幕間 英雄の家出
英雄は逃げ出した。執事は急いで自転車に乗り追いかけて行った。その他の人々は目まぐるしい状況の変化についていくことができず、屋敷に残り呆然としていた。現在は残った全員がエントランスホールの応接スペース付近で待機しているが、椅子に腰掛けているのはエリカだけで、他の皆は落ち着かない様子で立ちっぱなしだった。そしてエイトは今、ヘンリーにしっかりと説教されていた。
「エイト、アスティマ様は日々色々なことをお考えなんだ、あんな風に無理強いするのは良くない。ただでさえ800年も異空間にいて帰ってからまだ一週間なのに、対処すべき問題が山積みなのだから」
父に怒られるのは久々だった。ぐうの音も出ない正論である。
「はい、調子に乗りました。あのぉ~‥‥‥ホントにどうしましょうね、携帯は持ってなかったし」
エイトは今になって気付いた。日に日にフランクになっていくアスティマに対し、いつしか気の良い親戚の兄ちゃんくらいの感覚で接してしまっていたことを。
「申し訳ありません旦那様。私たちも一緒になってやってしまったことなので、やはり私たちもセバス様と共に探しに行きます!」
エストリンは庇ってくれるものの、どう考えても原因は自分だと自覚しているエイトの焦りは増していくばかりだった。
「いや夜道に若者は‥‥‥別にみんな心配いらないくらい強いけども」
「お父さん、アスティマさんのお洋服に発信機とか仕込んでないの?」
横でレナが恐ろしいことを言っていた。この姉はおとなしそうな顔をしてたまにこう言うことを平気で言い出す。
「ないよ!!正直考えたけどね、騎士団時代にそういう魔導具を導入するか議論になって、プライバシーの観点から任務中だけになったという話をされていたそうだ、エストリンから聞いた。それを知ったら僕如きが発信機なんて無理だ!」
この親にしてこの子ありだった。
「別にガキじゃないんだから心配いらないわよ、ガキみたいだったけど」
エリカが肘掛けに肘をつきながらどこか不機嫌そうに言った。やはりメダリオンをポイ捨てされたことに相当ご立腹なのかとエイトは身震いしたが、レナはあまり怖がっていないようだった。
「迷子にならないでしょうか?」
そしてアスティマが迷子になることを心配していた。初めて外に出たのだからその可能性は大いにありえる。
「草原と森ばかりだったアタシたちの時代と比べたら道に目印になるもの多いでしょ」
「それは確かに。昔の人はすごいですね」
レナとエリカが話していると、ソワソワとホールを行ったり来たりしていたヘンリーの方から聴き慣れた着信音が流れてきた。
「セバスだ!‥‥‥‥‥‥何だって!?自転車なのに完全に見失った!?!?まぁ信じられないくらいのロケットスタートだったから仕方ない、あの後も走り続けておられたんだ。引き続き周囲を捜索を頼む、流石に人通りが極端に多い場所にはいかないと思う」
相当無茶な指示を出してヘンリーは通話を終える。
「セバスも信じられないほど早かったけど」
エイトはあの時ただ一人飛び出して行ったセバスチャンの背中を回想する。執事服に自転車はどうしてもミスマッチでシュールだった。
「‥‥‥ふぅー、ヘリを出すか」
「あなた、落ち着いて。周辺の監視カメラは?」
錯乱したかのようなことを言い出すヘンリーをジェシカが宥め一つの提案をする。
「いやアスティマ様はなぜだかカメラに映らないから‥‥‥」
それはアスティマがアイクォーサーになるための講習をしている時に発覚した事実だった。なんとカメラがアスティマの姿を映さないのだ。そうなるとウェブカメラのセンサーも体の動きを読み取れないのでアイクォーサーになれず、元々着ていたあの鎧もダークネスタイトという素材のせいかカメラが正しく認識しなかった。それで急遽レプリカの甲冑をヘンリーが発注する運びとなっていた。
「考えたのだけど、それってこの家を包むエレノア様の結界の効力だった可能性はない?エレノア様が御守りしたかった方はアスティマ様なわけだし」
「ああジェシカ、君は天才だよ!」
妻の言葉に興奮したヘンリーはものすごい速さでリビングホールから走り去ると、すぐさま周辺の監視カメラを確認するためのノートパソコンを二台抱えて戻ってきた。特に機械に強いキスリラとエスティアが確認する。
