第6話 大人気ない初配信前夜(3)

「それならお前は人の肉体を失ったエリカ本人なのか?人は脳を失っても魂だけで本人と言えるのか‥‥‥いよいよ分からん」


 メダリオンとはあくまで「生前の本人を再現しようとする使い魔や式神に近いもの」と考えている中、この話を聞かされてはどう受け止めるべきか分からずアスティマは絶句した。如何にアンと一つの体を共有することに対する不満を日頃から口にしていたと言っても、人の身体を捨ててまでこの円盤に宿るという壮絶な決断をなぜしたのか。四六時中姿を現すことはできずとも、生身の人間に近い振る舞いはできるので「平和な時代に片割れの子供たちを守るならこれで十分」とでも考えたのだろうか。そんな風にアスティマがしばらく考え込んでいると、ヘンリーも何やら考えながらブツブツと呟いていた。


「‥‥‥イーサン様は自身の死の未来さえ予知することができた‥‥‥?アンジェリカ様が崩御なされる時に御子を封じたのではなく初めから分かっていて‥‥‥?」


 まだイーサンの未来視の力が気になっているようだった。確かに中途半端に聞かされても疑問の尽きない話ではあるだろうとアスティマにも理解できたので、アスティマはそちらに意識を向けた。


「どうしたヘンリー、イーサンが先手を打って地上の龍王を殺せば龍月の古老は目覚めず自身と妻の死を防げたと考えているのか?」


「は‥‥‥はい」


 先程から考えを言い当てられることに少し驚きつつも、慣れてきたのかヘンリーはなぜ分かったのかはもう何も聞かない。


「エリカの言う通りイーサンが具体的にどう未来を見ていたのかは分からない。仮にイーサンが己とアンの死を見据えてなおその選択をしたなら、自分たちがその時に戦わねば人類が滅亡する未来が見えたのかもしれない‥‥‥とはいえおかしいな」


「おかしい‥‥‥ですか?」


 アスティマはヘンリーに説明しながら自身も疑問を禁じ得なかった。


「俺が未来視に関してイーサンから聞いた話は三つ、未来は常に揺らぎ移ろう、闇の魔力は未来を覆い隠す、己の死後の未来は見えない」


 アスティマの話を聞いてヘンリーは「ああ‥‥‥」と言葉にならない声を出した。


「まぁ、その話に反する行動してる気はするわね。でもアンタにウソつくとも思えないし、相棒がいなくなった危機感から力が進化したのかもね」


 未来が見え過ぎているかのような行動は引っ掛かるが、エリカの言う通り魔王との決戦の後に力が進化したか単になりふり構わなくなっただけとも考えられる。しかし未だ見る気にならないイーサンの手記を覗いたところで、誰の目に入るかも分からない手記に未来予知に関する重要なことについては書いていないだろう。現にほとんど目を通したヘンリーさえ知らないことは多そうだ。


「古老はいつか目覚めると言われていたのだから後の禍根を断つと考えたとして、俺が800年後に帰還することが分かっていないと子供を託す発想など‥‥‥そもそもこの魔導器のことを知らないと因果関係も分からないな。エリカ、これがどういう仕組みか知らないか?」


 アスティマはコツコツと魔導器を叩きながら言った。まさかとは思うが人口の増加などを何かしらの方法で感知し、アスティマの帰還する日時を高精度で予測してそれに合わせ子供たちの封印が解かれる仕組みだったと考えられなくもない。その場合イーサンの予知は無関係となる。


「これの仕組み?まぁ一応は。隣からこの部屋まで魔力を逃す構造あったでしょ?あの門は龍脈の源泉の上に建てられてるから自然に魔力を貯め込む構造になってる。けど形あるモノだから貯蔵量には限界あるし、結局は一気に大量の魔力が流れ込んで魔力嵐が起きないとアンタを連れ戻すことはできない。だから余った魔力を流用してあの子たちの生命を維持してたの」


 エリカの丁寧な説明は不要とは言えないが、アスティマが知りたいのはそこではなかった。


「‥‥‥それはある程度は分かるが、子供たちの目覚めのきっかけが分からない。俺の帰還の衝撃で覚醒したならともかく、どうして十数年も早く目覚めてるんだ?」


「さぁ?それエリーも知らないかもね。なんかイーサンが年代を指定してた気がするからエリーは単にその時期に子供たちが目覚めるように調整しただけかも」


「イーサンが俺の帰還と時期が合うように指示したと?だとしたら未来が見え過ぎているしそんな露骨な力の使い方はらしくもない‥‥‥というか子供の目覚めを誰も感知できなければ不味いが、ヘンリーはなぜ分かった?」


