第5話 招かれざる客(7)

「メダリオンの中身はヴラド・ラグラーズだった。ほぼ面識のない人物だが俺に恩を感じ協力してくれるそうだ」


 騎士たちが去ったのでアスティマが中の出来事を知らない二人に状況を伝える。


「ヴラド公、人龍大戦で大戦果を挙げた方ですね。協力して下さるならば何よりです」


「メダリオンの身では密偵など困難だろうが、少しでも情報をもたらしてくれると信じよう。ヘンリー、後でヴラドとの連絡手段について相談に乗ってくれ」


「それはもちろんですが‥‥‥アスティマ様。数時間前にお戻りになられたばかりだというのにこのようなことに巻き込んでしまい申し訳ありません」


 ヘンリーはアスティマに向き直り険しい顔で頭を下げた。


「お前が詫びることじゃない。むしろ俺の提案は機械で撮影した映像を発信する、エリカにアンジェリカのフリをしてもらいやり過ごす、それだけだったものをお前の情報を元に教会に密偵を送り込めた。礼を言う」


「大変ありがたい御言葉ですが私は何も。結局はアスティマ様とエリカ様頼りでした」


 やはりヘンリーは自分たちの問題の解決に二人を頼ってしまったと気に病んでいるようだ。しかしアスティマとしては門の守護を担った恩人であり今後協力者となる人々を守ったに過ぎない。どちらも間違っていないのでここは突き詰めても平行線だろうと感じる。


「お前がもたらしたジェラルドはメダリオンの所有者だという情報は実に有益だった。それと追い詰められた時は縋るかもしれないという見立て、あれで奴を煽り事を有利に運べた。それにエリカ、お前の演技と情報も」


 アスティマがアンジェリカにも声を掛けると、彼女は既に背中を向けてホールの端にある応接スペースに向かっていた。


「別にアンタに褒められてもアタシは嬉しくも何ともないわよ。はぁ~疲れた~」


 そう言うとエリカは成長したアンジェリカの姿から騎士たちが来る前の子供の姿に戻る。単にアスティマたちが便宜上呼び分けているだけでどちらもアンジェリカではあるが、騎士たちを驚かせた大人の姿のアンジェリカはアンの人格を演じるエリカに過ぎなかった。騎士たちに蒼天使アンジェリカと認識させるためにそうしてくれとアスティマが頼んだ。


「お前のお陰で血が流れずに済んだ。俺が初めに聞いたメダリオンと人間の相性の話。あれが一部事実と異なるとはな」


「多分エリーとメダリオンに選ばれた人間しか知らないわ、その方が都合が良いから」


 エリカはさりげなく言うが、それはなかなかに恐ろしい事実だった。


「メダリオンの意識がひとたび覚醒すれば誰の体であれ大抵は乗っ取れる。あの情報は明確な優位性になった」


「私も驚きました。わざわざユーザー、サモナー、アバターと定義付けされてきたのに、どの程度の力を引き出せるかは封じられた英雄の方々の匙加減であり、持ち主の魔法の才能や魔法印との相性が無関係だとは」


 そう語るヘンリーは話し合いの場でエリカからその事実を聞かされた時、実際に大きな声を上げて驚いていた。


「ある意味では素質や相性と言って差し支えないな、中の者に気に入られるかどうかの」


「確かに」


「はぁ~あ、本当にアムニストレージまで出すことになるなんて。肩凝ったぁ~!」


 話すアスティマたちを尻目にエリカは椅子の上で手足をピンと伸ばし一人で騒いでいた。膨大な魔力を使ったはずが姿を維持できなくなる様子もない。仮に人間のままでもアムニストレージで肩は凝らないだろうとは感じたが口にはしなかった。


「あの調子なら通常の魔法のダメ押しでもメダリオンに頼っただろうが、奴らにお前が本物だと信じ込ませた上で俺がメダリオンの中の者と内密に話すにはあれが最適だった。お前ばかり働かせてしまって悪いな」


