第14話大浴場の尋問(1)

アルテナ旧暦2022年サラマンドラの月20日──

(エレノア歴752年7月20日──)


 アスティマはエリカと共にエストリンの案内を受け、ハワード家の大浴場を目指し廊下を歩いていた。白を基調にした色合いの壁や天井には細部にまで金色の装飾が施されており、その美麗さは見慣れないインテリアの数々と共に度々アスティマの歩みを遅らせた。ついさっき着替えたばかりだが、その手には周りの勧めで新しい替えの下着やタオル、ついでにメダリオンを入れた篭を手にしている。エリカに言われるまでしばらく体を洗うつもりはなかったので仕方ないが、これなら着替える前に入浴すれば良かったなどと考えながら歩を進める。


「お待たせいたしました、この先が大浴場の脱衣所です」


 エストリンが示した先の扉は開きっぱなしで、あまり見覚えのない薄い布が仕切りのように垂れ下がっている。


「‥‥‥ノレンだったか。この屋敷、ユースティアの装飾に混じってところどころアマテラスの装いもあるな」


「そりゃそうでしょ。アマテラスだし」


 アスティマの言葉に、エリカは何を当たり前のことを言っているのかと呆れた雰囲気で返した。アスティマがノレンの吊り下がった入り口をくぐり脱衣所に入ると、一面ブラウンのタイル調のいかにも高級感漂う空間が広がる。案の定、住人の数に対して広過ぎる室内には過剰に多い棚と篭がズラリと並べられ、休憩用の長椅子も用意されていた。壁際には部屋の雰囲気に良く合うデザインのチェストやクローゼットが置かれている。


「八人しか暮らしていない家に大浴場とは‥‥‥‥‥‥庭師も見当たらないが、本当に執事一人とメイド三人でこの屋敷の管理は間に合ってるのか?」


 アスティマはずっと気になっていた屋敷の規模に対する人の少なさについてエストリンに尋ねた。


「はい、主要なエリア以外は月に数度の清掃で構わないとのご指示ですので、十分間に合っていますよ。お庭の手入れは主にセバスチャン様と旦那様がなさっています。ハワード家の方々は我々に任せきりではなく、皆様もご自身の生活スペースや屋敷全体のお手入れをなさるのです。勤倹尚武がハワード家の家訓でして」


「良い心がけだ」


 アスティマは一人で見回っていた時に見た屋敷の広さや埃の有無を思い返し、八人でも相当な手間だろうとは思いつつ、屋敷の住人の数と出入りする人間の有無については分かったのでそれ以上は話を広げずにいた。しかしいつの間にか長椅子に腰掛けていたエリカに見られていることに気付き「何だ?」と尋ねる。


「薄々勘付いているでしょうけど、屋敷が無駄に広いのはこの建物のカタチ自体が結界の一つを構築してるから、使用人が少ないのは門の秘密を守るために、つまり面倒なのはアンタのせいってワケ」


 エリカは指を差しながら何やら理不尽なことを言ってきた。


「そうか、お前はこの屋敷が建てられた当時の事情を知っているのか。だが面倒なことになったのは俺ではなく魔王のせいだからな?」


 アスティマがエリカに言い返している間に、近くの棚に元々置かれていた篭をエストリンが退けて別の篭に重ね、アスティマが手に持っていた篭をそこに置くようにと促す仕草をしたのでその通りにする。


「アスティマ様、今ご着用されている下着は隣の篭へお入れ下さい」


「こんなにすぐ着替えるのも贅沢な話だが‥‥‥」


「ふふっ、お気になさらず。私が中で設備についてご説明いたしますので、必要でしたら篭の中のタオルや水着‥‥‥水場用の衣服をお身体を隠すためにお使い下さい」


 エストリンはわざわざ水着について言い直したが、セバスチャンが気を利かせて篭に入れた時に説明していたので覚えている。篭の中にいくつかあるそれらはセバスチャンが一度も着ていない私物らしく、ゴムという素材で伸び縮みするので大柄な彼よりさらに体格の良いアスティマでも着れるはずだと言っていた。しかし浴場で布をまとうのも面倒だとは思っている。


