第5話 招かれざる客(6)
「‥‥‥お見事です、最小の動きから放たれる致命的な威力を伴う撃ち込み。あれでは攻める隙がない」
礼を終えると感服した様子でヴラドが言う。
「不格好だろ?世界で一番速い剣を受け続ける内にこうも縮こまってしまった」
アスティマのこの言葉を聞いて何の話かすぐに思い当たったのかヴラドは表情を緩めた。アスティマと勇者イーサンは幼馴染みだと、あの時代の人間なら誰もが知っている。
「滅相もない、極限まで無駄を削ぎ突き詰められた技術は須く美しいものです。貴公の剣と比べると私の剣には随分と要らぬ贅肉が乗っていましたな、及ぶわけもない」
「そうか?聖者の影の騎士を彷彿とさせる良い動きだったぞ」
「あの世界最強の騎士たちを‥‥‥?それは最大級の賛辞ですな、素直に喜んでおくとしましょう」
腰に手を当てそう話すヴラドは大して喜んでいるようには見えなかったが、アスティマは心の底から驚嘆している。かつて自身の前に立っただけで失禁した男が、聖者の影とさほど変わらぬ剣の腕を持つことなど想像もしていなかったからだ。
「それだけの力があってもあの頃の俺は対面しただけで全身の力が抜けるほど恐ろしかったか」
「あれは‥‥‥なぜでしょうな。私とて死と隣り合う環境で生きてきたつもりですが、あのような経験は後にも先にも一度きりでした」
「戦場なら失禁する人間など珍しくもない。俺と初めて出会したのが王城だったのは運の尽きだったな」
少なくともアスティマは戦場で実際に失禁する人間を何度か目撃している。
「私の未熟が引き起こした事態ゆえ自業自得ですが、貴公にまで余計な風評を与えてしまい申し訳ない。しかしあの経験は文字通り私の肥やしになりました」
そう語るヴラドの顔は晴れやかだった。当時の貴族たちの陰湿さを考えればあの失態により想像もできない辛酸を舐めたはずだが、今はその過去さえも懐かしいのか。
「良い面構えだ、貴族社会に生きていれば胃に穴が空きそうな出来事など他にいくらでもあったか。時にヴラド、お前は以前もその騎士に憑依した状態になったことはあるのか?」
アスティマは今後のために必要なことを尋ねる。
「いいえ。これまではその必要もないので大人しくしていました、状況次第では他の者の体も乗っ取れるのですがそうしたこともしていません」
ヴラドは何の気なしに答えた。しかしアスティマはメダリオンのその恐ろしい性質については先ほどの話し合いの際にエリカから聞き及んでいるので驚きはなかった。
「そうだってな、さっきアンから聞いた。メダリオンの意識の覚醒には外部からの刺激が必要だが、一度目覚めた後はメダリオンの魔力が尽きるまで周囲にいる人間に乗り移ることもできる。まるで呪いの品だが好都合だ、特に今の状況だと」
「乗り移れることが好都合?この小僧を引き下がらせろと仰せでしたが何か困り事でも?貴公ともあろう方が手を焼く相手とは思えませんが」
アスティマの呟きを聞いたヴラドが怪訝な顔をして尋ねる。アスティマはダメ元でヴラドにある頼み事をしようと考えた。
「その小僧が属している組織が少し厄介そうでな。お前にもう一つ頼みたいことがある」
「はい、何なりと」
「その前に確認したいのだがお前はどうしてメダリオンに魂の欠片を提供した?エリーから何か返礼があったのか」
「いえ、魔王聖伐を成した救世主様に見返りなどはとても。協力は人として当然です。魂の欠片を切り離した後に私の実物が体験した記憶はこちらにも流れ込んでいたので、切り分けて何ら不都合はなかったことも知っています」
「切り離された魂に本人の記憶が?」
アスティマは魔法に精通していると言っても魂の切り分けやメダリオンについて具体的なことはあまり分かってはいない。エレノアのしたことなので魂の欠片を切り離したからといってその人物に深刻な害を及ぼすとは微塵も考えていなかったが、提供者の生前はメダリオンの中へ本人の記憶が流れ込んでいたとは思いもしなかった。アンジェリカには声音だけでそれを見透かされたようだ。
