか?」
朱亞は問いかけてから、口元を手で塞いだ。『胡貴妃』と呼ぶように意識していたが、ふたりきりだとつい気が緩んでしまう。
「ふたりきりのときは構わないと言ったでしょう?」
「でも、なんだか口が滑りそうで」
しゅんとうなだれた朱亞に対し、桜綾が「朱亞」と優しく名前を呼んで手招く。素直に桜綾のもとに行き、隣をぽんぽんと叩くのを見て座るように
「この後宮で、どんなことがあるかわからないわ。でもね、一瞬たりとも気を抜けないなんて、そんな生活は楽しくないでしょう?」
朱亞はゆっくりと首を縦に動かす。
気の抜けない生活を想像して、無理だと心の底から感じた。
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