第7話 配信でグリッチを使ってみた(1)

アルテナ旧歴2022年ウロボロスの月4日~5日──

(エレノア歴752年8月4日~5日──)


 大炎上の初配信から一夜明けた夜の9時、正確にはその数分前。アスティマは遂に「事務所が定める初配信」ではなく「自主的に行う初めての配信」を行う。開始時間をいつにしてどれだけの時間配信するか、内容は何をやるか、配信者としてのセンスが試されるこの初動で躓くとなかなか厳しいことになるが、エイトの戦略により今回は「多分あまりバズらない(話題にならない)配信」をすることになっていた。


 アスティマは椅子に座り周囲を確認する。今日は昨日と打って変わってモニターを三つ使うことになっていた。実際には二つでも十分で三つだと人によっては邪魔になるようだが、エイトによると「アスティマさんは普通の人より視界が広いですし」とのことだった。正面のモニターを丸々使ってプレイするゲーム画面を表示し、右に配信ツール画面と視聴者のチャット欄、左に視聴者と同じ配信画面を映している。因みに、甲冑で配信するアスティマはバイザーの隙間から周囲を見る上に魔法も使っていないので実際には普通の人間より視界は狭いのだが、何となく強がってそれは伝えなかった。エイトからは「基本ゲーム画面だけ見て、コントローラーを操作しないタイミングでチャット欄チラ見したら良いですよ」と言われており、左のモニターはあまり気にしなくて良いとのことだった。


 何かトラブルがあった場合は音声をミュート(消音)して助っ人を呼び出す。屋敷の住人全員の中からその時に手の空いている者が来てくれるらしい。配信講座を経てもまだまだおんぶに抱っこだ。ただし全員が寝ていそうな時間だったり忙しそうだと判断した場合、アスティマは自身で問題解決のために可能な限り努力し、無理だと判断した時点で配信をぶつ切りする気満々だった。


 当然ながら配信はなるべく予定時刻ピッタリに始めた方が良いとのことなので座ったまま特に何をするでもなく、事前にエイトが建てておいてくれた配信枠のチャット欄を眺める。そこには相変わらず忙しなく文字の群れが流れていた。配信開始直前、配信枠を開いて待機している人数は約1万人。昨日の今日では流石にまだ世間に興味は持たれているらしいが、事前にエイトから聞いていた数字の話に照らし合わせると、1万人という数は「あれだけ話題になったわりに少ない」と言えるラインだ。配信が開始されればここからさらに増えるはずだが、昨夜の初配信の最大視聴者が17万人強と考えればどうあがいてもその数の半分にも届きそうにないことはアスティマにも理解できた。


『結局謝罪とかなかったな』『てかコイツのボックス動いてなくね?配信告知すらしてない』『雑談とかではなくいきなりゲーム?』『なんか尖ったこと言ってたけどやることはゲーム配信なのか』『モリオやんの?男だとちょっと珍しいな』『ゲーム知らない設定で行くみたいだからレトロゲーからなんじゃね』『マジならFPSとかやれないじゃん』『ちょい経ったらしれっとやるだろ』


 チャットを眺めていると時間になった。配信開始をクリックする。


「こちらアスティマ、こちらアスティマ、聴こえるか?よし、大丈夫そうだな。というわけで今日はメメントモリオブラザーズをプレイする。30年以上前に発売されたゲームらしいがそれでレトロなら俺は化石だ」


