第12話メダリオン(3)

「アンジェリカの魂の欠片か、少し複雑だな。ゴーストや故人の愛用品に宿る情念は、それがどれだけ本人の性質に近くとも本人だとは思わない、俺は。人の体から切り取られた髪や爪をその者としては扱わぬように。だが遺髪や爪ならば無碍にも出来ない、ましてや魂とあっては‥‥‥‥‥‥」


 ヘンリーの言葉を受けたアスティマの考え方はエイトにとっては驚くべきものだった。魔法を使いゴーストと戦っていた時代の人物が、霊魂についてそのように考えているとは思わなかったからだ。実際、人の魂の一部とは何なのだろうとは常々思っていた。現代で例えるなら本人を模した極めて精巧なAIだろうか。しかしエイトからすると魂の一部と言われたらAIどころかほぼ本人に思えるが、そう認めないアスティマの考えも分かる。そもそもメダリオンは大元となった人が生きていた時から存在していたはずなのだから。


「心中はお察しいたしますが、エレノア様によって生み出されたアンジェリカ様の魂の欠片を宿す至宝、それはお二人のかけがえのないご友人であるあなたが手にするべきものかと存じます」


 父の言うことはもっともに思える。アスティマがどう思うかはさておき、彼と親しかった二人の英雄はそのメダリオンがアスティマの手に渡ることを望んでいるはずだ。


「そうか‥‥‥‥‥‥そうだな」


 アスティマは観念したように承諾した。ヘンリーが部屋を出て行った後に、アスティマは残った三人に尋ねる。


「メダリオンとは結局どういう代物なんだ?人の怨念が宿る魔剣などは知っているがその類か?」


 この質問には現代の人間なら皆答えることはできるが、執事として気を遣ったのかセバスチャンが応じる。


「メダリオンは奇跡の至宝とされ、外見は少しばかり大きなコインのような品です、それなりの厚みもございますが。所有者がメダリオンから肉体へと魔力を流すことで肉体に刻まれた魔法印と結合し、封じられた英雄の力を行使できるようになります」


「ああ‥‥‥そんなことが出来るのか。それがあれば魔力が変質したこの時代に生きる人間も実用的な魔法を使えるわけだ、体に魔法印を刻んでさえいれば」


「ええ、ですがご存知の通り現代では魔法印を持つ者は多くはありませんので使える者は限られます。さらにメダリオンと人の相性によって引き出せる力には差異がございまして、英雄の使った魔法の一部を使える者はユーザー、英雄の幻影を呼び出す者はサモナー、英雄が憑依したような状態になる者はアバターと呼ばれております。私はメダリオンを使用する者を目にしたことは幾度かございますが、アバターを目にしたことはありません」


 魔力の変質、世界の変化についてアスティマはエイトたちと出会う前から既に察していたようだが、出会ってすぐにヘンリーの口からも大まかに伝えているためかセバスチャンもその前提で話していた。


「憑依‥‥‥それほどのものか」


「それとメダリオン自体にも質がございます。旦那様が今からお持ちになる物は間違いなくオリジンと呼ばれるいわば原本でしょうが、現在ではそのオリジンを複製した量産品、ジェネリックが大量に出回っております。こちらを用いてもユーザーの段階から上の恩恵はないとされますが、それでもおいそれと庶民の手に届く物ではありません」


「‥‥‥倫理も道徳もない話だな。エレノアは本人たちの了承を得て魂の剥離を行ったのだろうが、それを見ず知らずの他人が利益のために複製するなど、俺の見知った連中が許すわけもない」


「全くもって仰るとおりです」


 考えてもみればそうだ、メダリオンに魂を封じられたのはアスティマの帰還を願う人々ばかりと例のインタビューで言っていた。メダリオン・ジェネリックもまたアスティマにとっては不快な話だろうなとエイトはつくづく思う。そしてアスティマはこの話を初めて聞いた人間ならば誰でも疑問に思う点についてセバスチャンに尋ねた。


「しかしメダリオンの複製というのは科学ではなく魔術の範疇だと思うが、そんな技術が魔法の衰退した今も存在するのか」


「聖教会の秘術であり、その利益を独占しております」


「またしてもそいつらか。きな臭い連中だ」


 何か思うところは他にもあったのかもしれないが、アスティマはそれ以上は特に何も言及しなかった。


 しばらくして、ヘンリーは煌びやかな小箱を両手に抱えて持ってきた。その中にハワード家の神祖とされるアンジェリカの魂の欠片が鎮座している、そう思うとエイトの全身にはじっと座っていることさえ辛いほどの緊張が走る。先刻のアスティマとの出会いはあまりにも突然で呆気に取られてしまった。だが今回は先に話を聞いていたのでその間に様々な想いが膨れ上がり、英雄アスティマの側にいることでただでさえ高鳴る胸が、このまま張り裂けるのではないかと思うほど鼓動は速くなっている。レナとセバスチャンの顔からも己と似た感情が読み取れた。これから自分たちが何を目にするのかは分からなくとも、何かが起こるという確信めいた予感がある。アスティマにメダリオンが反応しないわけがない。


