残存者
突然現れた九珠に、尼僧の清丈がびくりと目を丸くする。簫無唱は落ち着いた面持ちで九珠を振り返ったが、すぐまた清丈に注意を戻す。
「たしかに飛雕は九珠の弟分です。本人の口からそう聞いていますから間違いありません」
「で、ですが……簫様、その方、念安寺の前で九珠様を出せと言って聞かないのです。荒っぽくて、うるさくて、どうしたらいいのか……」
清丈はおどおどと目線を泳がせながら打ち明けた。
「それともう一人、九珠様に会いたいと言われる方がおられます。その、飛雕さんとは、どうやら親子のようでして……」
九珠は常秋水と顔を見合わせた。たしかに飛雕は隠密行動に長けているし、江玲も神出鬼没の義賊の妻だが、もう居所を突き止められるとは思ってもみなかった。
「師父、私に様子を見に行かせてはくれませんか」
九珠が聞くと、簫無唱は思いの外あっさりと頷いた。
「良いでしょう。私も行きます」
常秋水に留守を任せ、二人は竹林を抜けて町へと向かった。清丈の案内で念安寺へ近付くと、寺の門前にどっかと座り込む少年の姿が見えた。
「……あれはたしかに私の弟分です」
飛雕は石段にあぐらをかき、荒くれ者そのものの視線を周囲にばら撒いている。九珠はその姿を遠巻きに見ながらこめかみを押さえてため息をついた。
「簫様、九珠さん、どうぞこちらへ。鉢合わせしないようにと師尊から仰せつかっているので……」
清丈はそう言って二人を脇道に案内し、ひっそりと佇む勝手口へと誘った。戸を叩き、清丈が名乗ると、中から清義が顔を出す。春のそよ風のような彼女もさすがに今回ばかりは困り眉だ。
「お二人ともすみませんねえ、朝からお呼び立てしてしまって」
清義は何度も頭を下げると、三人を隠すように招き入れて戸を閉めた。
「どういう経緯かは尊重したいのですが、男性の方に押しかけられるとどうにも。私たちも体裁というものがありますから」
珍しく苦言を呈する清義に、九珠はもう一度頭を下げた。飛雕たちも九珠を案じて鄧令伯の屋敷を飛び出したのだろうが、やはり何も告げずに出てきたのはまずかったらしい。
「そういえば、義弟の連れが見えませんでしたが」
九珠が尋ねると、清義が苦笑いしながら答える。
「ああ、江施主のことですか。彼女でしたら先に中で待ってもらっていますよ。ここは男子禁制というだけで、女性ならどのような方でも受け入れるので……」
清義が言い終える前に、ふと縁側に面した戸が開いた。そこにいたのは案の定、江玲だ。
「簫さんたちが来られたんですか? 師太……」
江玲は引戸の間から頭を出し、やって来た面々を見回した——そしてハッと目を見開いた。信じられない、と呆然と呟く彼女の目線の先には、同じようにまさかという顔をしている簫無唱がいる。
「
掠れ声で呼びかけた江玲は、ふらふらと縁側を降りてきた。簫無唱に駆け寄り、わずかに低い場所にある簫無唱の顔をじっと見つめる。一方の簫無唱もようやく合点が行ったように、「玲妹」と溢した。
雪原のような頬を一筋の雫が伝う。次の瞬間、簫無唱は江玲をがばりと抱きしめて大きく肩を震わせた。
「玲妹……ああ……生きていたのですね……」
絞り出すような声は涙で詰まっていた。対する江玲も簫無唱に抱擁を返している。二人はそのまま抱き合っていたが、やがてどちらからともなく離れると、互いに目尻を拭って笑みを交わした。
「二嫂こそ、生きていて本当に良かった。公天が堕ちたって聞いたとき、私、この世の終わりかと思ったもの」
江玲が屈託のない笑みを浮かべる。その言葉と口調から出せる解はただひとつ、江玲もまた公天鏢局に連なる身だったということだ。
「外にいる飛雕というのはあなたの子なのですか? 九珠の義弟らしいですが」
「鳴鶴ね。たしかに私の子よ。話すと長いんだけど、色々あって親子で傲世会の汪頑笑に世話になっているの。いつか二人で公天に戻って、あの子にも公孫を名乗らせようと思っていたのだけれど……公天がなくなって、気が付けば私はあの人のお嫁さん。傲世会じゃみんな私のことを『汪夫人』とか『太太』って呼ぶのよ。あの子はすっかり反抗期で、だから『飛雕』なんて自分で付けた名を名乗っているの」
九珠はあっけらかんと話す江玲を見ながら、昔々のうわさ話を思い出していた。
公孫一族が営む公天鏢局が滅びたのは十年前。それまで絶大な勢力を誇っていた一族の最後の代は、鏢局を立ち上げた長男の公孫逸をはじめとする十二人の兄妹だったという。鏢局の長である公孫逸に鏢師の登用を担っていた次男・公孫然を筆頭に、ほとんどの面々が鏢局での役目に従事していたものの、幾人かは家を出て江湖を遊歴していた。死んだ者に消息を絶った者、鏢局に戻った者とがいたが、公天鏢局の滅亡がやはり全てをかき消していた――九珠が聞いたのは、遊歴中だった公孫の某が素性を隠して生き延びているという噂だ。しかし公天の剣術が見られることはついになく、生き残りがいるという話も一大事件が起きた後の憶測のひとつとして他の噂に紛れてしまった。
「昔、公天鏢局の生き残りが身分を隠して生活していると聞いたことがあるのですが……江前輩は、やはり」
九珠が口を挟むと、江玲は「ええ」と素直に肯定した。
「私は公天鏢局の八女・公孫玲。息子の公孫鳴鶴は、我ら公天の血を引く最後の一人よ」
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