第23話 説教
大阪を出て、八泊する事になる。京一と徹の間に、八日という時間を経て、親密になっていく。姫路、倉敷、尾道、出雲。そして、萩の町。いくつもの土地で色んな風土、歴史に触れて、二人の意識も変わっていた。単なる旅行記から、お互いが素直になり、自分の言葉で話しをするようになっていた。この先、二人の旅行記が、物語になっていくであろう。そして、京一が、なぜこの旅をする事にしたのか、心の奥底にあるものが見えてくるかもしれない。
翌日、ゆったりとした時間に、二人は萩の町を後にしていた。車は関門海峡の上、短いようで長い、頑丈なつり橋を渡ろうとしている。
「京一さん、いよいよですね。」
京一が運転する隣で、陽気な徹がいる。
「あぁ…」
気のない返答。朝から、元気がないというか、気が乗っていないというか、徹は、そんな京一に気づいてはいた。
「京一さん、九州ですよ。このまま、一気に行ってまいますか。」
あくまでも陽気に言葉を掛けている。様子のおかしい京一の事は気にはなっているのだが、そんなに重く考えていないようである。
「ああ、そうやな。でも…」
またまた、冴えない返答に、さすがに頭を傾げる徹。
「どげんしたんですか、京一さん。盛り上がりましょうよ。旅も、クライマックスに近づいてきたちゅうのに…」
「いや、なんでもないよ。」
「身体の調子、おかしかとね。」
徐々に、そんな京一の事が気になり始める。
「いや、そんな事ないよ。」
京一は、正面を見つめて、徹の方を向こうとしない。運転をしているのであるから、当たり前の事であるのだが、昨日までとは全く違う京一が隣にいた。
「大丈夫なら、ええんやけど…ところで、何年振りの帰郷なんですか。」
徹は、会話で盛り上げようと努める。顔色は悪いわけではないし、自分が、陽気に振る舞う事で、昨日までの京一に戻っていくだろうと考えていた。
「…」
そんな徹の気持ちをよそに、今度は黙り込んでしまう京一。
「ホンマに、どげんしたとですか。朝から元気ないし、俺、なんか失礼な事言いましたか。」
思わず、そんな言葉を叫んでしまう。
「いや、ちゃうねん。」
京一が、やっと言葉を発する。徹の気の使いようも感じていた。これ以上、こんな状況は、徹に対して、悪いと思ったのだろう。
「徹君が、どうのこうのって事じゃないんよ。私自身の問題で…」
また、言葉を止めてしまう。さすがに、イライラ加減がピークになる。昨日まで、はきはきと、モノを言っていたのに…何か、煮え切れない京一に、言葉をぶつけていた。
「なんですか。京一さん、らしくなか。いい加減せんと…」
京一の頭に、尾道での喧嘩の情景が浮かんでしまう。
「実を言うと、私が帰郷するんは、十七年振りなんよ。」
車窓から、<小倉>の町並みが見えてきた頃。京一は、重たい口を開いた。
「へぇ~、十七年振りなんですか。えっ、ちょっと、えっ、たしか、十七年いた会社を退社したって言ってましたよね。…って事は、一度も帰ってへんって事!」
徹は、一瞬にして頭が真っ白になってしまう。今度は、徹の方が黙り込んでしまう。
「京一さん、俺、気まずい事になっていますよね。」
しばらくして、そんな言葉を口にする徹。十七年帰っていないという事は、何かが京一に起こっているという事。徹は運転する京一の姿を、チラリと見てしまう。そして、この言葉で、話題を終わらせようとかんがえていた。
「悪いな。気を使わせてもうたな。あんな、私が大阪に出たと同時に、両親が離婚したんよ。」
「…」
終わらせようと思っていた徹に反して、京一は、そんな言葉を被せてきた。何も言えなくなる徹。そんな事情があったとは、知らなかったとはいえ、浮かれていた自分を恥じていた。記憶の一コマ、徹の頭に浮かんでいる。京一と出会った初日。明石海峡大橋が見えた時の車内での会話。京一が徹に檄を飛ばした時の言葉を、思い出していた。
<逃げる場所があれば、逃げればいい!帰ればいい!>そんな言葉の後<私なんか…>と続く。つまり、この言葉の後に、<私なんか、逃げる場所がなかった。>と言おうとしたのだろう。京一には、逃げる場所も、甘えられる場所もなかったのである。この時の檄があったからこそ、徹は今こうして、京一と旅をしている。
「私が、高校を卒業するのを待っていたんやろうな。私が両親の離婚を知ったのは大阪やった。親父は酒が好きで、言葉より先に手が出る人間やったんよ。やから、子供の頃から、酒に酔って母親を殴る所をよく見ていたさかい、父親の事は好きになれんかった。」
徹が、記憶の中の言葉を思い浮かべ、初日の檄を受け止めた間にも、京一は、言葉を続けていた。
「離婚しましたという手紙が一通来ただけで、私は、就職したばかりやから、休みを取って田舎に帰るわけにもいかんで、そのままや。一つ上の姉がおるんやけど、五年前かな、結婚してな。その結婚式に母親が来とったわ。別に、話す事もないし、一言二言喋っただけで…父親は呼ばんかったんやろナ。姉は東京やから、多分、母親も東京やと思う。」
淡々と、そんな話を続ける京一。