『始まり方ぬるっとし過ぎやんこの人』『ちょっとオモロい』


 チャット欄を見て配信が正常に始まっていることを確認し、そのまま話し続ける。


「コントローラーのどこを押したら何が起きるかだけは調べてきた。ではスタート」


『トークとか何もないw』『普通少し雑談するだろ』『やっぱ話すの苦手だろ』


「なんだ?魔物っぽいのが歩いてるな、ぶっ殺すのか?オラ!ん?こっちが死んだのか?」


 生まれて初めてゲームをプレイするアスティマは、キャラクターが両手を上げて飛び跳ねる演出が失敗を意味することを認識するのことにも時間を要する。


『いや基本操作だけ知っててルール知らないとかある?』『普通にぶっ56す言ってて草』『コンプラ教育の敗北』『こんなレベルでモリオ知らない現代人いる???』


「オイ、ざわついてないでアドバイスをしろアドバイスを、これだけいて烏合の衆か?使えない野次馬ばかり‥‥‥そもそも配信観てる奴って全員野次馬か?」


『口悪っ』『まぁこういうキャラなんだろ』『穴に落ちたら隠し通路あります』『背後から突進するんですよ』『土管入れます』


「穴はこの地面が途切れた所だろ?どうせ嘘だな、そんな手に引っかかるかよ。敵は背後から倒すのか、そら!‥‥‥死んだが?」


『そんなウソに引っ掛かるヤツいるかよ』『ノリは良いな』『お笑いのテンポ』『わざとらしい』『クリンボに進行方向はあるけど背後はねーだろw』


「何がわざとらしいだ!必死にやってる人間に向かって!背後はないのは確かにな!とりあえず避ければ死ぬことはないか、何だ?ブロックに頭をぶつけたらキノコが‥‥‥モリオがデカくなった?デカくなるキノコみたいモノなら俺も身に覚えがあるが‥‥‥あっ、この体格差で敵を蹴散らすのか!?いって!縮んだ!?クソが!』


『今なんて?』『おっさんの下ネタ』『これ演技ならちょっと凄いな』『本気でやってる?これでクリアしたら違和感しかない』『途中で投げそうじゃね』『下手すぎ』


「最初の画面に戻されたな。もう終わりか?これはなんだ?俺が操作しなくても勝手にモリオが動いて‥‥‥踏んで倒すのか!!おいこれだけいてアドバイスするヤツ一人もいないとかどうなってんだ!!」


 アスティマは見本のプレイらしきものでようやくゲームの仕様を理解した。一方、配信が始まると視聴者の数は増え続け現在は3万人を超えているが、開始前に1万人が待機していたわりに伸びは良くない。


『実は踏むの教えてる奴ちらほらいた』『どうでも良いコメントばっか読むからわざとらしいわ』『演技なん?わざと下手なプレイしてそんな旨味あるか?』


「まぁまぁまぁ、分かればこっちのモンだ。しかしコイツ、この脚力とブロック破壊する頭あるなら突進で負けないだろ」


 アスティマは腑に落ちない部分はありつつも忠実にゲーム内のルールに従って進んでいく。勘や反射神経は悪くないので一度コツを掴んでしまえば進めるのは早かった。


「この花は?なにか出るようになったぞ、火の玉かこれ?コイツ火属性だったのか。なんで花をとって火が出るんだ?おっ、強い」


 初めてゲームに触れるアスティマは何だかんだ言いながらも楽しんでいた。


「ほぉ~何か魔王の城みたいな場所だな。建物の中にマグマという立地は終わってるが。モリオはそもそも何のためにこんな危険な場所を進んでるんだ?」


『それも知らんの?』『昔のゲーム今見ると何の説明もないしな』『まぁ今レトロゲーやっても紙の説明書はないしな』『姫を助けるためだよ』『結構サクサク進むようになったな』


「なんだ、炎を吐くデカブツのお出ましだ。これは‥‥‥‥‥‥踏んで倒せない花もいたしコイツもダメそうだな。奥に見えてるのは斧か?さてはあれで脳天をかち割るわけだ、そらっ!ん?橋を落としたのか?だとしたらコイツはなんで崩れる足場の上で背後に斧を置いて待ち構えてるんだ」


『ここだけやけに鋭い』『本当は倒し方知ってたんじゃね?』『ゲームの仕様にツッコむなよ』


「よし!!何にせよこれでクリアか!ん?このキノコ頭が姫か?ああ、まだ続くのか。もうすでにだいぶ楽しんだけどな。こんな娯楽が大戦時代にあったら人類滅亡してる」


『すり寄り露骨で草』『炎上系なのに任大堂に媚び売ってて草』


 アスティマはその後も順調に攻略を進めた。エイトから「ゲームに対してネガティブな発言をすると燃えます」と教えられ、負の感情を集めるためにはそれもありかと考えていた。ところが生まれて初めてのデジタルゲームは面白く、底意地の悪いステージギミックに遭遇してもイーサンとの特訓の日々を思い返せば苛つきもしなかったので只々無心で楽しんでしまった。アスティマはそのまま一時間半ほどでメメントモリオブラザーズをクリアした。操作方法さえ知らなかった人間にしてはクリアまで早過ぎたようで、チャット欄ではまた色々と論争が巻き起こっている。そんな中に気になるチャットを見つけた。


