第5話 招かれざる客(4)
「ああ‥‥‥ああ!!これぞ神の御技!!」
広大な空間にヘンリーの高揚した声が響き渡る。恐れ慄く騎士たちを尻目にヘンリーは両手を広げ天を仰ぎながらゆっくりと回っていた。ジェシカとセバスチャンは周囲を見渡すばかりで声も出ない様子だ。しかしセバスチャンは呆気に取られた様子で密かに例の小さな機械を取り出して画面をチラリと覗いていた。そして背中に回した左手の親指と人差し指で丸を作る。これは「この空間ではカメラが正常に作動していない」というアスティマに向けたサインだった。実は話し合いの段階で「相手は装備に小型カメラや録音機を仕込んでいて、物体の像や音声の記録を行っている可能性が高い」という話題が出ており、アスティマとしては自身の姿を見られたくはなかったために事前にセバスチャンに確認を頼んでいた。これで最悪の場合この空間の中ではアスティマが出て行くこともできる。
「ありえない‥‥‥ありえない‥‥‥アムニストレージなど‥‥‥」
初めて見るであろう魔法の奥義を前に、メダリオンを構え強気だったジェラルドも目に見えて気圧されている。しかしそんな中でもこの男は遠くに向かって素早くコインか何かを放り投げ、この空間について情報を得ようとしていた。今の行為は「元いたエントランスホールよりも空間が広がっているかどうか」を確認するためのものだろう。アンジェリカもそれを理解してか目を細め鋭い視線を向けていた。
「ふふっ、この世界ならあなたたちの体さえ思いのまま」
その慈しむかのような声音とは裏腹に彼女は恐ろしい魔法を使う。アンジェリカが行使する奇跡は先程と同じ物体の大きさの変更。しかしこの世界においてその力は生物にさえ作用する。
「馬鹿な‥‥‥これは!!」
騎士たちは体型はそのままにたちまち身につけている物ごと虫のように小さくなってしまい、その大きさでも足が付きそうな浅い水面に狼狽えて兜やマントを放り投げ構築物がある場所まで泳いでいた。ジェラルドは幸いにもメダリオンがそのままの大きさで水に浮かんでおり、水面からその上に這い上がっていた。
その混乱を見たアンジェリカは流石にやり過ぎたと思ったのか、指揮者のように腕を振りすぐに騎士たちの大きさを元に戻し、その時に共に小さくなった衣類や鎧、事前に放り出されたままこの空間に引き込まれたボトムスのサイズも戻し、一言「どうぞ」と呟いた。武装以外の大きさこそ元通りとはいえ騎士たちは無情にも着ていたものから体まで水浸しだが、何もかも諦めたように黙々と投げ捨ててしまった装備品を拾い上げ、ついでにずぶ濡れのボトムスをアンジェリカの様子を伺いながら恐る恐る履き直していた。
騎士たちが衣服に気を取られている間に、アンジェリカが先ほどのセバスチャンのように密かに指で丸を作る。会議の際、最近は耐水性を備える物も多いが機械は基本的には水に弱いという話が出ていたので、アンジェリカは一応カメラや録音機を水浸しにしてみようと目論んだようだ。アスティマは念話で「流石に抜け目がないな」と言葉を送った。元に戻ったジェラルドは急いでメダリオンを拾い上げ、マリナスはその間もジェラルドに呼び掛け続ける。
「‥‥‥隊長、あの方がそのつもりならメダリオンを作動させる隙さえないのでは?蒼天使様と同じ御業を使われる方など他におられると思いますか?あの方を疑うことはエレノア様への不敬に等しいかと」
「‥‥‥ならばなぜ我々は今このような形で知ることになる、ハワード家の当主は800年前から変わらずあの方だったとでも?そのような話は大司教も総長も知らないはずだ、知っていれば我らにこの任務を任せない」
ジェラルドの立場では今目の前で起きていることが腑に落ちないのは当然で、実際にこちらの話の半分は嘘なのだからここまで疑うならやはり馬鹿ではない。その様子をアンジェリカも思案顔でジッと見つめていた。
「難しく考える必要はないの、自分の目で見たものだけを信じれば良い。そう、その目に映るものだけを」
