第5話 別れ あの子の言葉

大阪臨海線を通り、堺市。工業地帯を抜けて、国道26号線で梅田に向かって車を走らせる。泉南市であれば、臨海線の高速を使えば、神戸まで、一時間とかからない距離であるのだが、高速を使わず、下の道で、宮崎まで帰郷するという、初心を貫いたら、今走っている道になった。<福島>の交差点で、国道2号線に入り<尼崎市>を走っている頃。時計の針は、午後十二時を回っていた。

 「腹、減ったなぁ。」

 車内は、BGMとして山崎まさとしの<パンを焼く>が流れている。都会の道、車窓からの風景は、ゆったりと流れている。京一は、どうしても寄っておきたいところがあった。<神戸ハーパーランド>、JR神戸駅の南側に位置している。ここは、結婚を考えていた女性とよく訪れた場所。九州宮崎のど田舎、<高崎町>という山間の町で、十八歳まで過ごしてきた京一。だからという事もあるのかもしれない、海辺の町、神戸という港街に、憧れを抱いていた。京一が、まだ大阪市内に住んでいた頃は、よく神戸に、足を運んでいた。

 尼崎、阪神の聖地<甲子園>前を車で通り、神戸ハーパーランドに向かう。百円パーキングを探して、車を止めた頃には、もう午後一時を回っていた。何年振りだろう、哀愁に浸りながら、散策する為に、車のドアを開けた。

 「この辺、変わったなぁ。」

 見覚えのない風景が、京一の視界に入ってくる。色んな思い出が、頭の中を駆け巡る。瞳に映る景色と、自分の記憶を、重ね合わせながら、歩を進めていく。

 「変わってんわなぁ、もう五年以上も経ってんやから…。」

 何か、しんみりとした言葉を口にする京一。結婚を考えていた女性と別れて以来、この街には来ていない。仕事で、近くには立ち寄ってはいた。しかし、仕事とプライベートは、別物である。こんなにゆっくり、景色を眺める事もなく、腕時計の時間を気にしながらの移動。周りの景色より、歩く道の表面を見ていた。

 「フぅ…。五年か。」

 ここ五年、プライベートでは、足を運んでいなかった土地。記憶にある風景を探している。しかし、思い出したくもない記憶もある。女性との別れ…。この街で、<さようなら>をした時の記憶がよみがえってくる。正直、結婚を意識していたが、なんせ、京一には、結婚願望というモノがなかった。だから、極論、自分から、結婚と云う二文字を言う事をしなかった。結婚をするという意義がわからなかった。好き同士であれば、一緒にいれば、それでいいのではないか、何で、あんな結婚届という紙切れ一枚の事で、こうも盛り上がらなければいけないのか、理解に苦しんでいた。周りの人間の結婚式に出席するたびに、そんな事を考えていた。しかし、彼女は違った。結婚するなら、彼女だろうなと思っていた。なのに、結婚という二文字を言葉にすることはできなかった。三年ほどの付き合いになる。お互いに住まいは持っていたが、週の半分は、お互いの部屋で過ごしていた。お互いの部屋に通い出す度に、自分の着る洋服が増えていく。もちろん、その洋服をしまうスペースも広くなっていった。いつ頃だろうか、それとなくテーブルの上に、ブライダル雑誌が置かれるようになり、遠回しに、彼女の口から結婚の二文字が発せられるようになった。彼女と結婚をしたいという思いはあった。しかし、自分の口から、結婚をしてくださいという言葉を言う事はできなかった。彼女との結婚生活はイメージできる。たまには、喧嘩はするだろうけど、幸せなのだと思う。覚悟が出来なかった。結婚とは、覚悟である。これからの人生、一人の女性を幸せにするという覚悟。後の家族になる子供たちを、育てて行くという覚悟。家族になった人間を背負う覚悟が、京一には持てなかった。自分にできるのだろうか。自分が生活するだけで、一杯一杯であるのに、他の人間の人生を背負う事が出来るのだろうか。そんな自問自答する中、しびれを切らした彼女から、さようならと言われてしまう。悲しかった。寂しかった筈なのに、ずっと忘れたいと思っていた筈なのに、鮮明に覚えている。

 『京一って、を考えているか分からない。ホンマに、うちの事好きなん…。』

 彼女が、京一に言った最後の言葉。その後、京一の頬にものすごい痛みが走る。彼女を追いかける事も出来ず、只、後ろ身だけを見つめていた。記憶の季節も晩冬。今でも、あの頬の痛みが残っている。京一は、頬に手を当てて空を見上げる。心なしが、真っ黒な雪雲が神戸の空を覆っていた。

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