第5話 招かれざる客(1)

アルテナ旧暦2022年サラマンドラの月20日──

(エレノア歴752年7月20日──)


 四人が浴場からリビングに戻ると、キッチンにいた者も含めて既に住人全員が一堂に介している。ヘンリーとジェシカは部屋の中央の高さのあるテーブルに着き、エイトは一人ソファーに腰掛け、執事のセバスチャン、メイドのキスリラとエスティアは起立していた。エストリン含め名前が似ていてややこしいメイドたちは家の者からはそれぞれリン、リラ、ティアと呼ばれているらしい。アスティマはふと他の二人の種族は訊かなかったなと思ったが、それは今は重要ではない。


「食事時だというのに無粋なものだな。こちらに来そうか」


「アスティマ様、お騒がせして申し訳ありません」


 アスティマは話し掛けながらヘンリーの対面に腰掛けた。エリカはエイトのいるソファーの方に向かい、座るスペースなどいくらでも空いているのにエイトが慌てて席を立つと、エリカが軽い手振りで着席を促していた。


「ヘンリー、まず一つ訊いていいか?」


「何なりと」


「エレノア聖教会の騎士がこの家に来るとしたら何が目的だと思う?」


 尋ねられたヘンリーは顎を指で触り考え込むような仕草をする。


「彼らの仕事は尋問、拘束、連行、そのいずれかなのでこの家に来るとしてもそれらの用件でしょう」


 あまりに物騒な回答にアスティマは思わず「なぜ?」と訊いてしまいそうになったが、アスティマが知る情報から推察できる三つの理由の内一つはこの場では話せないことだったので口をつぐみ、代わりに「根拠は?」と少し切り口を変えてみた。


「セントワークスは騎士の公務に用いる専用車両です。もしもウィルソンとの関係を訊きたいという話ならどうにも勇み足というか、随分と目立つ行動をするなとは感じますが」


「騎士と分かる装いで行動しているなら穏やかな用件の訳もないか。しかし仮にウィルソンの件だとするとその車で堂々とこの家に乗り付けるのは確かに妙だ。他に向かう可能性は?」


「あまり高くはないかと。あの者たちの任務は聖教会を標的とするテロリストの捕縛が主ですが、この付近にそのような者が潜伏していないことは私の情報網で把握しています。聖教会の騎士は警察ではなく、国家の承認を受け一時的に警察と同等の権限を行使出来る集団です。ウィルソンのことがあってから七日空いたのは当家への捜査権が国に承認されるまでに要した時間だったのではと。失礼、警察というのは軍隊とは独立した国家の治安維持組織です」


 ヘンリーの言う国内の治安維持専門の組織というのはアスティマの時代では珍しいが、軍の中で所属や部門が細かく分かれているのは普通のことなので特に疑問には思わなかった。


「国家の治安維持組織と同等の権限か‥‥‥確かに厄介で過激な集団には思えるが、聖教会は現在進行形で明確な悪事を働いている組織なのか?過去を知るエルフの女王が敵視するのは分かるが、現代では肝心のウィルソンの死に関与した証拠は無く、その他には?」


 アスティマとしてはずっとそれが引っ掛かっていた。映像で見たアマリリスとこのヘンリーはどうにも過剰に聖教会を敵視している気がする。審問官としての勘がまだ自身が聞いていない何かあると告げていた。ヘンリーはわずかに躊躇うような素振りを見せたものの、意を決したようにアスティマの目を真っ直ぐに見つめる。


「聖教会は表立って人を救う様々な活動をしている一方で‥‥‥‥‥‥人身売買、臓器売買に関与している疑いがあります」


 ヘンリーは言った。それはあまりにも典型的な悪の組織の所業でアスティマは思わず全身の力が抜けてしまった。


「フッ、おあつらえ向きなのが来たな」


 エレノアの名を冠し国家と連携する教団の話でそのような言葉を耳にすることは非常に不愉快ではあるが、想定の範囲内だった。だが大人たちの落ち着き払った様子と対照的にレナとエイトがわずかに声を上げキスリラとエスティアも狼狽えた様子だったので、若い者たちは知らなかったのかもしれない。


「私どもの調査で教団幹部一名とその配下が関わっている証拠は掴んでいるのですが、教団全体が関与しているのか掴めず手をこまねいております」


「ほう、証拠を」


「その他には聖職者による子供への性的虐待、こちらは過去に度々白日の下に晒されたのですがその度にトカゲの尻尾を切るような形で終息し、近く再び告発される運びですがやはり抜本的な改革には至らぬかと‥‥‥」


