第2話 始まりの事件(2)
キスリラがスクリーンに配信画面を映す直前、エイトは配信の存在を知った時からほんの少し気になっていたことを口にする。
「これなんで19時開始じゃなくて18時58分開始なんだろう」
「‥‥‥日の入りの時刻かもね。どうしてかは分からないけれど」
ヘンリーは推測出来る範囲でそれらしき見解を述べたが結論など出るわけもなく。映し出された配信画面のとある数字を見た瞬間、エイトの些細な疑問は頭の隅に追いやられた。
「なっ!?!?まだ始まってないのに同接150万!?こんな数字、あの人以外では見たことないな‥‥‥」
エイトの言う同接とは同時接続数の略称でありリアルタイムの視聴者数を表す。この放送は何らかの事件の一幕と言える可能性があるので比べるものでもないが、仮に国内トップクラスの配信者が重大発表と銘打った放送でもこの半分にも届きそうにない異次元の注目度だった。
「そうだねぇ‥‥‥本人なら失踪していた有名人、本人以外がボックスのアカウントを動かしたなら歴とした犯罪だから注目されてるのかな。時間通りに始まるか‥‥‥そもそも悪戯で配信自体ない可能性もあるのに、これだけ人が集まるなんて」
レナのそんな心配を他所に、配信中を示すライブの文字が画面右下に表示された瞬間、スクリーンには白背景を背負い黒のスーツ姿で椅子に座るウィルソンが映し出された。全員が驚く中ヘンリーは大きなスクリーンに少し顔を近付けながら呟く。
「ウィル‥‥‥?やつれているが本人に見える‥‥‥‥‥‥時間ピッタリなのも几帳面な彼らしい」
まだここに至る経緯が何一つ分からないだけに、配信者の謝罪動画に似たスタイルには驚かされた。生放送に本人が映ったなら犯罪に巻き込まれた線は薄いと考えられるのは幸いだが、現代だとこれだけでは本人という確信も持てない。ただ、この場の人々が見知ったウィルソンよりも痩せこけてどこか鬼気迫る表情は、やはりフェイク映像ではないのではという思いを一層強めた。
『皆様、大変ご無沙汰しております。日頃お世話になっている方々に何も告げず長い間行方を眩ませたばかりか、このような形でお目に掛かります非礼をどうかお許し下さい。特にこれまで私と親睦を深めて下さった多くの方々、辞表を公表せず胸の内に留めて下さった学長には本当にご迷惑とご心配をお掛けしてしまいました。誠に申し訳ありません』
「やはり己の意志で‥‥‥?しかし辞表とは‥‥‥学長は僕にさえ‥‥‥‥‥‥」
ウィルソンの話に絶句したヘンリーを始め、その場の全員が衝撃を受けた。真面目で実直な人物が長い間失踪していたのだから当然の話かもしれないが、理解が追いつかない。挨拶を終えたウィルソンは椅子から立ち上がり深々と頭を下げたが、画角の調整が上手く出来ていなかった。それを見たエイトはふと協力者はいないのだろうかと感じる。教授は長い礼をした後に着席し、一拍置いて話を再開した。
『私は今日、人魔大戦時代のある真実についてお話しさせていただく為にこの場を設けました。それは多くの方々にとって受け入れ難いものであるでしょうが、それでもより多くの方の目に触れて欲しいという想いがあり、このような形で皆様にお届けする運びとなりました』
「父さん、何のことか分かる?」
「いや‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
言葉少なに否定した父は、エイトの目には何となく思い当たる節があるような訳知り顔に見えた。父の顔を覗き込んだ一瞬、母と目が合った。エイトは母も同じことを考えているのではないかと感じた。
『私が皆様にお伝えしたいのは、歴史の影に消えた一人の英雄のお話です。そしてなぜ彼が歴史から抹消されてしまったのか、その理由をこの場を借りてお話しします』
エイトはウィルソンと父の顔を交互に見ていた。レナも同じだった。ヘンリーはこの英雄の話に何か心当たりがありそうに見えた。
『彼の英雄の名はアスティマ・ヒール。人魔大戦終戦のおよそ二十数年前に生を受けた彼は、歴史上最年少で聖堂騎士団の序列二位、大審問長官へ任命された天才騎士です』
エイトはウィルソンが口にしたその名前自体には覚えがあった。
「‥‥‥アスティマ・ヒールだって?それってマイナーな都市伝説じゃないか、いつか僕も姉さんに話したな。聖堂騎士団の中でやけに出撃記録が多く戦死の記述がない若い騎士がいた、みたいな。その人が聖堂騎士団で二番目に偉い人だったってこと?」
「あぁ、いつだったか言ってたね。でも歴史から抹消されたって何だろう‥‥‥?」
『今私の左右に資料を映します。私の右手側が一切改竄されていない当時の階級表、左手側は何者かが手を加えた階級表です。原本は最高大総監シルヴェリオ・カロッゾを頂点としてその下に大審問長官アスティマ・ヒールとあり、次に現在の歴史で序列二位とされるオースティン・クラークの名があります。写しではオースティン卿が繰り上げられていますが、彼の役職はアレクサンドリア大司書のまま。しかし現在までに発見されている各国要人の記録には度々、聖堂騎士団の大審問長官から審問を受けた‥‥‥との記述が登場します』
