第26話 京一 父親像

徹がハンドルを握る車。山間の道、外灯が少ない道。高崎町を後にして、一時間半ぐらい経っているだろうか。国道10号線で、都城市内を通り、鹿児島との県境、末吉町に入っていた。この後、国道503号線、地方道71号線を使い、<南乃郷志布志>線に入るつもりでいる。

「あと、一時間ぐらいで着きますから…」

暗がりの車窓に身体を向けて、外を見ている京一に、そんな言葉を掛ける。

「あんな、徹君。うまく言えへんけど…」

「京一さん、もういいですわ。俺は、もう何も言いません。あとは、京一さんに任せます。今でも、俺は会うべきだと思っとる。会いたければ会えばいいし、会いたくなければ、会わなくてもいいんじゃないですか。」

暗がりの正面に視線を向けて、そんな言葉を発する徹は、京一に任せようと考え直していた。

「すまない。」

そんな言葉を呟く京一は、ある情景が頭から離れないでいた。父親の後ろ身。子供の頃から、見続けていた父さんの後ろ身。

<えらく、小さくなってたなぁ…>

子供の頃は、とても、でっかく、広く感じていた父親の後ろ身が、小さく、こじまりとしていた。

「徹君、私の父さんは、左官やっててな。」

ハンドルを握る徹の耳に、そんな言葉が入ってくる。

「子供の頃は、左官をやっている親父の事を、かっこよく見えていた。いつ頃からなんやろな、親父の事を、疎ましく思ったんは…」

他人事のように、言葉を並べ始める。自分の思いなのだろう。フロントガラスが、鏡のように、自分の姿を映し出す。そんな自分に向かって、京一は喋り出した。

「反抗期、中学入ったぐらいか…おもろいよな。あれだけ、かっこいいと思っていた親父を、情けないと思うようになったやもんな。自分の価値観が変わったからか、スーツを着て働く人間が、当たり前だと、思ったからか。おもろいよな。あんなに憧れていたのに…」

京一自身、こんな言葉を並べる自分に驚いていた。忘れてしまったいた。幼い頃の感情が、溢れてきていた。普段であれば、口にしない言葉が、口から零れ落ちる。

「酒を飲む、親父の背中に抱き着き、必死にしがみついていると、親父が立ち上がり、肩車をしてくれるんよ。親父と一緒に風呂に入って、親父歌う演歌を、一緒に歌うんよ。あんなに、好きやったのに、あんなに楽しかったのに、なんでやろうな。」

遠い記憶の底に眠っていたものが、湧き上がってくる。酒を飲む姿が嫌いになる前の記憶が、頭に浮かんくる。

「夏の日だったやな。日が暮れるの、遅かったから…仕事から帰った父さんが、キャッチボールしてくれたねん。夏の暑いやろ。汗で、ベタベタやから、帰ってきたら、すぐ風呂入って、ビール飲むんやけど、あの日は、汗でベタベタなのに、壁に向かって、ボールを投げている私に近づいて、(一緒にするか)って、言ってくれてな…」

口から、零れてくる言葉で、昔は、父親の事が好きだったんだという事を、認識する。普段であれば、恥ずかしくて口にできない。今は、素直になれた。

「こんな事もあったわ。その日は、午後から大雨が降ってきて、朝は、雨降ってなかったから、傘持って行ってなくて、帰りの時間帯、大粒の雨の中、父さんが軽トラで、学校まで迎えに来てくれた。現場が近かったのか、雨で昼からの仕事が飛んだのか、同級生達が、傘を差して帰っていく中、私は、軽トラの助手席に乗って、颯爽と走っていくねん。同級生に向かって、(いいやろ、父さんが、迎えに来てくれたんやで!)大声で叫びたかった。誇らしかった、父さんの事が…」

次々と、溢れてくる恥ずかしい言葉。なんの躊躇もなく、話してしまう。そんな京一の隣で、何も言わず、聞いてくれる徹。全てとは言わないが、徹の記憶の中にも、京一が話すエピソードの中に、似たよう記憶がある。

「後は、そうやそうや、クリスマスの日、あの親父が、サンタクロースの格好して、帰って来たんや。あれは、驚いた、いや、うれしかったやな。西洋かぶれって、言いよった親父が、クリスマスケーキまで、買ってきてくれてな。最初で最後、その年だけやった。今思うともなんやったんやろな。あの年は、親父に、何があったんやろ…」

フロントガラスに映る京一の表情が、色んなエピソードの内容で、表現豊かに変わっていく。そんな京一を見て、徹の表情が綻んでいる。

「後は、正月か。私は、当たり前だと思っていたんやけど、深夜零時、年が明けると、親父の前にみんな正座をして、新年の挨拶をしなあかんねん。小さい時なんか、普段は、はよう、寝ろっていう父さんが、大晦日だけでは、何も言わないんよ。小さい時は、どうしても、寝てまうやん。すると、起こされるねん。起こされて、フラフラの状態で、正座して、明けましてッていうねん。これは、家を出るまでやってたな。習慣って、恐ろしいもんやな。忌み嫌っていたのに、年が明けると、父親の前に座って、頭を下げている。今思うと、あれは、なんやったんやろな。」

そして、朝遅くまで寝ても初詣に行くのが、京一の家の習わしだったらしい。さすがに、高校に入ってからは、行くことはなかったらしいが、今でも、一人暮らしの京一は、一人で、その習わしを行っているらしい。思わず、噴き出してしまうが、何か、心地よいものを感じる徹がいた。

「家を出て、働き出してから、わかるもんやろうけど、しんどい思いして、お金を稼ぐ。小さい頃は、お金なんて、溢れてくると思っていた節があった。そら、父親が、母親が、必死になって、働きて、お金が発生するというものだと、わかっていたけど、甘く考えていたような気がする。高校の時、バイトはしていたけど、バイトはバイト、たかだかバイトやねん。生活費を稼ぐんじゃなくて、遊ぶお金を稼ぐものやったんやな。家を出て、自立して、親というモノの偉大さがわかった。私は営業を、ずっと、やっていたから、夏の外回り、冬の外回り、理不尽な頭の下げるという行為、しんどかった。働くという事が、こんなにしんどいもんやと、思わんかった。しんどい思いして、生きていかなあかん。ましてや、結婚したら、家族を養っていかなあかんねんな。」

京一は、何かを思うように、言葉を止めた。これから発するであろう言葉を噛み締める。

「特に、父さんみたいな職人肌の人間にとっては、我慢する事が辛かったやろナ。私ら家族を養う為に、嫌な仕事、やりたくもない仕事、我慢してやってんやろナ。」

「…」

徹は、そんな京一が発する言葉を、黙って聞いていた。会社に馴染めなく、逃げだし帰郷をする自分を、恥ずかしく思う。歯を食いしばって、仕事をしている父親の姿を考えてみると、京一の言葉が胸に突き刺さっていた。

「えらく、小さく見えたわぁ、父さんの背中…。何でやろうな。」

こんな言葉を最後に、京一は黙ってしまう。外灯がほとんどない山道。徹の故郷に続く道。二人は、沈んだ気持ちのまま、車を走らせていた。京一は、何を思い、どんなことを考えているのだろう。嫌いで、嫌いで、嫌で仕方がなかった父親の事を、今になって思えば、無理やり、嫌いになろうとしていたのか、反面教師、近くにいた存在だから、嫌な面が、浮き立って見えていた。親父みたいにはなりたくない、親父と同じ人生は送りたくない、そんな気持ちが膨れ上がっていたのかもしれない。

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