 エイトの予想ではアスティマの相性は間違いなくアバターだ。第二段階のサモナーが呼び出すガーディアンもまた相性次第でその鮮明さや発揮する力が変わるらしいが、サモナーはどこまで行っても簡潔な意思疎通しかできないと言われるので、むしろアバターでないと困る。アバターの場合は突然アスティマの言動が女性的になる可能性もあるが、アスティマとアンジェリカの親しさや力関係ならばアスティマが肉体の主導権を失う事態にはならないと思うので、二人が心の中で対話するような形となるのかもしれない。仮にそうなれば、部外者からはアスティマが何か考え事をしているように見えるだけなのだろうか。だがいずれにせよアスティマならば、必ずやアンジェリカの魂に刻まれた記憶を呼び覚まし、多くを知ることになるはずだ。この場の人々がまだ話せていない過去の出来事についても。エイトにはそれが怖かった、良い知らせなど何一つ思い浮かばないために。


 張り詰めた空気の中、アスティマはかつての仲間の魂を迎えるためか椅子から立ち上がってヘンリーに歩み寄り、ヘンリーは小箱をテーブルに置いた。


「アスティマ様、開いてもよろしいですか?」


「ああ」


 アスティマの了承を得たヘンリーは小声で何か唱えた後、小箱の鍵穴に鍵を差し込みゆっくりと回す。カチリという音が聴こえると、ヘンリーは鍵を差し込んだまま小箱の蓋を開けた。姿を表した神祖のメダリオンは、何故か蒼い光を放っている。メダリオンが誰も手にしていない状態でこのように輝くものだとは聞いていないが、やはり英雄の中の英雄アンジェリカのメダリオンともなれば特別なのだろうかと、エイトはそんな感想を抱いた。


「お手になさって下さい」


 ヘンリーに促され、遂にメダリオンがアスティマの手に渡る。瞬間、アスティマの手や顔にタトゥーに似た紋様が浮かび上がり淡い輝きを放った。それに共鳴するようにメダリオンが発する光も強まり、アスティマは咄嗟にメダリオンを両手で握り込む。しかし今度はアスティマの全身から強烈な青の閃光が部屋中に満ちて、恐らくはこの場の誰もが反射的に目を閉じるか背けるかした。エイトが顔を下に向けつつ恐る恐る目を開くと、状況を把握する前にアスティマの声が響く。


「‥‥‥お前か。アンはどうした」


 それはどうにも理解し難い言葉だった。目を開いてもまだ青い光の残像が消えない視界の先、アスティマの側に見慣れない人影を認めエイトはぎょっとする。サモナーが呼び出す幻影・ガーディアンは人型のもやのはずだが、アスティマの近くにいるのはまるで生身の人間だった。アスティマどころか自分たちと比べても背が低く、12歳前後に見える少女。いわゆるツインテールの赤みを帯びた髪、黒のキャミソールのような薄着と短いスカート。現代の人々は魔導器に残された20代頃のアンジェリカの写真や映像を見たことはあるが、彼女の髪は青み掛かっていた。アンジェリカはおっとりしていたという話もよく耳にするが、目の前の少女は可憐ながら見るからに勝気そうで、アンジェリカのイメージとは全く結びつかない。その謎の少女は両手を腰に当てながら、アスティマを見上げて言い放つ。


「なによ、その態度。800年振りに昔の仲間に会ったってのに嬉しくないワケ?それともアンタまさか、他の男のコドモ産んだ女が目当てだったっての?いっやらしぃ~」


 神祖アンジェリカのメダリオンから現れたと思われる、謎の少女。自分たちと同じ言語を話しているはずなのに、エイトには内容が何一つ理解できない。それでもとんでもないことを口走っている事と、紛れもなくアスティマの仲間である事だけは分かる。出し抜けに物凄いことを言われていた気がするアスティマは、微塵も動揺することなく平然と言葉を返す。