 側に歩み寄るアスティマの話を聞いているのかいないのか、エリカは全身の力を抜いて椅子に沈み込み自分の肩を揉んでいた。


「ふぅ~‥‥‥全く自分は影にコソコソ隠れながら女を道具のように扱って」


「今のお前は歴とした道具ではあるが」


 小言に対してメダリオンを取り出しながら反射的にアスティマが反論すると、エリカは睨みながら指を差して来る。


「アリス・シンドロー‥‥‥」


「やめろ!!絶対にっ!!」


 アスティマは堪らず叫ぶ。昔ならばその魔法は通用しなかったが、著しく魔法への抵抗力が弱まった今は恐らく防げない。アムニストレージの中でないと生物に作用しないと言っても、人が身に付けている防具や衣類を小さくするだけでいとも容易く人を絞め殺す恐ろしい魔法だ。


「アンタ身の程を弁えた方が良いわよ、今はアタシに勝てないでしょ」


「‥‥‥‥‥‥‥‥‥そう、ではあるが」


 アスティマは小声で言葉にならない声を漏らした。薄々分かってはいたが改めて言われてしまうと気が重い事実をエリカに突き付けられアスティマはぐうの音も出ない。また言い争いが始まりそうだと察したのかこのタイミングでヘンリーもホールの中央から二人の近くまでやって来た。


「何はともあれお二人とも、お疲れ様でした。立て込んでしまいましたが食事の支度が整っておりますので是非とも‥‥‥はっ、エリカ様は」


 ヘンリーは一瞬言葉に詰まったが、その様子を見たエリカがすぐに答える。


「アタシ?別に食べられるわよ」


「なんとっ!!そうでありましたか!」


 ヘンリーは声を張り上げて喜んだが、すぐに何かを考え込み黙り込んだ。今のエリカが食事を摂れるという事実は感覚的に受け入れ難いが根掘り葉掘りも訊けない、ヘンリーからそのような逡巡を感じられた。エリカはそんなヘンリーを他所に立ち上がり、下からアスティマの顔を覗き込んでくる。


「んん?なーんかアンタ、浮かない顔ね」


 兜の下から覗き込んでも顔など見えないはずなのにエリカは事も無げに言い、隣で聞いていたヘンリーも目を丸くしていた。


「‥‥‥浮かない顔か。エリカ、もう一度座れ。食事の前に話がある。二人も座ってくれ」


 アスティマは周囲の三人に着席するように促し、アスティマ自身は椅子を傷つけないように腰回りの装甲を外して床に置き、甲冑の尖った部分が触れないように注意しながら椅子に腰掛けた。


「突然ナニよ?改まって」


「‥‥‥まずエリカ」


 アスティマは言いながらテーブルの上で組んだ手の親指を無意識に忙しなく動かし続け、エリカに冷めた目で見られてようやく己の落ち着きのなさを自覚した。


「なんでモジモジしてんの」


 明らかに様子がおかしいアスティマをヘンリーとジェシカも気遣わしげな顔で見つめている。さっさと話さないと無用な心配をかけてしまいそうで話を切り出す。


「お前はエリー本人のメダリオンが存在するかどうか知っているか?」


 アスティマの一言にエリカは拍子抜けしたような顔をした。


「そのコト?ソレを訊くのに何でそんなおかしな態度なのよ」


 当然だがエリカは容赦ない。アスティマは意を決する。


「一般論として、あくまで一般論としてだが、俺の帰りを誰よりも待ち望んだのは‥‥‥‥‥‥エリーのはずだよな?杖とか、預かってるし」


 アスティマは自分で言っていて途中から気恥ずかしくなり思わず妙なごまかし方をしたが、エリカに思い切り睨まれてしまった。


「アンタ何言ってんの?ツエ?それは最悪失くしても良いって言ってたじゃない。誰よりもアンタを愛してたんでしょ、あの子は」


「ちょっ、おまっ」


 アスティマはあえて濁した言葉を真正面から突き付けられてしどろもどろになる。しかし最悪杖は失くして良いとは別れ際に言われた言葉だが、あの時はエリカの意識も覚醒していたのかとふと思った。


