第3話 再就職先 会社訪問

『こんにちは!』

 臨海地に整備された工業用地。まだ、空き地が目立つ場所。五年前、マンションを購入した時は、現在より空き地が目立っていた。地元の人の話しによれば、数十年前は、この一帯は海であったという。<関西空港事業>で埋め立てられたものらしい。

 ともかく、三階建ての工場。事務所に入って行くと、従業員の元気のいい挨拶が、京一の耳に飛び込んでくる。そんな挨拶に戸惑いながら、社長自ら、工場内を案内してくれる。各部署に足を踏みいれる度、事務所同様の元気のいい挨拶が飛び交っていた。工場案内が終わる頃には、京一の中で清々しいものに変わっていた。

 『どうや。うちに来てくれる気になってくれたかい。』

 事務所に戻り、社長との対面の席。

 『来てくれる気もなりも、こちらの方からお願いしたいぐらいです。』

 社長の表情が、緩んだように見える。京一は、ある思いを胸に、言葉を続けた。

『社長、気分を害するかもしれませんが、出来れば…』

 京一のそんな言葉に、社長の眉間みに、一瞬にしてシワが寄るのが視界に入る。

 『私は、営業職という形ではなくて、一工員として、雇ってもらいたいと思っているんです。』

 「田口君、それはどういう事や。」

社長の険しい表情が、唖然とした表情に変わっていく。当然と云えば、当然なのだろう。営業畑で十七年も仕事をしてきた京一の事を、買ってくれて、この会社に来てもらいたいと言ってくれているのである。一工員として、スーツから作業服に着替え、油紛れでやっていけるのだろうか。もちろん、給料面でも今まで通りとはいかない。

 この会社は、<福祉・医療ベッド>というものを製作して、自社ブランドとして販売営業をしている。今後、営業を仕掛けていくには原点である<ものづくり>を一から経験したいと考えていた。営業をかけて、モノを売るだけではなく、売るものを制作する。商品の製作工程を、この手を体験することが、今後の自分の人生には、大事であると判断したのである。これから先、この会社で骨を埋めるつもりであれば、なおさら、油紛れになり、傷だらけになりながら、(モノづくり)というモノを、一から勉強をしなければいけないような気がしていた。そんな思いの丈を、対面する社長にぶつけてみる。

 『なるほどな。田口君が言っている事は、わからんでもない。私としては、君の経験がほしいと思っているのであって、だな…』

『はい、社長が、言わんとしている事は、理解しています。でも、私がこの会社に来ても、すぐに、結果を出すことはできないでしょう。半年、いや、一年はかかると思います。この会社のモノ作りを理解し、現場を知った私なら、営業に移っても、半年で結果を出すことを自負しています。それに、私が十七年やってきた仕事は、一年や二年、寄り道をしたからと言って、廃れるものではないと信じています。』

京一は、強気に言い切った。熱弁で、周りの事務員に聞こえていたかもしれない。しばらく、目を閉じ、思案している社長を見つめる京一の胸は、鼓動が激しくなっていた。余計なことを口にしたせいで、不採用を勧告されるかもしれない。そんな不安が、頭をよぎった瞬間、社長の目が開いた。

『よし、わかった。田口君の意見を尊重しよう。しかしな、特別扱いをするわけにはいかない。給料面でも、一工員の初任給になるがいいのか。』

 『もちろんです、お願いします。』

 京一の元気な声が事務所内に響き渡る。そして、社長の表情もほころび、笑みに変わっていた。

 こんな出来事が、一月の上旬にあり、京一は四月の一日からこの会社にお世話になる事になった。今日は三月一日、四月一日が初出社になるわけだから、丸一カ月、何もする事がなくなる。人生の分岐点。三十も半ばを迎えた京一は、ふと、田舎である<九州宮崎>の事を思い浮かべる。上阪をしてから一度も帰郷していない故郷まで、旅をしてみようと考えていた。時間をかけて、高速も使わず、下の道でゆったりとした一人旅。泊まる所も決めず、最悪車中泊をする覚悟の旅が、今始まろうとしていた。


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