「ほう、どれだけ早くクリアできるか競う遊び方もあるわけだ。ちょっと見てみるか。RTAで検索したら出てくるって?これは二十数分‥‥‥何だこれ?七分強!?」


 そのタイムに驚いて動画を食い入るように視聴するアスティマだったが、ゲームの攻略動画としては短時間でも配信としては結構な時間である。まだ増えていた視聴者の伸びがこの間に止まった。


『配信中にガチで動画見始めることある?』『コイツガチでヤバい』


「ワープってのがあるのか。それにしても解説している言葉の意味、特にフレームだのが分からないが要はこの動画と全く同じ動きを再現できたら良いわけだよな。やり方は解説のおかげで分かる」


 解説の言葉の理解、動きを再現するための観察、そのためにアスティマは動画を見続け、その異様な行動を前に一度は増減を繰り返した視聴者がまた少し増えて来た。


『これ画面止めてると配信切られるとかなかった?』『一応体とデモ画面は動いてるからセーフじゃね』『もう二十分くらい止まってるやん』『放送事故だろw』


「よし、やるか」


 人々は知る由もない。かつて万物の影とも呼ばれたアスティマには、目で見た他人の動きを再現する能力があることを。そして彼自身もまだ知らなかった。手元の操作は動画には映っておらず、あくまで観ていたのはゲーム画面に過ぎなかったのだが、その状態でも己の能力は発揮されるという事実を。


 アイクォーサー・アスティマ。本日の配信の最大視聴者数は約3万6千人、現時点のチャンネル登録者数、約2万1千人。配信終了時点の低評価数──7千弱。

 

 ──────────────────


「驚きましたよRTAだなんて。僕の想像を遥かに超えて来ましたね」


 アスティマは配信後に部屋に訪れたエイトとレナと、例の如く会議していた。良い時間なので二人はすでにナイトウェアに着替えていて、アスティマは配信に使ったレプリカの鎧を脱ぎ、今は黒のインナーとグレーのハーフパンツ姿だった。


「俺はこの上なく楽しめた、チャットは何やら荒れていたがバグやらグリッチがどうこうってなんだ?」


 チャット欄で散々見かけたその単語についてアスティマは全く理解できなかった。


「バグとグリッチは似た言葉ですね。バグはゲームプレイ中に製作者の想定してない現象が起きること、グリッチはそのバグをあえて引き起こして利用する攻略法って感じです。今のゲームだったらワープは製作側が用意したもので、壁抜けとかはバグやグリッチに該当します」


「ふぅん?」


 エイトの説明が下手とは思わなかったが、それと配信が荒れることの関係がアスティマにはよく分からなかった。


「アスティマさんの時代に似た事例なんてないでしょうけど、例えば決闘で反則ではないけど汚い手を使うみたいな。他人に与える印象と状況次第で非難される、要はモラルの問題です」


「ふむ、なんとなく分かった」


「そのお陰で興味深いことになってますね、アスティマさんやっぱり天才ですよ」


「何が?」


 意図的に良い結果になると予測して行動を起こしたわけでもないのでそう褒められてもいまいち納得できない。


「配信者はゲームへのリスペクトを欠いた行為や製作者の想定から外れたプレイを行うと簡単に炎上するんですよ。それで生配信する人、特に大手の事務所に所属する人は基本バグとかグリッチに手を出さないんですけど。動画投稿メインの人だと結構やる人もいるし別に燃えたりもしません。そればかりかスポンサーのいるイベントでグリッチありのRTAをやるってのもあって、是非のラインが曖昧なんですよね」


