幕間・黒騎士とメイドのASMR(1)

 ハワード家一同で食事を済ませた後のダイニングルーム。豪奢な長方形のテーブルにはアスティマだけが残り、遠くに見えるキッチンではエストリンが一人で洗い物をしていた。体を使うこと全般に自信があるアスティマは皿洗いなら俺に任せろと申し出たが、エストリンどころか一家全員から拒否されそのままテーブルでハワード家の共用タブレットを弄っていた。夫妻と執事はそれぞれ仕事、他のメイドは自室で勉強、レナとエイトは一緒に大浴場に向かい、この場には居候のアスティマとメイドのエストリンという疎遠な二人が残された。エストリンは早々に洗い物を終わらせてアスティマの斜め後ろに立つ。今は洗い物も機械で大体できるのでアスティマの想像よりは大変ではないらしい。わざわざ近くに控えているのはメイドとして客人を放ってはおけないというプロ意識なのか、アスティマが自室に戻らずここにいるなら世話をするつもりのようだ。


「何か必要なものはありますか?」


「いや別に。仕事が済んだなら楽にしていれば良いだろう」


「あなたが側にいる限り私の仕事は終わりませんので」


「仕事のつもりならそこにいられても目障りだ、椅子に座っていろ」


 アスティマは背後に人がいると落ち着かない質であり、ついでにいつでも言葉選びが悪かった。自覚はあっても気を抜くとすぐに言葉が刺々しくなる。


「‥‥‥それは失礼しました、配慮が行き届きませんで」


 エストリンは言葉とは裏腹に反抗的な目でアスティマを一瞥し一番遠い席に座ろうとしたが、怪訝な顔で見ていると嫌々といった様子で対面の席に来た。他の者と違って己を過去の英雄ではなく、あくまで主人の食客として扱うその態度に実はアスティマは好感を覚えていたが、それを口にしたらいつものしかめっ面で気持ち悪いと返されるのは明白なので敢えて言わない。


「しかしレナとエイト、あの歳で一緒に浴場とは仲が良いな」


「浴槽に浸かってる時間でお話しして、互いに必要そうな情報を交換をしているそうです。お忙しい身の上ですからね」


「効率的だな、まぁ別に双子で恥じらいも何もないか」


「‥‥‥お嬢様があなたまで誘うのはいただけませんが」


「‥‥‥あの娘は無防備過ぎるな」


 突然アスティマの対面に座るエストリンがドンとテーブルを叩いた。これを配信中にやると台パンなどと言われるらしい。


「全くです!!初めてあなたと意見が合いましたね。お二人の考えとしては、どうやらお背中を流したかったようですが‥‥‥」


「ああ、なるほど、健気で可愛いじゃないか。だが俺は背後に人の気配を感じるとどうも落ち着かない‥‥‥さっきも言葉が悪くて済まなかったな」


「別にあなたが無神経なのは今に始まったことではないので気にしてはいませんが、あなたはあなたで少し警戒し過ぎのような‥‥‥」


 相変わらず向こうも言い返してくる。昔はアスティマの周りにはこういう人間がそれなりにいた。正直このくらいが心地いい。


「お前のそういうところは好ましいな」


「ひっ‥‥‥なんですか突然」


 思わずポロッと言ってしまったら想像と違い気味悪がられるどころか目に見えて怯えられた。思っていたより嫌われているのかもしれない。それならば当然ではあるがエストリンは何をするでもなく、特に向こうからも話さない。二人で過ごすには広過ぎる部屋を沈黙が支配する。アスティマはボーッとタブレットを弄りながら前から薄々気になっていたことを尋ねた。


