後宮 4話

「その前に、後宮でどうやって過ごしていくかを考えないとね」

「え?」

「さっき見た通り、掃除も行き届いていないということは、人手が足りないということでしょう? もしくは、他の宮にいるのか」

「ここでふたりだけっていうのは、少し考えにくいですよね」

「でしょう?」


 後宮では女性がたくさんいて、働いていると思っていた。風の噂で聞いた話では、女性たちの熱い戦いがあるとかないとか、面白おかしく噂されていたことを思い出し、朱亞シュアは部屋を見渡す。


 がらんとした部屋だ。桜綾ヨウリンの部屋よりも埃っぽい。


貴妃きひ。後宮でどう暮らすかを考える前に、掃除を徹底的にしたいです!」


 朱亞は右手を上げてやりたいことを伝えると、桜綾は目を丸くして辺りを見渡し、それから「そうね」とうなずいた。


「確かに埃っぽいものね。掃除はしたほうが良さそう。手伝いましょうか?」

「お気持ちだけで充分です。胡貴妃は部屋で休んでいてください」


 朱亞はそういうと、桜綾に自室へ戻るようにうながした。彼女は「手伝えることがあったら、言ってね」と朱亞の頭を撫でてからこの部屋を去る。


(優しい人だなぁ)


 ほんわかと心の中が温かくなる。そっと胸元に手を置いて、目を閉じた。


 ――とりあえず、まずは埃っぽいこの部屋を、なんとかしないといけない。


 朱亞は気合を入れるためにぱちんと両頬を軽く叩く。部屋から出て、先程の月桂樹までの道のりを思い出し、別の方向へ早足で進んだ。


 桜綾と一緒に歩いたときは、歩きやすい場所を選んで歩いた。少し道が外れると、整備されていない道があり、そこには小さな小屋があって外に声が漏れている。


「すみませーん!」


 中に人がいることは確実だろう。朱亞は扉を数回手の甲で叩いてから、扉を開けた。


 すると、数人の女性たちがなにやら世間話をしていたようで、驚いた表情で朱亞に視線を集中させる。


「ええと、だれ……?」

「あ、私は今日からお世話になる朱亞です。よろしくお願いします」


 深々と頭を下げる朱亞に、女性たちは顔を見合わせた。


「今日から?」

「はい、今日から。それでですね、掃除道具を探しているのですが、どこにあるのか教えていただけませんか?」

「ああ、掃除係かい? それなら、こっちだよ」


 中年くらいの女性が立ち上がり、「ついといで」と小屋から出ていく。朱亞はその人のあとを追うように駆けだす。


「それにしても、どこの宮の子だい?」

「宮の子?」

「ああ、ここは宮ごとに所属が決まっているからね」

「――そういえば、宮の名前は知りませんね……」


 赤い壁に金色の桃が描かれていると話すと、女性はぎょっとしたように目を大きく見開く。


「そこは貴妃の宮じゃないか!」

「あ、そうです。私は胡貴妃の侍女なんです」


 どうやら宮はたくさんあるらしい。そのうちのひとつの宮が、丸々桜綾の住む場所なのだろうかと考えて、後宮の仕組みに首をかしげる朱亞だった。


「そういえば、陛下が美女を連れてきたって聞いたわ。その人なの?」

「はい。とってもきれいな人ですよ。女性でも見惚れちゃうくらい!」


 朱亞は桜綾の美しさを絶賛した。女性は興味深そうに相槌を打ちながら歩いている。


 掃除道具のある場所を教えてもらい、彼女に礼を伝えると「いや、……まぁ、がんばんなさいね」と朱亞の肩を励ますように叩かれ、彼女はじっと女性を見つめた。


「そんなにきれいな宝石を持っているんだ。朱亞、だっけ。あんたもいいとこのお嬢さんなんだろう?」

「いいえ。私は山奥の出身なので。これは先程いただいたものです」


 首元の装飾品。黄色緑柱石ヘリオドールはきらりと輝いている。


「すごいね、宝石を贈られるなんて」

「いろいろあって……」


 朱亞は自分が村から旅立った日を思い出す。本当に、いろいろなことがあった。


 旅をしていた頃の出来事を懐かしむように目元を細めると、掃除道具を持って女性に対して笑顔を見せる。


「なにはともあれ、まずは掃除が先です! きれいにするので、あとで遊びにきてくださいね」


 朱亞はもう一度、「案内ありがとうございました」と礼を伝えると、駆けだす。残された女性はぽかんと口を開けて彼女の背中を見送った。


 自室に戻ると、朱亞はまず鞄の中から三角巾を二枚取りだし、一枚は頭に、一枚は口元につけた。埃から身を守るために。


「よーし、やるぞー!」


 ぐっと右手を天に突きだして声を発する。こうすると、気合が入るのだ。


 はたきを使い上から埃を落とし、ほうきと塵取りで埃を集めていく。


 ふと、部屋の外に人の気配を感じて振り返ると、開けっ放しだった扉から、そろりと顔を覗かせる――性別不明の人が立っていた。


「あのぅ?」


 朱亞が声をかけると、その人はおずおずと姿を見せた。ふわふわの髪はまるで金糸雀カナリアのようだ。そして、瞳は瑠璃るり色で顔にはそばかすが見える。


「――あのぅ?」

「あ、の!」


 朱亞よりも背の高い人だった。声も高いようで、同時に声をだしてふたりは一瞬固まった。


「ええと、どうぞ」

「あ、すみません。ええと、陛下にいわれてこの宮にきたのですが、胡貴妃とお話はできますか?」


 もじもじと両手をすり合わせて朱亞をうかがうように見る人に、少し考え込む。


『余が信頼する宦官を派遣する。その者からいろいろ受け取れ』


 ――確か、飛龍フェイロンがそういっていた。


「あの、もしかして、なんですけれど……陛下に仕える宦官、でしょうか?」

「あ、はい、そうです。ぼくはリアン燗流カンルー。ええと、よろしくお願いします」


 にこりと微笑んだ燗流を見て、朱亞も「よろしくお願いします」と笑顔を見せる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る