その言葉に合わせ青空が突如として星空へと変わり、この場にいた他の人間たちは皆一様に声を上げて驚いた。やがて暗くなった空一面にいくつもの情景が仄かな輝きを伴って浮かび上がり、無数の人の声が重なり合い頭の中に木霊する。それはかつてアンジェリカの五感が捉えた世界であり、本来ならば初めからこの空間に存在するはずのものだ。しかしアムニストレージを使える魔導士の中でも更に上澄みである一握りの者は、己の精神を完璧にコントロールすることで「結界の中にいる相手に己の記憶、思考、心理が筒抜けとなる」ことへの対策を取れる。そのためアンジェリカの思惑はこの場の誰にも伝わってはおらず、空に浮かぶいくつもの想い出はこの時までは本人の意思で隠されていた。その一部をあえて他者にさらけ出した目的はアスティマからすれば明白だった。彼女は浮かぶ情景の一つ一つを指差しながら、まるで子どもに語り聞かせるように穏やかな声で語り出す。
「ほら、見えるでしょ?あれは故郷で過ごした頃の私たち。あの真っ白の服の子が子供の頃のイーサン、向こうは学生時代のエリー‥‥‥エレノアね。今はもう伝説の偉人でしょうけど、こうして見ると年相応にあどけないと思わない?向こうは旅をしてた頃の記憶、エリーの隣にいる甲冑の人が誰か分かる?彼がアスティマよ」
アンジェリカの口からアスティマの名前を訊き実際の姿を目の当たりにして、ジェラルドの顔は引きつっている。しかしこの場にいる者たちから読み取れる感情は決して畏怖だけではない。誰もが傑作の演劇を見守る観客のように釘付けになって、頭上に浮かぶいくつもの情景を見上げていた。伝説の英雄たちの在りし日の姿を余すことなくその目に焼き付けるかのように。呆然とする人々を気にも留めずアンジェリカは話し続ける。
「あれはアルテナ大聖堂の廊下の曲がり角、大司教アビゲイル様と聖堂騎士団のシルヴェリオ総長がアスとエリーの話をしていてね、つい聞き耳を立ててしまったの。あっちがアレクサンドリア図書館を大司書オースティンさんに案内してもらった時の記憶。頭の上から爪先までどこを見ても視界に本棚がある螺旋階段は圧巻だったわ」
現代の人々からすればもはや伝説であり歴史そのものとも言えるアンジェリカの記憶を前に、ヘンリーたちや数人の騎士はもはや立場も状況も忘れたのか涙ぐんでいた。移り気な夢に似て絶えず変化して行く記憶の像、次第に雲間から覗く月のように、他の光景と折り重なり秘められていた記憶が露わになる。
「あっ‥‥‥見えてきた。今一際大きく浮かび上がって見えるのは魔王城にある魔戒の間に辿り着いた私たち。魔戒十二公が会議に使っていた部屋ね。椅子もテーブルも大きいでしょ?」
そう言ってアンジェリカはなぜかイタズラに笑う。周囲が闇に包まれたことでアスティマの影の視界は空間全体を見渡すほど広大になったが、その表情を決して見落とさず「もしや俺に見せたい記憶なのか」と感じた。
アンジェリカの視点から見る懐かしい背中は見え方の違いはあれどあまり違和感はなく、アスティマはまるでこの時はまだ彼らに合流していない自分までその場にいたかのような錯覚を覚える。そしてエレノアの髪を留める紫の蝶の髪飾りが目に入った時、それを贈った日の懐かしい記憶が頭を過ぎると同時に、何故だかエレノアの姿をあまり背後から見たことがないと気付いた。
カツン、コツンと十二公の間を警戒しながらゆっくりと歩く三人分の足音が聞こえてくる。その音は他の想い出から聞こえたものより遥かに鮮明に頭の中に響いてくる。
『ねぇエリー、今のあなたの夢を聞かせて』
アンジェリカに呼び掛けられ振り向いたエレノアの姿は、遠い記憶の中と何一つ変わらない。ただ今はその見慣れた顔を見るだけでなぜだが少し胸が詰まる。
『どうしたの、唐突に。私の今の夢?そうね‥‥‥向かい合うあなたとイーサンの一番近くでいくつか質問をして最後にこう言うの。誓いのキスをって』