「何照れてんのよ、今さら。手の掛かる弟と言われてたんだからまず間違いなく家族愛はあるでしょ」


「‥‥‥あっ、おう」


 エリカの意見はあまりにも的確で子供のように照れていたアスティマは己を恥じた。


「で?」


「ああ、まぁ、何だ。本人のメダリオンが存在するならエレノア教の成立を看過するとは思えない。だが反対に俺の帰りを願う魂を必要としたならエリーのメダリオンが存在しないのは妙‥‥‥だよな?」


 何一つおかしいことは言っていないという思考とは裏腹に段々と語気は弱くなる。


「要はどっちとも言えないからアタシが何か知らないかってコトね。エリーは自分のメダリオンがあるのかどうかはアタシにも話してないわよ。アタシが生きてた間には造ってない気がするケド」


 エリカはそう言うがアスティマとしては引っ掛かった。


「なぜだ?魂の切り取りにどんなリスクがあるか分からない状態ではエリーは自分で試しそうなものだが」


「それで万一エリーに何かあったらアンタを連れ戻す人間がいなくなるじゃない」


 エリカの言うことは全くもってその通りだが、どうにも受け入れ難いものだった。


「だが他人が最初ではまるで実験台のような‥‥‥エリーがそんなことを?」


 言葉は悪いが、仮にどう取り繕っても事実としてはそうなってしまう。しかしエリカは頭の後ろで腕を組みそれがどうしたと言わんばかりの態度で聞いている。


「ねぇ、そもそも魂の切除はアルテナ教の禁忌に触れるのよ?確か教義は『魂への弾圧、支配、束縛を禁ずる』だから圧政や奴隷の禁止って解釈されるけど、魂の一部を物体に封印するのもグレーというか、考えようによっては黒通り越して闇でしょ。アンタはエリーがそんなことすると思った?」


「‥‥‥‥‥‥まぁ‥‥‥思わなかったな」


 アスティマは話しながら、エリカは正論で畳み掛けてくるタイプだったなと思い出す。メダリオンの作成自体が「エリーらしからぬこと」である以上は「エリーがそんなことをするとは思えない」とは言えなくなる。


「ただ最初に自分のを造らない理由はあるけど、成功例の後に造らない理由は確かに薄いわね。アタシのと同じ特別製なら魔力を多めに消費すれば気合いで外に出て来れるから、他人に良いように利用される心配もない」


 エリカはまた知らない話を唐突にするのでアスティマは面食らったが、とにかく慌ただしかったので説明が小出しになるのは無理もないかとも思った。


「メダリオンの中で周囲を把握するというのはどうやるのかと思ったが出て来れたのか」


 アスティマはそれなら別に自分が肌身離さず持ち歩かなくても良いのではと思ったが、言っている通り魔力の消費が相当多いのか。


「でも結局、エリーのメダリオンがあるならアタシのと一緒にこの家に保管してないとおかしいって結論にならない?アンタが戻るこの場所にね。それでも絶対にないとは断言できないケド」


 エリカの話はこちらに戻ってから他の事と並行してアスティマもずっと考えていたことだった。あれほど大掛かりな準備をしてアスティマの奪還を成し遂げたエレノアがこの場に現れない現状を見れば、エレノア聖教会のエレノアは本人ではなくメダリオンも存在しない可能性は高い。