「どう?」
レナがテーブル上でパソコンを操作するエスティアを覗き込み尋ねる。
「アスティマ様が飛び出した時間まで遡って確認してるんですけど、映ってないですね」
「うーん、あの方向に行ったならこの道は絶対に通っているはずなのに。雑木林に入ったとしてもどちらかの道には出るはず」
向かいのキスリラと手分けして確認していたが、やはり映っていないらしい。エイトにはわけが分からなかった。
「ものすごく錯乱してるように見えて冷静に反対側に行ったとか魔法使ってるとか?違うとしたら結界とか無関係にカメラには映らないってこと?アスティマさんはどういう存在なんだ」
エイトが只々困惑していると、キスリラの方を一緒に確認していたエストリンが何かに気付いたように画面に食い付いた。
「ねぇリラ、ここ何か違和感ない?街灯の下におかしな影があるような」
「ひえっ!!ホントだ!!」
二人のやりとりを聞いて別のカメラを確認していたエスティアも影に注目して映像を見返したようで、レナと二人「あっ!」と声を上げた。
「お分かりいただけただろうか」
「エイト!何ふざけてるの!」
今度は母から怒られた。エイトは何となく予想はしていたが言わずにはいられなかった。
「ホントに心霊映像じゃないですか‥‥‥これじゃAIも人とは認識してくれません、目視で追うしかないですよ」
エイトもキスリラの方の画面を見せてもらう。確かに人の姿がないにも関わらず地面に人の影のようなものがあり、目を凝らすとその近くの空間も人型に歪んでいる気がした。
「これを追っていくのは辛いなぁ」
その時またヘンリーの携帯が鳴った。
「またセバスからだ」
ヘンリーはそう言って応答するや否や目を見開いた。
「見つけたっ!?でかした!!でもどうやって!?」
即座に音声をスピーカーに切り替えたようで、セバスチャンの声が周りにも聞こえた。
『なるべく暗がりの道を探し歩いていたところ‥‥‥』
「筋が良いわね、あの執事。アスってアレだからね、なんだっけ?陰キャ?生粋の陰キャだから」
「エリカ様!?そんな言葉誰に教わったんですか!!」
突然おかしな言葉を使い出すエリカにレナが驚いて詰め寄った。
「アスティマみたいなタイプってなんて言うのってリンちゃんに聞いたわ」
「リンちゃん!?」
レナに信じられないものを見るような目で見られたエストリンは首を激しく横に振りながら否定する。
「ごごご誤解です!エリカ様が陰気はこの時代でも使う言葉なのとお聞きになられたので、それと似た言葉を!!別にわたくしはアスティマ様を陰キャなどとは!」
そういうことらしい。エストリンはアスティマに対して妙に当たりが強いのでエイトも思わず疑ってしまった。
「それでセバス、なぜ物陰から見ているんだ?」
『お屋敷にいたくないと飛び出されたので、のこのこと出て行ってよいものでしょうか』
「そーねー、元々アスって何かネコみたいな所あってふらっと一人になりたい時もあるのよ」
エリカのその言葉を聞いてヘンリーは一瞬考え込む。
「セバスチャン、今は声をお掛けしてはダメだ。少しの間、尾行を頼む。君の現在地は分かっているから僕もすぐに向かう」
『び、尾行ですと‥‥‥無理では?この距離でもすでに見つかっているのではとヒヤヒヤしておりますが』
「ノンノンノン、アイツは敵意や殺気に異常に敏感なだけだから大丈夫よ。物陰から音がしたりしたら反応するけど。メダリオンとも繋がってないから影の視界も意識して見ない限りはない」
『あの、わたくし執事服なので‥‥‥』
「頼んだよ」
エリカのお墨付きとヘンリーの指示によりセバスチャンが尾行を開始する。どう考えても無茶振りではある。
「よし、行ってくる。アスティマ様はまた逃走を試みるかもしれない、セバスだけに任せるのは酷だ」
「だったら私も行く!」
「私も行くわ」
レナとジェシカが名乗りを挙げる。
「それでは‥‥‥私も」
「じゃあリラも」
「わたしも」
メイドたちも行く気だ。着替える時間はないと思うのでものすごく目立つ集団になることは請け合いだ。しかしそんなことは気にしてはいられない。
「よし!僕も!!」
「エイトが行ったらまた逃げ出してしまうんじゃない?」
