第20話 圭織の愚直

『じゃぁ、また…』

 各々に、そんな言葉を掛け合い、男性二人は、佳織に向かって手を振っている。出雲大社駅の改札の前で、男性二人が、佳織を見送っていた。良くも、悪くも、親睦が深まった、この数時間。三人は、再会を誓い合った。

 「すごかったですね。佳織さん。」

 徹の率直な言葉であった。佳織を見送り、駐車場に向かう道、多くの人が行きかう大通りで、徹は言葉を発した。

 「ああ…でも、楽しかったな。」

 「そうですね。僕も、そうです。」

 二人は、今見送った佳織の事を思いつつ、本音の言葉を口にしていた。楽しかったのである。男二人の野暮ったい旅をしてきたから、突然の女性の存在に、新鮮味を感じたのかもしれないが、また会ってみたいと思える女性と出会ったのである。

 「突然、佳織さんに声をかけた時は、何やってんねんと、思ったけどな。」

 「なんですか、京一さんが、気になっていたみたいやから、声かけてみたんですよ。」

 「えっ、私は、別に…」

 たしかに、出雲大社の参道で、佳織の姿を見つけた時、声を掛けてみたくなる衝動にかられたのは事実である。タイプだったからというわけではなく、話をしてみたい、そう思ったのである。

 「何、動揺しているんですか。」

 「何、言ってんや、徹!早くいくぞ。」

 参拝客で賑わう通りに、男二人が、そんな言葉を口にしながら歩いている。京一は、照れ臭いのか、早歩き気味に、徹は、そんな京一を茶化しながら、着いていく。出雲大社は、縁結びの神社としても、有名である。この土地で、三人の縁が、結び付いたのかもしれない。


大きなあくびを一つ。京一は、瞼が重い状態で朝を迎えていた。正直、眠い。このまま、二度寝をする為に、布団に潜りたい気持ちに、駆り立てられる。

起きますか。そんな言葉を呟いて、掛け布団をめくりあげた。昨晩、布団に入ってしばらくして、一通のメールが届いた。隣では、軽いいびきをたてている徹がいた。メールの送り主は、佳織であった。

<今から、電話していい?>そんな単調な言葉に、断る理由も見つからず、いいよと返した。徹を起こさないように、部屋を出て、佳織からの電話を待った。しばらくして、旅館の廊下に、呼び出し音が鳴る。ツーコール目で、どうしたのと言葉を発し、いや、なんとなくと、言葉が返ってきた。

「今、どこなん。」(山口、明日は、朝から、萩の町の散策)

「ふぅ~ん、そうなん、徹君は…」(もう、寝とるよ。今、廊下…)

「京一さんも、眠い?」(どちらかというと、眠いかな。)

「そうか、そんなんや。じゃあ、話付き合ってよ。」(…)

噛み合っているようで、話が噛み合っていない。

「京一さん、言い忘れてましたけど、私、泉南なんやで…。」(えっ!)

「実家が、泉南市なんですよ。私。」

そうなの。少し、驚いた。佳織が生まれ育った所が、自分が住んでいる町だったのである。

「軽い、もう少し、びっくりすると思っていた。なんか、拍子抜け…」

十分驚いている。どんなリアクションを取っていいのか、わからないだけである。

「京一さんが、泉南市に住んでいるって聞いた時、言おうと思ったんやけど、何か、言いそびれてしまって…でも、泉南って、田舎だよね。大阪府と言っても、南の南、もう、和歌山って言ってもいいもんね。」

「自分の地元を、悪くゆうて、どないするん。田舎は、田舎やけど、いい所やんか…」

「田舎は、否定せんのや。まぁ、ええけど…」

何やそれ…佳織からの電話。なんで、僕に…、そんな疑問が、頭の中に浮かんでいるが、言葉にできないでいる。

「アンナ、ほんまは、私、泉南で、教職したいねん。毎年、受けているんやけど、なかなか、採用されなくて…ねぇ、京一さん、知っている、正規教員と、非正規教員のお給料も、全然、ちゃうんやで、同じ仕事をしているのに、不公平やと思わん。」

知っているわけがないと、突っ込みたくなってくるが、言葉を止める。

「だから、毎月、かつかつの生活してるんやで、私、かわいそうやろ。それに、勤務時間なんて、労働基準なんて、あって、無いようなもんで、ほんま、かわいそうやと思わん、私…」

これは、愚痴なのか、愚痴を誰かに言いたくて、電話をかけてきたのか。そんな事を考える。京一は、丁度いいらしい。同僚の女性から、そんな事を言われた事を思い出す。隣にいて、丁度いい存在。喜んでいいのか、悲しんでいいのか、わからない。異性として、安心できる。緊張もせず、気も使わない。だから、思ったことを口に、言葉にできるらしい。

