第6話始まりの事件(1)

 エレノア歴752年7月13日──

(アルテナ旧暦2022年サラマンドラの月13日──)


 事の発端はアイクォーサー・アスティマの初配信より3週間前まで遡る。


 アマテラス神国首都近郊では例年より少し早く梅雨が明け、本格的な夏が到来していた。首都コウキョウからそう遠くない郊外の丘に建つ、やけに古風な大邸宅のリビングルーム。そこには豪奢なソファーへ寝転びながら携帯端末を弄る青年の姿があった。その隣には行儀良く座りながら同じく携帯端末を操作する女性。青年の名はエイト・ハワード、女性はレナ・ハワード。二人はかつて人類を二度に渡り救った伝説の勇者イーサン・クロス・ハワードの末裔としてこの世に生を受けた若者たちだ。姉弟は目線を合わせず時折ポツリポツリと言葉を交わす。


「姉さん、何か分かった?」


「‥‥‥ダメだねぇ。締め切りが近いからお父さんもお母さんも気付いてないと思うけど、教えた方が良いのかな」


「うーん、やっぱり生放送が始まったらかな?顔を出すのか知らないけど話の内容や声を聞けば流石に本人かは分かるし」


 二人は何もさしたる目的もなく無気力に携帯端末の画面とにらめっこをしていたわけではない。父の古くからの友人であり歴史学の世界的な権威であるウィルソン教授、置き手紙一つを残して約4ヶ月に渡り失踪していた彼らしき人物の動向が、突如としてインターネット上に浮かび上がったのだ。


 それは今から1時間前、二人はアレクサンドリアでウィルソン教授を名乗るアカウントが予約配信していることを把握した。この手法は公開予約とも呼ばれ、指定した日時に開始される配信までの間、本人や視聴者がチャットを書き込む待機所が設けられる配信方法だ。それだけなら質の悪いイタズラだと気にも留めなかったが、そもそも二人がその存在に気付いた理由はボックスというSNSから携帯へ、ウィルソン教授の投稿を伝える通知が来たためだった。その投稿はアレクサンドリアでの配信を告知する内容だったわけだが、彼は配信自体したことがない上、当然ながらボックスのアカウントは失踪してから今日まで一度も更新されていなかった。二人は現在この件についてネット上の反応を確認しているところで、彼に近しい自分たちさえ何も知らない以上はその行為が有意義ではないと感じつつ、他の事も手に付かないという状態だった。SNSを見る限り、彼の関係者や彼を知る人々が困惑しつつもその身を案じる投稿が多く見受けられた。


 ウィルおじさん、二人も小さい頃から面識があり、この屋敷にも数えきれないほど訪れている。記憶の中の彼はいつも優しく微笑んでいて他人を小馬鹿にしたり悪く言うことは一度としてなく、人並みのユーモアはあれど根は真面目な人物だった。四十を過ぎた今でもハンサムな彼は、父によると昔から女性にモテるようだが物事に熱中すると周りが見えなくなる癖があり、800年前に終戦した人類と魔族の大戦争、通称「人魔大戦」の研究に若い頃から没頭していたせいか今も独身だった。だからと言って頑固だとか気難しい印象も特になく、いつもレナとエイトを我が子のように可愛がってくれた。時折彼が電話で同僚や助手と話している姿も見かけたが、やはり柔和なイメージは変わらない。


 二人は既に直接電話を掛け、ボックスのアカウントにもダイレクトメッセージを送っていたが現在まで反応はなかった。


「‥‥‥突然の失踪から今回の件まで何一つあの人らしくないけど、置き手紙や部屋に不審な点はなく自発的な失踪の可能性が高い‥‥‥って警察も父さんも言ってたよね?」


「そうね、言ってたから‥‥‥本人なのかなぁ、その方が良いんだけど。アレクの方はまだしもボックスのアカウント乗っ取りは怖いから、どちらにしろやっぱり知らせよっか。お父さんたちに」


「その方が良いか。携帯やパソコンへの連絡に怯えてる頃だし直接あっちに行こう」


 二人の父ヘンリーの本業は漫画家であり、国内のみならず海外まで名前が知れ渡っているほどの成功者だった。現在は締め切りに追われて離れにあるアトリエに篭っているので、そこまで行かなければならない。二人は現代の家には不釣り合いなほど物々しい両開きの扉の、その横にひっそりとある普段使いの出入り口を通ってアトリエを目指す。リビングを出ると目の前に広がるのは西洋の古城を思わせる威容の廊下やエントランス。しかし異世界に迷い込んだわけではなく元々こういう家だった。飾られた鎧や壁に立て掛けられた刀剣類、この時代にそぐわないインテリアの数々さえ二人にはもはや見慣れたものだが、十数年暮らしていてもまだ過剰に広いと感じる我が家はこういう時には不便だ。


「姉さん、アトリエまで走る?」


「時間に余裕はあるから急がなくても良いんじゃないかな」


「まぁそっか。にしてもさ、お金がある人はお金で時間と快適さを買うみたいな話あるけど、家の広さはその話と矛盾してない?」


「大抵の人は普段使いするエリアは狭いスペースで完結させてるんじゃない?それか廊下にトロッコとか」


「トロッコ!?!?姉さん最近配信でライクラやり過ぎた弊害出てるって!」


「そう‥‥‥?まあウチは特別な事情もあってあまり改築出来ないし、仕事場は生活空間と離したいって父さんの意見も分かるから移動が不便なのは仕方ないかなぁ」


 生まれてから数えきれないほど繰り返したような話をしながら、二人は歩き続ける。レナの言う特別な事情とは、「この土地は代々勇者の末裔が守らねばならず、800年前に建てられた建造物の配置は変えてはならない」という言い伝えのことだ。