 国や宗教の中枢にいる人間がそれらの行為に手を染めることはアスティマの生きた時代から起きていたことで、任務と称してそのような輩の粛清を勝手に行なっていたアスティマに驚きはなかった。むしろ目の前の温厚そうな男の裏の顔に驚かされる。


「お前も相当だな、芸術家として巨万の富を築く傍ら世界宗教の内定調査とは。初めにこの家が争いに巻き込まれる兆候はないと言ったのは嘘か?俺を関与させないための」


「‥‥‥あなたは既に唯一無二の使命を果たされ穏やかな日常を過ごされるべき方です。今の世の中の問題はこの時代に生まれた者が片付けねば」


「そうは言っても俺は地下の門にまだまだ用がある。この家に火の粉が降り掛かるなら払わねばならん」


 アスティマは対面のヘンリーを睨め付けるような険しい表情で見据え、強い口調で告げた。


「我々はあなたよりか弱くとも、あなたとこの地をお守りすることが使命なのです」


 しかしヘンリーも引き下がらない。身と乗り出すようにして説得に当たってくる。だが頑固さという部分ならアスティマも他人には引けを取らない。


「お前たちは俺ではなく門の守人、違うか?イーサンが子孫にアスティマを守れなどと戯けた遺言を遺すわけがない。それともお前は俺よりイーサンに詳しいと?」


 アスティマはヘンリーを牽制するためにあえて底意地の悪い言い方をした。


「それは‥‥‥」


「良いじゃない、アスのやりたいようにやらせれば。てゆーかソイツ、誰の言うことも聞かないわよ」


 唯一この話し合いに口出しできる立場とも言えるエリカが割って入った。先祖の盟友に異を唱えることも心苦しそうだったというのに、そこへ偉大な先祖本人まで加わると流石に何も言えないのか、ヘンリーは推し黙る。


「そもそもの話、奴ら俺に用がある可能性はないのか?巻き込まれているのはそちらなのでは?」


 今はウィルソンの葬儀の後だが、聖教会が必死になって隠したがっていたアスティマという男の帰還の直後とも言える。


「‥‥‥エレノア様が幾重にも張り巡らせた結界を貫通してアスティマ様の帰還を何者かが察知したとはとても。セントワークス一台には最大でも八人までしか乗れず、頭数も少な過ぎます」


 確かにヘンリーの言う通りではあった。アスティマにもエレノアの施した無数の結界の解析は済んでいないが、外部から中の出来事を感知されないことなど結界の基礎も基礎で、結界に穴があるとは思えない。アスティマに用があるなら最大八人では少ないとの意見ももっともだ。しかしその表情を窺うとどうにも心当たりがありそうで引っ掛かる。


「ねぇお父さん、あの人だったら?」


 話を聞いていたレナが突然ヘンリーにそう尋ね、隣の席に腰掛けて父の顔を覗き込んだ。その呟きの意味はアスティマには理解できなかったが、ヘンリーには明らかに伝わっていそうだった。


「あの人、とは?」


 アスティマがダメ押しで訊くとヘンリーは困ったような苦々しい顔をした。レナに対してではなくあくまで自問自答するように。


「先程からいつお話ししようかと考えていたことなのですが」


 あからさまに気が進まない様子のヘンリーから、アスティマは予期していなかった奇妙な話を聞かされた。それはこの時代に降臨した聖女エレノアの話だった。


 三年前、聖教会が突如として担ぎ上げたエレノアを名乗る何者か。己の言葉を世に届けるのはウィルソンと同じ手法ながら人前に姿を見せず、エレノアを模した動く絵を用いるらしい。声こそ大戦時代の魔導具に残されたエレノアの音声にそっくりではあるが、活動開始当初は聖教会による聖女への冒涜して議論が紛糾し世界中で抗議活動が活発化、暴動や紛争にまで発展する事態となった。ところが、その者が毎日のように行う天候の完璧な予知により風向きは徐々に変わり、大災害さえも数度言い当てたことから今では世界中で本物のエレノア、もしくは聖女の生まれ変わりなどと真しやかに囁かれている、聞かされた話を要約するとそんな内容だった。


「‥‥‥つまり聖教会の始めたエレノアのお人形遊びが信心を集めていると。アイツに未来予知の力などなかったが、神格化されたこの時代ならではだな。その人形の中身に予言や千里眼の力があるとすれば俺の存在を感知した可能性はある。そういうことだな?」