「おい、品のない言い方をするな。イーサンと結婚したのはお前もだろ、アンとお前は二人で一つなのだから」


「アタシはアイツのこと何とも思ってなかったし、コドモ産んだ覚えもないわよ」


「お前も難儀な身の上なのは分かるが人前でそんな話はやめておけ」


 エイトの脳は今も情報を処理できないが、アスティマの言葉を頭の中で反芻して何となく真相を理解してきた。ヘンリーは目を見開き口をぽかんと開けたまま固まっていたが、何とか声を絞り出した様子で尋ねる。


「あ‥‥‥アスティマ様?この方は‥‥‥」


 アスティマはこの上なく渋い顔で、少し躊躇いがちに目の前の少女の正体について説明する。


「‥‥‥アンジェリカの中には二つの魂が存在していた。このメダリオンは紛れもなくアンジェリカの魂の欠片を封じていたようだが、今俺たちの前にいるのは二人目の人格で呼び名はエリカ。コイツも立派な英雄だが見ての通り素行には問題があってな」


「ハァ~?アンタ人に素行がどうとか言えた立場?」


 そう言いながら少女はアスティマの脛をげしげしと蹴る素振りをしていた。信じられないことに透けていないようにも見えるが、当のアスティマはその蹴りを気にしていないので、周囲の人間には実態があるのかどうか全く判断できない。サモナーにもアバターに見えないあの状態が何なのか、それはこの場の誰にも分からないだろう。


「‥‥‥蹴るなよ、あくまでアンと比べたらだ。それよりエリカ、お前その姿は?老いた姿を嫌うのは分かるが、せめて俺くらいの年頃の姿で出て来れないのか」


 アスティマの何気ない一言が、エイトの心に重くのしかかった。他の者も同様のはずと思いきや、その重圧と無縁の人物が一人だけいたらしい。


「そんなのアタシの勝手でしょ。てかアンタ訊いてないの?アタシたちもイーサンも人魔大戦の5年後には死んだわよ」


 エリカと呼ばれる少女は、現代人たちがアスティマへどう伝えたものかと頭を悩ませていたその話を、なんて事はないと言わんばかりにアッサリと告げてしまった。その事実を伝えるなら彼女こそが相応しいとは言え、気遣いも情緒もあったものではない。流石のアスティマの表情にも戸惑いが見受けられた。


「‥‥‥何だと?」


 その戸惑いを知ってか知らずかエリカは話し続ける。


「あの後に人と龍の戦争が起きたの。龍月に眠る古老を地上の龍王の一匹が無理矢理起こしてね、地上には燃える石の雨が降り注ぐ大惨事。それを阻止する戦いで二人とも死んだわ」


 そう、彼女の言う通り、神祖イーサンとアンジェリカは魔王聖伐の後も戦火に巻き込まれ、平和な時代を過ごすことなくその命と引き換えに再び世界を救ったと、後世にはそう伝わっている。その話を聞かされたアスティマはチラリとヘンリーを見た後に呟いた。


「‥‥‥そうか、人龍大戦という言葉を口にした時に一瞬ヘンリーの顔が曇ったのはそう言うことか」


 相変わらずの鋭い観察眼だが、アスティマは言いながら一度天を仰いだ。エイトは改めて彼の置かれた状況の残酷さに震える。如何にアスティマが強靭な精神を持つ英雄であろうとも、どの道もう二度と会えないと割り切っていたとしても、共に戦った仲間は平和になった世界で末長く幸せに暮らしたと、そう信じたかったことだろう。


「イーサンはね、独りで龍月に乗り込んで寝惚けた古老も他の龍もみーんなブチのめして、そのまま地上には戻ってこなかった」


 二度に渡り人類を救いながら、誰にも看取られず骨さえ拾われなかった勇者イーサンの壮烈な最期。世界中の人々が未だ心を痛める悲劇の伝説を、当事者のはずのエリカはあまりにもあっけらかんと話す。対照的に、拳を握り込んだアスティマは眉間に深いシワを刻みながらポツリと溢した。


「‥‥‥‥‥‥何だったんだ‥‥‥‥‥‥あいつの人生は‥‥‥‥‥‥‥‥‥」


 それはあまりにも重い一言だった。イーサンを勇者として崇め奉る人々は、その死を悼みながらも口を揃えて言う。あの方は世界を救うために遣わされた神の御使いだとか、勇者に相応しい気高く美しい最期だとか。しかしそんな部外者の感想はきっと、アスティマにとって何の気休めにもならない。対等な友人としてイーサンと過ごす中、戦いに明け暮れる日々の苦悩を吐露された事もあるのかもしれない、戦いを終わらせた未来の展望について話した日もあったかもしれない。目の前にいるのはそういう人物で、その彼は今知ってしまった。友は一人きりで死んだのだと、平穏な余生などなかったのだと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る