第22話 萩の町、幕末の志士たちと恋心
山口県、萩の町。松陰神社の本殿の前で、目を閉じて手を合わせる京一。二人の旅も、本州の西の端まで、車を走らせていた。明日には、九州に上陸する。
「京一さん、さっき、真剣に手を合わせていましたけど…」
出雲以来、神社づいているわけではない。萩の町は、<長州藩>の城下町であった土地。幕末という時代が好きな人間であれば、一度は来たいと思う町。
「ああ、何か懐かしくてね。この町には、一度も来た事ないんだけど…」
意味不明な事を言葉にしている。
「何言ってんですか。ワケ、わからん。」
「あぁ、ごめん。学生の時、幕末が好きでね。色んな読み物を読み漁っていたんよ。それで…」
「なるほどね。」
京一は、この土地で多くの維新の志士が生まれ育ったと思うと、感慨深いものを感じている。
徹は、そんな京一の気持ちが、少しわかる。男の子であれば、幕末の動乱の時代に興味を持つものだと思う。現に徹も、この<萩>という町の存在は知っていた。桂小五郎に高杉晋作。伊藤博文、その他大勢の維新の志士達。薩長同盟に、下関での英国艦隊への砲撃。京一ほどではないにしろ、幕末の時代の出来事が、頭の中に浮かんでくる。実体験はした事がなくても、妄想の中で、自分自身をその時代に置く。文章から読み取れる背景に、町人であったり、職人であったり、商人に侍、色んな職業の自分を想像してみる。時には笑みを浮かべ、時にはしかめっ面になる。妄想の中で、立派な幕末の人間になれている。
この松陰神社は、松下村塾の跡地にもなっている。ゆっくり、ゆったりと境内を歩いていた二人。
「ここは、長州藩士以外の者にも影響を与えた吉田松陰が祭っている。吉田松陰って人は…」
松下村塾は、吉田松陰の叔父、玉木文乃進が開いた私塾で、松陰神社の境内に、質素な平屋建ての民家が、そのまま残っていた。叔父から、引き継いだ松陰が講義を行ったのは、二年と短い間であった。しかし、その功績は多大で、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、木戸孝允(桂小五郎)ら、近代日本の礎を築いた数々の人材を輩出した。
二人は、松陰神社から指月公園(萩城の跡地)まで、歩いて行くことに決めた。京一は、高杉晋作の旧宅、久坂玄瑞の誕生地、木戸孝允の旧宅など、興味深く楽しんでいる。始めの内は、京一の話に耳を傾けていた徹も、指月公園に着く頃には、そんな京一の事をうざく感じていた。なぜなら、高杉晋作の旧宅では、<西に行く人を慕いて、東に行く。我心をば、神や知るらん>と書かれている歌碑を見て感動しながら、高杉晋作の講釈が始める。西郷隆盛、大久保利通とともに、維新三傑の一人、木戸孝允の旧宅でも講釈。それぞれの土地で、自分の熱意を言葉にしていた。ある程度の興味は持っているが、こうも熱く講釈をされると、正直うざくなってくる。やんわりと、話を逸らせないかと、頭をフル回転させる徹。
「話は、急に変わるんですけど、京一さんは、何で、結婚しないですか。」
徹の隣で、萩城に関する事を熱く語っている途中。徹から、そんな話題を振られたものだから、虚をつかれてしまう。
「えっ、何ね。急に…」
萩の城下町を見下ろせる場所。日本海に注ぐ松本川と橋本側の二つの清流に囲まれた長州三五万石の城下町。尾道と同じく、戦災や開発を逃れ、江戸時代の古地図が残る町。
「私の話をしても、しゃないやろ。今は<鍵曲がり>についてやな…」
「聞きたいですよ、京一さん。今後の参考にしたいし…」
徹も必死である。どうしても、話しを別の方面に持って行きたかった。ちなみに<鍵曲がり>とは、<かいまがり>と読み、<追い廻し筋>ともいわれている。簡単に言えば、通り筋を直角に曲げたもので、侵入してきた敵を追い込む為の構造になっていて、特有の鍵の手の道の事を言う。これによって、萩に入った隠密は、一人も生きて出られなかったと言う。
「う~ん、今は、結婚をしたいとは、思わんかな。まァ、彼女もおらんけどな。」
京一は観念したのか、萩の町を視界に入れながら、静かに話しを始める。徹は、内心ホッとしている。
