第3話 メダリオン(4)
「やだナニ、もしかして泣いてる?」
アスティマは初めて目に見えて動揺していたが、エリカの言うように泣いているようにも泣きそうにも見えない。あからさまな煽りに対しても特に気にせず相手を気遣うような眼差しを向けて言う。
「それでお前たちは‥‥‥どのように?」
出会った時から、アスティマはどんなにショッキングな話を聞かされても常に落ち着き払った態度を崩していないが、エイトは今になって彼が仲間たちに対し「死」という言葉を使うことを避けているようにも感じられた。エリカはアスティマを真っ直ぐに見上げながら質問に答える。
「龍王と戦ったわ。あのバカは古老をムリヤリ起こしたせいで焔の呪いを受けたの、死ぬまで命を燃やして魔力に変えるアレ。トーゼンほっとけばそのうち死んだけど、アンがそれまでに出る被害が大き過ぎるって言うから仕方なく戦って、流石に真っ向勝負はキツいからその呪いの力をアタシたちが奪い取ったワケ。もぉ~サイアクだったわよ」
「世界のために焔の呪いをその体に引き受けたのか‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「それが原因で半年後くらいにね。エリーの付きっきりの看病でもダメだったわ、元は龍の古老がかけた呪いだから。例の魔王の悪あがきも重なって、継続的に魔法を使うことが難しくなった後だったしね」
エリカの最期を聞いてアスティマは目を閉じた。大切な人が己の預かり知らぬところで苦しんで死んだと察してしまったのだろう。エイトにはその呪いがどういったものか正確には分からないが、アスティマはより鮮明に呪われた者がどうなるかイメージ出来てしまったのかもしれない。先ほどから自分をからかってばかりいる少女を、アスティマは膝を着き抱きしめた。
「‥‥‥苦しかったろう」
「どうだったかしら、もう忘れたわ」
かつて味わった苦しみを慮るような優しい声音で語り掛けられた少女は、アスティマの腕の中で己の壮絶な最期を何でもないことのように話した。或いは、今となってはどうすることも出来ないアスティマへの配慮なのかもしれない。現に今まで気丈に振る舞っていたアスティマはしばらくエリカを抱きしめた後、右手にメダリオンを握りしめたまま胡座をかくようにその場にへたり込んでしまった。その表情は悲しみよりも悔しさや怒りを感じさせるもので、左手が己の膝を強く握っているのが分かる。
「すまない、俺のせいだ」
「ハァ?何のコト?幽閉されてたアンタに出来たコトなんてないでしょ?」
呆れたような声音で会話を続けながら、エリカはなんとアスティマの背中に座った。見ている方はギョッとするが、二人が友人同士ならこれも良いのだろうか。アスティマが全く怒らない所を見るに、もしかするとこのエリカという人物は人前で泣けないアスティマのためにあえてこのような態度を取っているのかもしれない、エイトにはそうも感じられた。
「そうではなく‥‥‥いや、エリカ。とにかく今は一旦引っ込んでろ。過ぎたことはどうにもならない。先に他の者にこの時代についてもっと詳細に聞いてから‥‥‥」
「なぁにぃ~?もしかしてこれ以上色んな話聞かされたら泣いちゃうかもって心配してんの?キャハハハハハ!!」
背中に座っていたエリカは体を回転させて肩車のような体勢になり、アスティマの頭を抱え込む。これには流石に怒ったらしく、アスティマの声音に苛立ちが混じる。
「その態度が気に食わない、良い加減にしないとそのケツ引っ叩くぞ」
アスティマはエイトが思っていたよりも怒っていたらしい。傍目にはやりすぎに思えたが間違っていなかったようだ。
「やれるモンならやってみなさいよ!!」
アスティマから離れてファイティングポーズのような体勢を取るエリカに対し、アスティマは立ち上がって冷静にメダリオンを箱に置いたが、一向に消える気配がないエリカに戸惑う。
「何だ、手放しても消えないぞ?まさか一度出たらメダリオンに蓄積された魔力が空になるまで消えないのか?道具として扱い辛いだろ」
「女の子をモノ扱いするんじゃないわよ!」
叫ぶエリカを横目にヘンリーがアスティマの疑問に答える。
「いえ、メダリオンと一定以上の距離を取れば繋がりが絶たれるかと。ですがメダリオンからこれほど鮮明なお姿が顕れる前例は聞いたことがなく、常識で語って良いものか私にもさっぱり‥‥‥‥‥‥」
「そうか、生憎だが数々の魔導具を目にしてきた俺にもまるで仕組みが分からん」
「アタシを通り越して会話するとは良い度胸ね!」
