第4話 大浴場の尋問(4)

 浴室から上がったアスティマたちは水着のまま軽く体を拭きつつ少しの間、扇風機と呼ばれる小さい風車らしきものの前で火照った体を冷やしていた。するとエストリンが「お二人とも、こちらへお越し下さい」と言いながらやたらと光沢のある黒いチェストに向かったので言われるがままについていく。


「このチェストは?」


「こちらの棚には冷えたお飲み物が入っていますので、よろしければ喉を潤してはいかがでしょう?お風呂上がりの一杯は格別ですよ」


 そう言ってエストリンがチェストの扉を開け放った。中から流れてきたひやりとした空気を浴びて、アスティマはその正体を察した。


「電気を使った冷蔵庫もあるのか。いや、エリカは‥‥‥」


 生身の人間ではないのだがとアスティマが言う前に、当のエリカは冷蔵庫の中を食い入るように見ていた。


「えーとミネラルウォーター、アクティブウォーター、緑茶、リンゴ、オレンジ、ピーチ、コーヒー牛乳、エルピス、サイダーって‥‥‥これもリンゴ酒?何が何だかさっぱり分からないけどどれも美味しそうね!」


 アスティマも所狭しと並べられた飲み水の山をエリカの上から覗き込み、何の気なしにその内の一つの「エルピス」と書かれた飲み水を手に持ってみた。ガラスと思っていた容器は握るとペコペコとへこむ。何だこれはと思い少し強く握ると柔らかい容器はたちまちバシュン!と音を立て、瞬間弾け飛んだフタはアスティマが咄嗟にキャッチしたものの、中の白い液体の飛散は防ぎ切れずエストリンの顔に掛かってしまった。驚いた彼女は「あんっ!」と妙に色っぽい声を上げる。


「わっ、悪い!洗ったばかりなのに」


「アンタ何で急に力を制御できない哀しきモンスターになってんの?」


 このような間抜けなミスなど滅多にしないアスティマは、手に持っていた容器のフタを閉めてエリカに押し付けるように渡し、考える前に肩にかけていたタオルでエストリンの顔を拭いてしまったが、途中で赤の他人に気安く顔を触られたくないはずだと気付き、タオルを手渡すと開きっ放しの冷蔵庫が目に入り急いで扉を閉じた。


「突然触ってしまってすまない」


「い、いえ‥‥‥お気になさらず」


 エストリンは自身の顔を拭きながら短く答えた。背後ではエルピスを渡されたエリカが勝手に飲んで「ぷはぁっ!美味いわ!」と感嘆の声を上げている。エルピスはエリカが飲んでしまったのでアスティマはエストリンの勧めでコーヒー牛乳を選んだ。全員が飲み物を手に脱衣所の長椅子に腰掛け落ち着いたところで、アスティマは「エストリン、先ほどの話を頼む」と語り掛ける。


「まず、お二人にインターネットについてご理解いただくためには‥‥‥もしかすると人工の龍脈とお考えいただくとイメージしやすいかも知れません。龍脈は魔力という力を運び、インターネットは情報という力を運ぶもの」


 エストリンの答えは突然話を振られたとは思えないほど理解しやすかった。


「なるほど人工の龍脈‥‥‥やはり電気が関係しているのか?」


「電気、それと電波‥‥‥です。正直なところ、この時代に生きる人も多くがこれらの技術について一から十まで知っていて人様に上手く説明できるかと言うとそうではなく、かく言う私も‥‥‥」


 エストリンはどこか後ろめたそうに言うが、アスティマは別に普通のことだとしか思えなかった。


「おかしなことではない、魔法もそうだ」


「アンタは特に自分の力について分かってないこと多いもんね」


「困ったもんだよ」


 二人が話している間も、エストリンは頭の中で言葉を組み立てている様子だった。


「ええとですね、今の世界には電気を伝達する‥‥‥太い糸が世界中に張り巡らせてあるのです。それとは別に目に見えない、本当に魔力に似た電波というものがあります。それらを受け取って人の目や耳に届く情報に変えるものが、ウィルソン教授の映像をお見せしたあの機械や私が手に持っていた小さな機械です。ええと‥‥‥申し訳ありません、上手く説明できなくて」


「いいや分かるぞ。魔力だって魔法印や魔導具を介して初めて意味を為す、似たようなものだろう?俺たちの時代にも魔力を利用して遠くの人間と話したり遠くの映像を見る魔導具はあったしな」