「少し複雑?アスならきっと魂の欠片は本人ではないと思ってるだろうけど、切り離した後も繋がりがあったと聞くと本人のようにも思えるものね」
「まぁ‥‥‥な」
「なるほど、しかしそのお考えは正しいでしょう。魂の欠片を地上に残そうと生まれ変わりは起こり得ると聖女様は仰っていました。それに我々は生身の人間ほど多くの記憶を刻むことはできず、限界が来ればメダリオンとして経験した記憶だけが消え去る恐れがあるとも」
「それを聞いてよく協力したな。そのような儚い存在なら俺が与えられるものはない。頼みを聞いてもらったところで何の見返りもやれそうにないが‥‥‥」
「何を仰います、貴公らの力になれるとあらばそれは望外の幸せ。我らを長年に渡り苦しめた暴君ロドリゲスは貴公の手で失脚しました。あの男が健在であれば魔王亡き後も我が祖国に安寧はなかった」
生前のヴラドと親交があったわけではないアスティマは、ヴラドがそのような恩義を感じていたことを今初めて知らされた。
「ロドリゲス‥‥‥ああ、アイツか」
その名前を覚えていないわけではなかったが、顔は似たような連中とイメージが混ざり合い少し曖昧だった。
「貴公には取るに足らぬ者でしょう。私があのにわかには信じ難い報告を耳にしたのは貴公と出会う数ヶ月前でした。アスティマ卿が衆人環視の中で屈強な護衛たちの制止も意に介さずロドリゲス帝の四肢を切り落とし、耳と鼻と瞼を削ぎ顎と性器を粉砕、最後は額に「フール」と刻み帝都広場の噴水の上に吊し上げた‥‥‥と」
ヴラドの語るそれは紛れもなくアスティマ自身の所業ではあるが、改めて他人の口から聞かされると残虐極まる行いであったと感じる。アンジェリカも呆れた顔をしていた。
「ああ‥‥‥良くやってたわね。殺人を禁忌とするアルテナ教の戒律により命は奪わず生き地獄を味わわせる。アスがそうやって断罪した権力者たちは、たくさんの人にもっと酷いことをした連中ばかりだったけれど」
二人の話を聞いて当時の血生臭い記憶が蘇る。吹き出す鮮血、飛び交う怒号と悲鳴、むさ苦しい護衛に体を掴まれる煩わしい感覚、もはや呪詛さえ吐けぬ者の耳障りな喚き声。
「だが俺の行動は生きるために仕方なく国に奉じた者たちも大勢不幸にした、歴史から消されても文句は言えないな」
「偉い人たちにアスティマを止めてくれと泣きつかれても無視した私たちも同罪だけどね」
「同罪ではないだろ。しかし思い返せばその話をされる度に「人の世の諍いは私には関わりなきことです」の一点張りで取りつく島のないイーサンは怖かったな」
アスティマは当時のイーサンの無感情な瞳を回顧しどこか他人事のように語った。
「あなたがそれを言う?」
「怖いさ、普段は優しい奴が急に冷淡になるのは」
アスティマとしては当然のことを言ったつもりだが二人は怪訝な顔をしていた。
「怖い?アスティマ卿にもそのような感情があるとは。私や陛下からすれば悪魔に等しいロドリゲスを蹂躙し罰されることのない貴公は荒ぶる神そのものでした」
言われてみればヴラドは公爵になる前は辺境伯を勤めており、常にロドリゲスの治める隣国の脅威を肌で感じていたのだろう。ロドリゲスは人魔大戦終結と共に世界同盟を破棄する恐れのある王の一人と見られ世界各国から警戒されていた。言ってしまえばロドリゲスもアスティマ同様、人類の戦力として有用であるために横暴を誰にも咎められず我を通していた男だ。
「俺が罰を受けなかったのは多くの権力者が奴の死を望んでいた背景もある。お前とてそれだけ強いならいっそ奴を暗殺してやれば良かったのに」