「はーん?なるほど」


「こういう際どい所に一石を投じれば話題になります。ついでに本当に素人だったのか経験者だったのかも議論が白熱してますし」


 話しながらエイトが携帯を確認し始めたタイミングでアスティマはレナと目が合った。


「RTAってできる人が限られる上にアスティマさんの記録は相当すごいので、RTAやる人たちの中から正体を特定しようみたいな動きまでありますよ」


 レナの言葉にアスティマは思わず微笑んでしまった。特に何も考えていなかったのにそんな陽動のような効果まであったのかと。


「数字も悪くはないですね、やはりアスティマさん自体に話題性がありますから」


「だがどちらにせよ男のレトロゲー配信には需要がない、と」


 それはアスティマが事前にエイトから聞かされていた話だった。


「ええ、ただアスティマさんの場合は想定外に上手すぎたので需要は生まれたかもしれません。とは言えレトロゲー配信は基本年齢層高めの男性が見るので、そこをターゲットにする女性I(アイ)が手を出すものですね。オタク知識に造詣の深いアラサーの男性Iなら需要はありますが、かなりの例外です」


「アラサーって三十歳前後だったか?見てる奴に年齢は分からないはずだけどな」


「中身と同じ年齢でやってる人も結構いますし、隠しててもトークしてる内に世代が滲み出ます。アスティマさんはオタクとしてバックボーンが全くないのが武器でもありネックです」


「それでもしばらくはレトロゲームをやれと」


「はい、この時代に一からゲームの進化の歴史を辿れる人なんて貴重ですから、今視聴者が信じるか否かは気にせず独自性を大事にしたいですね。真実はいつか必ず大きな武器になる」


「突然すごいこと言うな、大審問長官やってみるか?」


 エイトの話振りにアスティマは感服した。


「む、無理ですよ。それと前にも言った通り、Iって基本異性の視聴者をメインターゲットにするんですけど、アスティマさん見た目が甲冑でイケメンか不明で、かと言って魂がオタクでもないので男女どちらにも刺さり辛いんですよね。声と雰囲気は女性向け、甲冑のビジュアルは男性向け、チグハグです」


「そもそも仮初めの容姿なのに美形かどうかが人気に影響するのがよく分からんな」


「う~ん、僕もよく考えたら変だなと思うのでアスティマさんには理解出来なくて当然の部分ですが。例えば素敵だなと思う絵が二つあったとして、違いは描かれている人物がエレノア様か姉さんかだけだとします。どちらの絵が欲しいと感じますか?」


「ちょっとエイト?」


「いやそれは‥‥‥」


 レナが少し不機嫌になり、アスティマにも答えようがなかった。


「じゃあえっと、同じ内容の配信をしている二人のアイクォーサーがいたとして、一方の見た目が僕でもう一方がザムスティン宰相だったらどっちの配信観ます?」


「ザムスティンは顔も見たくないな」


 その二択なら当然ながらハッキリと選べる。


「そういうことです‥‥‥かね?仮初のものと思っていても自分の好みに左右される。そして好きになる内に段々と「実は本人もこの絵のイメージに近しい所はあるんじゃないか、少しは本当のことを言ってるんじゃないか」と信じたくなってしまう、そうなったら底なし沼にハマる前兆です」


「新手のハニートラップだな。それか己の容姿を偽る文通のような」


「そ、そうかも」


 レナが苦笑いしながらいった。


「では次のゲームの話をしましょうか、僕は予定通りダークマンでオッケーだと。何なら次も同じことやりましょう」


「グリッチとやらを使うRTAか?了解」


 こうして配信のフィードバックと打ち合わせを終え、夜も遅いのでアスティマは二人を部屋に帰した。その後も自身で情報を集めようとアレクサンドリアを眺める。


 他のアイクォーサーの配信を参考もしくは基準にするために、古いゲーム機の名称をキーワードに入れてレトロゲーム配信を検索する。初めて触れる時の新鮮さがなくなるので配信する予定のゲームの動画は観れないが、それ以外のものならば問題ない。検索を続けるうちに、あるアイクォーサーが「魔界城」というゲームをプレイしているアーカイブ(動画の保存記録)を見つけた。それはエイトがプレイする候補として挙げ最終的には却下になったゲームだった。再生数が多いのでおすすめとして表示されたのだろう。そのアイクォーサーの名前、リリィ・ラクリマがどうしようもなく目に付いてアスティマは動画を開いた。


