第41話 母親について 

車のブレーキ音が、ウッドデッキまで、聞こえてきた。京一は、反射的に立ち上がり、玄関に向かおうとするのを、佳織は、静止する。

 私が行くから…そんな言葉を添えて、玄関に向かった。京一から、今朝、突然訪ねてきた母親が来るかもしれないという話に、今の京一が出迎えるより、自分が出迎えた方がいいと判断したからである。

 「あっ、佳織さん。」

 広いスペースをとった玄関に、先に、姿を現したのは、徹であった。続いて、徹の肩ぐらいの背丈の年配の女性の姿が視界に入る。この人が、京一の母親かと思うともいささか、緊張の糸が、佳織の胸に一本走る。視線が合い、軽くお辞儀をする佳織に対して、母親も、つられて会釈をした。

 「お母さん、一緒に、作業を手伝ってもらっている佳織さんです。」

 「あの、初めまして、樋口佳織と言います。」

 少し、言葉に詰まりながらも、顔が引きつっているのが自分でもわかる。さっきまで、京一の口から、語られていた言葉を胸に、佳織は、母親を見つめていた。

 「なんね、こげんかわいい女の子がいたとは、びっくりやがねぇ。いつも、京一がお世話になっています。京一の母親です。」

 二人は、そんな挨拶を交わし、佳織が、母親を家の中に招き入れる。母親は、まだリホーム中の部屋に、視線を巡らせている。

 「もう、住めるよか。感じやね。これを、徹君と三人で…」

 「はい、一階部分は、ほぼ完成で、後は、二階の方を…」

 三層の重箱に風呂敷に包み抱き、リビングに足を進める。あの使えない暖炉のあるリビングにあるテーブルに、重箱を置き、徹が、興味津々の母親を、案内する。佳織は、台所で、母親にお茶を出す支度をしていた。

 「本当に、今日からにも、住めそうな感じやね。でも、こんげなリホームちゅうもん、素人でもできるんやねぇ。」

 「今は、ホームセンターに行けば、大抵なものは売っているんですよ。」

 「それに、DIYって言って、日曜大工っていうのが、流行っていますしね。お母さん、お茶でも、どうぞ。」

 徹と二人で、リビングに戻ってきた母親に、声を掛け、お茶を進める。

 「ありがとう、突然に、ごめんなさいね。作業は、進めんでよかね。」

 徹は、佳織の方に視線を向ける。そして、まだ、ウッドデッキにいる京一に、視線を移すと、察した。

 「今日は、しないみたいですね。まぁ、お母さんも、訪ねてきているんだし、今日は、無しでいいのかな。」

 徹は、佳織に尋ねるように、言葉の語尾を疑問形にする。

 「ほら、お母さんもおるし、今日は、作業しないって、京一さん、言っていました。」

 「まあ、趣味でやっている事なんで、期限があるわけですから、京一さんのわがままで、決まるところもありますので…」

 フォローを入れたつもりがフォローになっていない徹の言葉に、佳織の表情が固くなる。

 「なんね。こんな子は、偉そうにしてからね。わざわざ手伝ってくれているのに、わがまま言ってからね。すいませんね。そうそう、こんな田舎料理でよければ、食べてやってください。」

 母親は、そんな事を言って、持ってきた三層の重箱をテーブルに広げた。佳織は根そんな母親を手伝い、徹は、ウッドデッキにいる京一の事を呼びに行く。以外と、素直に、リビングに顔を出した京一は、何も言わず、椅子に座っている。まあ、徹と佳織の手前、大人になるのも大事な事でもある。

 ブスッと、仏性面をした京一はさておき、母親と、徹、佳織の二人は、たわいのない会話をしていた。重箱に盛られた手料理は、徹が手伝ってくれたとか、京一のここでの生活の事だとか、佳織の仕事の事だったり、本当に、世間話程度の話をしている間、京一は、一切会話に加わろうとはしない。

 「佳織さんは、いい人をおるんね。」

 「えッ、いい人って…どうでしょう、まあ、居ませんね。」

 母親の突然のぶっこみに、思わず、返答してしまう。

 「じゃったら、どうやろ、京一は…」

 どうやろって…母親の真剣な眼差しに、どう返答していいものか、わからいでいると、母親の言葉を止まらない。

 「なんか、よくしてくれているみたいやし、京一は、不器用なところあるから、佳織さんさえよければ、京一とのお付き合い、考えてくれんね。佳織さんも、年頃やし、京一で、手を打ってくれんね。」

