第5話 招かれざる客(3)

「お騒がせしてしまい申し訳ありません神祖様、騎士たちがこの家は魔族を匿っていると」


「あら、エリーの結界の中に魔族?失礼ね、一体誰が言い出したのかしら」


 話しながら階段をゆっくりと下るのは、騎士たちからすれば前触れもなく現れたアンジェリカを名乗る女性。ヘンリーが「神祖様」と呼ぶ存在。この事態には流石のジェラルドも険しい表情を浮かべる。


「‥‥‥お待ち下さいヘンリー様、今そちらのご婦人を神祖様とお呼びしましたか?」


 その問いにヘンリーは顔を顰めるだけで答えない。アンジェリカを無視してヘンリーに話しかけているからだろうか。


「そんなに驚くことかしら?貴方たちの教会にはエリーがいるのでしょう?」


 しかし彼女自身は特に不快さを滲ませることもなく相手を試すかのようにそう言った。


「失礼、その聖女様に御目通りが叶う者たちから何も伺っておりません故に」


 通常メダリオンではこれほど鮮明な姿にはならないだけに、メダリオンとは思われていないらしい。アスティマの推察では、騎士たちは由緒正しく権威あるハワード家でこの事態が起きたので動揺こそしているが、まだ半信半疑で姿形を真似た偽物だと考えている雰囲気だ。その騎士たちに向かって、アンジェリカは慈愛に満ちた聖母にも妖艶な魔女にも見える微笑みを浮かべた。


「なら力尽くで信じさせてあげる」


 そして追い討ちとなる言葉を言い放つ。


「なんと?」


 ジェラルドは生物としての本能なのか騎士としての勘なのか、アンジェリカに向かって素早く両の手の平を突き出した。アスティマにはそれが魔法による防壁を構築する準備だと分かり感心する。これにより魔力の供給源となる道具を持っていることが露呈したが致し方ないだろう。


「アリス・シンドローム」


 だがアンジェリカの詠唱がホールに響いた瞬間、間に合ったはずのジェラルドの防御も虚しく騎士たちが身に付けていたボトムスがベルトや装備と共にゴトゴトと音を立てて床に落ちた。騎士たちは突然のことにあたふたと狼狽えながらずり落ちた衣服を戻そうとするが、それは叶わない。ボトムスやベルトは明らかに大きくなっており、反対に剣や銃は鞘やホルスターを残してパッと見では見当たらなくなっていた。限りなく縮小されたのだろう。仕方なく騎士たちは両手でボトムスを引き上げ続ける。


「駄目よ、そんな無粋な物をこの屋敷に持ち込んでは」


 アンジェリカは小さくなって床に転がった武器を指差しそう言った。物の大きさと性質を変化させる彼女の魔法、数え切れないほど目の当たりにしてきたアスティマでさえ脱帽するその威力は現代人にはさぞ堪えたことだろう。騎士たちはボトムスの中に膝丈ほどの運動着らしきものを着ていて下着姿にはならずに済んでいた。そのお陰かジェラルドはまだ冷静であり、ずり落ちた衣服を別段気にせず動きの邪魔にならないように脚を引き抜き放った。他の騎士たちもそれに倣う。


「行儀が悪くて申し訳ない、しかし他人を直接傷付けないとはいえ無闇に魔法を使うのは法令違反ですよ」


 多少滑稽な姿になってもまだ余裕を崩さないジェラルドに対して一人の騎士が背後から肩を掴み、振り返った彼に向かって首を横に振っていた。上司の肩を手を掛け静止する様子を見てアスティマは副官だろうと判断する。


「隊長、これは紛れもなく伝承にある蒼天使様の魔法です」


「そうだな。同じ魔法、だ」


「火や水でも光や闇でもない、元素に属さない特別な魔法。普通の人間に扱えるものではありません」


「だがそれは法の下に身分の証明にはならない」


「事態は我々の手に余ります、一時帰投のご判断を」


「それを決めるのは私だ、内々に話すべきことをこのような形でされては困るなマリナス」


 ジェラルドという男が初めて明確な苛立ちを覗かせた。マリナスと呼ばれた男の進言は間違っているとは思えないが、上官の決定が絶対である騎士としては差し出がましいのも確かだ。それでもマリナスは食い下がる。


「聖女様の無二のご友人であらせられるアンジェリカ様のご意向に逆らっては、仮に任務を達成したとしても上層部から厳罰に処される可能性があります」


 上司に威圧されても怯まない。マリナスは相当に度胸のある男らしい。


「聞こえなかったのか?決定権は私にある」


 険悪なムードが漂い、他の騎士たちが二人を宥めようと恐る恐る発言するも仲裁には至らず、完全に内輪揉めの様相を呈していた。その様子を見て哀れんだのか単に面倒だったのか、アンジェリカが一歩踏み出す。