「目覚めを知らせる魔導具や土地の仕組みがあります、魔導具はこのペンダントですね」


 ヘンリーは服の下に隠すようにして首から掛けているペンダントを取り出して見せた。役目を終えた今も持ち歩いているらしい。


「目覚める時この土地に誰もいなかったり敵が攻め込んであの魔導器が狙われたら流石にアタシが何とかするし、子供たちが起きないまま魔導器の様子がおかしくなってもアタシが対処する。そりゃ抜かりないでしょ」


「当然か。つまりエリーは俺がいつ帰って来るのか知っていた可能性があり‥‥‥エリカは全てを知らず‥‥‥イーサンは己の死後まで見えていたかのようで‥‥‥そしてヘンリーは‥‥‥不味い、頭が破裂しそうだ」


 この件は一旦傍に置くとしても石室の解析とアイクォーサー講習は避けられない。アスティマの脳は悲鳴を上げていた。


「昔はそうなったらパワーで解決できたからね」


 エリカが皮肉なのか褒め言葉なのか分からないことを言うが、今のアスティマに突っ掛かる元気はない。


「少なくとも聖教会は殴り込めば終わりだもんな」


「ね~」


 そのまま会話は途切れそうだった。しかしアスティマとしてはエリカもヘンリーもこの部屋で最も気になる部分について何も言い出さないことをどうしても無視できなかった。


「‥‥‥それで二人とも、他に俺に伝えることは?」


 アスティマの言葉にエリカとヘンリーは揃って首を傾げ、エリカが先に「何よ?」と少し喧嘩腰に言うと少し遅れてヘンリーが「何でしょう?」と訊いてきた。惚けているのか本当に気付いていないのかいまいち判断がつかない態度だ。


「魔導器は三つあるだろ、これはなんだ?中央だけ大きさも細部も違うので異なる装置かと思ったが、やはり中に人が入りそうだ」


 アスティマはずっと気になっていたそれについて、隅々まで見回してからようやく質問する。何となく後回しにしてしまっていた。


「ああ、その容れ物は全部コールドスリープ‥‥‥だっけ?生命を維持したまま肉体の変化を極限まで抑制して保存する装置ね。真ん中はエリーが使おうとした試作品」


 質問には何食わぬ顔でエリカが答えた。別に隠していたわけではなかったらしい。


「使おうとした試作品?」


「そっ、でも研究を進める内に自我が確立された人間、特に成長が止まった人間は上手く保存できず肉体と精神が崩壊すると分かったそうよ、だから諦めた。イーサンとアンには話したからそれで二人はこの魔導器の存在を知ったの」


「何だそれ怖いな。つまりこの装置は物心付く前の子供なら安全に保存できた、だからイーサンたちが頼ったと」


「そーゆうコト。なるべく体の大きさに合わせた方が良いから新しく二個造って、試作品もそのまま残して三つ」


「エリーはそうまでして未来に‥‥‥なぁエリカ、お前の魂は丸ごとメダリオンに入っていると言ったが、まさかエリーはやってないよな?俺だけじゃなく親友の子供たちも気掛かりだったと思うが‥‥‥‥‥‥」


「アタシとエリーだと行為の本質が違うからねぇ。アタシの場合は肉体から魂を引き抜いてもアンの魂が残るけど、エリーが同じことしたら抜け殻の体だけが残るじゃない。それはアルテナ教の最大の禁忌『殺人』と『自殺』と『魂無き肉体の精製』の全部に触れかねないしやらないでしょ、絶対ないとは言えないケド」


「その一線は超えそうにないか」


 エリカの言葉にアスティマは納得し、己に言い聞かせるようにそう言った。そして魔導器をまじまじと観察する。特にそのエレノアが眠る想定だったという中央の魔導器を。


「エリカ、エリーは髪を切ったか?」


「ナニよ藪から棒に。アタシの知る限りではむしろ伸ばしてたわよ」


「ヘンリー、この真ん中の魔導器の蓋を開きたいのだが良いか」


「ええ、もちろん。ただ少し変わった開き方をするので私がやりましょう」


 そう言ってヘンリーも魔導器に歩み寄った。彼は慣れた様子で魔素吸引を行い魔導器の側面にそっと触れる。すると魔導器全体に緑に輝く紋様が走り、左右のアームが少し動いたかと思うとバシュン!と大きな音を立てて蓋がわずかに開く。アームに支えられた蓋はそのまま一人でに持ち上がり幹に沿う状態で固定された。アスティマは物々しく開かれた魔導器の内部をまじまじと見つめる。無数の蔓は魔導器に繋がれた配管から入り込んでいるらしい。


「どしたん?仕組みでも調べたいの?」


 アスティマはエリカの問いに答える前にその中からある物をつまんで持ち出した。


「髪の毛だ。この細さに銀髪、エリーの髪に見えるがそのわりに短い」


「それは‥‥‥エレノア様のものでなければ少しおかしいですね。御子の覚醒の日までこの魔導器の蓋は開いていませんし」


「今はユースディアで暮らしているというお前の父は?」


「確かに私の父は年齢で色が抜けて似た髪色ですが、魔導器が開いてからこの部屋を訪れてはいないですね。それに中央の魔導器の中は空と言っても左右の二つと配管のような物で繋がれているので、歴代当主は迂闊に触れてもいないと思います」


「となると‥‥‥魔導器が閉じられる前に立ち入った人間はエリー、イーサン、アン、子供たちだけに思えるが‥‥‥後は可能性としてリリィか、だが髪色が違う」


「まぁエリーの産毛とかじゃない?髪の毛全部が同じ長さなワケないし」


「そうだな‥‥‥‥‥‥考え過ぎか」


 そうは言いつつアスティマが変わらず髪の毛を見つめ不思議がっていると、ヘンリーが「あの」と躊躇いがちに声を掛けてきた。


「現代には髪や体液から人物を特定できるDNA鑑定という技術があります。ただ髪一本、特に自然に抜け落ちた髪の場合は特定は不可能に近いと思われますが‥‥‥。それと照合にはエレノア様のものと確定したDNA情報が必要になります」


「小難しい話は分からないが、要はエリーの体の一部があればこの髪が同一人物の物か調べられる可能性があると。それは仮に時が経って乾いた血でも良いのか?」


 アスティマは言いながら魔導器の中を凝視したが、目視できる範囲にもう髪は見当たらなかった。


「DNAは乾燥に強く、数千年前の遺体も調べられるので時間の経過そのものはあまり問題にはなりません。ただし保存状態の良し悪しによります」


 その会話を聞いてエリカが何か思い当たったように「あっ」と声を出した。


「アルテミシアにエリーの血でも残ってないかってこと?でもエリーって結界術の達人過ぎてどんな激戦でもそんなに血は流さなかったからどうかしら」


「まぁな」


 実はそうではないのだが、アスティマは言えずに言葉を濁した。


「いずれにせよ、その髪は保管しておきましょう」


 ヘンリーはそういうと懐から小さなビンを取り出して、蓋を開け中の丸薬のような物をポケットにぶちまけた。


「それ何かの薬じゃないのか?」


「お気になさらず、こちらへお納め下さい」


 かなり気になったが気にするなと言うので深掘りせず、アスティマは髪の毛を慎重にヘンリーの持つビンの中に入れた。


「それとヘンリー、ここは結界の中心で誰にも話を訊かれる心配もない。ちょうど良い機会だ」


「なんでしょう?」


 アスティマが改まってそう言うからかヘンリーは少し緊張した面持ちで答えた。


「お前は多忙な上に友人が死んだとあって今まで尋ね辛かったが、俺の帰還に関する話をどこまで知っていたのか、訊いていいか」


「アンタ一応はそんな気遣えるのね」


 エリカが微妙に失礼な感想を漏らす。


「お前が知っている情報を教えていればウィルソンは死ななかったのでは?」


「アンタやっぱデリカシーないわね」


 エリカが失礼と言えばそうだが無理もないことを言う。


「‥‥‥‥‥‥仰る通りです」


 ヘンリーは苦々しい顔で言った。アスティマとてあまり話したくはないことだろうとは理解しているが仕方がない。


「お前の苦境は分かる。ウィルソンを信頼していても思考を抜き取る魔法がある以上は先祖代々守り続けた秘密を人には話せない、ウィルソンが命懸けの行動を起こすことも想像に難かっただろう」


