第21話 続・圭織の愚直
クスリ!お互いが、受話器の向こうで、噴き出していた。可笑しいね、おかしいな、そんな言葉を掛け合い、二人は、くすくす笑っていた。それから、一時間ほど、たわいのない話をしていた。佳織は、臨時勤めの学校の事、これから務める小学校への不安と期待。京一も、十七年間勤めた会社の事と、四月から勤める会社への不安と期待を普通に語っていた。本当に、長年付き合っている友達みたいに、気兼ねもせず、素直に、自分をさらけ出していた。
「ところで、京一さん。」(なんです。)
何か、ソファーで、寝そべっている佳織の姿が、頭に浮かんでくる。
「しばらく振りなんやんなぁ。里帰り?」
突然の佳織の言葉に、絶句してしまう京一がいた。
「どれぐらい、帰ってなかったん、田舎に…」
悪ぶれる事もなく、淡々と言葉にする佳織に、無性に、腹が立ってしまう。
「別に、いいやん。」(別にいいやんって、ちょっと、何!)
触れてほしくない所。現実に戻された感、京一の地雷を、佳織は、完璧に踏んだ。
「何、急に、テンション下がったんやん、何か、私、失礼なこと言った。」(いや、別に…)
京一は、発する言葉が、思い浮かばない。素っ気ない口調で、返事をしてしまう。佳織は、壁をよじ登るように、京一の領域に入ろうとする。
「京一さん、単なる里帰りやろ。何、意固地になってんの。私も、最近は、お盆と正月しか帰らへんけど、泉南やから、近いし、ちょっちゅう、帰ればいいんだけど…」
単なる里帰りではない。十七年ぶりの里帰りである。耳元で、受話器から聞こえてくる佳織の声にイラつく。陽気に、知ったような口ぶりで喋る佳織の態度に、腹が立つ。
『うるさい!』京一は、叫んでいた。し~んとした旅館の廊下に、京一の声が響き渡る。ハッと、我に戻り、辺りに視線を送り、慌てて、その場から立ち去っていた。
叫ばれた当人の佳織は、携帯を耳に当てたまま、固まっている。見事に、地雷が爆発してしまう。不発の時もあるのか、そんな事はどうでもいい。京一の周りに囲まれた壁の前に、立ちつくんでいる。もう、よじ登ろうともしない佳織がいた。
「ごめん、聞こえる。京一さん、ごめん、許して…私、昔から、こうゆうとこあって、少し、気を許したら、ずけずけとモノをゆう。周りの事なんて、気にせんところがあって、ごめん、聞いてる、京一さん…」
必死で、弁解をする佳織の言葉が、携帯を通して、京一の耳に届いている。大の大人、三十五の男が、大人げなく、(うるさい)と大声をあげてしまった。いつも、冷静な京一が、父親の事になると、冷静でいられなくなる。
「気に障ることゆうてしもうたんやんなぁ。ほんま、ごめん。なんか、ゆうてや。京一さん、何か、喋ってや。」
必死で、懇願をする佳織の声を聞きながら、京一は、自問自答を繰り返していた。このまま、携帯を切れば、佳織に対して、行った自分の失態がなくなるのではないか。今日出会ったばかりの女性。数時間で築いただけの関係。別に、終わってもいいのではないか。いや、父親の事は、自分の問題であり、佳織には、関係のない事で、知らない事なのである。非があるとすれば、自分の方なのではないだろうか。まだ、父親という存在を受け入れられていない田口京一が悪いのではないのだろうか。そんな言葉を、頭の中に浮かべては、自分自身と戦っていた。
「佳織さん…」(何!)
静かに、呟くように、京一が、佳織に問いかけた。京一の声が聞こえた安心感からか、佳織は、身体の力が抜けるように、その場に沈み込んでいた。
「ごめん。急に、大声出してしまって…」
「ううん、私の方が、いけないんやろうから…」
「田舎、父親の事になると、何か、頭に血が上るってゆうか、どうしようもなくなるみたいや。」
父親の事?と、咄嗟に、佳織は思ってしまう。京一の父親の事など、聞いた覚えがなかったからである。田舎=父親、京一の頭の中では、そうなっているのだろうか。そして、京一とその父親の間には、とてつもない深い溝があるのではないか。
「ごめんやけど、今日は、この辺で、電話を切ってもいいかな。」
うん。としか、答える言葉の選択肢は、佳織にはなかった。しかし、何か、胸の引っかかるとげみたいなものを感じていた佳織は、すぐさま、言葉を発していた。
「京一さん、ちょっと、言いにくいんやけど、子供は、親を選べないのよ。ずっと、その事実だけは、子供に付いて回る。どんな親でも、子供の事を思っていない親はいないと思う。そら、たまには、どうしようもない親はいるけど、それは、ほんと、少数で、たいがいの親は、子供の事を思っているし、愛おしい。だから、心配しないで、京一さん。」
小学校の先生をしているせいか、京一が抱えているであろう問題に敏感に反応してしまう。的外れなことを、口にしたのかもしれないが、言わずにはいれなかった。
「ありがとう…」京一のそんな言葉が聞こえた時は、佳織自身ほっとした。そして、お互いに、(じゃあ、また)という言葉を添えて、会話を終えた。
時間にして、四時間以上、午前二時を回っていた。喋った、語った。電話で、こんなに長間会話をしたのは、どのぐらいぶりだろう。なぜ、こんなに長く、佳織という女性と会話ができたのだろう。不意に、睡魔が襲ってきた。このまま、布団をかぶって、寝てしまおう。何も、考えることなく、寝てしまおうと、徹が、軽い鼾をかいている部屋に戻っていく。
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