「俺は隠さずとも別に‥‥‥見苦しいか?」


 アスティマが反応を伺うようにエストリンに視線を送りながら訊くと、彼女は「いえ、そのようなことは全く」と言いながらも、アスティマが服を脱ぎ出すと視線を外した。共に中に入るなら裸の上半身はどちらにせよ見ることになると思うのだが、単に着替えを見るのは失礼という考えだろうか。アスティマとしては裸の方が色々と都合は良いが、初対面の女の前で下腹部を丸出しにするのは酷な上に間抜けかと考え、水着を手に取った。


「大きさはどれもさほど変わらないか‥‥‥よし」


 アスティマはポケットがある黒の水着を選び、篭の中のメダリオンをポケットに押し込む。アスティマが着替え終わったことを伝えると、エストリンが振り向いた。


「緩くないですか?」


「少し緩いな」


 アスティマがそう答えると、エストリンはアスティマの前に跪いて水着の紐に手を伸ばし、手早く解いて優しく引っ張った。


「失礼します‥‥‥どうでしょう?このくらいで良いですか?」


「そんなことは自分でやる。騎士は紐を結ぶのは得意だ」


「ふふっ、メイドも得意ですから。では締めますね」


 そうして二人が和やかに話していると、アスティマが反応できない速さで水着が突然ずり落ちた。後ろからエリカが引きずり下ろしたらしく、エストリンの目の前に英雄の大切な部分が惜しげもなく晒される。驚いたエストリンは声にならない声を上げながら尻餅をついて両手で顔を覆い、アスティマは急いで水着を元に戻しエリカを睨みつける。


「おいエリカッ!!危ないだろ!!」


「ごめーん、暇だったから。もしケガしたなら治せるわよ」


 横にちょこんとしゃがんで話しかけて来るエリカに、エストリンは顔を真っ赤にしながら「大丈夫です、失礼しました」と答え、またアスティマの水着の紐に手を伸ばそうとした。アスティマはそれを手で制し自分で紐を結ぶ。エリカの一見唐突で配慮に欠けただけの行動の意図はアスティマには何となく察せていたが、そう思われないように振る舞う。


「人の爪など簡単に剥がれるからな?せめてエストリンが紐に触れる前に‥‥‥」


「そういやこの広さの浴場にどうやってお湯を貯めてるのかしら?実は魔法使ってる?それとも温泉?」


 どこまでもマイペースなエリカはアスティマの話は無視し、素朴な疑問を口にした。だがそう言われるとアスティマも気になる。


「言われてみれば‥‥‥家の住人は揃って出掛けていて、さっきまではリビングとキッチンにいたのに準備ができているわけか」


「アスティマ様がお食事の後にお身体を清められると思いましたので、お料理と並行して準備いたしました。キッチンにも別の出入り口がありますので抜け出して。今は機械や電気のお陰で簡単にお湯を張れるんですよ」


「電気か‥‥‥魔法が衰退した後に人類がこれほど繁栄するとはな」


 アスティマは一人で屋敷を探索していた時に人を感知して光る照明が気になりしばらく眺めていたのだが、ついさっき三人で廊下を歩いている間も、無人の時は作動していなかった見慣れない設備の数々につい見入ってしまった。それを見兼ねたのか、エストリンがあれらは電気という現象を利用していると教えてくれた。魔導具のように明るく安定した光を放つ照明、天井でクルクル回っている扇の元締めのようなもの、真夏だというのに冷たい風が流れてくるあちこちの隙間、アスティマにとってこの屋敷は魔王の城に勝るとも劣らぬ神秘の宝庫だった。


「それでは浴場へ参りましょう」


 そう促すエストリンを前にアスティマはエリカに視線を送る。それはここで仕掛けるという合図だった。エリカはその一瞬の目線を見逃さなかった。


「エストリン、お前も入ったらどうだ?」


「‥‥‥えっ?ですからそのつもりです。お二人だけでは中の勝手がお分かりにならないと思いますので」


 アスティマに後ろから声を掛けられたエストリンは振り向き、当然ながら戸惑った様子で答える。浴室に向かっているのにそう言われても意味が分からないだろう。


「ああ、案内ではなく。浴室に来たなら浴槽に浸かるべきじゃないか。裸の付き合いというヤツだ」


 エストリンはなるべく感情を表に出さないように気遣ってはいるのだろうが、それでも微かに目を見開いた。


「はだ‥‥‥私もですか?」


「わぁ、気持ちわる~い」


 エリカは長椅子から立ち上がりながら、女性の目線では当然の反応を見せる。それは正直な感想でもあるだろうが決してそれだけではない。そしてアスティマはエストリンに己の意図がそれとなく伝わるよう、逃げ道を用意する。