「魔導具、そうですよね‥‥‥あの時代はある点においては数十年前、いえ、現代よりも文明が発達していたのですものね」


「原理は少し理解した気になれたから良いんだが‥‥‥知りたいのはウィルソンがやったように、例えば俺やお前たちがこの家から世界に向けて情報を拡散できるのかだ」


 アスティマの言葉に二人は唖然とした顔をしていた。


「まさかやる気なの?世界の皆さん初めまして、私がアスティマですとかって?」


「いや、やら‥‥‥なくもないかもしれない」


「できますよ。それこそ、私が持っていたあの小さな機械でも」


「あれでか?そうなると‥‥‥‥‥‥」


 アスティマはその後もエストリンからインターネットや先ほどの機械の利用によって何ができるのかについて聞いた。その他、それらを利用すれば犯罪や諍いがあった時にいつでも証拠を残し多くの人々に公開できるのではないかということを少し深掘りし、プライバシーの扱いについて現行の法律ではどうなっているのかを話を聞いた。その際エストリンにはさすがに驚かれたが、アスティマが所属した聖者の影では幹部が団員の位置を把握できる魔導具を導入するかの議論があり、プライバシーの観点から任意で持つという話に落ち着いた経緯があると話すと納得され、現代では同じような機能を持つGPSという仕組みがあることも教えられた。


 まだ訪ねたい話は山ほどあったが、それは追々この家の色々な人々から聞くことにして、良い加減に水着を着替えここを後にすることにした。改めてしっかりと体を拭き、アスティマは下着だけ新しいものに変えその他は先程と同じ服に着替えた。すると少し遅れて着替え終えたエストリンに呼ばれ、いくつも並んだ鏡台の一つに座らされた。


「お髪を梳かせていただいてもよろしいでしょうか?」


 エストリンはそう尋ねてきたが、アスティマとしては知り合ったばかりの女に髪を触られることに抵抗はあった。しかし髪どころか乳房を触った相手にそう言われては断り辛く、強い心で「いや、背後に立たれると不快なので結構」と断った。


 それを聞いてニコリと微笑んだエストリンは無言でアスティマの横に腰掛け、容赦なく髪をタオルでポンポンと叩いてくる。そのまま風が吹き出す謎の道具で髪全体を乾かし、慣れた手つきで梳いた後は例の輪っかで綺麗に束ねてくれたが、途中で要望を無視し平然と背後に立ってきた。やられたらやり返すが信条のアスティマは逆にエストリンの髪を整えると申し出たが、それは「いえ、お構いなく」とぴしゃりと断られる。当たり前だが出会ったばかりの男に髪を触られたくなかったのだろう。


 そのままアスティマは何となく髪を乾かすエストリンを真横から仏頂面で見つめ続け、堪りかねた彼女が「あの‥‥‥何か?」と困惑した様子で尋ねてきたタイミングで「別に」とだけ返すと、洗面台を離れ改めて冷蔵庫に向かう。コーヒー牛乳は大した量でもなかったので、別の飲み物も見てみたかった。それにしても数が多い。


「良くもまぁ飲み水がこんなにあるな。ここは浴場だから他にも置いてあるのだろうし」


 全く味が想像できないいくつかの水の容器に手を触れ、観察しながら呟く。近くにいたエリカに話し掛けたつもりだったがエストリンの方から声が返ってくる。


「飲み水については800年前とは全く事情が異なると思います。この国では浴室で私たちが使った水道の水も一応は飲めますよ。ただ、水を清める施設から供給されてくる途中の給水管などが錆びていることも考えられるので、飲む人はあまりいませんが」


 まだ鏡台にいたエストリンはわざわざ風を吹き出す道具を一度止めてアスティマに説明し、話し終えるとまた髪を乾かし始めた。


「俺たちの時代の水は一手間加えないと安心して飲めなかったな」


「そうねぇ、良い時代になったものね。次はどれもらおうかしら」


「えっ?お前さっき二本くらい飲んだろ」


「悪い?」


 思念体が飲むのはもったいなくないか?という感想が口を突いて出そうになったアスティマだったが、エリカは絶対に怒ると思えたしこの家の神祖様に向かってそんなことを言うのもケチ臭い気がして堪えた。