アスティマはマスクの下でニヤリと笑いながらそう言い、それを聞いたヴラドは唖然とした顔をしていた。
「私ではとても貴公のようには‥‥‥いや、ロドリゲスは隙のない男ではなかった。今になってみれば本気でやれば案外どうとでもなったのではと思えるのは不思議なものですな」
「奴もそれなりに戦えたらしいが、そのせいで逆に脇の甘さがな」
「ええ、聞いた話では毎夜酒池肉林のらんちき騒ぎをしていたとか‥‥‥ああ失礼、つまらぬ話をしてしまいました。アスティマ卿、依頼の仔細を」
ヴラドに言われてアスティマも我に帰る。想い出話に花を咲かせている時ではなかった。思えばアスティマは大戦時代を振り返るような暇もなかったせいか、あの頃を知る者とは気を抜くと話が弾んでしまう。
「そうだ、昔話をしている時ではなかったな。単刀直入に言おう、今後は密偵として俺に情報を流してもらいたい」
「なるほど、そのような話だとは思いましたが」
「ああ、実はな‥‥‥‥‥‥」
アスティマはヴラドに対して今自身がどのような状況に置かれているのかについて必要最低限の話をした。その他にこの時代ではエレノア教が台頭していること、遠方への優れた連絡手段があるらしいこと、知りたいのはエレノアと名乗る何者かの正体についてであることを伝える。ヴラドは時々頷きながら険しい顔で話を聞いていた。
「聖女様を名乗る者の内偵ですか。御二方は現状ご本人とは考えていないものの、騙りだとも断定はできない状態と」
「わずかでも本人の可能性があるとなるとお前もやり辛いだろうが‥‥‥」
「いえ、喜んで引き受けます。ただ過度な期待はなさらぬよう。この男を取り巻く状況、我がメダリオンの今後の処遇、この時代の連絡手段、今は何一つ分からぬもので」
「無理なら無理で良いさ。当然俺も並行して可能な調査は行い、連絡を取る手段についてはこの時代の者たちに相談し手を考える」
アスティマが話していると小さな唸り声が聞こえた。横でアンジェリカが顎に手を当てながら何か言いたげな顔をしている。
「何だその顔は」
「本当に無茶なお願いね、いくら傍目には持ち主の呼び掛けに応じた形でも意識を乗っ取るのは他の騎士に見られたから、今後メダリオンがどう扱われるか分からない」
「そうだな、ヴラドも言っていた通りだ」
意識を乗っ取ってくると判明した道具をそのまま携帯するのか分からない、それはそうだとアスティマも言われるまでもなく理解している。
「意識を奪われた人の体感時間は飛ぶわけだから怪しまれずに動けるのは持ち主が寝てる間くらいなのに、メダリオンは一度外部からの刺激を受けないと覚醒できない。状況次第では他の人も乗っ取れるけど、人とメダリオンとの距離が空き過ぎるとダメだから乗っ取った体で持ち歩かないといけない」
「そうなるな」
アンジェリカの指摘している部分は最大の障害であることは間違いない。外部からの刺激というのは人体に刻まれた魔法印との接続とされているが、恐らくどのような形であれメダリオンに強い魔力が流れ込めば良いと考えられる。例えば自然現象として「魔力嵐」などはあるが、それも滅多に起こることではない。
「そんな状態で教会や騎士団を探ることなんてできる?」
正直あまり期待していないと言いたいところだが、頼んでいる立場としてアスティマからはそんなことは口が裂けても言えない。
「領主が務まるほどの人間は様々な分野の知識に精通し機転も効く、見込みはある」
代わりに根拠と言えるか微妙な希望的観測を口にしておいた。
「それはそうかもしれないけどね‥‥‥」
言いながらアンジェリカは憐れみの目でアラドの顔を覗き込む。
「私が優秀かはさておき、この小僧は先ほど上役に判断を仰がなかったことから功名心が強いように見えます。私に体を貸すメリットを提示して交渉してみましょう。やもすると小僧とてその聖女様の正体を知りたいと考えている可能性もあります。やれるだけのことはやってみますよ」
