第5話 招かれざる客(5)

「‥‥‥あなたたちはまだこの家で魔族を探したい?」


 アンジェリカは騎士たちに諭すように問い掛ける。このような光景を見せられてはアンジェリカ本人としか思えないはずだが、圧倒されている他の騎士たちと異なりジェラルドはまだ食い下がりそうな雰囲気だった。


「隊長、この場で結論を出すかはさておき総長へ一度ご連絡を」


「我々はアムニストレージを見たことはない。これが単に幻覚を見せる魔法であることも否定出来ない」


「先ほどコインを投げていたでしょう?明らかに元いたホールより広がっているこの空間も水浸しの服の感触も幻覚だと?もう我々の手には‥‥‥」


「総長や大司教なら正しい判断が下せると思うか?この場にいない方々に分かるか?真実を見極めることができるのは蒼天使様と同じ時代を生きた人物だけだ」


「同じ時代を‥‥‥?それは明確な敵対行為と見なされても仕方ありませんよ」


 マリナスの慌てようでジェラルドの言い分もやろうとしていることも理解できたが、正直なところアスティマにはこの男は騎士には向いていないという感想を抱いた。彼我の実力差の理解に乏しく何より自我が強い。


「当てがあるなら訊いてみる?」


 ジェラルドはアンジェリカのその問いには答えず、お情けで拾わせてもらったメダリオンを恥ずかしげもなく構える。


「目覚めよ、偉大なる英雄の魂」


「‥‥‥メダリオンに宿る力を引き出す過程で中の人の記憶や意識の一部を借りることにはなるけれど、そう簡単にお話はできたかしら?」


 その疑問はアスティマも感じた。アンジェリカのケースが特殊なだけで、話に聞いた限りはアバターという最終段階ですら憑依された人間と中の英雄が意思疎通を行えるのかは不明瞭に思える。ジェラルドはもはや藁にもすがる思いなのか。


「勇猛果敢にして聡明なるラグラーズ公爵ヴラド卿、どうか我が惑いを消し去る知恵と力を与えたまえ」


 呼び掛ける声に呼応してジェラルドの全身が赤く輝き、光が収まった後も全身から立ち昇る赤い蒸気が見える。目を見張るべきは時折ジェラルドに重なるように別の人物の姿が揺らめいていることだった。ジェラルドよりも随分と歳上に見える貴族風の装いの男性、それはアスティマにとってそこはかとなく見覚えのある姿だ。


「あらすごい、しっかりとアバターの段階ね。ヴラドさんで間違いないかしら」


 アンジェリカが目の前の人物に呼び掛ける。ヴラド・ラグラーズ6世、その残虐さから串刺し公と呼ばれたが、人魔大戦終結後はアスティマの知らぬ間に後世へ名を残す英雄にまで上り詰めた男。ついさっき浴場で話題にしていた人物が呼び出された偶然にアスティマは少し面食らう。


「‥‥‥ふん、騎士気取りの小僧の思惑通りになど踊ってやるものか。しかしお陰で久方振りに稀代の英雄と再び見えることが叶ったようだ」


 アスティマの目には騎士たちが青ざめた顔で視線を交わしてる様子が見えていたが、ジェラルドとは似ても似つかない声音でこうも不穏なことを言われては無理もないと感じた。人生経験が豊富そうなセバスチャンさえアバターは見たことがないと言っていたが、これは明らかに英雄の魂が憑依する最終段階、アバターに見えた。周囲の騎士たち、特にあのマリナスまでも動揺している様子なので初めての事態なのだろう。


「お久しぶりねヴラドさん」


 しかし当然ながら知人のアンジェリカは気さくに話し掛ける。アスティマの知る限りではさほど交流はなかったはずだが。


「‥‥‥ご無沙汰しております、アンジェリカ様。人としてのしがらみから解き放たれたこの身であれば、愚の骨頂と承知の上であなた様に腕試しを挑むこともやぶさかではありませぬが‥‥‥いやはや」