「エリカ、とりあえずお前の認識は分かった。どのような形であれエリーが目の前に現れたら話は早いのだが。俺が戻って一日と経っていないわけだし望みは持っておこう」


「それはそうねぇ、まぁ‥‥‥確かに」


 エリカは珍しく歯切れの悪い言い方で何とも言えない顔をしていた。


「次にジェシカ、ヘンリーやセバスチャンよりは物事の認識が一般人に近いと思うので尋ねるが‥‥‥‥‥‥ん?んん?」


 アスティマは話の途中でジェシカの顔をまじまじと見てあることに気付いた。


「どうしましたか?」


 当然ジェシカは困惑して聞き返す。


「歳はいくつだ?」


「えっ?」


 ジェシカの呆気に取られた声とほぼ同時にアスティマを突然の頭痛が襲った。まるで頭を締め付けられるような痛みというより、本当に締め付けられている。


「いででででででっ!!エリカやめろ!!戻せ!!」


「女に年齢訊き過ぎ」


 エリカはアリス・シンドロームを平然とアスティマの兜に掛けてきた。しかしそのままでは死んでしまうので流石にすぐに戻す。


「悪いジェシカ、答えなくて良い。ただあの年頃の子持ちにしては若いなと。下手をしたら二十歳そこそこに見える」


「あっ、光栄です。結婚が早かったもので」


 ジェシカは少し照れながら言った。アスティマは答えなくて良いとは言ったが本当に年齢に関しての回答はなかった。


「‥‥‥アンタなに?ジェシカも狙ってんの?アンといいもしかして人妻好き?」


 エリカがまたおかしなことを口走る。


「そんな誤解をされたら家から追い出されるからやめろ」


 滞在数時間で家主たちに最悪の印象を持たれてはまずいので即座に否定したが、ヘンリーは真剣な面持ちだった。


「そのような杞憂など‥‥‥イーサン様の手記にアスティマ様は色事は絶っている方だと書き記されておりましたので」


「そんなつもりもないぞ‥‥‥‥‥‥」


 アスティマは愕然としたが、一番近くにいた相手にそう思われていたのならそれが正しいのだろうかとも思った。


「でも素敵です、イーサン様がそうお考えになるほどアスティマ様は真面目で目標に向かって一途な方なのですね」


「ま、ま、マジメぇ?コイツが?まぁ考えようによるか‥‥‥真面目‥‥‥堅物‥‥‥勇者バカ‥‥‥」


 ジェシカの精一杯のフォローにまだ何か言いたそうなエリカを無視しアスティマはジェシカに向き直る。


「話が逸れたがジェシカ、お前の知る範囲のことが聞きたい。今の世の中で例のエレノアの正体はメダリオンではという話は出ていないのか?エレノアは未来予知の魔法など使わないが現代人はあまり気にしていないようだし」


 アスティマはエレノア聖教会とメダリオンの話を聞いた時からずっと考えていたことを尋ねてみた。


「当然そういった憶測もあるのですが、メダリオンならもっと早く歴史に登場していないとおかしいと多くの人は考えています。エレノア様のメダリオンが手中にあればエレノア教はさらに盤石ですし、逆にアルテナ教にあるのならエレノア教への対抗手段として持ち出しているはずですから」


「そうだよな」


 アスティマは念のために訊いてはみたが、想定内の回答だった。


「後はエレノア様が自らのメダリオンを託されるとすればエルフの女王アマリリス様ではないかとは噂されていますが、女王は手元にはないと仰っているそうです」


 アマリリスならば確かに信頼できる。ジェシカの話は納得の行く内容だったが、これについてはヘンリーが詳しく知っているのではないかとアスティマは考えた。


「ヘンリー、お前の知る範囲ではどうだ?リリィは持っていると思うか」


「いえ、私にもさっぱりです。実はハワード家もアンジェリカ様のメダリオンについて女王にお伝えしていないので、お尋ねすることは憚られまして」


「そうか‥‥‥俺がリリィに尋ねたら何か変わるだろうか」


「あっ!!」


 突然、何か思い出したかのようにヘンリーが声を上げ、すぐに「申し訳ありません」と謝罪した。


「どうした、ヘンリー」


「アマリリス様が動画で触れていたアスティマ様の愛剣レムナント、現在はアマリリス様がお持ちだとか」


「俺のレムナントを‥‥‥リリィが?」


「‥‥‥へぇ、そうなんだ」


 エリカも知らない口振りだった。しかしあの日エレノアが抱きしめていたレムナントがアマリリスの手に渡っているその意味について、アスティマと同じ回答に行き着いていそうな表情だった。