「聞いてる。京一さん。私の話…相槌ぐらい、打ちなさいよ。」

すごく理不尽なことを言っている。そんな事を思いつつも、ごめんごめんという言葉を発してしまう。

「じゃあ、普通に、民間の会社に転職すれば、ええやん。」

「あぁ、あっ、それを言うね。それは言ったら、あかんやろ。今の私に、それを言ったら、あかんって…」

飲んでいるの。思わず、そんな言葉が出てくる。佳織の呂律が、回っていないような気がしたからである。

「ほんの少し…そんな事よりね。京一さん、そんなこと言ったら、あかんよ。いい、私の精神状態は、不安定なの。常に、この酷い、酷過ぎる職場環境から、逃げ出したいと思っているの。そんな私に、そんな事を言ったら、転職してまうかもしれんやろ。そうなったら、責任取ってくれるん。」

「責任はとれませんが…」

「だったら、そうゆうこと、いわない。」

すいません、思わず、謝ってしまう京一。なんで、自分が謝っているんやろと、思いつつも、絡み酒。佳織の絡み酒に、付き合ってやる。

「私はね、教師になりたくて、頑張ったの。だから、辞めない。頑張って、教師をやり続けるの。」

佳織は、力強く、そんな言葉を言い切る。京一は、そんな佳織を格好よく思えた。今の自分に、こんな情熱はない。今までの人生、京一も頑張って生きてきた。一生懸命、真面目に生きてきた。それは、自分が生活するためであって、自分のやりたい事をしてきたのかと訊ねられたら、素直に頷くことはできない。人から、与えられた仕事を頑張ってやっていたら、その仕事が楽しくなって、頑張ってこれた。ただ、それだけである。佳織は、非正規職員であっても、自分がやりたい仕事をやっている。過酷な職場環境でも、自分がやりたい仕事であるから、必死にも歯を食いしばっている。正直、新しい仕事に、そんな情熱を持てるのか、疑問である。

「格好いいですよ、佳織さんは…」

京一は、素直な気持ちを言葉にした。トーンを下げ、正直に、言葉にしていた。

何、どうして…。佳織が、突然の京一が発した言葉に戸惑う。佳織は、愚痴を聞いてほしかっただけである。独り、旅行から帰り、真っ暗な部屋の明かりをつけた。現実に戻ってきたと感じた時、恐怖に襲われる。自分が信じて歩いてきた道が、正しかったのか、今のままで、自分はいいのか、そんな恐怖が、ビールを口に運ばせた。誰かと、話をしたかった。人と話をしなければ、このまま、飲み続けるであろう、自分が嫌になる。そんな時、数時間前に出会った京一の事を思い出した。丁度いい人間。話を聞いてくれそうな人間。気兼ねがいらない人間。京一の姿が頭に浮かんだのだ。

「いや、佳織さんの事、格好いいなぁって、思っただけですよ。私なんか、仕事に、そんな情熱を持てませんよ。本当に、教師という職業に、誇りを持っているんやなぁって、感心しただけですよ。」

「なんで、そんなことゆううん。酔っぱらって、突然電話して、愚痴を言っている女の、どこが格好いいんよ。なんか、もっと、けなしてや。何か、腹が立つ。」

女性は、時に、我がままを言いたい。ガス抜きがしたい。それが、誰でもいいわけではないと思う。中には、誰でもいい人はいるかもしれないが、佳織は、そんなタイプではない。

「別に、愚痴を言う事は、悪い事じゃないと思うよ。私も、酒を飲みたい時もあるし、愚痴を言いたい時もある。私でよければ、付き合うよ。今は、時間を、持て余してるぐらい、たくさんあるから…」

別に、彼女でもない女性に対して、そんな言葉が出てしまっていた。好意があるわけでもない。ただ、佳織の話し相手になりたかった。どうしてかと聞かれれば、理由などない。それが、今の京一の本音であった。

「もう、何で、そんな、優しい言葉をゆうねん。知らんとか、迷惑やねんとか、言ってや。ほんまに、腹が立つわ。」

佳織は、自分に腹を立てていた。こんな言動をとっている自分に、弱音を吐く自分が、嫌で嫌で仕方がないのである。

「佳織さんは、愚痴をいいたいやろ。私は聞くよって言っているんやから、素直に聞いてもらえばええやん。あっ、そうや。こう考えればええ、私も、愚痴を溢したくなる時がある。そんな時は、私の愚痴を聞いてや。そうすれば、イーブンやろ。そうしよや、それがいいって…」

「そんな事、言われたかって、はい、今から愚痴ゆうね。聞いといてやなんて、おかしいやろ。」

「じゃあ、愚痴じゃない話してよ。そのうちに、愚痴になるやろから…」

「だから、愚痴前提で、話をするっておかしいやろって…」

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