第9話始まりの事件(4)

 あまりにも衝撃的な内容に、エイトたちは言葉を失っていた。中でも父の動揺が大きく見えたエイトは声を掛ける。


「‥‥‥何かとんでもない話になってない?父さん、大丈夫?」


「‥‥‥ああ、うん」


 ヘンリーの返答は心ここに在らずといった様子だった。


『私がインタビューを行った方がどなたなのかは敢えて公表致しませんが、これで少しは信じるに足る話だと考えて頂けましたでしょうか。この方の考える通りになるのなら私にとってもそれは正に尭孝と言えますが、そうは思わない方々も確実に存在するでしょう。それはアスティマ卿を歴史から抹消した人々、エレノア聖教会です』


 話の流れから恐らく誰もが察してはいたが、ここでウィルソン教授はついに「聖女と特別な関係にある人物を消したかった組織」としてエレノア聖教会を名指しした。聖女エレノアを神と崇めながら、彼女が属したアルテナ正教会と袂を分かち、それでもなお世界最大宗派へと上り詰めた謎多き団体。


「‥‥‥父さんこれヤバくない?」


「ウィル‥‥‥だから連絡を経ったのか、周囲の人々全てからっ!!!聖教会がどれほど過激な組織かは知っているだろうに!!」


 顔面蒼白となったヘンリーの様子を見て一気にこの場の緊張感が高まる。ヘンリーは携帯からまたどこかに連絡していた。


『次に表示するのは私が入手した最後の資料となります。これはエレノア聖教会の発足直後に司教から末端に向けて下された指示書です。年代や紙質を調べましたが当時の物と考えて矛盾はなく、筆跡はこの時に聖教会の司教を務めていたアグニレオという人物に極めて酷似しています。アグニレオ司教が残した公式文書を併せて解説させていただきます』


 そう言ってウィルソン教授は文書を鑑定した際に見たポイントを素人でも分かりやすく解説していたが、やはりこの方式での情報公開は信憑性には欠ける。それでも視聴者の意見が半信半疑で済むのは教授のこれまでの功績と真摯さ故なのだろうとエイトは感心した。


『では肝心の文書の内容ですが、ここには「忌むべき闇人の名を後の世に残してはならぬ、戦時中の記録を許可なく写本することを禁じる。こちらで検閲した原本のみ書き写すこと」‥‥‥そう書かれています。名前こそ伏せていますが、この指示によって逆に後世に名を残すような戦士について聖教会が何らかの細工を施そうとしたことは明白であり、アスティマ卿は闇の魔法の使い手でした』


「忌むべきやみうど?‥‥‥世界を守った英雄に対して?エレノア様の騎士なのに?」


「闇の魔法の使い手‥‥‥?」


 エイトの純粋な疑問とは別にエストリンは他のことが気になったようだが、その呟きの意味はこの場の者には大体理解できる。現代人は闇の魔法の使い手が大戦時代に迫害されたと聞かされている。


『また、エレノア教の成立後程なくして、人類の叡智の結晶であったアレクサンドリア図書館は焼失し、同時期に各地で膨大な数の戦争の記録が失われています。思うに人魔大戦の中心人物の記録を改竄し整合性を持たせるというのは無謀な行いであり、その結果辻褄合わせもろくに出来ずに焚書したケースも多かったのでしょう。しかしこれは私の憶測に過ぎず、またこの場でどのような資料を示そうとも、正式な証拠とはなり得ません。それでも、今の世界でエレノア聖教会と異なる主張を掲げては公の場での情報の発信は望めないものと判断し、このような形で皆様の耳目にお届けするに至りました』


 努めて冷静に語ろうとしているウィルソン教授の表情を良く見れば、普段は決して見せない怒りの色が滲んでいるように思えた。それを見てヘンリーは心中を察したらしい。


「‥‥‥許せないよな、ウィル。歴史を研究する者として、オースティン様を敬仰する者として、聖教会の在り方は。だが君は‥‥‥‥‥逸った」


「ねぇ‥‥‥父さんやっぱり何か知ってるの?」


 ウィルソン教授と同様、聖教会が行った隠蔽であると断定する口調の父の言葉がどうしても気になったエイトは思わず質問し、ヘンリーは静かに答えた。


「ああ‥‥‥聖教会の者が一度足りとも足を踏み入れていないこの家の地下には、一切改竄されてない記録があるからね」


 その突然の告白に目を剥くエイトたちを他所に、ウィルソン教授の話は続く。


『元来、他人を糾弾したりましてや罰する立場にない一介の研究者である私の願いは、人類の未来のために戦った偉大なる方々の正当な歴史が白日の下に晒されることにあります。そしてアスティマ卿がもし本当に再びこの大地を踏み締める時が来たなら、その時には心穏やかに過ごせる世界であってほしいと、そう思います。同時に恐れていることは、今の世界の在り方がアスティマ卿の逆鱗に触れないのかということです。この世界の正しさについて、私と同じく現代に生きる人たちに今一度考えてほしい、私の動機はそれに尽きます』


