第11話メダリオン(2)

「滅相もない」


 ヘンリーは一言で済ませたが、確かに驚くべき話だ。忙しい時間の合間を縫っていつ行っていたのだろう。父が昔からやけに裁縫が得意なのは何故なのかという子供たちの長年の疑問が一つ解けた。同時にエイトは、下着はあるのだろうかとも漠然と考えていたが、丁度セバスチャンがそれについて説明した。


「ではアスティマ様、少しご説明を。ハンガーラックの端に掛けられた下着の中には現代の下着もご用意させていただきましたので、肌触りなどお気に召しましたらご着用いただければと。あちらはお湯で濡らしたフェイスタオルとバスタオル、それに乾いたバスタオルになりますのでよろしければお使い下さい。では我々は後ろを向いておりますが、お邪魔でなければ私と旦那様でこのようにヴェールを広げ誰からも見えない状態に致します」


 エイトはそれまでセバスチャンが腕に掛けていたのはホテルのウェイター使うトーションのようなものだと思っていたが、目隠し用のヴェールだったようだ。アスティマはそのヴェールを一瞥して言った。


「隠さなくても良い、悪いが少し目を閉じていてくれ。別に見たいなら見て良いが」


 エイトは思う、正直かなり見たいと。魔王を倒すような英雄は一体どんな肉体をしているのか興味を惹かれる。しかし出会ったばかりの英雄の肉体を舐めるように見るなど絶対にダメだと己に言い聞かせた。当のセバスチャンは「御意に」と返答したが、まさか拝見させていただきます、という意味ではなく隠さなくて良いに対してだろう。ところが隣のレナは「‥‥‥良いのですか?」と問い掛けていた。弟から見ても清楚という言葉が良く似合う姉の衝撃的な一言にエイトは耳を疑ったが、レナを良く知らないアスティマは短く「ああ」と返事をしていた。


 そうして皆が後ろを向き目を閉じている内にアスティマはその場で着替えたが、エイトはレナが本当に見ているのか物凄く気になった。またあの手の甲冑は一人で脱げないという話も良く聞くが、手間取るどころか甲冑を脱ぐ音を聞いてから金属の音がしなくなるまでがあまりに早い気がして、目を開けて振り向きたい誘惑に駆られる。手にしていた杖をどう扱っているのかも気掛かりだ。今になってエルフの女王らしき人物の話を思い返すと、あれは聖女エレノアの神器・聖杖アルテミシアのはずだ。この家を土足で歩き回らないように出会ってから今まで人類の至宝の先端に鉄靴を引っ掛けていたのかと思うと、今更ながら申し訳ないような何とも言えない気持ちになる。


 アスティマは鎧を脱ぎ裸になったタイミングでバスタオルもきちんと使ったらしく、しばらくは体を拭いている気配があった。やがて何かに感心しているような声が聞こえてきた後は、手慣れた様子で新しい衣服に袖を通す音とベルトの金具の音が聴こえた。


「よし、終わったぞ」


 皆が振り向くと鎧立てにはきちんとアルテミシアを握った甲冑が自立しており、アスティマは聖堂騎士の平服と言っていた服を身にまとっていた。現代のアマテラスで見掛けるものだと海軍士官の詰襟の軍服に近く、それこそ現代で騎士を名乗る輩の制服と比べれば地味な格好だ。だがそういった連中のコスプレにしか見えない締まらなさに比べ、こちらはまさに古の絵画の中から飛び出してきたような気品と風格を兼ね備えている。無造作に伸びた髪に不潔な印象もまるでない。


「戦いの後に体を洗っていないのは確かだからな、比較的質素に見えるコイツを選ばせてもらった」


 アスティマはそう言って自分の体を見渡しながら、髪の毛を弄っている。本人もやはり髪の長さを気にしているようだった。そんな様子を見ていたレナがおずおずとアスティマに近付いて何か差し出した。


「あの‥‥‥良ければこれ」


「ん?髪を束ねる道具か」


 渡そうとしたのはヘアバンドのようだ。しかし自分から差し出しておきながらレナはすぐに手を引っ込めてしまう。


「あっ、ごめんなさい、自分の使っていた物をアスティマ様になんて失礼でした‥‥‥新しいの持ってきますね!」


「使ってしまって構わないなら使わせてもらうが、良いのか?」


 恐縮するレナにアスティマが逆に手を差し出し、レナは躊躇いがちにヘアバンドを手渡した。


「‥‥‥どうぞ」


「ありがとう」


 レナからヘアバンドを受け取ったアスティマは慣れた手付きで髪を後ろで束ねる。相変わらず様になっている。これですっきりした様子のアスティマはヘンリーへと向き直って語りかけた。


「さてヘンリー、俺に見せたいものというのは?」


「只今ご用意いたしますのでこちらにお掛け下さい」


 これでようやく本題に入れるようになった。ヘンリーがアスティマへ真っ先に見せようとしているものが何か、彼以外の全員が分かっている。ウィルソン教授の決死の告発映像、その中では彼がこの世界に帰還した理由が語られ、かつての友人と思われる人物が登場し、現在の世界がどのような状況なのかある程度は説明されている。世界に衝撃を与えた例の映像は現在アレクサンドリアから削除されアーカイブを見返すことは出来なくなっているが、当然ながら現代においてその程度で情報の拡散を抑えられるわけがない。