「はぁ?それが分かってるなら一体何を訊いてるのよ」


「他人事のように言うお前にもまだ聞きたいことはあるのだが‥‥‥まずヘンリー、この家の歴代当主は俺の帰還計画の協力者ではないのか?」


「いえ、計画に組み込まれてはいません」


「違うのか?そもそもこの計画は俺の存在が多くの人間に知られていないと成り立たないわけで、権力者たちに疎まれた俺が歴史から消される可能性は大いにありえた。小賢し‥‥‥聡明なエリーの考えがそこまで及ばなかったのかと疑問なのだが。なぁエリカ」


 アスティマは「もう何も隠すなよ」と圧力を掛けるかのようなトーンでエリカを呼んだ。この辺りのことを全く知らないとは思えなかったからだ。


「アンタ一応は大英雄なんだし、こんな綺麗さっぱり歴史から消されるなんてあの頃に想像つくかしらね?少なくともアタシはエリーに何も頼まれてないわ。ただ不測の事態が起きた時の当てはあるって言ってたわね」


「当て?俺の帰還の条件を知っていた者となるとリリィだが、あの映像を見る限りウィルソンの要請に応じた形で自発的には動いてない。俺を歴史から抹消した聖教会にも知る者がいたように思えるが、真逆の工作をした教会関係者が計画の協力者なわけもない」


「ええ、私も教会は怪しいと睨んでおりますが‥‥‥‥‥‥」


「それでヘンリー、お前は計画の存在そのものは知っていたのか?」


「はい、把握していました」


「子供たちから聞いたがお前、あの映像に映っているのがリリィ‥‥‥女王アマリリスだと断定していたそうだな。それに話の内容にあまり驚いてなかったと」


「フムフム、だから?」


 エリカにはアスティマが言わんとしていることは伝わっていないが、ヘンリーは気付いていそうな表情にも見えた。


「ヘンリー、お前はエリーの想定した協力者でなくとも自己判断でウィルソンの役をやるつもりだったんじゃないのか?ただこの家の秘密の一切を他者に話していないと言う弁が事実なら、ウィルソンは妻子ある親友の身代わりとなった形だがそれはあくまで偶然だった」


「‥‥‥なるほどねぇー」


「その通りです。私はウィルソンと同じことをするつもりでした」


 ヘンリーは平然と答えるがそれはアスティマにとってあまり喜ばしい回答ではない。


「それは本当にイーサンやエリーから託された使命ではないんだな?」


「も、もちろんですとも、お二人はそのようなことを人に強要いたしません。あなたの帰還の条件をアマリリス様からお聞きしたのは数代前の当主です。また御子がお目覚めになる日も誰一人として知らなかったのですが、それが私の代に起こりました。イーサン様の手記には子供たちをアスに託したいと記されていたので、あなたの奪還は我が使命と考え生きて来ました」


 ヘンリーの話を聞きアスティマはゆっくりと首を横に振った。イーサンめ迂闊なことを、と。その感想と同時にまさか故意なのかと幼馴染みへの疑念も湧いた。


「大昔の英雄の願いで赤の他人の俺を助けるため危険を犯そうと?」


「まっ、こっちもこっちで宗教みたいなモンよねぇ」


 嫌なことを言うなと思いつつアスティマもエリカと同意見だった。


「‥‥‥しかしそうなると腑に落ちないな。あの映像での「私がその役を担えば多くの血が流れる」というリリィの言葉を信じるなら自ら動くつもりはなかった。リリィがそのスタンスとなると、エリーの視点ではもう一人協力者がいなければ計画を妨害された場合への対処が一手足りない」


「それは‥‥‥確かにそうですね」


 ヘンリーの様子を見るに本当にこれ以上のことは知らないように感じる。


「エリーはメダリオンの有志を募る過程で各地に赴き最低限の事情を選定者に話したはず、アイツは魔族にとって最大の警戒対象なのだからその行動が監視され目的が割れていてもおかしくない。つまり聖教会発足以前でも協力者が魔族などの襲撃に遭う恐れがあると思い至るだろう。その危険な役目をエリーやイーサンが未来の人間に押し付けるとは俺も思えない。メダリオンに選定した全員に詳しい事情を話し、「誰かの体を乗っ取れたタイミングでアスティマの帰還のため工作してほしい」などと頼むとも考え難い。それも結局は見ず知らずの人間が危険に晒される上に確実性もない」