「‥‥‥これは‥‥‥‥‥‥?」


 その内容を見て、居ても立ってもいられずに部屋に帰したばかりのエイトの元に向かう。ノックをするとすぐにエイトが出てきた。どうもまだ兄弟で話し合っていたらしくレナもいる。


「突然悪いな。このリリィというIについて何か知ってるか?」


 アスティマはリリィ・ラクリマの動画を再生しながら尋ねる。


『いやいやボクの腕前なら楽勝っしょ!それじゃあいっくよー!』


「リリィさんですか?知ってますが別事務所だから僕は‥‥‥いや、姉さんが大人数コラボで一緒だったことあるかな?」


「えっと、私も数えるほどしか。あんまりお話しする時間はなかったです。リリィさんがどうかしました?」


「アマリリスだと思う」


「いぃぃぃぃぃぃっ!!!!ウソでしょ!?」


「ええぇぇぇぇぇ!?」


 二人は腰を抜かしそうなほど驚いた。確かに今のアマリリスがあのウィルソンの動画のような話し方をしているならそのイメージとはかけ離れている。


「アイツは出会ったばかりの頃こんな雰囲気だった、声も似てる。それにラクリマは涙を意味する言葉のはず。俺は昔アイツに泣きべそリリィというあだ名を付けたが、本人が嫌がったのでそう何度も呼んでない。他人にもあまり話さないだろう」


「それは確かにちょっと‥‥‥。でも姉さんが声で気付かないことあるかな?アスティマさんにも話しましたっけ?やたらと正確に他人の声を聴き分ける力あるんですよ、機械とかで誤魔化してても」


「私は全然分からなかったです」


「何かしらの魔法かもな、なにせエルフの女王だ」


「あっ!!そうだ!!」


 レナが突然何かを思い出したように大きな声を出した。


「どうした?」


「リリィさんってリンちゃんと二人でコラボしてます、配信者としては親しいかも」


 まだ界隈に疎いアスティマも、コラボとは別の配信者と一緒に配信をすることだとは説明を受けていた。二人きりで行うならそれなりに親しいことも理解している。


「それは好都合だ、お前たちとエストとリラ、この家にそこそこ有名な配信者が四人もいればそんなこともあるか。アイツ今配信中じゃないよな?」


「してませんね、リンもアスティマさんに配信時間を被せないようにしてますから」


「アイツは大人だし配信者ならこんな時間に寝ないだろう。よし、ちょっと話してくる。お前たちはもう寝ろよ」


 この家ではメイドたちの部屋も露骨にハワード家の人間たちと離されたりはしておらず、唯一セバスチャンの私室だけは防犯上の理由からか別棟にある。エストリンの部屋の位置は知っているのでアスティマは急いで向かった。部屋の前に来て扉を軽くノックをする。


「エストリン、いるか?アスティマだ」


『‥‥‥ぁえっ!?何かご用ですか?』


 中から聞こえてきたエストリンの声は少し焦っているようだったが、アスティマは彼女が自分を好意的に見ていないことは理解していたので特に何も思わなかった。大方、薄着なのでそのまま出て来れないだとかそんなところだろうと考える。


「お前の知り合いの配信者のことで話が聞きたい」


『分かりました、少々お待ちを』


 それから少しして扉を開けたエストリンは、生地が薄く丈の短い、言ってしまえば少し扇状的な淡いピンクのネグリジェを着ていた。アスティマは内心で別に着替えてたわけではないのかと感じる。


