宿屋で休憩 5話

 朱亞シュアは旅に出てからいろいろな人たちに出会った。しかし、桜綾ヨウリンのように美しい女性は見たことがない。


 赤や黄みを帯びた深みのある黒髪は腰のあたりまで真っ直ぐに伸び、瞳は栗の皮のような赤みの焦げ茶。少し垂れ目ではあるが、それが優しそうな雰囲気をだしている。


 なめらかで透明感のあるつや肌に、真っ直ぐの鼻筋に小鼻。なにも塗らなくてもほんのりと桜色に色付いている唇。口の左下にはほくろがひとつあり、妖艶さを感じさせた。


 身体の線は細いが、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいるという女性をも魅了するような肉体美もあり、自分とは真逆の人だと考えている。


 しかし、彼女のもっとも美しいところは、その心だとも朱亞は思う。


 祖父が用意した花嫁衣裳に袖を通すときも、この宿屋でその花嫁衣裳を乾かすように手配してくれたのも、桜綾の優しさだ。その心の優しさこそが、彼女の美しさなのだ、と。


 そして、桜綾はただ優しいだけではないことを、この数時間でよくわかった。芯が強く、ぶれていない。


 初めは後宮に行きたくないという理由で逃げだしたと聞いたが、逃げられないと悟ると運命を受け入れる心の強さがある。


 だからこそ、自分こそが『絶世の美女』であると主張する桜綾の姿が、まぶしく見えた。


「――なるほど、自らの美しさも、そなたの武器か」

「ええ。この顔と身体ですもの。今までたくさんのことがありましたわ」


 桜綾の瞳に少し冷暗なものを感じ、朱亞はぎゅっと自分の胸元の服を握りしめる。


「一応言っておきますが、わたくしはまだ清い身体でございます。この身を捧げるのに相応しい方を望んでおりました」

「余に対してその態度。まったく面白い女よな」


 なぁ、梓豪ズーハオ? と彼に視線を投げる皇帝陛下に、彼は困ったように視線を下げて小さく息を吐いた。


「それに朱亞。そなたも実に面白い」

「え、わ、私が?」


 突然声をかけられて朱亞の声が裏返った。皇帝陛下は寝台から立ち上がり、ふたりに近付く。桜綾の目の前に立ち、彼女の艶やかな黒髪に触れる。


「『絶世の美女』である桜綾に、求められているのだぞ? それに、そなたの知識は後宮でも大いに役立つだろう」


 役立つ、という言葉に朱亞は反応を示した。耳がぴくりと動き、後宮でどんな知識が役に立つのだろうと考えを巡らせた。


「例えば、そうだな。天下に大病を蔓延はびこさせる悪鬼あっきをなんという?」

でしょうか? それとも跂踵きしょう?」

「そのふたつの姿形は?」

「蜚は牛のような姿で白首、一目で蛇の尾。跂踵は鳥……ふくろうのような姿で一足、ぶたの尾……です」


 問われたことに対し、すらすらと答える朱亞に、皇帝陛下は口角を上げる。桜綾は「ひ? きしょう?」と困惑したようにふたりを見つめ、梓豪は朱亞の知識に鳥肌が立った。そして、原石を見つけたかのように口元に弧を描く。


「山小屋で見た、あの異形のようなものの仲間ですか?」


 桜綾が掠れた声で問う。皇帝陛下はぽんと彼女の肩に触れ、「恐れることはない」と自信ありげに微笑んだ。


「そういえば、陛下はどうやって狍鴞を倒したのですか?」


 今思い出したかのように、朱亞が疑問を口にする。すると、皇帝陛下は桜綾の肩から手を離し、寝台近くに置いている剣を持ってから、彼女たちに見せるように鞘からすらりと抜く。


「それは?」

「我が紅焔コウエン国の宝剣、ホムラ。悪鬼を斬る力を持っている」

「陛下は武器の扱いに長けているのですよ」

「なに、お前には負けるさ」


 梓豪の眉がぴくりと跳ねるのを見て、皇帝陛下は肩をすくめた。


「焔を使いこなす方に言われても、あまり嬉しくありませんね」


 梓豪はやれやれとばかりに首を振る。


「焔は皇帝しか使えんように細工されているからな」


 皇帝陛下の言葉に、朱亞が納得したとばかりにうなずく。悪鬼を倒せるほどの力を持つ宝剣だ。誰彼と使えたら、その力に溺れることになるだろう。


「長く続く国の歴史の中、焔を扱える人は、陛下で三人目ではありませんか」

「えっ」


 思わず声が漏れた。急いで自分の口を両手で塞ぐ朱亞に、桜綾は眉を下げて微笑む。


 紅焔国がどのくらいの歴史を歩んでいるのか、朱亞は知らない。しかし、その宝剣を扱えるのが三人しかいなかったと耳にして、なんて気高い宝剣なのだろうと感じた。


(自ら持ち主を選ぶ武器もあると、おじいちゃんから聞いたことがあるけれど……)


 まさかそんな気高い宝剣が目の前にあるとは、と剣を切っ先から鞘、柄までをじっくりと観察するように目を注ぐ。


 とても綺麗な剣だ。白銀の輝きに、鞘には国の守護神である朱雀が描かれていて、国のための剣なのだと思えた。


「そんなに切っ先を見つめて、恐ろしくはないのか?」

「陛下が私を刺すとは思えませんし、とても綺麗な宝剣だと思います。……もしかして、朱雀の力を宿しているのですか?」

「ほう? なぜそう思う?」

「朱雀は火を司ります。四神獣と呼ばれている朱雀なら、悪鬼を倒す力が宿っていてもおかしくないと考えました」


 ふむ、と皇帝陛下は宝剣に視線を注ぐ。剣を鞘に戻し、再び寝台まで行くと元の場所に置き、またそこに座った。


「どう思う、梓豪。この知識力」

「素晴らしいですね。おじいさんの教え方が相当上手かったのか、彼女自身の記憶力が良いのか……どちらも、かもしれません」

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