「なぁエリカ、この時代の冷蔵庫って開けっ放しにしていて良いと思うか?俺たちの時代は怒られたよな」


「魔法でも電気でも余分なエネルギーは使うでしょうね。ていうか冷蔵庫なんて普通の家にはなかったのにいつ誰に怒られたのよ」


「シルヴィおじ」


「シルヴェリオ総長?ああ、聖堂騎士団の拠点には冷蔵庫くらいあったでしょうね」


 冷蔵庫を見て懐かしい人を思い出したせいか、アスティマは一度ケチ臭い話を飲み込んだわりに結局は所帯染みた話をしていた。


「エリカ様は普段どのようなものをご愛飲なのですか?」


 そんな取り留めのない話をしていると、髪を乾かし終えたエストリンがエリカに歩み寄りながら尋ねた。エリカは少し間を置いて答える。


「‥‥‥紅茶?」


「ではこちらでしょうか。他にミルクティーやレモンティーなどもございます」


「今はミルクの気分ね、いただくわ!‥‥‥これこのまま口付けて飲むのが普通なの?」


 エリカは既にアスティマが空けてしまったエルピスを飲んでいるが、貴族ではあったのでラッパ飲みのような形は少し気になるのだろう。


「あ‥‥‥はしたないですよね、ええと」


「どうでも良いけど!これもうまぁい!!」


 エストリンはカップでも用意しようとしたのかもしれないが流石にこの部屋にあるとも思えず、そもそも野宿も戦場も平気な女がそんなことに構うわけもなかった。


「アスティマ様はダークミールをご愛飲でしたね‥‥‥ではこちらなど如何ですか?旦那様のお手製のジュースです」


 エストリンが上品な仕草で手に取り勧めてきた飲み物はコーヒーとは真逆のミルクのような色合いだったが、わざわざこちらの好みを考慮していたので何一つ疑うことなく勧めに従う。


「ヘンリーがわざわざ自分で?何の果汁か知らないが高価そうだ」


「はい、大変お高いですよ」


「ぷはぁ!ミルクティーうまぁ!」


 エリカはミルクティーも随分と気に入ったらしく、酒でも飲んでいるかのような勢いだった。今の状態で味覚まであるのはかなり奇妙に感じたが、本人が満足ならそれに越したことはない。


「フッ、良かったなエリカ。こっちは‥‥‥ヴォォエッ!!まっずっ!!これエリカの親父が良く飲んでたハオマジュースだろ!!」


 アスティマの慌てる様子を見て一心不乱にミルクティーを飲んでいたエリカが吹き出したが、アスティマは何とか吐き出さずに堪えた。この芳しい花の香りの後に口内に広がる強烈な苦味と酸味には覚えがある。神秘の植物ハマオの実の果汁、生命活性だとか子孫繁栄の効能があると言われていたがとにかく不味く、かつて人類の双璧と謳われた勇者と騎士を揃って悶絶させた因縁の味わいだった。


「い、良いんじゃない?アンタもこれからは健康に気を遣わないと‥‥‥ぷっふふ!」


「ふふっ、うふふっ‥‥‥あははっ!」


 笑い続けるエリカに釣られたようにエストリンも大きな声で笑った。やはり不味いと知っていてわざとやったらしい。


「救世の英雄様にとんだ無礼をいたしました。これでおあいこですね、だからもう今までのことは気にしないで下さい」


 そういう意図なのだろうなとは感じたが、魅了の力を持つエストリンの前でこんなものを飲んでしまったアスティマはそれどころではなかった。


「クッ、良い顔で笑うじゃないか、抱かせろ」


「‥‥‥ええっ!?あっ‥‥‥は、ハイ」


 アスティマはまたチャームだと感じ咄嗟に自身の太ももをつねったが、エストリンは何故か照れた様子で躊躇いがちに両手を広げた。


「ハイはダメでしょ。リンちゃん、ハオマって健康に良いけど特にオトコが元気になる効能あるのよ、そのせいでまたチャーム掛かってるわ、コイツ」


「はぁ‥‥‥?健康に良いことと男性が元気になることは同じでは‥‥‥?」


 エストリンはエリカの言葉に困惑していた。


「あれっ?リンちゃんって二十歳過ぎてるのよね?」


 今度はエリカが困惑している。たった今アスティマが妙なことを口走った時のエストリンのあの反応を見るに、彼女のことは何となく察しがついた。


「エリカ、エストリンは‥‥‥」


 アスティマは皆まで言わず口だけ動かして「男女のあれこれの知識が全くないのでは」と伝えた。エリカはそれをしっかりと理解したらしく口をあんぐりと開けていた。アスティマが考えたのは、エストリンはサキュバスの本能を抑え込むために性を連想させる知識を遮断し、今日までひたすら「家族以外の男性には極力近づかない」ことを守って生きて来たのではないかということだった。