「悪いが俺は疑り深くてな。俺たちに何か隠している話があるなら今言ってもらえれば、別にそのようなことも不要なのだが」


 浴室に体を向け背中越しにアスティマを見ていたエストリンは、真っ直ぐに向き直りじっとアスティマの目を見る。とても嘘を吐いている人間の態度には見えないが、生憎とアスティマは同じような態度で嘘を吐く人間をこれまでに大勢見てきた。


「‥‥‥まだお伝えしきれていないお話は多々ございますが、隠し事などございません。お二人の憩いのひと時に私などをお誘いいただきありがとうございます」


 エストリンは落ち着き払った様子でそう言い、軽く頭を下げる。アスティマはその態度に感心し、エリカも小さく「へぇ‥‥‥」と声を漏らした。


「よろしければ私が知る範囲でこの時代について色々とお話しさせていただきまして、僭越ながらお背中をお流しいたします。一度水場用の衣服に着替えますので、少しだけお時間をいただけますか?」


 エストリンは声に動揺を滲ませず淀みなく話した。アスティマには分かっている、エストリンはメイドとして己の提案に逆らえないことを。しかし別の選択肢を提示したにも関わらずシラを切られるのはあまり望ましい展開ではない。


「悪いが背中は結構だ、言っただろう疑り深いと。だからここで脱げ、全て曝け出すか心当たりについて話すか、二つに一つだ」


 決定的な言葉を投げ掛けた。到底受け入れ難い理不尽な要求のはずだが、エストリンは果たしてどちらを選ぶのか。


「‥‥‥‥‥‥承知いたしました、ではお目汚しを」


 そう言ってエストリンはカチューシャを外し近くの棚に置き、エプロンドレスに手を掛ける。アスティマがわずかに顔をしかめたことを知ってか知らずか、手慣れた様子で背中の結び目を解いてエプロンドレスを脱ぎ、畳んで篭に置く。そのまま棚の方ではなく何故かアスティマに向き直ると、ワンピースの後ろに手を回す。エストリンの背後ではエリカが「へぇ~今のメイド服ってそうなってるのねー」などと呑気なことを言っていた。背中を開いた後は袖のボタンを外し躊躇うこともなくするりと袖から腕を引き抜く。ワンピースの上部がまくれ、下着に覆われた豊満な乳房が露わになる。アスティマはその魅惑の胸元ではなく、腕や腹の筋肉を観察していた。じっと見つめられても彼女は感情の読み取れない表情のまま、屈んでワンピースを脱ぎ去り手早く畳み篭の中に重ねた。アスティマはその間もエストリンから目を離さない。手足がスラリと長く均整のとれた体つきだが、胸や太ももの肉付きが良く男好きのしそうな体型だった。動きの端々に確かな筋力を感じられたが、その体には想像よりも筋肉は浮かび上がっていない。


「‥‥‥良くないな、肌を見せるよりも隠すべきことなのだろうか」


 アスティマが己のうなじに手を回しながら呟くと、エストリンはまたアスティマの方に向き直る。


「あなた様が人前で肌を晒すことをいとわぬように、私にもやましいことなどありません。ただこのようにあなた様の鍛え抜かれた御体と並んでは、だらしのない体だと思われてしまうかもしれませんが‥‥‥」


 エストリンは伏し目がちに少し頬を赤らめてそう言った。


「だらしない?どちらかというとこの国の‥‥‥何と言ったかな、くノ一のような引き締まった体だ」


「光栄です」


 エストリンの立場では根拠もなく疑われ理不尽な要求をされているというのに、それについて尋ねもしない。主人が神と崇める英雄相手だからか、それとも疑われる心当たりはあるのか。全てを曝け出せと言う言葉通り、エストリンは下着にも手を掛ける。終始平静を装っていた彼女の微かな手の震えを、アスティマは見逃さなかった。このまま全て脱いでもらった方がこの後の事がスムーズに行えると考えたが、それは酷だと思い直し下着を脱ぐ手を掴んで止め、驚くエストリンの体を抱き抱えて素早く床に倒しその上に覆い被さった。彼女は突然のことに目を丸くしていたが、そのまま少し経っても表情から恐怖は読み取れない。