エリカは身長差をものともせず立っているアスティマの背中に飛び乗り足を使って首を締め上げ、アスティマは脇の下に手を入れたり太ももをくすぐったりして引き剥がそうと抵抗する。そのじゃれ合いを見るにやはり実態があるように見えるが、アスティマさえ戸惑うこのメダリオンとは本当にどういう仕組みなのだろうか。そうして二人が揉み合っている中、ヘンリーがアスティマに跨るエリカの背後に跪いて声を掛けた。
「あの‥‥‥エリカ様。申し遅れましたが私、聖ハワード家第33代当主ヘンリー・ハワードと申します。あなた様無くして今日の世界と我ら一族はありませんでした、心より感謝いたします」
「あっそう、それはそうよ。よろしくね」
エリカはアスティマに乗っかったままヘンリーをあしらうように片手を振る。現代人からすれば神にも等しい相手に対して不満など抱けるはずもないが、アスティマは小声で「態度が悪いぞ」と注意していた。
「向こうのキッチンでアスティマ様の食事の準備をしている妻ジェシカとメイド三名は改めてご挨拶させていただくことにいたしまして、今こちらにいるのは我が子のエイトとレナ、それにこの家の執事のセバスチャンです」
ヘンリーの紹介を受け、立ちっぱなしのセバスチャンと違い椅子に腰掛けていたエイトはレナと共に急いで立ち上がり、深々と頭を下げながら挨拶した。まさかアンジェリカ本人とも言える人物、それも二人目の彼女と対面することになるとは夢にも思わなかったので、今まで呆然と眺めてしまっていた。三人から挨拶されたエリカは全員を見渡しながら返事をする。
「ハイハイ、よきにはからえ~。言っとくけどこの家の人間のことは何となく知ってるわよ、メダリオンの中にいても多少はね」
「あ‥‥‥そうでありましたか」
エリカの言葉に驚いたのか、ヘンリーは少し気の抜けたような返事をし、アスティマはエリカを肩車しながらふくらはぎ辺りを掴んで疑問を口にする。
「箱の中で周囲を把握していたのか?身体に触れているとしか思えない感覚もある、謎が多いな」
「アンタもしかしてアタシのうら若き体を堪能してない?このヘンタ~イ、このこの」
そう言いながらエリカはアスティマの頬や耳をつまんでひっぱたりとやりたい放題で、エイトはいくらなんでもマズイのではとハラハラする。
「お前本当にどうした、俺に怒りの感情があることを忘れたのか?」
「アンタが怒ってどうなるってゆーのよ?やってみなさいよ!」
エリカは怒られながらも何とアスティマの正面に回って腹を顔に押し当てて抱きつき、アスティマは息ができないのかいよいよ本気で引き剥がそうともがき出した。
「さっきから俺が他に気を取られてると思って何を好き勝手な!!おい、俺の頭少しお前の中に埋まってないか!?」
「キャハハハハハ!くすぐったーい!!」
くぐもった声で戸惑うアスティマを見て、エイトはこの二人の関係をふと改めて考えてしまう。男性から見たら人格が違えど親友の妻の若い頃、女性から見たら夫の親友のはずなので、そう思うと目の前の光景が何だか背徳的に見えてきた。魂の欠片はアスティマ曰く本人ではないので、別に良いのだろうか?エイトがぼんやりとそんなことを考えていると、エリカは何故かアスティマの体の匂いを嗅ぎ出しアスティマは顔を顰める。
「何だ?」
「さっき抱かれた時に思ったんだけどアンタ臭くない?」
そう言いながら無情にもエリカはアスティマの体から離れ、アスティマは心外そうに自分の体の匂いを確認している。
「‥‥‥お前、五感が全て開いてるのか?確かに甲冑で過ごす陽気ではないが、探索していた二時間ばかりでは汗を掻かないよう対策は講じていたぞ」
アスティマは自分の身体の匂いを嗅いでいたが、体臭は自分ではあまり分からないだろう。一体どんな対策をしたのかエイトたちには知る由もないが、少なくともエイトはそれなりに近くにいた時でも匂いなどは感じなかった。
「クンクン‥‥‥これは血の匂いね」
「汗ではなく800年前の血の匂いと?そんなわけないだろ」
常識で考えれば800年間体を洗っていないはずなのに強烈な匂いもなく身なりも綺麗であること自体がまずおかしいが、だからと言って大昔の血の匂いが残るとも考えらない。
「良いからさっさと浴室借りてきなさいよ」
「えっ」
エリカの突然の提案に、アスティマは何となくイメージにそぐわない声を出した。
「なんか嫌そうね‥‥‥アンタ水浴び嫌いだったもんねぇ、仕方ないから久しぶりにおねーさんが一緒に入ってやるわよ、その代わり背中しっかりと流しなさいよ!」
そう言って胸を張るエリカの頭をアスティマが素早く掴んで匂いを嗅いだ。やられたことをやり返しているだけだが、大柄の男性と華奢な少女によるその絵面はかなり異様だった。辛うじて兄と妹には見えるが、妹の頭を嗅ぐ兄は恐らくはあまりいない。