 ヘンリーが持って来たノートパソコンからは削除された映像を見ることが出来る。用意されたプロジェクターを含め、テーブルに置かれた初めて見るはずの機械を目にしてもアスティマは然程戸惑ってはいないようだった。全員が神妙な面持ちで着席し、遂にその時が訪れる。800年振りにこの世界に帰還した英雄が、かつて仲間たちと共に命を懸けて救った世界の一端、その光と闇を目にする時が来た。来てしまった。


「今からこの垂れ幕には現在より7日前の遠い場所の光景が映りますが、それは当日に世界中の人々が一斉に見ることが出来たものです。そこではウィルソンという歴史学者が現在の歴史の誤りを訴え、作為的にそう改竄した団体を告発していました。その中で今この時代にあなたの凱旋が叶った理由を、エルフの女王アマリリス様が語っておられます」


 ヘンリーは現代の知識がない人物にも分かるよう言葉を選んで説明していた。それがどの程度伝わったのかは不明だが、アスティマは機械のことよりも別の点を気にしている様子だった。


「あの泣きべそリリィがこの時代でエルフの女王に?順当だが先代はまだ‥‥‥まぁ良い、百聞は一見に如かずだ」


 エイトはヘンリーが足元だけ映っていた人物をアマリリス女王と断定して話したことが少し引っ掛かったが、父なら調べがついていても不思議ではないかとあまり気に留めなかった。


「ではご覧下さい」


 ヘンリーの操作で映像が流される。アスティマは黙って映像を観ていた。自身の歴史からの抹消の件、アレクサンドリア図書館焼失の件、エレノア聖教会の件、次々に不興を買いそうな話題を聞かされるアスティマを前にエイトは内心ビクビクしていたが、当の本人は時折怪訝な顔をする程度で怒るどころか強い不快感を示すようなこともなく、只々静かに教授やインタビューの女性の話を聞いていた。そして全てを見終わった後にアスティマは開口一番意外な言葉を口にする。


「今日お前たちが参列したのは、ここに映っている男の葬儀か?」


 アスティマにまたしても心臓に悪いほどの勘の鋭さを見せつけられ、エイトはこの映像の中にヒントがあっただろうかと思い返したが、明確にそれと分かるものはないような気がした。質問されたヘンリーも返答と共に聞き返す。


「‥‥‥何故お分かりに?」


「お前たちの顔に書いてある」


「左様でしたか」


 そう言われればそうだ。自分たちが今この映像を穏やかな気持ちで見られるわけがない。エイトでさえ視界が滲むのだからヘンリーは尚更辛いだろう。反面、本当にそれだけで結び付けられるのかという疑問も残るが、一応アスティマは補足する。


「ましてやエレノア聖教会とやらはアマリリスが警戒するほど危険な組織で、ウィルソンとやらはその連中を告発したわけだろう」


「はい、ただこの映像に映るウィルソンの死因は事故として処理されており、実際状況としては不自然ではありませんでした。私も聖教会の仕業だとは断定は出来ておりません。あの、聖教会という組織は‥‥‥」


「エレノア本人が興したわけではあるまい」


「そう伝わっております」


 それもやはり簡単に言い当てる。しかしこれは審問官の経験や勘と言うよりは、聖女エレノアと親しい人物なら誰もがそう感じることなのかもしれない。続いてアスティマは、今までの彼とは少し違うようにも思える抽象的な言葉を口にした。


「‥‥‥去ったのだろうな、エレノアは」


 呟いたアスティマは顔色一つ変えてはおらず、言葉に込められた感情は読み取れない。返答を求めているのかさえ分からない言葉を前にヘンリーも苦慮した様子で言葉を絞り出した。


「‥‥‥全くもってその通りでございます、歴史は聖女エレノア様の最期を伝えてはおりません。人龍大戦を戦われた後の足取りは不明です」


 そう、救世主たる聖女エレノアがどのような晩年を迎えいつどこで永遠の眠りについたのか、歴史は語らず現代の人々は知らない。だからこそ聖女は永遠だと主張する者たちもいるが、誕生から800年が過ぎた世界、聖女の名の下に数多の血を流した聖教会、聖女エレノアが存命すると思える根拠はあまりにも乏しい。


「‥‥‥人龍大戦、とは?」


 そして当然ながらアスティマが気にしたのは人龍大戦という言葉だった。そう、彼が知ることのないもう一つの大戦争。父からすればそのあらましを伝えなければならないのはあまりにも気が重いだろう。


「アスティマ様、そちらについてお話しさせていただく前に、先程の映像の中で話されていたメダリオンについてなのですが」


「ああ、エレノアが英雄の魂を保存したという。俄かには信じられない話だったが」


「当家にアンジェリカ様のメダリオンがございます。そこにはアンジェリカ様の記憶が刻まれているやもしれません、あなたでしたらそれを読み取ることも‥‥‥。当主以外には立ち入れぬ部屋に保管されているのですが、今お持ちしてもよろしいでしょうか?」


 ヘンリーの衝撃的な告白に、エイトとレナは思わず大きな声を上げてしまい、急いで謝った。アスティマの件だけでなくそちらも初耳だった。確かに勇者の直系と伝わる家にはそれが存在していてもおかしくはない。何なら目の前にいる英雄こそメダリオン以上に奇跡的な存在ではある。それでも神祖アンジェリカのメダリオンが現存するという事実が二人に与えたショックは凄まじかった。

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