「‥‥‥それにしてもリンちゃん、恐ろしい子。正直コイツとんでもない堅物だから抵抗力が昔より落ちててもこんなホイホイ魅了されないわよ」


「内面を知って信頼や尊敬の念が生まれてしまったせいかもな」


「ええっ!?き、恐縮です‥‥‥‥‥‥あら?信頼と言われますとアスティマ様、我々を信頼していなかった時に私が差し出した食べ物を良くお口になさいましたね」


 エストリンの問い掛けにアスティマは良く気付いたなと感心しながら、別に隠す必要もないので答える。


「俺は毒には強い。ついでに隙を晒すためにリビングで着替えたりもしたからな、メダリオンがなくともあの辺りでヘンリーたちは敵ではないと感じていたんだが」


「それなのに私たちのせいで困惑させてしまったのですね」


「俺の弱さ故だ」


「さーて、今度はどれをもらおうかしら」


 エリカはまだ何か飲む気らしくまた冷蔵庫を漁っていた。生身ならその小さな腹はもうタプタプだろうと思うとまさに思念体故の自由さだった。


「遠慮しろとは言わないが思念体の‥‥‥まぁ生きてる人間が飲んだって最終的には小便か」


 アスティマは先ほどは飲み込んだ言葉を少し口に出してしまったが、言っている途中で自己完結した。資源としては無駄そうだが、やはり幸せな気分になるならどうでも良いなと。ただ思念体という言葉を聞いてエリカが生身の人間ではないと思い出したのか、エストリンが首を傾げていた。


「今更なのですが、エリカ様が飲まれたお水はどこに行かれるのでしょう?」


 エストリンも失礼に当たるかと思い口にしなかったのかもしれないが、その小さな体で小さくもない容器の水を四本目となると流石に気になってしまったらしい。


「エリカ本人が飲んだと思い込むことで消滅してるんじゃないか、もしかしたら分解され水分としてその辺に漂ってるのかもしれないが。本人の意識次第では無限に飲めるだろう」


「む、無限に飲む‥‥‥?エリカ様は全てにおいて特別な存在かと存じますが、そもそも思念体や霊と呼ばれる存在はなぜ地面をすり抜けてはいかないのでしょうか?」


 エストリンが尋ねてきたことは実際にゴーストと戦っていた時代の人間でも大半は知らないので、目の前にこんな存在がいたら気になるのだろうと思いアスティマは詳しく説明してやることにする。


「人間の強い感情が魔力と結び付いて生前の本人を再現しようとするのが幽霊だ、それは感覚で分かるか?」


「はい、この時代でもその認識です」


「その幽霊も元は人、魔法と同じくイメージに縛られる。基本的に地面はすり抜けず空高く飛べはしない、壁や扉のすり抜けもその向こう側をイメージできないとやれないが、大抵の人間が霊は歩かないと思っているせいで少し浮いている。人格は核となった感情に引っ張られ本人より理性に乏しく、情念の強さによっては生前叶わなかった目的を成し遂げるものもある」


 かつて極一部では「魔族マニア」とも揶揄されたアスティマは、得意分野の話になり突如として火が付いたように説明した。


「幽霊とはそういう仕組みだったのですか!?」


「その話、当時から色んな有識者に合ってそうとは言われてたけど一応コイツの持論だから話半分で聞いた方が良いかもね」


 感嘆の声を上げるエストリンを見てエリカは念のために補足した。


「似たような主張をしていた奴はそこそこいたはずだが、確かに合ってる保証はないから話半分に聞いてくれ」


 ただアスティマは事情があって魔族について色々と調べただけで、ゴーストの専門家でもなければ研究の第一人者でもない。


「いえ、ご丁寧にありがとうございます、私はとても得心がいきました。しかしそうなると‥‥‥いくつかの魔力が消えたという今の世界に幽霊はいるのでしょうか?」


 それでもアスティマの話はエストリンには腑に落ちたらしく、質問を重ねてきた。


「自由な幽霊はいないかもな。ただメダリオンを見て分かる通り物に宿る定着魔力は消えていないから、地縛霊や物憑きはいるはずだ。だが生者の思念が色濃い場所では並みの幽霊は自己を保てない、人が溢れ返るこの時代に霊の居場所があるかは知らない」