「なるべく早くアマリリス様にアスティマ様のことをお伝えするべきですよね」


 ヘンリーは思案顔で顎に手を当てながら言う。


「ん?ああ‥‥‥それが望ましいか」


 レムナントのことを考えアスティマは少し気の抜けた返事をしてしまった。


「そうなると問題はエレノア聖教会がエシュロンを保有しているとの噂でして。現代では科学技術の発達により遠方の相手と迅速に連絡する手段が複数あるのですが、それらの内容を全て盗み見る、盗み聞くとされる機械がエシュロンです」


「エシュロン?俺の知るエシュロンは遠方の人間とやりとりする際に使う魔導具だが、確かにそういう用途にも使われていたな。そうなると結局は手紙か?」


「手紙は確かに一番マシな手段になるかもしれません。ただ‥‥‥」


 ヘンリーは何かを言い淀んだが、アスティマには心当たりがあった。


「‥‥‥もしやザムスティンか」


 アスティマの発した言葉を聞いたヘンリーはハッとした顔をした後、ゆっくりと頷いた。


「宰相ザムスティン様、先代女王の頃からの宰相であり今はさらに発言権が強まっているどうにも胡乱な御方‥‥‥良くお分かりに」


「奴と俺は犬猿の仲だ」


「そうなのですか‥‥‥実は女王はエレノア聖教会と距離を置いているもののザムスティン様は親聖教会派でして。相当な警戒が必要になります」


「つくづく目障りな男だな、そもそも先代女王は?エルフとしてはまだ若かったが」


「聞くところによると先代様は人龍大戦の折りに‥‥‥」


「そうか」


 その一言でアスティマは察し、同時に過去の己の判断を再び強く悔いた。やはり大きなリスクを冒してでも魔王との決戦の前に龍王を殺すべきだったと。その怒りの矛先はザムスティンにも向かう。


「ザムスティンは俺に散々偉そうなことを言っておいて結局は女王を守れなかったわけか。会って一発殴ってやりたいものだ」


 話しながらアスティマは遠い日のザムスティンとの言い争いを回想した。


「粋がるんじゃないわよ、今のアンタがエルフと喧嘩するのはマズイでしょ」


 するとエリカが咎めるようにピシャリと言う。


「それは一体どういう‥‥‥」


 ヘンリーは躊躇いがちに事情を聞きたそうにしていたが、味方の戦力の把握と考えれば止める必要もないのでアスティマは何も言わず、エリカに説明を促す視線を送った。


「ヘンリーは薄々分かってるんじゃない?精神に溜まる融和魔力、血に溜まる血中魔力がなくなったこの世界に今も存在するのが肉体を形作る生体魔力。それが身体を占める割合は人間が1%以下、エルフが40%前後、魔族が70%以上。つまり、命をちょーっと危険に晒せばエルフと魔族は今も強い魔法を使えるってワケ。それなのにアスだけは魔力を補う魔導具でも補助しきれないほどに、弱くなり過ぎた」


「アスティマ様だけが?一体なぜ‥‥‥」


 ヘンリーは恐る恐る聞いているが、それはアスティマを敵視する者は全員が知っている話で隠す意味さえない。


「アスを最強に押し上げた永久機関みたいな仕組みが今の世界じゃ構築できない。魔族相手には攻撃を通すことも一苦労だと思うわ」


 エリカの話を聞きヘンリーとジェシカが心配そうな表情でアスティマを見つめてきた。


「そんな顔をするな。人間が相手なら戦える。もしも魔族が暴れても聖杖アルテミシアの光の力を借りれば対抗できる」


 アスティマは二人を安心させるために自分の口から説明した。


「アスティマ様の御身さえ脅かされねば良いのですが。初めにエリカ様の仰っていた言葉はつまり、エルフが相手となると‥‥‥」


 どうやらヘンリーはここまでの話で気付いたらしい。


「そっ、分かった?魔王の狙いに気付いてたエリーは別れ際にアルテミシアを渡した。魔族にはアルテミシア、人間には闇の魔法が抜群に有効。そこで面倒なのが純粋に魔法に長けたエルフってワケ。特にザムスティンは強いから今のアスの貧弱な手札じゃね」