 ヴラドは言葉を濁し落ち着かない様子で周囲をキョロキョロを見回していた。


「どうしたの?」


「この結界の中には、私にとって決して見過ごせぬ別の方の気配を感じますな」


「あら、そう?アムニストレージの中だから私の知る誰かの面影が無意識の内に浮かび上がってるのかも」


 アンジェリカはそう言って咄嗟に惚けたが、久々にアスティマの鼓動が早まる。名指しこそされていないがヴラドに己の正体まで気取られていると感じた。実のところアスティマはヘンリーから「ジェラルド卿はメダリオン・オリジンの所有者のはず」との情報を事前に得ており、メダリオンに宿る魂が誰であれこの状況になれば話をするつもりでいたが、周囲に余計な人間がいる今は不味い。


 そう思いアンジェリカにメダリオンを通じた念話による指示を出す。ジェラルド以外の騎士とハワード、ジェシカ、セバスチャンを結界の外へと弾き出すように。ハワード家の人々はこの場にいてもらっても構わなかったが、そうなるとメイドと子供たちだけが残された屋敷で騎士たちが野放しになってしまう。ジェラルドが不在の間はあのマリナスという男が指揮するはずなので手荒な真似はしないだろうが、仮に結界の外で騎士たちが暴れ出す最悪の事態になったとしても、騎士の武装は既にアンジェリカが無力化しているので返り討ちにできると踏んだ。アスティマの見たところ、ヘンリーとセバスチャンだけでなくジェシカまでも戦闘の心得がありそうだったからだ。


 アスティマが指示を出してすぐに選ばれた人々の体がわずかに浮遊し、数人の驚く声が一瞬だけ聞こえたかと思うとアンジェリカとヴラドの周囲から人が消えた。


「ヴラドさん一ついい?その体の持ち主の意識は覚醒してる?」


「いいえ、私の判断で人としての感覚は全て封じています。煩わしいので」


 アスティマの指示から意図を察したアンジェリカの気の利いた質問のお陰でアスティマは憂いなく物陰から歩み出た。微かな水音を立てながらその姿を二人の前に晒す。


「ヴラド、なぜ俺に気付いた?昔から影が薄いとよく言われたものだが」


 アスティマの姿を認めたヴラドは、今の顔には無いヒゲをさするような仕草をしながら笑った。


「私自身分かりかねますが‥‥‥無礼を承知で申し上げるなら怖気‥‥‥でしょうな。アスティマ卿、ご無沙汰しております。まずは心からの御礼を。世界の救済を成した貴公なくして我が領地の安寧はなかった」


 そう言ってヴラドは姿勢を正し深々と頭を下げた。アスティマはヴラドの肩に軽く触れ頭を上げるように促す。


「畏まるな、俺は俺のやるべきことを成したに過ぎない。あの日以来か、ヴラド」


 アスティマの言う「あの日」とは、その一言で通じるであろうヴラド最大の屈辱の日だ。


「あの後も戦場で幾度かお見掛け致しましたが畏れ多くお声を掛けることは‥‥‥その壮絶な傷痕は?」


 恥辱に塗れたその日の話を蒸し返されてもヴラドは特に気に障った様子もない。それよりも大きく十字に引き裂かれた痕が残るアスティマの甲冑を気にしていた。


「魔王軍には俺を捨て身にさせる戦士が二人いた、それだけのことだ」


「想像を絶しますな、良くぞご無事で」


「ヴラド、わざわざそいつの呼び掛けに応じたと言うことは何か目的があるのか?無視もできたろう」


「目的というほどのものは‥‥‥一先ずアンジェリカ様へご挨拶をと。ただ貴公と再び相見えたとあらば所望するものは一つ、騎士としての決闘でしょうか」


「決闘?」


「左様」


 アスティマにはヴラドの意図はいまいち分からなかったが、決闘を望む理由を尋ねることは無粋な気がしてできなかった。


「借り物の体で命の取り合いなどナンセンスだろう、遊びで良ければ付き合ってやる。ただし本気のな」


「もはや人でない私にとってこの身体はどうなろうと構わぬものですが、手合わせいただけるなら私は本望です」


 どうにも倫理観に欠けたことを言いながら、ヴラドはどこか遠い目で薄ら笑いを浮かべた。人としてのしがらみに囚われなければ誰もこんなものなのか、それともこのジェラルドが元々気に食わないのでどうなっても良いと感じているのか。