流れとして当然の如くエイトも名乗りを上げたものの、レナから手痛い突っ込みを受けてしまう。しかしエイトには秘策があった。
「アスティマさん優しいから転んだふりとかしたら気を引けそう」
「せ‥‥‥セコい」
エイトは久々に姉からのシンプルな罵倒を受けた。その姉に向かって気怠げに歩み寄る影が一つ。
「レナ~?アタシのメダリオン持ってって~。自分で持てるけどはぐれないように」
そう言ってエリカは自分で持っていたメダリオンをレナに手渡していた。
「は、はい!不束者ですがよろしくお願いします」
突然人類の至宝を渡されたレナは気が動転したのかおかしなことを言っていた。
「よし、ではみんなで行くぞ!徒歩で!!」
ヘンリーの呼び掛けに全員で応える。セバスチャンの現在地はものすごく遠いというほどでもないが追いつくためには駆け足しかない。明らかに異様な光景になるだろうが仕方ない。アスティマが人気のない道を選んで通っているというのがせめてもの救いだろう。
全員で屋敷を飛び出し走っている間にも、セバスチャンからの報告は絶えなかった。
「え?駅の近くまで行って引き返した?」
「陰キャ‥‥‥」
「エリカ様!その言葉はお忘れ下さい!」
エリカに余計な言葉を教えてしまったエストリンが何やら慌てていた。
「行き交う人にジロジロと見られてる?」
「そりゃ目立ちますよね」
キスリラはアスティマの容姿を思い浮かべているのだろう。あの美貌に不釣り合いとも言える体格と顔の傷は確かに目立つ。ただ、恐らくこうして大人数で走っている自分たちの方がより目立っている。人の多い道ではないが行き交う人には当然のごとく凝視されていた。メイドが三人に有名人のヘンリー、分かる人にはどこの家の人かバレているだろうし、分からない人にはドラマの撮影か何かだと思われそうだ。エイトがそんなことを考えている内にヘンリーと話しているセバスチャンの声が少し大きくなっていた。
『‥‥‥です!酔っ払いに絡まれています!外見は四十代の男です!お助けすべきでしょうか?』
「どっちを?」
エリカは冷静な突っ込みを入れた。全くもってその通りだ。
「あ、相手の脳髄が飛び散りそうなら割って入って」
ヘンリーが恐ろしいことを言う。しかしないとは言い切れない気がした。
『男が体格の違いに今さら気付いたようです』
「酔いすぎだね、その酔っ払い」
『し、失禁しました!相手が失禁しました!アスティマ様は何もしておりません!』
「何なの?アイツは男に漏らされる運命なの?因みにどっち?」
エリカがヘンリーの側でセバスチャンに尋ねた。エイトには言葉の意図はよく分からなかったが、変な質問をしていることは分かる。ある意味大切な確認かもしれない。
『い、一応、腰を抜かした男の下に水溜りが広がっています!しかし両方という可能性も‥‥‥』
「くっ、どちらにせよなんと不敬な!セバス、我々ももうすぐ到着する!」
次の角を曲がればセバスの現在地だ。そしてセバスはその次の曲がり角に潜んでアスティマを観察しているようだった。
「セバス、ご苦労!アスティマ様は?」
「酔っ払いが這々の体で逃げ出し呆れているところです」
「自転車は?」
「乗り捨てました。後で回収します」
あまりにも潔い仕事ぶり、流石はセバスチャンとエイトは感心する。
「あっ、アスティマ様がこちらに歩いてきます!」
「‥‥‥もう気付かれてないですか?」
キスリラがアスティマの行動を実況していたが、エストリンの言う通り明らかに目が合っていた。少なくとも反射的に逃げたりするつもりはなさそうだった。
「アスティマさん!!」
エイトが駆け寄るとアスティマがビクッと反応した。やはり警戒されている。
「エイト?いや全員でどうした」
「ごめんなさい、もう無理強いはしないので帰りましょう!!」
エイトはピシッと姿勢を正して斜め四十五度に頭を下げた。するとゴツゴツとした手が肩に触れる感触があった。
「俺こそ教わる立場でありながら逃げ出してすまなかった。正直な、途中からは久々に夜の野外を走っていたら楽しくなってしまっただけだ」
「全く何してんだか。いっそのこともっと走ってくれば?」
エリカが呆れた様子でアスティマの尻を叩いた。
「いや、帰ろう」
「はい!」
レナが嬉しそうに返事をする。こうして英雄の初めての家出は日付が変わる前に終わりを告げた。