「怖くはないのか?」


「私が床に体をぶつけないよう気遣っていただいたようなので‥‥‥むしろ感動いたしました、本物の騎士様が人を制圧する手際の鮮やかさに」


 アスティマの顔を間近に、エストリンは微笑みながら言う。ここまで来ると不敵でさえあるとアスティマは感じ、エリカも「良い度胸してるわね」と声を漏らした。アスティマはもはや核心を突くしかないと判断する。


「なぁエストリン、あの時代を生き抜いた者には闇の魔力を嗅ぎ分ける嗅覚がある。お前たちメイド全員から感じた」


「闇の魔力、ですか‥‥‥?それはあなたにもあるとお聞きしましたが、それが何か?」


 アスティマのその言葉にもエストリンはたじろぐ様子はなく、淡々としていた。闇の魔力を持って産まれる人間は決して多くないことはこの時代の人間であっても知っていそうなものだが、彼女は惚けているのか。


「魔王のせいでこの世界からは精神に蓄積される融和魔力、血に溶け合う血中魔力が消え去った。今の世界で生物から漂う魔力の気配があるとしたら、それは生体魔力だ」


「あの、申し訳ありません‥‥‥魔法の知識には明るくなく‥‥‥理解が及びません」


 エストリンのその言葉は嘘ではないように思えた。知らなくとも魔法は使える知識だが、アスティマは説明を続ける。


「生体魔力あるいは魔力生体。人にとっての水のように、体の組成そのものに魔力を必要とする生物に宿る魔力をそう呼ぶ。鶏と卵のように魔力が先か肉体が先か長年に渡り議論され、呼び方も定まらない」


「無知な私にわざわざご教示いただきありがとうございます。その生体魔力というのが‥‥‥なんでしょう?」


 白々しいようで本当に無垢にも見えるエストリンの態度には取り合わず、アスティマは話を続ける。


「生体魔力は血中魔力と近しい関係にある。魔王のしでかしたことでどちらも消え去ったのではとも思ったが、生体魔力を宿す生物の代表格である龍はその後も健在だったらしい」


 どこか楽しげに体をゆらゆらとさせながら、エリカが二人の方を見てニヤリと笑った。


「そーねぇ、生体魔力も魔王の置き土産の影響をかーなり受けたみたいだけど、人魔大戦の後もいたわねぇ。魔力で身体の多くを形作る生き物たち、つまりは龍と‥‥‥」


「魔物と魔族」


「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」


 エリカの言葉を引き継いだアスティマが口にしたその単語にも、エストリンは動揺を見せず黙ってアスティマを見つめていた。


「エストリン、お前の姿と声、仕草の一つ一つが俺を高揚させ思考を鈍らせる。その感覚は忘れて久しいが、まだ闇の魔力への抵抗力が弱かった子供の頃に経験した覚えがある」


「アッハハ!いくら800年振りに美女を見たと言ってもこの朴念仁を魅了するなんて魔性の女ねぇ、すごいわよリンちゃん」


 エリカは明らかにアスティマの言わんとしていることを理解していながら、底意地の悪い笑みを浮かべながら言う。


「私はどこにでもいる女で、ほんの少しだけ優秀なメイドです。殿方を魅了する術など知りませんし、互いに肌を晒し吐息が掛かる距離にいて冷静なアスティマ様が、私に女性としての魅力を感じているとは到底思えません」


 アスティマはニヤリと微笑み、エストリンの耳元に顔を近付け語り掛ける。


「無自覚だろうがカーテシーの際にほんの僅かに肩を窄める動作をしたな。エリカがわざわざ同じ挨拶を返したのは俺が違和感に気付いていないかもしれないと思ってのことだろう。昔からあの癖を持つ者はいた」


 アスティマが言わんとしていることに気付いているのかいないのか、エストリンは微動だにせず一方で気付いているエリカは愉快そうに鼻を鳴らす。


「翼を隠す者だ。本性に翼を持つ者が翼を出したままああいった恭しい挨拶をする時には、翼を折りたたむ。その時わずかに肩が動く癖は翼を秘めていてもなかなか抜けない」


 アスティマの言葉はただの経験則に過ぎず、確証となるものではない。それでもその推測が当たっているなら心中穏やかではいられないはずだが、エストリンは未だしっかりとアスティマを見つめている。


「大変失礼いたしました、体が揺れてしまったのは緊張のためでして‥‥‥」


「エストリン。お前、魔族ではないのか?」

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