「もちろん、結婚願望があった時期もあったよ。五年も付き合った女性もいたし…」
「えっ、いつですか。」
「三十前ぐらいやったかな、そん時は、そいつと大阪市内で、一緒に住んどったしな。」
「一緒にって事は、同棲でしょ。結婚してても、おかしくないでしょ。」
<あんたの考えている事、わからへん…>
今でも忘れられない、彼女の言葉。
「なんでやろナ。結婚をするんやったら、彼女やと思ッとたんやけど、まァ、縁がなかったんやろナ。」
京一は、あえて、忘れられない言葉を口にしない。
「プロポーズとか、せんかっとですか。」
「せんよ。そんな事言わんでも、わかるやろ。」
「えっ、せんかったとですか。そら、駄目ですよ。言葉にせんと。」
「でも、五年も一緒に暮らしとって、<あ・うんの呼吸>ってもんがあるやろ。言葉にせんでもわかるもんやろ。」
何か、話が違う方向に行っている。徹は聞き手から、説教をする側になっていく。
「確かに、全部言葉にしなくてもいいとは思います。でも、大事な時は言葉にしないと…例えば、誕生日の時、おめでとうって言って、プレゼント渡した事ありますか。」
「いや、買いもんの途中に、プレゼントやって、欲しいもの選ばせていた。」
「付き合いが長くなるにつれて、<愛している>とか、<好きだ>的な言葉を言う回数、減っていませんでしたか。」
「確かに…後半は、言っていなかったかも…」
京一は、自分自身が落ち込んでいくのがわかる。まさか、十五歳も年下の奴から、恋愛のダメだしをされるとは、思ってもいなかった。
「京一さん、それは駄目ですよ。女って動物は、言葉を待っているんですよ。間接的なものではなく、直接的なものを待っているもんなんですよ。」
徹は、さっきまでの不満を、吐き出したかったのか、言葉が乱暴になってしまっていた。
「でもやで、誕生日にクリスマス、イベント事は自分なりに頑張って、指輪やイヤリング、ネックレス。食事も名のあるレストラン予約して、お前と結婚するって、オーラ出しとったで。」
京一は悔しかったのか、ムキになってしまう。
「あぁ、京一さんってあれですわ。これだけしてやったんだから、満足やろ。俺はここまでやってやってんぞって云う自己中心、自己満足するタイプですね。自分は相手の事をよく考えている振りをして、結局は独りよがり。それじゃあ、彼女の方が不安になって、終わりますね。」
そんな徹の言葉が、胸に強く突き刺さってしまう。この後、何の返答も出来ずにいた。自分の性格は、自分がよくわかっている。人間って生き物は、自分に都合のいい方に考えてしまうもの。悪い所は肯定していても、心のどこかで否定している。つまり、徹の言葉が、全て自分に当てはまってしまったからである。
「…」
しばらく、二人の間に沈黙が流れる。徹も、自分が言いすぎた事を自覚しているのか、言葉を押し止めていた。日本海から流れる冷たい潮風が、二人の頬に当たっていた。
「徹君は、女性の気持ちをよくわかってらっしゃる。さぞかし、彼女さんとはうまくいっているんでしょうね。」
嫌味を込めた一言を、やっとの事で口にする京一。
「いや、最近別れましたよ。神戸に、彼女がいたら、田舎に何か帰りませんよ。」
「えっ!」
今まで、徹が言っていた事は、なんであったのだろうか。
「優しすぎるとか物足りないとか、色んな事を言われました。結局、言葉にして、アピールしても、駄目になるものは駄目になるんですよね。離れすぎず、近づきすぎずがいいって事なんでしょうね。」
そんな言葉を口にすると、大笑いをする徹。京一に、言い過ぎたという事を、気を使って言ったのかは分からない。とにかく、見事にオチを付けた。馬鹿笑いをする徹を見ていると、イラだっていた自分が、不思議と消えていく。気づくと、二人にして馬鹿笑いをしていた。萩政時代の面影を色濃く残し、幕末に多くの志士達を生んだ萩の空の下で、二人の大の男達が大笑いをしていた。少し滑稽で、陽気な風景。いよいよ、明日から九州の旅路に入る。
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