「ところでお前のアイクォーサーとしての活動名はなんだったか、あの確か‥‥‥」


 アスティマは実はそれを知らないのだが、さも忘れた風に訊くことで相手の油断を誘うわりと小賢しいテクニックを使った。


「さぁ、何でしょうね」


 意図に気付いたのか単にアスティマが気に入らず素っ気ないだけか、どちらにせよ教えるつもりは微塵もなさそうな回答だった。


「同居している同じ事務所の後輩に隠す必要あるか?」


「あなたも尋問のプロならば、己を警戒している相手からは些細な情報も簡単には引き出せないと良くご存知でしょう」


「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥そうだな」


 アスティマは論破されて少し苛ついたので、まだ少し慣れないタブレットを操作して次の手を打つ。目の前の人間にとっての秘密が他の人間にとってもそうだとは限らない。


「アムル・ルージュな。サキュバスのメイドだと‥‥‥正気か?」


「なっ!?!?どうして!?」


「情報提供者がいた」


 アスティマは冷笑を浮かべながらまるで挑発するように目の前のタブレットを指差す。


「旦那様のお仕事中にそんなことで連絡するのはおやめなさい!!!」


 またエストリンにもっともなことを言われたのでアスティマはさり気なく話題を逸らす。


「そもそも世界に向けて発信しているのだから隠す方がおかしいだろ」


「身内に隠してる方は大勢います」


「俺はお前を身内だと思ってない」


「はぁ?私もですけど?」


「なら問題ないな」


「くっ!!!卑劣な!!!」


 アスティマは論破されて腹立たしかったので逆襲した。しかし今のは単に相手が墓穴を掘っただけども言える。


「‥‥‥えー、サキュバスメイドが極上の眠りに誘う魅惑のASMR(男性向け)?このタイトルはお前が自分で‥‥‥?」


「よりによってそれが一覧に!?通常配信ではないのに!?」


「おっと何だこれは?メンバー限定配信‥‥‥」


 アスティマは容赦なく動画を視聴しようとしたがあまり見慣れないページが出て来た。画面に表示された文章が全く理解できないわけではなく、エイトかレナから話だけは聞いていた気もする。


「あ‥‥‥ああ、そうなんですよ。実はその配信は有料メンバーになって数日経たないと見られないんです」


 エストリンはどこか安心したような、見ようによっては勝ち誇った顔をしていたが動揺を隠し切れてはいない。


「そうか‥‥‥残念だ」


 直感的に怪しいと思ったアスティマは諦めたような言葉を溢しつつもそのまま淡々と画面の文字を追い続ける。


「え?あ、あの‥‥‥そ‥‥‥そんなに見たかったんですか?」


 文字を読む向こうで何故かもじもじしてしおらしくなるエストリンを無視し、アスティマはまるで騎士の職務を遂行していた日々の真剣さをもってメンバー登録に関する規約を読み進めていく。


「おい、即日動画を視聴できない旨は約款に書いていない。この説明を読む限り金を払えばすぐに見れるはず。金銭が関わる以上そうでないなら法的に問題がある」


「今の一瞬で規約をっ!?!?」


 エストリンの青ざめた顔を見てアスティマは嘘を吐かれたことを確信した。


「大審問長官を謀ろうとは良い度胸だな、小娘。次はただで済むと思うなよ」


「‥‥‥ずっと気になっていたのですがあなたのソレ、潰れた会社の社長をずっと名乗ってるようなものでは?あなたの時代だと過去の栄光を喧伝する没落貴族でしょうか?」


 この一言はアスティマの心に深く突き刺さった。今後アイクォーサーとしてその肩書きを言う度に今のエストリンの顔と言葉がフラッシュバックしそうな気がした。


「お前はデリカシーという言葉を知らないまま、そうやって知らず知らずの内に誰かを傷付けて生きてきたんだろうな」


「はぁ?自己紹介ですか?」


 アスティマは苛立つ気持ちを隠して会話を続けながら、実は性懲りも無くまたもこの家の主人にメッセージを送っていた。


「この端末でお前の有料メンバーになっても良いとさ」


「はぁっ!?あなたまたそんな下らないことで‥‥‥!?居候の癖になんて無駄な浪費を!!」


「出世払いだ。実はな、後でまとまった金が入って来る当てがあるんだよ」


「曲がりなりにも英雄なのだから、お金にだらしない屑のようなことを言うのはおやめなさい!あなた収益化も未だでしょう!」


 収益化というのはアレクサンドリアに公開した動画に対して報酬が支払われるようになる契約、承認のことだと聞いている。大手事務所所属の配信者が審査に通らないことはほぼないと説明を受けているので、アスティマはもう完全に当てにしていた。


「‥‥‥ん、何だ?動画に年齢確認が付いている、こんな機能もあるのか。18歳以上ですか‥‥‥?下限だけで上限はないよな」


「いえ、上限もあります。刺激が強過ぎて危険なので100歳以上の方は見られません。あなたはおおよそ800歳なのでダメですね」


 アスティマはその言葉は絶対に嘘だと思ったが、こんな瞬時に適当な嘘を吐くとは流石アイクォーサーだなと、とてつもなく偏見にまみれたことを考えながら無視した。


「タップだけで先に進んだぞ。お前、俺が人生で出会った人間の中で誰よりも俺に嘘を吐くペースが早いな。この命知らずが」


「訊いておいて答えを待たない配信者はリスナーに嫌われますよ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る