ヴラドはどこか余裕を滲ませながら今後の指針を語る。その姿を見てアスティマとアンジェリカは感心した。
「できませんと言わない時点で優秀ね」
「だろ?」
「ではこの場は元々の約束通り私がこの小僧を引かせます。アンジェリカ様、結界を解いていただけますかな」
「分かったわ、アスも良い?」
「ヴラドがそう言うなら。もう手を考えてあるのか」
「今はこの体を乗っ取ったまま小僧のフリをして帰るしかありますまい。後で本人と意思疎通し納得させます、私に頼ろうとした結果なのだからとやかく言わせませんよ」
「早速頼もしいな、しかし小僧のフリと言ってもその姿でか?」
今のヴラドはジェラルドの肉体ではあるのだが、常に体から赤黒い蒸気のようなものが立ち昇りヴラドの姿が重なっている。
「集中すれば内側に篭れますよ。戦うとなれば光が漏れ出してしまいますが」
その言葉通り、ジェラルドの肉体を覆うヴラドの幻影がたちまち消え去り、傍目には何の変哲もない姿になった。
「それならどこからどう見てもただのジェラルドだ」
「それじゃアス、此処は閉じるからまた同じ場所に隠れていて。少し座標がズレるかもしれないから油断しないでね」
「分かった」
アンジェリカに返事をしながらアスティマは己が使った騎士の剣をヴラドに手渡す。
「アスティマ卿。最後に一つよろしいですか」
その剣を受け取りながらヴラドが不意に尋ねてきた。
「なんだ?」
「仮に私がかつて貴公が断罪したような悪党の体を乗っ取ったなら、その時は全身全霊の決闘を受けていただけますかな?」
予想外の言葉にアスティマはヴラドの目を見た。その真意は測りかねたが、アスティマは深くは考えず思ったことを口にした。
「今更殺人を忌避するつもりもないが、お前はそれで満足できるのか?所詮借り物の命で」
「‥‥‥ごもっともですな」
ヴラドは穏やかな顔でそう言った。二人のやりとりが終わりアスティマが元いた場所に隠れると、アンジェリカはアリス・イン・ワンダーランドを閉じる。先にヘンリーや他の騎士が戻されていたエントランスホールでは特に何事も起きてはいない様子だが、流石に応接スペースに座って寛いだりはせず家の住人と騎士たちは一定の距離を保ち緊張感を持って向かい合っていた。ジェラルドが不在なら統率を取るのはあのマリナスという男なので暴れたりはしないだろうとアスティマが踏んだ通りで、ひとまずは安心する。反対に騎士たちは破損したジェラルドの兜を見て驚いていたが、本人が平然としているので何も尋ねない。
「じゃあジェラルドさん、話はついたということで武器のサイズも戻しておくわね」
「感謝いたします。お前たち、さっさと落とし物を拾え。帰投する」
戦闘の跡を見て不安げにしていたマリナスは、その言葉を聞いてあからさまに安堵した表情を覗かせた。
「はっ、直ちに」
騎士たちはヴラドに肉体を乗っ取られた際のあの異様なジェラルドの姿を目にしているため、今の姿を見てまだ乗っ取られたままだとは夢にも思っていないようだ。
「それでは蒼天使様、ハワード家の皆様。非礼の数々について心よりお詫び申し上げます」
ジェラルドの演技をしたヴラドは兜を脱ぎ恭しく頭を下げた。今度は騎士たちも同じように兜を取り深く一礼する。それを見たアンジェリカは水の魔法で衣服の水分を吸い取って大雑把に服を乾かした。元々はアンジェリカのしたことだが騎士たちは短く謝意を述べ屋敷を後にする。セバスチャンは見送りという名の監視のために騎士たちと共に玄関から出て行き、この場にはひとまずアスティマ、アンジェリカ、ヘンリー、ジェシカの四人だけが残った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます