第25話 お父さん、親父、父親、そして、故郷

日豊本線、高崎駅の前を通り過ぎ、京一が通っていた小学校の前。子供の足で、十五分ほどで登下校をしていたから、本当に目と鼻の先の距離になっていた。

国道221号線を脇に入った道。田舎の家にしたら、小さめの民家が、十件ほど密集している。京一は、車一台が通れるスペースを空けて車を止める。

「ここや。」

ボソリと、そんな言葉を口にするが、車から降りようとしない。只、一点正面の民家を見つめていた。

「行きましょう。」

徹が、そんな言葉を掛けるが言葉は返ってこない。徹は、ここまで来て、会わない事はないだろうと思った。だから、あえて何も言わないでいた。

沈黙の時間が流れる。しばらくして、二人の乗っている車の脇を、一台の軽トラックが通り、京一が見つめる民家に入っていく。一人の初老の男性が、軽トラから降りて荷台の仕事道具なのであろう、片付け始める。徹は、チラリと京一の方に視線を向けると、瞬きもせず、その初老の男性の姿を見つめていた。

「京一さん、あの人ですね。行きましょ。」

徹が、そんな言葉を掛けるも、言葉は返ってこない。徹は、そんな京一にイラついてしまう。

「もう!」

そんな言葉を発して、助手席のドアを勢いよく開けてしまう。煮え切れない京一に、堪りかねたのか、一人で車を降りてしまった。

「おい…」

そんな徹の行動を止めようと、運転席のドアを開けて外に出た京一。

徹の行動は早かった。初老の男性に駆け寄り話しかけている。そんな光景が、京一の瞳に映っている。車のドアを開けたままで、その場から動けない。只、見つめる事しか出来ない京一と初老の男性の目が合ってしまう。

「…」

京一は、飛んでもない行動を取ってしまう。目が合ってしまった瞬間、車に乗り込み、徹を置いて車を走らせてしまった。何で、そんな行動を取ったのか、京一自身もわからない。気がつけば、ミラー越しに、慌てて京一の車を追いかける徹の姿が視界に入っていた。ブレーキを力強く踏み込んだ。追いついた徹は、車に飛び乗ってくる。

「何、やってんですか。京一さん。」

当たり前の言葉。叫び声をあげている徹をよそに、また、思い切りアクセルを踏み込む。京一は、パニックっていた。初老の男性に目が合った瞬間、頭の中が真っ白になり、こんな行動を取ってしまった。そして、京一は気づいていないが、走り去る京一の車を見つめる初老の男性の姿が、サイドミラーに映っていた。

「京一さん、聞こえているんでしょ。何か…」

頭が真っ白になったまま、ハンドルを握り続ける京一。徹は、怒っている。まさか、自分を置き去りにするとは思っていなかった。罵倒する徹の言葉が、全く、耳に入ってこない京一は、小高い公園らしき場所に、車を止める。

徹は、次々と湧きあがってくる怒りを京一にぶつける。そんな徹の事を無視するかのように、車を降りる京一。

「京一さん、ちょっと、いい加減にしてくださいよ。」

怒りがおさまない徹は、車を降りて、京一に詰め寄る。

「徹君、駄目や…」

徹に視線を向けようとしない。ボーと正面の山を見つめている。

「えっ!」

やっと、京一が声に出した言葉がこれである。自分を置いて行った事には少しも触れていない。<すまない>とか、<ごめん>という謝罪の言葉ではなく、<駄目や>である。一瞬、呆気にとられてしまう徹に、気づかず言葉を続ける。

「あかんわ。親父と目が合ってもうた。どないしょ。どうしてもあかん。」

やはり、さっきの初老の男性が、京一の父親であった。父親と目が合った瞬間、京一は逃げ出してしまった。徹の存在を忘れて、逃げてしまった。

「京一さん、あんね…」

徹は、自分を置いて、車を走らせた怒りをぶつけようとするが、言葉が止まる。なぜか、京一の気持ちがわかってしまったからである。父親に会う決心をして、この故郷に戻ってきた。なのに、目が合っただけで逃げ出してしまったのである。情けないやら、悔しいやら、言葉に出来ない感情が、京一に襲っているのがわかってしまう。

「もう、いいですわ。」

徹は、そんな言葉を呟く。遠い山を見つめる京一の横顔を見ていると、置いて行かれしまった怒りがおさまっていく。

徹は、煙草を取り出して火を点けた。煙草でも吸って、一息つこうと考えた。

「それにしても、ここはどこなん…」

煙草を吸いながら、周りに視線を向ける徹。そんな言葉が、京一の意識を戻してくれた。

「あっ、運動公園!」

高崎町の中心部の小高い丘。<高崎町総合運動公園>が正式名称。この田舎町にはもったいない立派な施設。一周200mの陸上競技場。奥の方には、バスケット面が三面ある体育館に、卓球やバトミントンが出来る小体育館。あと、テニス場が二面と、野球のグランドの立派な施設である。

「懐かしいな。そういえば、子供の頃、よく星を見にきたなぁ。」

京一が子供の頃、この高崎町は<日本一、星が綺麗に見える町>というキャッチフレーズを掲げていた。体育館の裏には、球型の天文台まである。今は、どうなのだろう。

「あの体育館の奥に、丸い建物があるやろ。あれが天文台で、でっかい望遠鏡があんねん。よく通ってたわぁ。」

京一は、子供の頃の記憶を思い出したのか、急に喋りはじめる。まるで、父親から逃げ出した自分を掻き消そうとしているかの様に…。徹は、そんな京一の話に耳を傾ける。数日間、旅を共にしたのである。今の京一の心境が、わかっているのかもしれない。

「あの頃はよかったな。毎日毎日、遊んでいれば、それでよかった。次の日の事なんて、考えなくてなかったもんなぁ。」

京一は、遠い記憶を遡っていた。確かに、子供の頃は、その日の事しか考えていなかった。極端にいえば、その時、一瞬一瞬が楽しければそれでよかった。次の日の事など、考える必要がなかった。

今見えている景色、全てに、子供の頃の思い出が詰まっている。

「懐かしいわ、この景色。あの頃は、当たり前の風景やったのに…」

徹は、煙草を吹かしながら、耳を傾けていた。徹の故郷も、この高崎町の風景と似たり寄ったり、大差はない。京一の言う通り、子供の頃は、町全体が遊び場で、自然のもの全てが、徹達の遊び道具であった。

「こんな景色やったんやなぁ。十七年、いやもっとか。それ以上やな。ここに来たんも、この景色を見たんも…」

中学、高校に進むにつれて、毎日が楽しかった子供の頃とは違い。生まれ育った町が、只の田舎町になってしまう。知識がつくと、今日の事よりも、明日の事が優先になってしまっていた。毎日が楽しく、遊びまくっていた子供の頃の気持ちは、どこかにいってしまってしまう。京一の場合、早く、この町から出たいという想いが募っていた。この町からというよりも、父親の元から離れたかったのかもしれない。京一は、しばらく、子供の頃の思い出が詰まる高崎町の風景を眺めていた。純粋に、自分の故郷を見つめている。


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