「そりゃ今の世界はアスティマ様の逆鱗でピンポンダッシュ状態な気がするけど‥‥‥」


 ウィルソン教授の発言に思わずエイトは思ったことをそのまま口に出す。


『それでは皆様、最後になりますが今日までご心配、ご迷惑をお掛けしてまことに申し訳ありませんでした。私は今後も人魔大戦の真実を究明するためにこの身一つで研究を続けていく所存でございますので、どうかご理解のほどよろしくお願い致します』


 始まった時と同様に一礼し、ウィルソン教授は放送を終えた。最終的に最も視聴者が多い時間帯には同接2千万人を記録していたが、突発的にそこまで増えると正しく測れているのかどうかさえ分からない。皆呆然としている中、ヘンリーが切羽詰まった声でどこかに連絡を取っている声だけが響く。


「まだ場所は特定出来ないか?何とか聖教会より前にウィルの身柄を確保するんだ。私も明日には合流する、頼んだよ」


 事態は急を要するようだ。一向にこの場に現れない執事のセバスチャンが色々と動き回ってくれているのかもしれない。


 エレノア聖教会は教義のために歴史上最も多くの血を流した集団でもあり、現在では軍事大国に匹敵する武力を有した武装集団とも言える。聖教会に目を付けられかねない行動をするならば軍にいた経験があるセバスチャンのような人材が適任なのだろう。行動を共にするような口振りのヘンリーもまた、並みの軍人や騎士より遥かに強い。エイトやレナも幼い頃から武芸の鍛錬を積まされていて、二人はそれを勇者の末裔としてのたしなみ程度に思っていたが、実は明確な理由があったのかもしれないと今日初めて気付いた。


 ただそれとは別に、エイトには気掛かりなことが一つあった。恐らく今、世界中で同じことを考えている人は多いはずだとも思う。


「‥‥‥これってさぁ、あのエレノア様は何か反応するのかな」


「あちらのエレノア様ね」


 エイトの言う「あのエレノア様」に対し、「あちらのエレノア様」と返すレナ。今を生きる人々にはその妙なニュアンスだけで全てが伝わる。


 そう、聖教会が神と崇める聖女エレノアは現代に存在していた。正確には聖女エレノアを名乗るアイクォーサーが。エレノア教団本部公認でアカウントが作成された3年前には世界中で途轍もない物議を醸し、当然ながら「教団上層部がおかしくなった」と信徒たちの大半が反発し暴動にさえ発展した。ところがこのアイクォーサー・エレノアの活動内容があまりにも神懸かり的なものであったために世界中の人々があっという間に手のひらを返し、今やアイクォーサーかどうかさえ分からない絶大な影響力を持った人物へと上り詰めた経緯がある。近年では各国がエレノアを支持するか否かを表明する段階にまで至っていた。


「‥‥‥もしも本当にアスティマ様がこの世界に帰って来たら全ての真実が分かるのかな、ウィルおじさんの願う通りに。アスティマ様は怒るのか‥‥‥呆れるのか」


 ウィルソン教授や父ヘンリーの身を案じる心情、自分たちにも火の粉が降りかかるかも知れないという思考、それら大きな不安とは裏腹にエイトは正直なところワクワクしていた。配信のチャット欄で盛り上がっていた人々と同じ言わば野次馬根性で、これから世界がひっくり返るような騒ぎになるのではないかと期待した。対して姉のレナは冷静だった。


「‥‥‥‥‥‥アスティマ様は悲しむんじゃないかな。私はアイクォーサーのエレノア様がご本人とは思えない。イーサン様とアンジェリカ様も人魔大戦の数年後には‥‥‥。今の話が本当だとしたらアスティマ様が現代に帰ってきても会いたい人たちはもう‥‥‥‥‥‥」


「あ‥‥‥」


 レナの言葉を聞いてエイトは己を恥じた。それでもまだ、この時の昂りをすぐに心の底から後悔することになるとは夢にも思っていない。その不穏な未来を暗示するかのように、ヘンリーは意味深な独り言を口にした。