 その話を聞いてエストリンはパン!と両手を叩いた。


「心霊スポットに髪の伸びる人形‥‥‥そのお話は現代のお化けのイメージにピッタリです!」


「そういう類いの噂はやはりあるのか」


「ええ、もちろんこの時代も寂れた場所や情念のこもった人形などはあります。あの、しかしエリカ様は幽霊ではなく精霊や神霊と呼ぶべきものでは?私は詳しくないので定義は分からないのですが」


「どうだろうな、俺の幽霊の認識は今言った通りだ。まともな五感はないはずだから、俺だってエリカを見て何だコレはと思っているが‥‥‥精霊や神霊とも違うような」


「すぐに女の子をモノ扱いする男ね」


 アスティマがエストリンと話している間に三本目のレモンティーも飲み終わったエリカは、長椅子にうつ伏せになりながら足をバタつかせ不満げにアスティマを見つめていた。


「久々のオフロは最高だったわ、後は身体のケアね!アス、マッサージ得意でしょ!さぁ頼んだわよ!800年もあんな円盤の中にいたらオフロだけじゃほぐれないくらい全身凝っちゃってね」


 エリカはキラキラした瞳でどう考えてもおかしなことを口走っていた。


「凝らねぇよ!!思念体にマッサージはもはや神話の刑罰だろ!」


 堪らずアスティマは学生の頃のような勢いで言葉を返してしまう。


「はぁぁぁぁあ?もしかしてあの世で永遠に岩転がしてるおっさんの話してる?岩と私の柔肌を同列に語るなんて、アンタ頭おかしいんじゃないの!?」


「おかしいのはお前だ、体のない相手にマッサージなど徒労以外の何物でもない、無限に岩転がすのと変わらないだろ!」


「思念体だからイヤってこと?アンタは結局アタシの体だけが目当てってことなのね!」


「お前800年前より煩わしくないか、もしかしてマイルドな悪霊なのか?」


 アスティマとしては「大体、三十路近くまで生きたはずなのにそんな言動なのか?」と口に出して訊いてみたかったが、どうせ一層怒るだけなのでそれはやめておいた。魂の欠片を封じるというのがどういう処置かも分からないので、もしかすると本当に精神が若い頃に退行しているとも考えられる。アスティマがエリカとメダリオンについて思案していると、脱衣所に向かって近付いてくる慌てた様子の足音が聞こえた。


「アスティマ様!エリカ様!‥‥‥あら?リンちゃんもご一緒してたの?」


 少し息を切らして現れたのはレナだった。エストリンは少しばつが悪そうにしていた。


「あ、はい。ええと‥‥‥」


 メイドが共に入浴しているのは少し奇妙だが、俺に誘われたとは言えず困っているのだろう。そう考えたアスティマは自身のせいなのですかさず助け舟を出す。


「エストリンを借りてしまって悪かった、どうせなら暇な時間にこの時代のことを聞いておこうと思ってな。何かあったか」


 何故か慌てた様子のレナは、先の口振りだとエストリンが戻って来ないので心配したと言うわけではなさそうだと感じた。


「あっ、はい、たった今この地域を走る聖教会の車が監視カメラに映ったそうです。警護対象の車がなく騎士の車が単独で運用されることは滅多ないので、もしかしたらこの屋敷に向かっているんじゃないかと。お二人には少しの間隠れていただかないといけないかもしれなくて」


 アスティマにとって少し耳慣れない言葉はあったが、話の流れから車は昔と同じ移動の足、監視カメラは遠方を監視するカメラのことだろうと理解した。アスティマにとってのカメラとは念写により一瞬の景色を記録する魔導具だが、遠くの景色をリアルタイムで見る魔導具も知っているので辛うじてイメージできた。


「到着までの時間はまだあるのか?」


「聞いた場所からだと到着まで二十数分くらいだと思います、まだここに来ると決まったわけではないんですが」


「ヘンリーは今リビングか」


「は、はい!」


「俺もすぐに向かう」


「ごめんなさい、アスティマ様はこの世界に帰ってきたばかりだと言うのに慌ただしくなってしまって」


「そうか?十分休めたぞ」


 レナが何を謝っているのか、アスティマには心底理解できなかった。騎士が来るかもしれない、そんなことはアスティマにとっては本当に何でもなく、これだけゆっくりしていたのだから慌ただしいとも感じない。それを見透かしてか、アスティマの視界の端でエリカが分かったような笑みを浮かべていた。

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