「作法に則った決闘では血が流れねば決着といかないが、生憎と俺は鎧を脱ぎたくない。相手の頭部または胴体に攻撃を加えた者が勝者で良いか」


 アスティマはヴラドの願いを聞き入れ決闘のルールについて提案し、ヴラドは大きく頷いた。


「承知しました、感謝いたします」


「決闘はお前の願いで俺に利がない。俺が勝った時は小僧をこの場から上手く引き下がらせろ、その程度なら良いだろ?」


「無論」


 今までの経緯を知ってるのかは不明だが、ヴラドは二つ返事で了承した。


「アンジェリカ、ジェラルドの剣のサイズを戻してくれ」


 アスティマがそう言うと小さくされて鞘の奥に入り込んでいたらしいジェラルドの剣が元に戻った。ヴラドはたちまち元通りになった剣を抜き放ち、手に馴染ませるように数度振りながらアスティマに語り掛ける。


「貴公の得物は?」


「そうだな‥‥‥‥‥‥」


「それならあそこに騎士の忘れ物の剣がいくつかあるわ、ほら」


 アンジェリカが指差す先の水面には初め何も見えなかったが、すぐに元の大きさに戻された一振りの剣が現れた。アスティマはその剣まで歩いて拾い上げ、クルクルと手癖で回しながら感触を確かめる。