 エリカの辛辣な言葉の通り、万一争いになればザムスティンは今のアスティマにとっては危険な相手だ。魔王を倒したことでザムスティンのことも救ったことにはなるが、それで相手の態度が軟化しているとも思えなかった。それもこれも魔王のせいだとアスティマは改めて怒りを覚える。


「魔王のヤツ本当に俺を目の敵にしやがって、ぶち殺してやりたい」


「もう殺したのよ」


 エリカが冷淡に言う。確かに殺した相手から何をされても文句は言えないと考えを改め、アスティマは落ち着いて現状を整理する。


「ではリリィへの連絡は暗号のような方法で安全に行える場合だけ、或いは向こうからアプローチがあるなど成り行きで話せるなら試みるが無理はせず少し様子を見よう」


「かしこまりました」


「それとヘンリー、もう一つ気になっていたのだが、どうしてジェラルドはメダリオンをあのように平然と持ち出しているんだ?歴史的価値のある人類の遺産だろう」


 アスティマは尋ねるタイミングを逃していたもう一つの疑問を口にする。大戦時代にも数百年前の伝説の武具を使う者はいたが、人類の滅亡が掛かっていた時代と今では少し事情が異なる気がした。訊かれたヘンリーも当然の疑問だと言わんばかりに頷いている。


「それはですね‥‥‥メダリオンの魂の欠片を保つには定期的に生前と似た刺激を与えなければならない、事実かはさておきそう伝わっているとか。それは光や風を浴びること、魔法を使うこと、争いの緊張感の中にあることなどですね。だから聖騎士が携行していることが多いのです」


 アスティマはその理由に驚きながらも同時に違和感を覚えた。


「長年放置されていると魂の欠片が消えると?エリカのメダリオンは大層な箱にしまわれていたが定期的に持ち出していたのか」


 言いながらアスティマはアンジェリカのメダリオンを取り出して眺めた。


「いえ、それがエリカ様のメダリオンについてはそのような言い伝えはなくてですね」


 そこでヘンリーはチラリとエリカを見た。本人の方が詳しいと考え話を引き継いでもらいたいようだった。


「ああ、アタシのは外からの刺激がなくても顕現できる特別製だし関係ないってゆーか、そもそもその話ウソよ」


 エリカがあっけらんとした様子で言う。


「嘘だと?またか?」


「うん。世界中から一斉に門に魔力が集まる時、メダリオンがその余波を受けて覚醒しアンタの帰還を願う。それがエリーの想定。でもメダリオンが強力な結界の中に保管されたりしたらその余波を受けずに覚醒しないかもしれない、だから人に持ち歩かせる必要があったの。アタシのは特別製だしこの家の結界の内側に保管してたからカンケーないけど」


「それはそれで紛失のリスクはあるように思うが、メダリオンに絶大な価値がある以上は盗みや強盗で持ち主が変わっても破壊されなければ良いと言うことか。魔族の手に渡れば破壊されそうだが」


 人の英雄の魂を封じたメダリオンなど魔族にとっては絶対に目障りなはずだ。


「エリーは賢いからね、メダリオンは闇の魔力に刺激を受けやすい仕組みになってるらしいわ」


「‥‥‥なるほど、考えたな。つまり俺や魔族が近くにいると覚醒しやすいってわけだ。ヴラドにはそれで気付かれたのかもな」


「そうゆーコト」


 なぜか得意げなエリカを見て、アスティマは今の話で引っ掛かった部分を尋ねる。


「‥‥‥なぁエリカ、お前はまさか800年間ずっと意識があったのか?それで良く気が狂わなかったな」


「アンタに言われたくないわよ」


「それはそうか」


 アスティマがいた弥終の星の中は時空が歪んでいたように感じるので800年を過ごした気はしないが、膨大な時を過ごした感覚はある。


「まぁヴラドも言ってたでしょ、メダリオンになってからの記憶の蓄積は消えるかもと言われたって。生きてる人間だって昔のことなんて忘れてくからその仕組みのせいか分かんないけど、アタシも消えてる気がしないでもないわね。もしかしたらエリーがわざとそうしたのかな」


