序章 青春の終わり(1)
アルテナ歴1220年、レヴィアタンの月12日──
旅の途中いつか見た、オーロラ揺らめく星空の彼方へ放り出されたかのように美しくも空恐ろしい世界。天地も方角も果ても不確かなこの場所で、人類の悲願を成し遂げたばかりの四人の英雄は途方に暮れていた。その重苦しい沈黙を、闇色の剣を手にした黒い甲冑の騎士が破る。
「さて、どうしたものか。この異界は主たる魔王を失い消え去るどころか膨張しているようだ。看過すればやがて俺たちの世界も飲み込まれる」
すました様子でいるがその甲冑は左胸を中心として大きく十字に引き裂かれており、激戦の後を物語っていた。
「‥‥‥どうしたものか、ね。あなたがそういう時、いつだって覚悟は決まってる。そうでしょ?」
ツンとした態度で言葉を返したのは、所々破れた紺のローブを着て手には大きな杖を握る修道女。黒の騎士は顔の見えない兜の奥でふっと笑うような息遣いをして、事も無げに提案した。
「俺が此処に残って膨張を押し留める、お前たちは先に脱出しろ。この世界に満ちた闇の魔力はお前たちには猛毒だが、俺の傷には良い薬だ」
この場にいる者たちは、彼がそう言い出すことは分かっていたと言わんばかりに目配せをした。そして顔まで覆い隠す黒の騎士とは対照的に、サークレットのような兜と白金の鎧をまとう戦士が穏やかな声で言葉を返す。
「‥‥‥アス、こんな不安定な世界に君一人を置いては行けないよ。成すべきことは成したんだ、皆で残って他の方法を考えよう。少なくとも君のその傷が塞がるまでは」
騎士の壮絶な傷跡を不安げに見つめる戦士の傍ら、蒼のドレスに身を包む魔導士も「そうだよ」と呟きその意見に追随する。
「子供の頃からどんな時も助け合い励まし合ってここまで来た、誰か一人でも欠けていたら今日に辿り着けてない。私たちは四人で一つ、でしょ?」
全員でこの場に残ることを当たり前のように語る二人に対し、それを聞いた修道女はゆっくりと首を横に振る。
「あなたたち二人は先に戻りなさい。魔王聖伐を成した勇者とそのフィアンセが凱旋しなければ人類の勝利とは言えないでしょう。私がこの人と一緒に残って後から必ず連れて帰る、心配しないで」
その言葉に蒼の魔導士はまるであなたの考えなどお見通しと言わんばかりに修道女の顔を覗き込み、笑いながら語り掛けた。
「ダーメ、一人喪わば凱歌を上げず。私が好きな聖者の影のモットー、私たちも同じ」
「あなたねぇ、別に私は死ぬとは一言も言ってないわ。後から帰ると‥‥‥」
そこで青の魔導士は話を遮るように修道女の口に人差し指を当てて言い放つ。
「嘘、アスの腕の中で死ねるなら悪くないかぁって顔してるもの」
「は‥‥‥はぁっ!?!?」
何やら話の雲行きが怪しいと察した黒の騎士と白金の戦士は顔を見合わせたがどちらも特に口を挟むことはせず、姦しい二人の声だけが響き渡る。
「アスに久々に会って女の面倒臭い部分が溢れ出してるねぇ、ヤダもぅ、シスター様なのにぃ。シスター様だから?」
「私とその人はあなたたちと違って恋人でもなんでもないのだけど!?色ボケしたあなたと一緒にしないでもらえる!?」
「いいい色ボケっ!?!?私エリーの前でイーサンと何かした!?別にイーサンともアスとも同じくらいの距離感で接してたでしょ!?」
「あなた隠れてアスともキスしたってこと!?!?」
「ききききキスッ!?!?いやアスとはしてな‥‥‥あっ」
「あって何よ?どうして言葉に詰まるの?ねぇ、顔赤いけど!?」
二人が言い争う姿を前に黒の騎士は脱力し、白金の戦士はどこか愉快そうに呟いた。
「あーあ、こんな時に君のせいでケンカが始まったよ。どうするんだい?」