「はい」


「それは確実に未来予知なのか?」


「少なくとも科学の力であの精度を出すことは不可能です、自ら災害を起こし事前に知らせる自作自演のような真似はさらにありえません。地震の範囲に関してはこちらをご覧ください。魔法では如何ですか?」


 ヘンリーは薄い機械に映し出された地形図のような物を見せてきた。念のために確認したが、ヘンリーの返答を待たずして答えは分かっていた。科学で完璧な予知や自然災害の再現が可能なら予言程度で祭り上げられたりはしない。アスティマは帳面のような機械で見せられた地震の範囲を見つめながらヘンリーの問いに答える。


「俺の知る限り大戦時代に未来予知は研究されてもいない。世界の命運を握る強大な個人が複数いたせいで予知が異常に困難だったらしい。魔法による自作自演もなさそうだな、魔法によってこの規模の地震を引き起こすなど考えられない、今の世界ではなおさら」


 そう話しながらもアスティマには未来を予知する力について一つ心当たりがあったが、どうせ関わりのないことだと口には出さなかった。


「この予言者とも言うべき人物の実態が全く掴めず困り果てているところです、教会の悪事に関わっていなければ歴とした救世主ですので。正体に関しても複数人による工作、メダリオン、この時代だと機械により創り出した擬似人格の可能性まであります」


「悩ましいな。聖教会が悪事の陰で人心を掌握するためにその予言者を利用している可能性が高いとは思う。だが仮に教会の腐敗した連中と対立している勢力が内部あり、人助けはその者たちが行っているケースだと教会の殲滅などという短絡的な手も取れない。外部からの調査が足を引っ張ることもあり得る」


 アスティマは自身が「殲滅」という言葉を口にした時に周囲に緊張が走ったことが手に取るように分かり、すぐに「例えばの話だ、そう簡単に人を殺めはしない」と否定した。当然それは嘘ではなく本心だ。


「まぁまぁまぁ、エリーちゃん人形の正体や目的は置いといて、要はそいつが明確な敵でこの来訪に関わってる場合が一番メンドーって話よね?ホントに車がここ向かってんのか知らないケド」


 アスティマとヘンリーが一時無言になったタイミングを見計らったように、エリカが総括した。


「そういうことだな、他のことは今考えても仕方ない」


 アスティマがエリカに同意するとほぼ同時に、ヘンリーの背後で小さな機械を凝視していたセバスチャンが口を開く。


「セントワークスの行き先はほぼ確実に当家と見てよろしいかと」


 セバスチャンは手にした小さな機械で騎士たちの車をずっと注視していたようだ。目の前にもあるこれらの小さな道具には一体どれだけの用途があるのかと、アスティマは内心舌を巻いた。


「最大八人って言い方だと中は見えてないんでしょ?別にそのお人形さんの中身が直接乗ってる可能性あるわよね?」


 セバスチャンの報告を聞いたエリカが鋭い意見を述べ、アスティマが返答する。


「最悪あるいは最高のケースがそれだな。そいつの戦闘能力は未知数としても相当な力の持ち主だ。ヘンリー、現代の騎士の標準的な武装は?」


「剣と銃、騎士が携行する武器で脅威なのはやはり銃でしょう。音よりも速く小さな鉛の弾を撃ち込んできます。他はメダリオン・ジェネリックでしょうか」


 二人の話を聞いて素早く近くに来たメイドのキスリラが、テーブルに置かれていた例の薄い本のような機械を操作して銃の映像を用意した。それを観たアスティマは思わず眉をひそめ片目を閉じる。


「こんなものを食らったら今の俺は無傷では済まないな。さて、どうしたものか」


「‥‥‥あの、アスティマ様」


 アスティマの言葉を聞いたヘンリーが不安げな表情で話しかけて来た。


「何だ?」


「当然ですがハワード家の当主として騎士には私が対応します、拘束や連行という極端な事態にはならないよう手を尽くしますが、仮にもしそうなったとしても、アスティマ様はくれぐれも静観なさないますよう重ねてお願い申し上げます」


「却下だ」


「ですが今のあなたは‥‥‥」


「そうだな、今の俺は大して使い物にはならないかもしれない。しかしヘンリー、お前今ハワード家の当主と言ったな?」


「はい?」


 何もおかしなことは言っていないのにアスティマから改めてそう訊かれたヘンリーは目を丸くして返事をした。


「俺に良い考えがある」


 アスティマは得意げにそう言うと、チラリとエリカを見た。目が合ったエリカは何かを察したのか心底嫌そうな顔をしていたものの、アスティマの計画にはエリカの協力が必要不可欠だった。

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