「そんなにおかしいかしら?この時代にエリーがいるのに私がいては。それとも‥‥‥あなたたちの崇めるエリーは私の知るエリーではないの?」


「そのお言葉は看過できかねますな、美しいご婦人」


 部下たちと話していたジェラルドは挑発するような物言いを受けてアンジェリカに矛先を向ける。


「ならどうするの?」


 アンジェリカは穏やかな口調ながらも不敵だった。魔王を打ち倒した英雄が若輩の騎士如きに凄まれて怯むわけもない。だがジェラルドも一歩も引かず、おもむろにマントで隠された背中から小さな円盤を取り出しニヤリと微笑んだ。先ほど魔法が使えた事実に加え、背後のマリナスの狼狽え方から察するに十中八九メダリオンだろう。


「隊長、何をなさるおつもりです!」


「アリス・シンドローム、恐ろしい魔法ですが抗えなくはありません」


 これは元々アスティマ自身には想定外の事態ではあった。アンジェリカに対抗できるメダリオンなどあるとは思えないがジェラルドとて馬鹿ではないはず、わずかでも勝算はあるのだろう。アスティマには誰のメダリオンかも分からないため楽観はできなかったが、実のところ追い詰められたジェラルドがメダリオンを持ち出すこと、エレノアに選ばれた英雄がアンジェリカと対立する者に力を貸すのかということ、この点については事前に話題に上がっていてその情報を元に対応は考えていた。

 

「メダリオンの複製ではなくオリジンね。エリーが生み出したそれは私の魔法も受け付けない」


「例え素っ裸に剥かれようとやれることはあるということです」


 ジェラルドは尚も強気だが一体どういうつもりなのか、アスティマには理解できない。あのアリス・シンドロームを見せられても本心からアンジェリカではないと思っているのか、それともアンジェリカの存在を命に換えても消し去りたいのか。


「隊長さんが職務に忠実で部下の皆さんも幸せね。これ以上の証となると‥‥‥ねぇ」


 アンジェリカはそう言うと目の前の騎士から視線を外し、近くの影を見つめた。己の判断を仰いでいると解釈したアスティマはメダリオンを通じて行える一方通行の念話で「やれ」と指示を送る。メッセージを受け取ったアンジェリカは胸の前で両手の親指を絡ませ呟いた。


「仕方ない、大サービスよ。虚空心理(アムニストレージ)」


「アムニス‥‥‥!?まさかっ!!!!」


 ジェラルドの叫び声に重なるようにズンと腹に響く重低音が駆け抜け、辺り一面の空間が蜃気楼のように揺らいだ。


「アリス・イン・ワンダーランド」


 騎士たちはどよめき、腰が引けた体勢で辺りを見回しながら青ざめる。アンジェリカの詠唱によってエントランスホールの景色はがらりと変わり、突き抜けるような青空とそれを反射する浅い水面が辺り一面に広がった。本来あるべきものが消え去った代わりにハワード家とは異なる建物の床や壁、それに無数の柱がどこかしら大きく欠けた歪な姿で水に浸されて佇み、それぞれ異なる景色を切り取った窓が無秩序に並ぶ。打ち捨てられた遺跡を想起させる無数の構築物は、アンジェリカの想い出の断片と形容すべきものだ。


 それらは彼女と多くの時間を共に過ごしたアスティマにとっても見覚えのある物ばかりだった。アンジェリカの生家の一部、見覚えのある景色に繋がる窓、共に学んだ学舎の教室の隅、校庭、切り分けられたケーキのような講堂の一角、ユースディア王宮の謁見の間、アルテナ大聖堂の花園に礼拝堂、幼い頃の憩いの場だった街外れの広場に川のほとり、更には忌まわしき魔王城の一室のようなものまである。エントランスホールの柱の陰に隠れていたアスティマも潜む場所には困らなかった。


 アンジェリカが解き放ったのは魔法の究極を織り成す三位一体の一つ、虚空心理(アムニストレージ)。最高位の魔導士だけが行使できる結界術で、自らの精神が構築した世界に他者を引き込み己の夢想を具現化するような無法を行える反面、自身の思考や感情に加え記憶までもが結界内の他者に筒抜けとなる上に、精神の動揺によって容易く崩れ去るなどいくつもの欠陥を抱える技法。しかしアンジェリカはその「欠陥さえ活用する」つもりだとアスティマには分かる。ジェラルドはそれを見せられてまだアンジェリカを偽物だと言い張れるのか見ものだった。

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