「‥‥‥そう言えば、聖堂騎士団には不自然なほど記録の少ない役職がある、そういう話も前々からありますね。これもネットが広まってから世に出た話のようですが」
教授の話を受けたエストリンの言う通り、近年になって大審問長官という謎に包まれた役職の話題は度々表に出てきてはいた。
「でも肝心のアルテナ正教会側の資料が見つかってないんだよね、確か。だから暗殺とかの暗部を担ってた役職じゃないかって黒い噂もあるけど‥‥‥」
エイトがそう話した時、教授が丁度その話題を口にするところだった。
『ですが本当に重要なのはアスティマ卿の階級ではないのです。アスティマ卿は今や現人神として崇められる勇者イーサン様、聖女エレノア様、蒼天使アンジェリカ様と同じ故郷で育ち、同じ学舎に通い、同じ旅路を歩んだ人物なのです。つまり彼は歴とした勇者一行の一柱であり、アルテナ正教会に選定されしエレノア様の騎士でもあったのです』
その話は現代人にはまさに寝耳に水でありエイトとレナは困惑して目を見合わせる。
「ええ‥‥‥?最年少大審問長官で勇者一行で聖女の騎士?盛りすぎじゃない?」
「本当だったら大戦時代の最重要人物だけど教科書には名前も載ってないね。お父さんは聞いたことある?」
「‥‥‥ああ、黎明の騎士アスティマ様、我らが神祖様方と一心同体だった御方さ」
呆然とした様子で何の気無しに告げたヘンリーに周りの全員が驚き同時に彼を見たが、ヘンリーからはそれ以上の言葉はなかった。
その後もウィルソンは淡々と話し続けた。現在の歴史が語る「勇者一行は三名で、他に聖堂騎士団の実力ある騎士たちが交代で護衛していた」という話の違和感、矛盾点。高名な騎士たちは詳細な行動記録が残されているため恒常的な同行者にでっち上げることが出来なかったという推察、またある時期に勇者に同行していたとされるオースティン卿が、同時期にアレクサンドリア図書館の管理に忙殺され外出できる状態では無いと、他ならぬアスティマ卿に宛て認めた直筆の手紙という新たな資料の提示も行われた。
大英雄オースティン卿の直筆の手紙など本物であればそれだけで歴史的な発見だが、それが件のアスティマ卿に宛てたものなら本来は世界中の教科書に載るべき資料のはずだ。そんな品を一体どこから見つけてきたのか、果たしてこの手法で公開すべきなのか、彼を信頼する人々からしても疑問は尽きない。
一介の視聴者ならば尚のことで、チャット欄の反応は半信半疑といった様子だ。全てはウィルソンの社会的信用次第だが、それでもこの時点で同時接続数は700万に達していた。ボックス内で世間の関心事をまとめたトレンド一覧でもぶっちぎりの世界1位になっている。ウィルソンは以前、人魔大戦時代の暗号化された記録の数々を紐解いて聖堂騎士団に存在した謎多き精鋭部隊の存在を暴き出し、それを題材として記した著書「聖者の影」が世界中でベストセラーを記録していた。それでこれほどまでに注目を集めているのだろう。しかしエイトには色々と腑に落ちないことがある。
「‥‥‥‥‥‥確かに事実なら凄い話だけど、ウィルおじさんはいつもみたいに正式に論文を発表するとかではなく、アレクサンドリアでこの話をするために失踪したってこと?なんでだ?」
「そうね、なんでだろう‥‥‥‥‥‥あっ、おじさんってクラーク家の遠縁に当たる人じゃなかった?だとしたらアレクサンドリア大司書オースティン様の意志を継いで、現代のアレクサンドリアから歴史の真実を‥‥‥みたいな?失踪したのは単に世界中股にかけて資料を集めてたとか。それはないか」
レナの自信なさげな推察に対してエイトは「なくないかもよ」と感心したように呟き、ヘンリーもその意見についての見解を述べる。
「オースティン様のご遺志を‥‥‥か。それはあるかもしれない。ただ失踪については、そうだね‥‥‥本人の話を待とう」
父もそういうならレナの考えは一部当たっているのかもしれない、エイトはそう思った。ただいくら研究に没頭しやすい彼でも、事前に仕事を辞めて失踪騒ぎにも気付かないほど夢中になるというのは考え難い。大体、仕事を辞めたら肝心の研究に支障が出るはずだ。
『‥‥‥では私の話は一度ここで区切り、今から私など比較にもならないほどアスティマ卿に詳しい方へのインタビューを放送させていただきます。ご覧下さい』
「‥‥‥詳しい方へのインタビュー?」
そう呟いたヘンリーの不安げな顔をエイトは見逃さなかった。インタビュー映像は真っ白な部屋で質素な椅子に腰掛けたウィルソンを斜め後ろから映したもので、映し出された範囲には室内装飾もなく視覚から得られる情報は極端に少ない。ただ教授の正面は段上になっていて取材の相手は段差の上にある椅子に腰掛けており、その膝下付近だけが映るようになっていた。相手の椅子も簡素なデザインのものだが、煌びやかなドレスの裾とこの構図から、高貴な身分の人物であることを暗に伝えようとする意図が感じられた。
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