「お前は入らなくて良いだろ、死んでるのだから。何ならアンの好きだった香水の匂いがする」
「死んでるのだから!?!?何なのアンタ本当にデリカシーないわね!」
「お前に言われたくない」
アスティマは不服そうに言い返す。第三者のエイトからしても「死んでるのだから」は凄まじい一言だが、アスティマは「魂の欠片を本人とは思わない」と言っていたわりには本人のように接しているので考えようによってはまだ優しく、エリカの発言もなかなかなのでどっちもどっちの感もある。
「もう良いからさっさと行くわよ」
「待て、お前は一旦消えろ。メダリオンの詳しい構造は分からないがそうして顕現しているだけで中の魔力が失われるはずだ。魔力を無駄遣いするな」
「アンタのためにこうして出て来てあげたのに無駄遣いですってぇ!?もう良いわ、裸で決着付けようじゃない!アンタはあの鎧がないとアタシたちの中で一番弱いってコト、よぉ~く思い出させてあげるわよ!」
エリカが鎧立てを指差して言う。
「何で人様の家の浴室で喧嘩するつもりなんだ」
「アタシの家も同然だからいーのよ!」
浴場に向かいたいエリカと嫌がるアスティマの攻防を見兼ねたのか、ヘンリーが二人に割って入った。
「お体を清められるということでしたら人に案内させますが」
この時、ヘンリーの提案を受けたアスティマは一瞬何かを考えるような素振りを見せた後に、少し意外なことを言った。
「ああ‥‥‥それならあの年長のメイドを呼んでくれないか。これ以上子供に気を遣うのは辛いからな」
もうエリカが付いてきそうなことは諦めたのかなとエイトは疑問に感じたが、全く折れそうにないからだろうか。
「承知致しました、私とセバスチャンはこれからアスティマ様のお部屋の準備を致しますので、彼女が適任かと考えていました」
そう言ってヘンリーはキッチンへ向かおうとしたが、その背中にアスティマが声を掛けた。
「ヘンリー、お前さっきエリカに何か話そうとしたように見えたが、良いのか?」
エイトはレナと顔を見合わせる。少なくとも子供たちは何も気付かなかったが、ヘンリーはその憶測を肯定した。
「実は聖教会に関してアスティマ様とエリカ様にご覧いただきたいものがあるのですが、それはお二人にとって些事であるかもしれず、少なくとも愉快なものとは思えないのです。それにこの世界にお戻りになられたばかりのアスティマ様に、間断なくあれこれとお話しするのも如何なものかと思い直しまして」
「別に気を遣わなくても良いが‥‥‥急ぎでないなら一度間を空けるか」
「はい、そうさせて下さい。それではお二人とも、少々お待ちを」
そう言うとヘンリーは一度リビングを離れ、ジェシカと3人のメイドたちのいるキッチンへ入っていった。アスティマの発言についてエリカが「これ以上子供に気を遣うのはってどういう意味?」などと問い詰めたりしてまた言い争っている内に、ヘンリーはエストリンを連れて戻ってきた。
「アスティマ様、エリカ様、ご紹介します。当家のメイド長です」
「エストリンと申します、よろしくお願い致します」
エストリンはスカートの裾を軽く持ち上げ恭しい挨拶をした。いわゆるカーテシーと呼ばれるお辞儀だ。実はアスティマへの挨拶は会った時に全員済ませているので、これは実際にはエリカへの挨拶となる。エリカはそれを見て何か感じたのか、ヘンリーたちへの適当な対応と違い同じくカーテシーで応えた。流石に短いスカートは摘んでいない。
「アンジェリカ・エヴァンスよ。よろしく」
エリカのその些細な仕草は、エイトの中で積み上がったお転婆なイメージさえ覆すほど優雅なものだったが、元々神祖アンジェリカは貴族の出身だそうなので意外でも何でもないのかと素直に感心した。
「アンジェリカ・ハワードだろ」
一方アスティマは冷静に突っ込んでいて、エリカは不満そうだった。
「うるさいわね、さっさと行くわよ!」
「やれやれ‥‥‥800年振りに浴槽に浸かりたいならもう止めないが、その体で気持ち良く感じるものか‥‥‥」
アスティマは諦めたようにメダリオンをもう一度手に取った。一度はエリカをメダリオンに戻そうとしたが、今は離れたら消えることを心配しているのだろうか。
「それではご案内します」
エストリンがアスティマとエリカを先導し部屋を後にする。こうしてエイトたちは二人の英雄と一人のメイドを見送った。ウィルソン教授の葬儀から連なるこの家の長い一日は、この時まだ始まったばかりだった。
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