「俺のせい?俺は建設的かつ現実的な意見を述べただけだろ、お前こそリーダーなんだから止めてこいよ勇者様。全く女はこれだからダメなんだ、すぐに感情で語りやがる」
言い合いの途中でもそのあまりに迂闊で無神経な一言は聞こえたらしく、形勢は打って変わって女二人の鋭い視線が黒の騎士に突き刺さる。
「あららエリーさん?あちらの方もしかして今、私たちのこと女だからと見下してませんでした?典型的な古い騎士様の本性が滲み出てましてよ、そんなんじゃあこれからの時代生きていけませんわねぇー」
「分かったアン?昔からこういう人だったでしょ、勇者以外の全人類を見下し他人の神経を逆撫でする達人。こんな男の腕の中で死にたい女なんていないわ」
「別にお前らのことは見下していないがな!!女は感情に振り回されて物事の優先順位を弁えない事が多いから良くないと言っただけで!!現に今も俺とイーサンはそんな下らない言い争いはしてないだろ!!」
ついさっきまで互いの人格を強い言葉で否定し合っていたと思えない熟練の結託を見せる二人に黒の騎士が反論するも、その物言いで心象が良くなるわけもなく。
「そういう理屈っぽいところ嫌だなぁ‥‥‥弁明しようとして余計に傷口を広げてるその感じ、慣れたら可愛く見えるんだけど」
「あのねぇ、感情に任せていくつもの王権を崩壊させた男が何を言ってるのよ、一番感情に振り回されてるのはあなたじゃない、男とか女とか関係ある?」
己を誰よりも知る二人から容赦ない言葉を浴びせられ、黒の騎士は甲冑をカシャカシャと鳴らしながら多少感情的に言い返す。
「それは冷静に信念に基づいて行動してんだよ!感情に流されてたらあんな雑魚ども半殺しじゃなくブチ殺してる!!」
「フッ!‥‥‥フフ‥‥‥アッハッハッハッハッ!!!」
不穏な話の最中、急に聞こえた笑い声に三人が驚き振り向くと白金の戦士が心の底から愉快そうに笑っていた。それは常に清廉潔白であれと求められる勇者として相応しい振る舞いとは言い難いが、この場にそんなことを気にする人間は一人もいない。だからこそ彼は笑えたのだろう。
「はぁー‥‥‥全く。これがたった今魔王を討ち倒した英雄たちの姿かい?会えなかったのは三ヶ月なのにこの雰囲気がひどく懐かしいよ、やっぱりアスは面白いなぁ」
「俺は至って真面目だが!!」
黒の騎士の必死な様子が何か滑稽に映ったのか、それまで彼を糾弾していた修道女と青の魔導士も弾けるように笑い出した。滅び行く世界の中心で心底愉快そうに笑い合う者たち、その豪胆さは正に救世の英雄に相応しいと言えなくもないのかもしれない。
「はぁーあ、アスがいなくたってそれなりに上手くやれてたつもりだけど、思えばこんなに笑うのは久々だなぁ。やっぱり私たちは四人で一つだよ」
「まぁ‥‥‥そうね。このまま四人でいるのも悪くないかもね。私たち、こんな闇に負けないわ」
そしていつの間にか三人の気持ちは固まっていた。黒の騎士はしてやられたと、そう感じる。確信は持てないが、戦士と魔導士は修道女を納得させ全員で自分を説得するために、あえて場の雰囲気を弛緩させたのではと勘繰らずにはいられない。騎士は甲冑の下で眉間にシワを寄せながら三人を見渡した。
深い親愛を宿した眼差しで己を見つめ返す仲間たち。それは誰よりも強い心と力を宿した底抜けのお人好したち。この三人は一人を見捨てる判断はしない。しかし黒の騎士からすれば彼らはここで死ぬ恐れのある選択をして良い者たちではなかった。騎士として守るべき三人を道連れには出来ない。それが彼の出した結論であり、修道女が言うように最初に口を開いた時から心は決まっていた。
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