第5話青春の終わり(2)

「全く二度も言わせるなよ、お前たちが残っても仕方ない。世界が滅ぶか俺が封じられるか二つに一つ、魔王は初めからそのつもりでこの魔法を行使したのだろう」


 その言葉の後で黒の騎士から迸る魔力が増大するのをいち早く察知した修道女は、すかさず彼に駆け寄ろうとしたものの間に合わず、黒の騎士は手にした剣に全身全霊の力を込めて虚空を切り裂いた。囚われた世界から外へと繋がる門がこじ開けられる。


「アスッ!?何を勝手にっ!!!」


「俺はいつだって勝手だったろう?エリー。お前たちの前から黙って消えた時も」


 開かれた門から外界に向かって凄まじい突風が吹き荒れた。悠然と佇む黒の騎士とは正反対に、三人は荒れ狂う暴風のような闇の魔力に吹き飛ばされまいと、足場も掴むものもない場所で魔法の力だけを頼りに必死に耐えながら黒の騎士に呼び掛ける。


「アス!君は勇者として完成した僕を打ち負かすと言ってただろう!?だから共に魔王を倒すと!!それなのにいつ出れるかも分からないこんな場所に一人きりで‥‥‥!!」


 白金の戦士は悲痛な面持ちで必死に訴えかけた。例えそれが互いの命を賭した約束であろうと、今この場で失えない友の心を揺さぶるために。


「それはお互いやるべきことを全て片付けるまでお預けだ。イーサン、お前の夢にも興味がある。ほんの少しな」


 夢、その一言を耳にした瞬間に白金の戦士が言葉に詰まると、蒼の魔導士が涙ながらに震える声を張り上げた。


「ねぇ!アスッ!私まだ何も訊いてない!!今までどこにいたのか、あの日何があったのか!!本当は私たちに話したいこともっとたくさんあるんじゃないの!!?」


「ああ、ある。だから今生の別れのように言うな、アン。お前たちにはいつか話すさ」


 さらに呼び掛けようとして堪えられずじりじりと外の光へと押し流されていく二人に対して、修道女だけが魔力の流れに逆らい一歩また一歩と黒の騎士へと向かって踏み出した。だが見えない壁に阻まれるようにその歩みも途中で止まり、騎士までは届かない。彼女は震える両手で大きな杖の柄の端を握りしめ、先端を騎士に差し出した。


「私も残るからこの杖を掴んで引っ張って!!掴みなさい!!アス!!!」


 強い語気にはあまりに不釣り合いな、今にも泣き出しそうな顔だった。


「なんて顔だ、また会った時に気恥ずかしくないよう笑ってろ」


 黒の騎士は杖を掴むことも歩み寄ることもせず、ただ真っ直ぐに修道女を見つめた。体を押し出す魔力の勢いはあまりにも激しく、もう説得する余裕はないと判断した修道女は最後の力を振り絞るかのように、片手を前に突き出して懇願した。


「ならその剣‥‥‥レムナントを私に貸して!代わりにこのアルテミシアをあなたに預ける!!」


 その言葉を聞いた黒の騎士は、他の誰かに預ける日が来るとは夢にも思わなかった愛剣を躊躇いもなく宙に浮かすように操って、突き出した手が柄を握れるようにそっと渡した。


「失くすなよ、そいつは俺の一部なんだ。帰ったら真っ先に取りに行く」


 剣を預かった修道女は正反対に、目一杯の力を込めて大きな杖を黒の騎士に投げつけ、よろめいて後退った。二人にとってこれまでの戦いの命綱であり、救世を成し遂げた二つの神器が入れ替わる。修道女は渡された剣の刃を気にも留めず両腕で抱え込み叫んだ。


「その杖は‥‥‥最悪失くしても良いけどその時はちゃんと謝りに来なさい、何を差し置いても!!分かった!?絶対よ!!絶対にっ!!!」


「ああ約束する。またな、エリー」


 これで話は終わりだと言わんばかりに黒の騎士は器用にも片手で兜を脱ぎ、仲間たちに向けて不敵に笑った。応えるように修道女もいつも通りのどこか呆れたような笑顔を見せる。その顔を見た時、黒の騎士の脳裏にこれで見納めになるかもしれないという弱気な考えが去来した。そしてもう声は届かないだろうとの油断も手伝ってか、彼は生まれてから一度も口にした覚えのない言葉をつい口走りそうになる。彼を知る者達からすれば本当に、らしくもない言葉だった。


「あ‥‥‥‥‥‥」


 だからだろうか、たった一言が喉の奥で焼き付いたように咄嗟に出て来なかったのは。もう声は届かないと思っていても、それでも言えなかった。黒の騎士の大切な人の多くが彼の手の届かない場所で露と消えた。苦い記憶が積み重なり、いつからかその感情は心の奥底に深く沈めるほど確かな輪郭を描き、口にすれば泡沫の夢のように消えてしまうとそう思い込んでいたのかもしれない。


 上手く声を出せなかった黒の騎士は先程とは違った照れ隠しのような笑みを溢すと、一秒でも長くその姿を見ていようと必死に闇の奔流に抗う仲間たちへの魔力の放出を強め、強引に押し流して門を閉じた。最期の瞬間まで修道女は胸の下に手を押し当て必死に叫んでいたように見えたが、あちらの声も当然ながら届きはしなかった。己の言おうとしたことも伝わったとは到底思えないが、どちらであろうと後悔はない。


「‥‥‥出血が止まらないか‥‥‥だが気付かれてはいないな、良かった」


 こうして世界を救った三柱の光と一柱の闇の運命は遠く分かたれた。皆が再会の時を希い、無情にも時は流れた。

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