「アタシみたいに好き放題動ける特別製のメダリオンがまだあるんじゃない?」


「その可能性は高いが、お前以外に誰がいると思う?それとお前のメダリオンが特別なのは魂全てを注ぎ込んだからだとしたら、同じことをする奴はいないだろう」


「さあねぇ、でもアタシのメダリオンが特別な理由はそれだけじゃないわ、大事なのはエリーがどれだけ信頼できる相手だったかね」


 エリカはまだ何かしら隠し事をしているのかもしれないと感じたが、何となく今は嘘を言っているようにも見えなかった。


「この家にあった戦没者の記録は見た。信頼できる人間のほとんどが人龍大戦までに戦死または行方不明だ。ほぼ面識のないヴラドが選ばれていたように、メダリオンには俺たちと親しい人間はさほどいないはず‥‥‥」


「まぁ今はあんま考えてもね。リリィが計画に欠かせないピースなら他に誰が噛んでるか知ってんじゃない?一応はヘンリーがずっと連絡を取るチャンス伺ってんでしょ?」


「はい」


 アスティマもエリカの言うことはもっともだと感じた。


「まぁ連絡待ちか。連絡待ちと言えばウィルソンは誰かに殺されたのか単に事故なのか、こちらも気掛かりだがヴラドと連絡さえ取れれば分かるかもな」


「ええ、流石に序列五位の騎士なら真相を知っているでしょうし、同僚との会話で話題に上がりそうですね」


「やはり聖教会がわざわざウィルソンを殺す理由がな、話の信憑性が増してしまう。やったとしたら悪手だ」


「私としてはウィルソンが聖教会にとってあまりにも不都合な『何か』を握っていたのではと睨んでいます。実は動画内で示された資料は何一つ見つかっていないのですが、あれらは何処から手に入れ今どこにあるのか分かりません。仮に聖教会がすでに回収しているとすれば、それ以上の何かを‥‥‥‥‥‥」


 もしも聖教会が手を下したのならウィルソンは聖教会にとってあまりにも不都合な情報を握っていた、そのヘンリーの推測は当たっていそうな気はした。


「その『何か』を聖教会はまだ掴んではいない、それを探すためリスクを冒して騎士をこの家に寄越したともとれるな。これらの謎をジェラルドは果たして知っていたのか。体を乗っ取ると言っても記憶は覗けないようだからな。そうだよなエリカ?」


 記憶を覗けるならあの場でヴラドから何かしらの情報提供があってもおかしくないと考え訊きもしなかったが、そう言えば確認していないとアスティマは今になって気付いた。


「不思議なことに覗けないわね。まぁ脳とか精神とか魂とか、その辺の繋がりは魔法全盛の時代にも良く分かってなかったし」


「だよな‥‥‥‥‥‥。ヘンリー、これ以上ここで考えていても何も分かりそうにないし上に戻るか。忙しいのに悪かった」


 そう言ってアスティマが魔導器から離れるとヘンリーが再び同じ手順で蓋を戻した。


「いえ、大切なお話を後回しにしてしまって‥‥‥ああ、そうです。子供たちのことは当然ジェシカは知っていますが、他にセバスチャンと私の両親も知っています。メイドたちは知りません」