「意図的に?それは何というか‥‥‥いやそもそもメダリオン自体やはり」


 人を物として扱う非人道的な道具に思える。そこまでは口にできなかったが、エリカだけでなく周囲の者には伝わっただろう。


「やっぱりエリーがそんなことすると思えない?」


「お前は?そうは思わないのか」


「アンタがいる時のエリーとアンタがいない時のエリーは少し違う」


 エリカは珍しく伏し目がちにそう言ったが、その言葉の意図はアスティマにはいまいち分からない。


「巷では聖女と呼ばれてるが俺の前ではかなりバイオレンスだったしな」


「戯れてただけでしょ。エリーはアンタがいないといつだって儚げで消えちゃいそうだった。きっとアンタがエリーの闇を引き受けてたのね、知らんケド」


「俺が、エリーの闇を‥‥‥‥‥‥?」


 少し考え込んで、視線が己に集まっていることに気付いたアスティマはひとまずの話は終わったのでリビングに戻ろうと声を掛けた。ただエリカから投げかけられたその言葉は、アスティマの中に「エリーは彼女自身抱える『ある秘密』に気付いていたのだろうか」という新たな疑問を生んだ。


 ──その夜、日付の変わる頃。城の様相を呈するハワード家本館の側塔の上にアスティマの姿はあった。一同が食事を済ませた後、メダリオンの魔力回復を図るためにエリカは姿を消した。アスティマは家の住人たちに「葬儀と妙な来客が続いたせいで疲れただろう」と自身に構わず休むように伝え、やんわりと人を遠ざけ独りきりでここへ来た。用意してもらった自室へ鎧立てを運び込み、かつて自分たちの目の届かない所には置かなかった鎧を飾って薄着で部屋を出る時、時代の移り変わりと己の衰えを実感した。今のアスティマが昔のように常に鎧を着ていても、どうせ不死身にはならない。同様に今は無用の長物であるのになぜか持ち出してしまった聖杖アルテミシアを手にぼんやりと夜空を眺め、長かった一日と遠く過ぎ去ってしまった己の時代に思いを馳せる。


 見上げる空に浮かぶ二つの月、一つは虚月(こげつ)と呼ばれた魔性の月。銀灰色の輝きを放ち決してこの星の住人にその裏側を見せることなく星を周回しているが、アスティマはその裏に建造物があることを知っている。なぜならあの虚月こそ魔王との決戦の地だったからだ。魔族の暮らす魔界が地底にあるとされたことから、長年に渡りそのどこかに存在すると思われていた魔王城。それが実際には月にあり、地底に存在したのはいくつかの前哨基地に過ぎなかった。魔王城はあの月の裏側からその地下深くにまで根を張っている。アスティマが閉じ込められていた「弥終(いやはて)の星」は魔王の精神世界、即ちアムニストレージであり異空間だが、座標としてはこの星より虚月に近いと思われた。天に佇む虚の月を見上げながら、アスティマはこの大地に還って来たことを実感する。


 もう一つの月は龍月(りゅつげつ)と呼ばれた赤く燃ゆる月。アスティマの生まれた時代より遥か古、この星を追放された龍たちが住み着いた場所。未だ実感は湧かないが、あの月でイーサンは独り最期を迎えたという。人類の希望だった最強の勇者は終ぞ人前に屍を晒すことはなく、その死をもって勇者の超越というアスティマの終生の目標は永遠に失われた。


 アスティマが食事の後ヘンリーから聞いた話によると、現代には科学によって月面を観測する技術が存在するらしい。だが荒涼とした龍月の何処を見渡しても生きた龍の姿は観測史上一度たりとも確認されていないという。無人探査機という自立する機械を月に着陸させ幾度となく月面を調査しているが龍が存在したという痕跡は発見されず、この時代で龍は御伽話のように語られる存在となってしまったそうだ。