「あの、ど、どうぞ」


 普段は当たりの強いエストリンと言えど部屋の外には立たせて置けないと思っているのか、すぐに中に招き入れられ椅子に腰掛けるように促された。思えばアスティマは人生においてあまり女性の部屋に踏み入る経験はなかったが、先日立ち入ったレナの部屋と同じく何やら良い匂いがする。辺りを見渡すと、チェストの上にはレナの所でも見掛けた現代のアロマキャンドルが置かれていて、部屋を満たしているのはバラの香りのように思えた。エストリンの着ているものもピンクだが、内装に目を向けてもカーテンや家具、小物類など空間にあるほとんどの品がピンクを基調としたデザインで統一されており、配信スペースも同様だった。この家の配信者たちは場合によっては防音室という場所で配信するそうだが、とにかく熱が篭りやすいらしくなるべく自室から配信するとのことなので、ここにも配信機材があるのだろう。


「桃色が好きなのか」


「ええ、そうですね」


 突然の来訪にも関わらずエストリンは質問に答えながらカップにお茶を注いでいて、その手際の良さは流石にメイドだと感心する。それをテーブルに運んできたエストリンを見て、アスティマはふとあることに気付いた。


「頬までほんのりと桃色だな?少し息も荒い。お前さては‥‥‥」


「なっ!?なんです?」


「ジムでのトレーニングや護身術の鍛錬の他に、暇さえあればヨガだとかストレッチもやっていると聞いた。程々にしておけよ」


「え、ええ、ご忠告どうも。それでこのような夜更けに一体何の‥‥‥はっ!!やはり滾る獣欲を抑えきれず」


「だとしたら今頃お前はもう滅茶苦茶になってるだろ、良いから座れ」


「は、はい」


 アスティマが対面に座るように促すと、エストリンは大人しく従った。


「配信者の話を訊きたいと言わなかったか?リリィ・ラクリマについてだ。仲が良いと聞いた」


「はぁ、リリィさんですか?お会いしたこともお顔を見たこともありませんが、同業者としては仲良くしていただいています」


「連絡を取れないか?アマリリスだと思う」


「‥‥‥‥‥‥えっ?エルフの女王の?」


 部屋には誰もいないというのに、エストリンはなぜか少し顔を近付け声を潜めて尋ねてきた。


「そう」


「ええええぇぇぇぇぇぇぇっ!?!?」


 エストリンは驚きのあまり大きくのけぞり、椅子から転げ落ちそうになった。逆にアスティマも驚いたが騎士なので体は咄嗟に動き、エストリンの体が床に叩きつけられる前に何とか抱き抱える。


「あ、ありがとうございま‥‥‥んっ!あっ‥‥‥」


 エストリンはなぜかアスティマの腕の中で身をくねらせて悶えていた。


「ああ、本能を抑制しているサキュバスだから男と肌が触れるだけで‥‥‥これも何とかしないとな」


 アスティマは先に自分が座っていた椅子にエストリンを降ろして倒れた椅子を起こして座った。


「もうしわけありません、あっ、あの」


「それで話の続きだが、ヘンリーが連絡を取るのは不自然でも交流のある同性の同業者が連絡を取る分には自然だろう。エシュロンとやらを握っている可能性があるのはザムスティンではなく聖教会だしな」


 エストリンが何か言いかけていたが、一刻も早く話を進めたいアスティマはそれをあえて遮った。


「‥‥‥えぇと、はい、つまり私から彼女に連絡を入れてアスティマ様とお話しする場を整えると。夜更けですが大切なことですし、今すぐにでもご連絡なさいますか?‥‥‥あっ!」


「どうした?」


「リリィさんは確か最近になって深夜配信の頻度が増えていて‥‥‥やっぱり!二時間後に配信の予定があります。人としては非常識ですが配信者としてはこのタイミングでの連絡はギリギリありかもしれません」


「最近になって深夜配信を増やした?いつ頃からか分かるか?」


 アスティマに言われエストリンは返事をする前にすぐに携帯で確認する。


「はい、えぇと、約三週間前。ちょうどあなたがこの家にお帰りになった頃です」


 アスティマはそれが偶然ではないようにも感じられた。


「‥‥‥今すぐ連絡してくれるか」


「承知しました、本当にアマリリス様であるかどうかは、どのように確認なさいますか?」


「話ができたら先に俺の名前は出さず、泣きべそリリィかとそう尋ねてみてくれ」


「分かりました、ではまず文章を送って今通話が可能かどうかお聞きします」


「頼んだ」

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