「メイドは知らないか、了解した。逆にメイドが魔族だと子供たちは知らない、どうもこの家には緊張感があるな」


「申し訳ありません」


「そう言えばお前とジェシカの間には子供はいないのか?」


 部屋の出口となる昇降機に向かいながら、アスティマは何の気なく尋ねた。


「いえ‥‥‥その‥‥‥エストリンは私たちの実の娘でして」


「えぇえええええええええっ!!!!」


「うるっさっ!!驚すぎじゃない?」


 エリカと共にエストリンの素性を聞き出したアスティマとしては、逆にどうしてお前は驚かないんだと言いたかった。この話をこの部屋でされて良かったと心底感じた。


「不意打ちが過ぎて‥‥‥その場合ジェシカがサキュバスってことになるだろ!?通りで外見が若過ぎると‥‥‥待てお前、サキュバスと結婚して生きてるのか!?」


アスティマが信じられない物を見る目でヘンリーを見ると、その形相にヘンリーはたじろいでいた。


「お、お恥ずかしながら‥‥‥」


「ああ~だから魔族の保護なんてやってんの。そう言えば浴場の冷蔵庫に精力増強のハオマジュースあったわね」


 エリカは相変わらず冷静に点と点を繋げて線にしていた。


「ハオマジュースはそんなに万能じゃないだろ、ジェシカが仮に四十年以上生きているサキュバスだとしたら一体どれだけの精気を‥‥‥もしかして他の男の‥‥‥?」


 子供たちと無関係の夫婦の事情に踏み込むべきではないとアスティマが思い至った時には、すでに言葉が口を突いて出ていた。


「お、お恥ずかしながらワタクシ一人で何とか賄えるように誠心誠意努力を‥‥‥」


「お前凄いなっ!!」


 あまりの衝撃に考える前に声が出てしまう。


「アンタこっち帰って来てからこんな興奮したことあったの?」


 今日までに文明の利器に幾度となく驚いたが言われてみればここまでではない。エリカの冷めた声にアスティマは徐々に冷静さを取り戻すも、興奮はまだ冷めやらない。


「だってサキュ‥‥‥‥‥‥いや、そうだな、取り乱し過ぎた。だが、何と言うか、子供たちにはいつ言うつもりなんだ?」


 昂る感情を抑えてどうにか話題を真面目な方向に持っていく。


「レナ様とエイト様には十八か二十歳になる時に話すつもりではいましたが、あなたがお帰りになられた今はもういつでも良いのかもしれません。エストリンのことはどうしてもその後でないと」


「まぁ‥‥‥そうだな。それと別に俺たちの前だからと言って子供たちに敬称なんて付けなくて良いぞ、父親だろ」


 アスティマがヘンリーと話していると後ろから尻をつねられる感触があった。どうしてそんな呼び方をするんだと思いつつ「なんだよ」と言いながら振り向く。


「あのさぁ、一応言っとくけど。育ての親のヘンリーとジェシカが打ち明けるまでは、イーサンとアンの子供だからって露骨に態度変えるのはやめなさいよ?」


「はぁ?そんなことは言われなくても承知の上だ。何だよ露骨に態度を変えるって」


 アスティマはエリカの言葉の意図が分からず一笑に付した。


「アンタの養父のシルヴェリオ総長ってアンタには激甘じゃなかった?あんな感じにならないか心配なのよ」


 そう言われてようやく意味が分かったがアスティマにとってはやはり馬鹿馬鹿しい話だと感じる。


「俺がシルヴィおじみたいにか?なるわけないだろ。それに言うほど甘くもなかった」


 アスティマは否定しながら昇降機に乗り込もうとしたところで、大の男二人だけでも狭いことを思い出し「エリカは消えていろ」と伝えようとするも、一瞬のうちに彼女は肩の上に乗っていた。そうして三人は屋敷の最下層を後にして用のない地下二階からもすぐに引き上げる。


 アスティマはアトリエに戻るヘンリーを見送るとエリカと共に二階にある自室に向かったが、自室までに子供たちの部屋の前を通る事情もありちょうど廊下にいたレナとエイトに出会した。二人と軽い挨拶を交わしながら、見れば見るほどイーサンとアンに似ているなとアスティマはしみじみと感じる。気付けば大きな体で二人を包み込むように抱きしめていた。


「アスティマ様!?どうしました!?」


 すぐにエイトが驚きの声を上げる。レナは無言で片腕を背中に回してくれた。


「いや、なんとなく」


「なんとなくッ!?!?」


 その瞬間なぜか背後からものすごい勢いで頭を叩かれたので二人から離れて振り向くと、エリカが恐ろしい顔で睨んでいた。それは一旦無視して次に二人に会ったら聞いておこうと思った話を切り出す。