「ヴラドが他人の肉体では俺が有利だな。こちらの剣の刃を短くできるか?」


「刃だけを短く?どう、これで良い?」


 曖昧な指示だったが、アンジェリカは相手に向かって踏み込み難くなる絶妙な長さに剣の刃を調節してくれた。


「相変わらず便利な魔法だ」


「そのような気遣いなど‥‥‥そう言ってしまうと貴公を侮っていることになりますか」


「いかにも、俺は一応世界最強を謳われた騎士団の一日総長だからな」


「‥‥‥はて?一日総長とは?」


「そのままの意味だ」


「アスは終戦日に総長代理を務めていたオースティンさんから総長の証の聖剣イノセントローズを託されたそうよ」


 首を傾げるヴラドとまともに説明しないアスティマを見兼ねたのか、アンジェリカが補足する。


「そうでありましたか」


 アンジェリカの説明を聞いたヴラドは一度納得した後に「それならば最後の総長と仰れば良いのでは」と呟き苦笑いしていた。


「ではアン、言うまでもないが決闘の審判は任せる、攻撃の有効の判定も委ねたい。流石にたまたま掠ったような当たりではな」


「はいはい、じゃあきちんと攻撃が当たったら私が止めれば良いのね」


 注文の多いアスティマに少し面倒そうな顔をしつつもアンジェリカは大人しく従う。


「アンジェリカ様、私のわがままに付き合わせてしまい恐縮です」


「いいのよ」


 アスティマとは正反対にかしこまった様子のヴラドにアンジェリカは微笑んだ。


「さて、見ものだな。お前をメダリオンに封じたエリーの見る目は確かだったのか。アン、決闘の合図を」


 二人は剣が届かない間合いで対峙し、静かにアンジェリカの合図を待つ。


「掛け声だと動き出すタイミングがズレる気がするから‥‥‥そうね、私がこれから向こうの壁に向かって魔力を放つわ、それが命中して壁を砕いた瞬間にスタートでどう?」


 アンジェリカは合図の前にそう尋ねてくる。作法に則った決闘など経験する立場になかったはずだがやけに細やかな気遣いをしていた。


「分かった」


「承知致した」


 二人はアンジェリカに返事をしながら互いに構える。ヴラドは左脚を引いて体の側面を相手に向け、片手に持つ剣の切先で間合いを測るこの決闘の基本の型を取った。対するアスティマは両手で剣を握り正眼に構える。それは奇しくもこの国の剣士の一般的な構えに似るが、アスティマは脇を閉め両肘を大きく曲げて剣の刃が鼻先に来る異様な構えで、その佇まいを見てヴラドは何か思い出したのか緊張した面持ちで目を細めた。


 アンジェリカが遠くの壁を指差し指先に魔力を込める。アスティマの視界の端から蒼い光が差し込み、それが一瞬で眼前を通り抜け遠くの壁が砕け散る音が聞こえた。


 その瞬間アスティマは脇目も振らずにヴラドに突進したが、ヴラドは迎え撃たず剣を下げて構えを解き、滑らかな動きで側面に回り込む。しかし安易に攻撃には転じない。


「俺の手の内は知っているか」


「失礼、有名でしたから」


 アスティマは決闘においてまず相手の武器を側面から打ち払いあわよくば破壊を狙い、相手が構え直す僅かの隙に体に打ち込む。体格と筋力に恵まれたアスティマが両手で撃ち込む剣を片手で受けてはしばらく腕が使い物にならなくなる者も多く、ヴラドが手を出して来ないのもそれを警戒してのことだろうと読めた。


 剣を構えじりじりと近寄るアスティマに対し、ヴラドは剣を上げずただ後退して距離を取る。剣先で間合いを測ることさえ危険だと考えているのか剣を向けて来ない。次第にヴラドは後退しつつ再び側面に回り込もうとし、アスティマも横から攻められないよう常にヴラドに体を向け同じく側面から攻めるために回り、両者の歩が円を描く。


 相手の攻撃の起こりとなる微かな動作を見逃さないよう、互いの全身を注視し合う。このわずかな時間で安直な隙など生まれるわけもなく、こうしていても埒があかない。数十分数時間と向かい合っている猶予もない以上、敢えてリスクを冒しヴラドの攻撃を誘発する以外にはなかった。意を決したアスティマは両手で剣を構えたまま全身の力が抜けたかのようにゆるりと身を屈める。ヴラドがわずかに剣を上げ警戒する素振りを見せた。次の瞬間、アスティマは大きく踏み込んだ。水飛沫が舞い、両者は一瞬で互いの剣が届く距離にまで近付く。仕掛けたアスティマはヴラドの剣を狙い、ヴラドはアスティマの頭が自身の剣に近い位置まで下がったにも関わらず大きく飛び退いて回避することを選んだ。一秒にも満たない時間でそれが「隙」ではなく「罠」だと判断している。しかしヴラドも直ぐ様体勢を低くして踏み込み、アスティマ目掛けて己のタイミングで反撃の刃を突き入れた。


 勝負は一瞬だった。ヴラドの鋭い突きを刃で打ち据えすんでのところで逸らしたアスティマは、体勢を立て直そうとするヴラドに対して臆することなく一気に距離を詰め、間髪入れず放った次の攻撃を右の頰当てに命中させた。それは大きく腕を振り抜くような力強い動作ではなく小突いたと形容すべき一撃だが、しっかりと金属の兜を破損させるだけの威力があった。


「そこまで!勝者アスティマ!」


 決着を告げるアンジェリカの声が高らかと響いた時、ヴラドは打ち払われた剣を構え直しアスティマに突き入れる寸前だったが、ピタリと手を止めていた。構えを解いたヴラドは敗北を噛み締めるように一度天を仰いで大きく深呼吸をした後、すぐに落ち着いた様子で剣を鞘に収める。鞘のないアスティマは歩きながら剣を逆手に持ち変え、両者は決闘を始めた位置に戻り向かい合って一礼した。

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