 しかしなぜ先祖が勇者イーサンの故郷である「ユースヒア聖光国」を去り、遠く離れた「アマテラス神国」に移住してまでこの土地を守って来たのか。それは子供たちにとっては長年の疑問だが、両親に尋ねてもいつもはぐらかして答えてはくれなかった。建物自体もアマテラスの建築様式ではなくユースヒアの建築様式で、いわゆる洋風の館。二人が生まれる遥か以前から幾度となく改修を重ねてきたらしいが、800年物の建物なので色々と古めかしい。この国でここまで古い現役の建造物など社寺仏閣くらいのものだろう。二人は家の中とは思えない距離を歩いてようやく離れに続く渡り廊下までやってきた。


 冷房の届かない渡り廊下に差し込む日差しが体を火照らせる。ガラス越しに見える庭園ではハワード家にて神聖視されるひまわりとグラジオラスがあちこちで咲き誇り、景色を染め上げていた。夏の鼓動を全身で感じながらアトリエの前にやって来たエイトたちが念のためノックして扉を開けると、部屋からひんやりとした心地の良い風が流れ込む。アトリエには相も変わらず本棚が所狭しと並べられ、その他ヘンリー自身の作品や両親の好きなキャラクターのグッズがズラリと並べられた棚も無数にある。最後に来た時よりもまたほんの少し物が増えている印象だった。


「あのー父さんたち、ちょっと良い?」


「おや二人一緒かい?エイトが締め切り前のこの部屋に来るのは珍しいね、いつもは手伝わされるって近寄らないのに」


「あら二人とも、お腹すいた?」


 内心では相当なプレッシャーを感じているだろうに、散らかった作業机には普段通り穏やかな父ヘンリーと母ジェシカの姿があった。メイドのエストリンとリラもこのタイミングでの二人の来訪に不思議そうな表情を浮かべつつ、わざわざ作業の手を止め挨拶してくれた。父以外の三人も実は漫画家ということは当然なく、父に泣きつかれてアシスタントをしている。


「いやまぁちょっと、まずは父さんに見せたい物があって」


 エイトは携帯をヘンリーの顔の前まで持っていって直接画面を見せた。


「これなんだけど」


 ヘンリーの目が一瞬カッと見開かれたのをエイトは見逃さなかった。


「‥‥‥ウィル?これをボックスの本人のアカウントが宣伝してるのか」


 その名を聞いたジェシカも驚きの声を上げる。


「ウィルさん?何かあったの?」


 ジェシカにはレナが携帯を見せ、メイドたちも近くに来て画面を注視する。


「第三者によるなりすまし‥‥‥というかアカウントの乗っ取りなのか、ウィルおじさん本人なのか分からないけれど」


 ヘンリーはすかさず自分の携帯を操作した。恐らくウィルソン教授本人に掛けているのだろう。同時にパソコンからも誰かに連絡を取り、しばらくの間はジェシカと手分けして関係各所を当たっていた。だがさしもの父もこれまで散々捜索して手掛かりを得られなかったウィルソン教授の現状について、この短時間で新たな情報を得ることはできなかったようだ。いくつかの手を講じた後は作業に戻りはしたものの、携帯やパソコンをしきりに気にしていた。エイトとレナがアシスタントをやらされる時の席からその様子を眺めていると、ヘンリーは一度顔を上げて話し始める。


「ふぅ、仮に本人であると分かればそれだけで吉報なのだがね‥‥‥‥‥‥まぁこうなった以上ここのプロジェクターに映してみんなでその放送を観てみようか。それまでに全力で今日の分を終わらせよう!こうしてエイトとレナも来てくれたことだしね」


「えっ?」「えっ?」


 何となく嫌な予感がしていたエイトとレナは有無を言わさずしっかりと巻き込まれ、メイドたちもこれには思わず笑っていた。二人は気は進まないながらも無意に携帯を眺めて過ごすよりは遥かに有意義かと諦め、黙々と作業を手伝う。しばらくの間は慌ただしくもなだらかないつも通りの時間が流れ、やがて配信予定時刻が迫ってきた。


「よしみんな、本当にありがとう!お礼は弾ませてもらうよ。これでどうにか目処はついたから後は僕一人で大丈夫だ。作業はここまでにしよう」


 まだ結構な量の作業が残されているように思えたが、プロである父が大丈夫というのなら大丈夫なのだろうと信頼しエイトは手を止めた。ヘンリーは一見平静を装っているが、ウィルソン教授が行方不明になってからは長い漫画家生活の中で初めて数度休載したほど気を揉んでいた。本当は今も気が気でないはずだが今は見ての通りきちんと仕事をこなしているので、過剰に心配するのも良くないだろうとエイトは己に言い聞かせる。


 作業を切り上げたヘンリーとジェシカは作業机を離れ、プロジェクターが置かれたセンターテーブルに山積みの資料をテキパキと片付け出した。センターテーブルを囲むようにソファーが置かれたそのスペースは編集者との打ち合わせ用のはずだが、最近は使っていなかったのかソファーにまで本が積まれている。それを見たエイトとレナも片付けを手伝い、一方でエストリンとリラは給湯室へ向かう。その間にもヘンリーは色々な人物に連絡を取っている様子だった。そうして皆で片付けたスペースにハワード一家が落ち着くと、先に給湯室から戻っていたリラがパソコンとプロジェクターの準備を手際良く済ませており、エストリンは後から紅茶とお茶請けを運んできてくれた。


「では映します」

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