「お前たち、恋人はいるのか?」


「どどどどうしたんですか突然?いませんけど、どっちも」


 エイトが二人分答えたが双子だからかしっかりと姉の恋愛事情まで知っているらしい。


「なんでだ?」


 アスティマはこんなに可愛いのにと口走りそうになりつつもそれは抑えた。


「‥‥‥えっ、イーサン様の子孫としての責任感というか、まだ早いかなって」


 レナが照れながら質問に答える。可愛い。


「えらい」


 偉大な英雄の血を引く者としての素晴らしい自覚、意識の高さ。アスティマは思わず二人の頭を同時に撫でる。


「アスティマ様?」


 頭を撫でられるとエイトだけでなくレナも不思議そうな顔をしていた。


「恋人ができたら俺に紹介するんだぞ。プロとしてきちんと査察、審問するから」


「ど、どういう立場の人としてでしょう‥‥‥?」


 これまで動じていなかったレナがなぜだか少し戸惑い、聞くまでもなさそうなことを尋ねてきた。


「無論、兄として」


「兄っ!?アニッ!?ナンデッ!?!?」


 エイトの素っ頓狂な声を聞いて流石に兄は違ったかとアスティマは反省するも、まだまだ言いたいことは山ほどある。


「それと二人とも俺のことはアスと呼べ。敬称などいらん」


「アスッ!?!?ナンデェ!?無理ですッ!!」


「じゃあアスティマさん‥‥‥でどうでしょうか」


 レナの提案は可愛いが、まだまだ他人行儀が過ぎてアスティマとしては不満だ。そうして子供たちと楽しいひと時を過ごしていると、背後から強烈な気配を感じた。


「アリス・イン・ワンダーランド」


「ちょっ」


 突然信じられない声が聞こえアスティマが止めようとした時にはすでに遅く、周囲の景色がガラリと変わり数日前にも見た変わり映えのしない異空間に引き込まれていた。可愛いレナとエイトの姿はない。


「何をしてるんだ、エリカ」


「こっちのセリフよ!!アンタもしかしてバカなのッ!?想像を絶してるわ!!露骨過ぎるわよ、バレるじゃない!!」


「そうか?自然な雰囲気だったと思うけどな」


「どこがッ!?!?あんな気持ち悪い猫撫で声のアンタ見たことないんですケド!?」


「子供ができれば人は変わるだろ」


「できてないでしょアンタには!!良いからもっと普通に接しなさい!聖者の影の後輩相手くらいの距離感で!良いわね!」


「断る」


「良いから言うこと聞きなさい!!逆らったら殺すわよ!!」


「イエス・サー」


 力を信奉するアスティマは自分より立場と腕っぷしが強い者には頭が上がらなかった。


 エリカと共に元の空間に戻るとレナとエイトが驚いた顔のまま固まっていた。今の間ずっとそうしていたのだろうか。可愛い。


「‥‥‥もも、もしかして今のが例のアムニストレージですか!?スゲェぇぇぇぇぇぇ!!!僕たちも入りたかったです!!」


 エイトは興奮のあまりどうして今エリカがアムニストレージを使ったのかは気にしていないようだった。


「エリカ、ワンモア」


 催促すると無言で睨まれた。


「じゃあ俺がやるから魔力貸せよ」


「やめなさいよ!アンタのアムニストレージに入れたら気が狂うわよ」


「それはそうか」


「良いなぁ~羨ましいなぁ~」


 エイトは尚も目を輝かせながら興奮気味だった。それもまた可愛い。


「じゃあいっそ自分で使えたら良いんじゃないか?時間が空いた時に教えてやろう」


「お、教えてもらっても私たちでは無理です。アスティマ‥‥‥さんのお時間がもったいないです」


 レナが慌てた様子で遠慮する。慌てる姿も可愛い。


「何を弱気な。お前たちには勇者に負けず劣らずの才能がある、自信を持て」


 言い終えた瞬間に触ってもいないベルトがキュッと締まる感じがしたがアスティマは鍛え上げた筋肉で乗り切った。


「そんなワケあります‥‥‥?でもアスティマさま‥‥‥さんに魔法を教えてもらえるのは最高ですね!ぜひお願いします!!」


「わ、悪いよエイト。アスティマさ‥‥‥んすごく忙しそうなのに」


「何言ってんだ無職だろ、ハッハッハッ!」


「アンタ‥‥‥もう誰よ‥‥‥‥‥‥」


 広い廊下にアスティマの笑い声が響き渡り、エリカの呆れた声はかき消された。

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