 生物としての龍を知るアスティマからすれば、龍の神たる古老と地上の龍王を討たれたことで恐れをなし地下に潜んだのか、本当にイーサン一人に壊滅的な損害を与えられ実際に絶滅してしまったのか、そのどちらかに思えた。もし後者だとしたらイーサンの亡骸は誰もいない静寂の世界で今も野晒しのままなのかもしれない。魔法の力を失った今はまだ途方もないが、その骨を拾うべき者は己しかいないだろうとアスティマは朧げながらそう考えていた。イーサンだけではない。


 この地から目にすることは叶わない世界最高峰ティターン山、その山ではかつてアスティマが属した聖者の影の飛空挺と魔王軍の飛行部隊との大規模戦闘「ティタノマキア」が勃発した。聖者の影は勝利を収めたものの飛空挺は撃沈され山頂に突き刺さり、激戦の中たった百人の団員の内十三名が命を落とした。イーサンの話の流れでこちらもヘンリーに尋ねたところ、今は聖地と認定された山頂付近で氷漬けになった数名の遺体が発見されているらしい。しかし空気が薄く常に猛吹雪が吹き荒れる山頂付近は、現代の技術を持ってしても人がまともに活動できる環境ではなく、遺体を下山させる目処は全く立っていないと聞いた。


 遠い昔、ティタノマキアを生き延びたアスティマは背に瀕死の仲間を背負いながら今にも生き絶えんとする同胞たちに言った。すぐに迎えに来ると。しかし皆口を揃えて「無用です」と言うので仕方なく「魔王を倒した後に来る」と言い直すと、誰もが微笑みながら目を閉じた。しかしアスティマは魔王との戦いから今の今まで帰還できず魔法の力さえも失い、現状ではその約束も果たせない。無敵と謳われた全盛の力を取り戻す、何をするにも結局はそれが全てだと思った。何か方法を考えなくてはならない。


 元々アスティマは魂の抜けた亡骸にさほど思い入れなどなかった。だがある時エレノアから「長年使っていれば道具にだって愛着が湧くでしょう。魂は天に昇っても、大切な人の体には共に過ごした思い出が刻まれているわ」とそう諭され、次第に考えを改めていった。思えば当然の話だ。目の前で仲間の屍を足蹴にする者がいたなら、命の尊さなど度外視してアスティマはきっとその相手を殺してしまう。もしあの時の仲間たちがとっくに生まれ変わり朽ちた亡骸のことなど忘れていたとしても、その手を叩き合わせ喜びを分ちあったことや歩幅を合わせ共に歩んだことを、アスティマはまだ憶えている。あの想い出の行く末を野晒しにしておいては忍びない。恐らくこの時代では「聖者の遺体」として勝手に持ち出してはならないものだろうが、関係ない。戦士の骨を拾うのは戦友の役目だ。


 そうやってあの頃と変わらず常に前を見据えていても、心の奥底ではエレノア聖教会も謎のエレノアの正体も、親切なハワード家の人々も過去の約束も世界の行く末も、何もかもがどうでも良いと思う投げやりな自分が鎌首をもたげていた。そればかりか本人と捉えて良いのか答えの出ないメダリオンの中の戦友エリカ、リスクを冒して己の帰還の足掛かりとなってくれたエルフの女王アマリリス、大切な仲間である彼女らの存在さえも今は少し重荷に感じる。それでもまだ踠き生きようとするのはなぜなのか。唯ひたすらに「強さ」を信奉し「弱さ」を忌み嫌う己の思想ゆえか。そうではないとアスティマは良く理解していた。


 己をこの世界に帰還させるために命より大切な信仰に背いたエレノア。そんな彼女が本当にもうこの世界の何処にもいないとは、どうしても思えなかった。己の前に現れないとしても、エレノアが看過すると思えない妙な宗教が世を席巻しているとしても。恐らくはこの世界で唯一アスティマだけが知る「エレノアが生きている淡い根拠」があった。その一縷の希望に縋り何事も投げ出せずどうにか心を保っている。どうしようもないほどに他者へ依存しているという自覚が、目を逸らし続けた己の弱さが、アスティマの心に暗い影を落としていた。

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