「アイクォーサー・エレノア‥‥‥全てを見透す仮想世界の神‥‥‥ウィル‥‥‥どうか無事で」


 だが願いも虚しくこの放送からわずか2日後、ウィルソン教授はとある山中の崖下から、車の運転席に座った状態で遺体となって発見された。車内には配信機材が積まれ、近くにはつい最近まで人が生活していた形跡のある小屋があったらしい。事故は危険な山道での単独事故として処理され検視も早々に済み、発見から5日後には葬儀も滞りなく執り行われた。事故には不審な点はないとされた通り、実際に平常心を失ったまま慣れない山道を運転したことは事実なのだろう。それでも何かが腑に落ちない。ハワード一家と使用人は様々な疑念を抱えたまま葬儀に参列し、古くからの知己との別れを惜しんだ。棺の中で眠る親友に花を添える時ヘンリーは耳元にずっと何かを囁いていて、微かにエイトが聞き取ったのは短く繰り返す謝罪の言葉だった。ハワード家一同が涙と共にウィルソン教授を見送り帰宅した後、全員がリビングに戻ってきたところで気の休まる間もなくさらなる事件が起こる。


 部屋の中ほどにキョロキョロと辺りを見渡す全く見覚えのない人物が立っていたのだ。その人物は人並み外れて背が高く体もがっしりとしていたが、そんなことよりまず目を引いたのは全身を覆う黒い甲冑だった。その甲冑は左胸付近が大きく十字に引き裂かれている。手には大きな槍もしくは杖のような物を握っていて、三叉に分かれた先端の左右に靴を引っ掛けていた。目の前に広がる異様な光景に全員が息を呑み、セバスチャンは誰よりも前に出て臨戦の構えを取ったが、恐らくはそのセバスチャン含めこの場の誰もが目の前の人物の正体を朧げながら理解していた。ありえないと感じつつも一つの考えが頭から離れない。ハワード家の人々が呆然とする中、甲冑の人物が語りかけて来る。


「家人だな?揃って黒衣とは‥‥‥葬儀で家を空けていたわけか。間が悪いことで申し訳ないが俺はあまり怪しい者ではない。ああ‥‥‥顔も見せなくてはな」


 その若干怪しい自己申告に、相手が騎士の格好であることから身構えたであろうセバスチャンは逆に警戒を解き、件の人物は器用に片手で兜を脱いだ。彼に歩み寄ろうとしていたヘンリーとセバスチャンはその面貌を見て怯んだように足を止めた。声からある程度は察せたが目の前の人物は若々しい青年であり、無造作に伸びた黒髪からは朝焼けに似た東雲色の瞳が覗く。とても端正な顔立ちだが、左の頬から顎にかけて一筋の傷が走っていた。黒い甲冑の人物は顔を見せたところで依然怪しまれていると感じたらしく、続けて口を開いた。


「俺は聖堂騎士アスティマ・ヒール。長年異界に幽閉されていたが突如その世界が崩壊し気付いた時には巨大な石室の門の前にいた。俺が出て来たと思しき門は部屋の中央にあって何処とも繋がっておらず、石室の出入り口は昇降機しかなかったので乗り込んだところ、ひたすら上昇しこの家の地下二階に出た。状況を把握するため探索していたが部屋に置いてある物の多くが未知のこの場に至り足を止めていた、こちらからは以上だ」


 アスティマと名乗った人物は不測の事態に慣れているのか単に肝が据わっているのか、すらすらと己の置かれた状況について説明した。そう、目の前の人物はごく自然にアスティマ・ヒールと名乗った。その事実を前にエイトの中では一瞬にして様々な感情が怒涛の如く押し寄せ、全身の震えが止まらない。そして顔面蒼白になった父は彼の前に跪いて頭を垂れセバスチャンもそれに倣い、残る全員がそのまま立っていてはならない雰囲気を感じ取り正座して頭を下げた。ヘンリーは相手の顔を見ることなく下を向いたまま話し出す。


「私はハワード家第33代当主、ヘンリー・ハワードと申します。この地の守人として大方の事情を把握しておりましたが、あろう事か気が動転し貴方様に先にご説明頂く運びとなってしまいました、誠に申し訳ございません」


「揃いも揃って突然どうした、頭を上げてくれ。ハワード家の第33代当主と言うと‥‥‥いや待て、そこの若い二人。やはり気になるな」


 アスティマは甲冑の鉄靴をぶら下げた槍のような物をカシャンカシャンと鳴らしながらヘンリーたちを通り過ぎ、顔を上げただけでまだ座ったままのエイトとレナの前まで来ると、まじまじと見つめた後に妙な親しみをもって語り掛ける。


「もしかしてイーサンとアンか?若返りの秘術でも見つけたのか」


 魔法が衰退して早数百年、科学が世を席巻した時代。この時この地に暮らす者たちは、800年間に渡りハワード家が守り通した重大な秘密の真相と対面した。皮肉なことにそれは、ヘンリーの親友ウィルソン教授が命懸けで追い求めた歴史の真実そのものだった。

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