「姉と母親は、連絡取りあっているみたいやけど、私はとってない。年に一、二回、電話がくるみたいやけど、いつも留守電な。こっちから、電話する事ないわ。そして、父親とは、十七年間、全く連絡取ってない。」
京一は、誰かに、そんな話を聞いてほしかったのかもしれない。ふと、心の中に秘めていたものを口に出してしまい、言葉が止まらなかった。
徹は、何も言わず、ただ、京一の言葉を聞いていた。ここは、聞き手になるしかない。自分が、言葉を挟めるところなどない。そして、自分の方から<家族>を避けている京一に気がついた。
「じゃあ、今回は、お父さんに逢われるんですか。」
喋る言葉が、神妙になってしまう徹。
「フ~ん、どうやろ。」
そんな徹の問いかけに、京一は言葉を濁す。正直、京一にもどうするのかわからない。今回の旅は、単に生まれ育った故郷に帰って見たくなっただけの事。<リストラ><再就職>を機に、自分の原点をこの目で見たくなっただけの話。十八まで見ていた景色、風景が、三十半ばを迎えた自分の目に、どんな風に映ってくるのか。<自分探し>をしたいと思う旅であった。しかし、朝から気が乗らないのは、故郷に近づくにつれて、父親の姿がチラづいていたのも事実である。
「京一さん、無神経な事を言ってもいいですか。」
徹の中で、ある気持ちが固まっていた。京一の為に、どうしても口にしなければいけないという使命感が、湧いてきたのである。
「なんや…」
徹の言葉に、身構えてしまう京一。
国道10号線で小倉城を目指して、北九州へ…国道3号線に合流して、福岡市内への道筋が頭にあった京一。二、三日かけて、熊本経由での九州を半周する気持ちが、固まりつつあった。
「京一さん、高速を使って、一気に行ってしまいましょ。」
高速を使わず、下の道で行くという今回の旅を、根本から覆す言葉。
「えっ、何て!」
「京一さん、二、三日かけて、九州を観光するつもりでいたでしょ。そして、お父さんに会わないつもりでなんでしょ。」
「…」
父親には、会わないという事は別にして、自分の腹の中を透かしされた様で、黙り込んでしまう。
「駄目です。会わないと…」
畳み掛けるように、力強く言葉を言い切る。ここは、強く言わないといけない。いい子いい子の徹ではいられなかった。
「京一さん、会わんといけないです。ここで会わんかったら、もう会えなくなってしまいますよ。」
京一の中に、軽い怒りを感じてしまう。正直、年下で他人の徹に、ここまで言われると、腹が立ってくる。
「別に、会おうが、会うまいが、私の勝手とちゃうの。」
「ちゃいます!」
徹は、そんな京一の怒りの言葉を待っていたかのように、すぐさま、力強くそんな言葉を言い切る。
「ちゃいますって、徹が言い切る事か。」
「ことです!」
そんな強気の徹に対して、言葉が続かなくなってしまう。迫力のある徹に、完璧に押されていた。
「いいですか、京一さん。明石海峡大橋を目の前にして、俺を叱ってくれましたよね。<逃げれる場所があるなら、逃げればええ。甘えればええ。何も一人で頑張らなくてもええんよ。>って…今度は、京一さんにこの言葉を言わしてもらいます。」
初日のあの時の言葉を口にした徹。この時点で、京一は何も言えなくなっていた。
「京一さんの言う通り、会うか、会わないかは、京一さんの勝手です。俺には、何も言う権利もありません。京一さんの話を聞いていて、こだわっている気持ちもわかります。でも、会ってください。会わないと、必ず後悔します。」
「…」
京一は、多くの返したい言葉が、頭に浮かんでいる。しかし、言葉にする事が出来ないでいた。ひしひしと、徹の放つ言葉に、気持ちが込められていたからである。
「正直、俺も親父の事が大嫌いです。田舎に逃げ帰るみたいで、親父になんて言おう。どんな顔をして、会えばいい。でも、京一さんが言ってくれた言葉で、怖くなくなりました。普段通りの顔で、<ただいま>って言える気がしてきました。帰ったら、親父の大好きな焼酎でも、二人で飲もうと思います。わかりますよねぇ、京一さん。」
京一は、車を道の脇に止める。こんな状態では、車の運転など出来ない。徹が、自分の為に言葉にしてくれた事。そんな言葉を噛み締めている。
「京一さん、十七年、頑張ってきたんですよ。もう逃げればいいじゃないですか。甘えればいいじゃないですか。京一さんにも、逃げられる、甘えられる場所があったんですよ。それでいいじゃないですか。」
徹のそんな言葉が、身に沁みる。溢れてくる熱いものを、必死に堪えている京一。<逃げられる、甘えられる場所>この十七年、そんな場所を探し求めていたのかもしれない。
「徹、ちょっと、いいか。」
「…」
徹は、無言で車から降りる。京一は、車内のBGMのボリュームを最大に上げて、自分の泣き声を掻き消した。十何年振りかの大泣き。自分が、ひたすら隠し通してきたもの。無視をし続けてきたものを、改めて見つめ返す。車内から漏れてくるBGM、微かに聞こえてくる叫び声が、背を向けている徹の耳に入ってくる。多くの車が往来する国道の脇、そんな時間が流れていた。
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