エレノアは戸惑いながらもきちんと答え、言い終わると穏やかに思わせぶりな顔をした。
『それなら今ここで叶えるから別の夢にしない?』
『なんで?やめなさいよ』
アンジェリカの突飛な提案にエレノアが少し戸惑い、二人の会話を背中で聞いていたイーサンも振り向いた。
『ああ、良くないね。戦場のキスは死神を引き寄せる、僕が尊敬する偉人の格言さ』
『それ言ってたのアスでしょ、やたらと格好付けながら』
突如として襲い来る気恥ずかしさに情緒を乱されながら久々に見る伝説の勇者は、決戦の前とはとても思えないほどいつもと変わらず落ち着き払っていた。本来あるべき戦力が一人欠けているとはとても思えない。
『じゃあ次は私の夢ね。復興したラウルスの教会で、ほんの数人の友達から祝福される花嫁さんにブーケを貰うの。それまではエリーの夢は叶えてあげない』
イーサンと同じく普段通りマイペースに語り出すアンジェリカだったが、何やら妙な言い回しがエレノアには引っ掛かったようで怪訝な顔をされていた。ラウルスとは魔族に滅ぼされたエレノアの故郷だ。
『ラウルス‥‥‥ほんの数人‥‥‥その花嫁には友達が少ないと言いたいの?』
『ううん。新郎さんがねぇ、結婚式など一人でやってろって花嫁さんに言いそうな人だから。式を挙げたとしても絶対に人は最低限しか呼ばないだろうなって』
『一体誰と誰の話をしてるのよ!そんなおかしなことを言う男この世に一人しかいないじゃない!』
声を荒げるエレノアを見てイーサンは顔を背けて笑う。
『ふっ‥‥‥ふふっ‥‥‥アスはそういう言い方しそうだけど、結婚式は密やかにって考えは分かるよ。今は愛する人との別れを経験した人があまりに多い時代だから。彼は僕たち以上にそういうところ気にするんだよね』
自身がいない場で自分の話をしている人々を見る機会など普通はないので、アスティマは妙な心地だった。そしてアンジェリカやイーサンは知る由もないはずだが、いつだったかエレノアに「手当たり次第に人を呼ぶ結婚式は浮かれ過ぎだな」と話した覚えがあるので、二人に心の中を見透かされた気分だった。あれは確かエレノアとどこかの街の教会の前を通り掛かった際に、花嫁が放ったブーケが勢い余って大勢の参列者を飛び越しエレノアの腕にすっぽりと収まってしまい、困ったように笑う彼女を前に思わず漏らした一言だった。アスティマはそう記憶している。
『‥‥‥‥‥‥また、会えるよね』
今の今までおどけていたアンジェリカが、少し不安げな顔で誰ともなく尋ねた。
『会えるよ、すぐに』
イーサンはその問いに強い確信を持って答え、アンジェリカの顔が晴れる。二人を見つめながらエレノアもイーサンに問い掛ける。
『何も言わずに消えたのに?』
『だからだよ、もし今生の別れならアスは告げて行くさ。お父さんのことで辛い思いをした彼だから』
アスティマはただでさえ居た堪れない気分だというのに、先ほどからの話から父とのことまでこの場にいる赤の他人に聞かれていると思うと余計にばつが悪かった。
『‥‥‥そうだよね、私たちに同じ思いはさせないよね』
『ワクワクしない?あんなに毎日顔を合わせていた相手なのに、久々に会えると思うと』
『でも今日かな?今日しかないか』
アンジェリカは疑問を口にして誰の答えも待たずにすぐに納得した。そしてイーサンが押し黙るエレノアを見て問い掛ける。
『逆にエリーはさ、アスが来ないと思う?』
『それは‥‥‥‥‥‥思わない』
エレノアの回答を聞いたイーサンは、何やら満足げに視線を外した。
『行こう。僕たちの旅路の果ては魔王との決戦じゃない、親友との心躍る再会だ』
三人の会話が終わると、アンジェリカは再び空に浮かぶ記憶を閉ざし、結界の中は真昼の明るさに戻った。アスティマはとても一言では言い表せない名残惜しさを覚えたがそれは唾棄すべき弱さだと己に言い聞かせ、すぐに気持ちを切り替える。
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