「時にアスティマ様、本当に私の尾行にお気付きではなかったのですか?」
セバスチャンがアスティマの顔を覗き込みながら訊いた。
「道に迷ったら頼ろうと思ってた」
実はそういうわけだったらしい。
「ひ、人が悪いですよ、アスティマ様」
「セバスさんの自転車どこに乗り捨てたんです?拾っていきましょう」
キスリラが自転車のことを気にする。セバスチャンもまさか本当にそのまま不法投棄するつもりはないだろう。
「ああ、それは私が回収して帰るので皆さんは先にお戻り下さい」
セバスチャンが周りを気遣ってそういうと、アスティマがそれに反応した。
「自転車ってあの車輪が二つ付いた?あれ一度乗ってみたかったんだよな」
それなら別に屋敷の敷地内で乗れば良かったのにと思うが、アスティマには他にやるべきことが多過ぎて忙しかったのだろうとエイトは思い直した。
「自転車にご興味が?では向かいましょう」
もしかしたらセバスチャンを気遣ったのかもしれないが、それを口にするのは不粋な気がしてエイトは口をつぐんだ。そうして結局は皆揃ってセバスチャンが乗り捨てた自転車の前まで皆でやってきた。アスティマは片腕で倒れていた自転車をヒョイと持ち上げて跨がる。セバスチャンが乗っても同じだが、自転車がいつもより小さく見えた。
「あの、乗れるのでしょうか?」
エストリンの心配はもっともだ。恐らくは生まれて初めての自転車、それに体格とサイズが合っていない。
「動画で観たから簡単だ。ん?動かないな」
アスティマが前に行こうとするとカシャカシャと音が鳴る。セバスチャンは咄嗟に鍵は掛けておいたらしい。ところがアスティマは両足をペダルに乗せたまま進まない自転車の上で静止している。
「え?スタンド降りてないですよね?」
「運動神経とか体幹の良さかな?やっぱり」
キスリラもレナも周りの皆も驚いていた。
「ああっ、鍵だけは抜いてきたのです、今錠を外しますのでお待ちを」
セバスチャンが錠を開けるとアスティマはスイーっと進み出した。
「おっ、これは快適だな」
アスティマは非常に緩やかな速度でノロノロと自転車を漕ぎ辺りを旋回する。少しフラついているが当然倒れそうにはない。
「そのままスピードを上げてしまって結構ですよ。我々は走ってついて行きますので」
ヘンリーが声を掛けると同時にエリカが後ろの荷台に乗った。
「エリカ?自転車の二人乗りは違法だぞ」
アスティマの何気ない言葉にエストリンが「いつそんな知識を‥‥‥?」と疑問を口にした。自転車の動画を観たと言っていたがレース系ではなく交通ルールの教材でも見ていたのかもしれない。
「うるさいわね、ケーサツに見つかった瞬間に消えるわ、完全犯罪ってヤツよ」
「誰がエリカ様にそんな言葉を?」
レナはエストリンをチラリと見たが、エストリンは両手を振って否定した。
「そもそもエリカ様は肉体をお持ちではないので問題ないかと」
そしてセバスチャンは淡々と元も子もないことを言っていた。
「ハイ!レッツゴー!!」
「他が歩きだからスピードは出さんぞ」
自転車を漕ぐアスティマの後ろではしゃぐエリカ。駆け足で追いかける屋敷の人々。夜でなければ青春の一幕に見えなくもないが、きっと相当奇妙な光景だろう。それでもエイトは何やら楽しかった。周りを見渡せば誰もが笑っている。両親やセバスチャンも楽しげだ。思い返せば家族全員で近所を練り歩くなんていつぶりだろうか。皆でマラソンのような速度で走り、他愛のない話をしながら屋敷の前の坂まで戻ってきた。先行していたアスティマは道なりに進まずにそのまま斜面に突っ込む。
「アスティマさん!?!?その斜面をチャリで登るんですか!?」
エリカの重さは分からないがどう考えても自転車で走るような傾斜ではない場所をアスティマはジャンプを駆使して登っていた。
「よしっと。あっ、自転車が傷むか?」
アスティマは一段高い所からハワード家の人々を見下ろし、自転車の心配をしていた。今日一日で随分と人間味のある姿を見せてはいたが、魔王を倒した英雄はやはり普通ではないと、エイトはつくづくそう思った。
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