 バぁン!平手で、テーブルを叩きあげて、京一はその場に立ち上がった。持っていた缶ビールの缶が握りつぶされて、右手がビール紛れになっている。

 「せからしか、ええ加減にせいや。連絡もせんで、突然やってきて、徹とゲイ疑惑の次は、佳織と一緒になれってか。お前、ええ加減にせいや。十五年も、会ってへんのに、なんやねん。母親面して、なんやねん。黙ってた聞いてたら、好き放題ッてくれるのう。」

 怒鳴り声と、見た事のない鬼の形相が、二人の瞳に映っていた。

 「お前は、なんやねん。電話一本で、親父と別れただぁ。それは、まあ、ええわ。男と女の事や、色々あったんだろうよ。親父は、口より先に手が出る男やったから、小さい頃から、それを見てきたから、別れたくなる気持ちはわかる。それは、歳を重ねる度に、納得は出来んけど、わからんこともないわ。」

 徹は、こんなに激怒する京一を見た事がない。機嫌が悪い時は、乱暴な言葉使いをするが、基本、物静かな人だ。そんな京一の豹変ぶりに、いささか、ひいてしまう。

 「その後、数年して、はがき一枚で、再婚しましたって、なんやねん、それ!十五年前、姉貴の結婚式でおったよな。そん時も、なんも説明がないままや。まあ、あえて、聞かんかったけど、普通、再婚相手連れてきて、紹介するぐらいの事はするやろ。」

 佳織は、京一の方を見てはいない。母親の方に見ていた。徹と母親が来るまでの間、京一の愚痴を聞いてからである。佳織の前で、自分の息子が喚く罵倒に、耐える母親の姿が瞳に映る。

 「結婚って、なんやねん。結婚って、一生を添い遂げるために、するもんとちゃうんか。親父もそうやけど、お前に、結婚をしろって言う資格があるんか。」

 京一は、一瞬、佳織に視線を送る。この後に、口にしようと言う言葉を躊躇しているように感じた。

 「そらぁ、四十も前にした男や。結婚を考えた事もあったわ。でもな、ちらちらと、あんたたちの影がよぎるねん。将来、別れてしまうかもしれへん。覚悟が出来へんのに、結婚なんて、出来るわけないやろ。」

 普段の京一からは、考えられない怒涛のトークが続いた。しかも、怒りに任せている。いつも、冷静な京一の姿ではなかった。

 「親父から聞いたで、お前から、離婚を切り出された時、もうすでに、男がおったらしいの。ええとしこいて、このエロばあばあが!」

 一瞬、京一の目の前が真っ黒になる。視界が塞がれたと思った瞬間、左頬に強烈の痛みが走った。佳織の平手が、京一の左頬にさく裂したのだ。じんじんと痛みが広がっていく中、今度の香織の怒声が、空間を包み込んでいた。

 「京一さん、らしくない事せんでや、見ててられへんから、止めとき!」

 徹は、今、この場で起きている事が、理解できないでいる。京一から、家庭環境は、一通り、把握している。五年前の京一との帰省の時に、なかなか、父親と会おうとしない京一を見ているだけに、複雑な家庭っていうのは、理解できている。あまり、自分の家族の事を語ろうとしない京一に見ていたら、こじれ方も、半端ではないという事は理解していた。でも、今、目の前で繰り広がれているこじれ方は、徹の理解を超えていた。それに、なんで、佳織の京一への平手打ちで、この場を、黙ってみている事しか出来なくなっていた。

 「自分の母親に対して、なんてことゆううん。それに、お母さんに対して、言いたい事は、そんなんと、ちゃうやろ。ずっと、心配してたんやんな。気になってたんやんな。やっぱり、女同士の方が、気が楽なんかなぁ、って、思ってたんやんなぁ。自分に、素直、正直になりや。」

 しばらく、静まり返った空間に四人はいた。佳織は、徹と母親が来るまで、ウッドデッキで、京一の愚痴を聞いていた。母親に対して、どうして、どうしての連発であった。だから、京一が口にした、母親に対する馬頭に腹が立ってしまった。京一の頬に、平手打ちをした右手の痛みが、じんじんと広がっていく。京一の裏腹の言葉に、右手を握り締めていた。

 以外にも、この静まり返った空間を、最初に破ったのは徹であった。

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