対決
翌朝、常秋水が言ったとおりに対決の場が設けられた。
通されたのは中庭の一画だった。夜通しで整えたのか、池と思しき場所に石板が敷き詰められて簡易的な修練場になっている。それでもけっこうな広さがあり、全員が入れ替わり立ち替わり常秋水に挑むには十分だった。
そんな闘技場の真ん中で、常秋水は皆を待っていた。すでに剣は鞘から抜かれ、日光を反射してギラリと光っている。
昨日、九珠と知廃生が部屋に戻ると、早くも横になっている飛雕しか部屋にはいなかった。常秋水は一晩中姿を見せず、朝になっても寝床は空のままだった。まさか一晩中外で鍛錬していたのかと思ったが、九珠はそれは言わずにおくことにした。常秋水も自ら挑めと言ったからには最高の状態で迎え撃ちたいのだろう。その証拠に、今日の常秋水からは底冷えのする怒りの気配は微塵も感じられなかった。
逆に、楽しんでさえいるような様子だった。双眸には光が宿り、口元が僅かに持ち上がっている。九珠はかつて常秋水が言った言葉を思い出していた—— 強さの裏には「己」が必要だ、何事にも揺るがず、何人を相手にしても崩れることのない泰山の如き己がと言った常秋水の横顔を思い出していた。
群衆は皆動かず、口も利かない。常秋水はそんな挑戦者たちを一望すると、凛と響く声で告げた。
「誰からでもかかってこい。誰であれ俺を倒した奴が最強だ」
空気を震わせる声にはすでに内功が込められている。九珠は常秋水の胸の内を確信し、傷のない方の手をぐっと握りしめた。
この男、本気だ。己に向かってくる者を本気で蹴散らそうとしている。
「……大哥、どうする?」
飛雕が小声でそっと尋ねたが、九珠はただひとつの答えしか持っていなかった。この場に集う全員が彼と剣を交えて雌雄を決するまで、今日という日は終わらない。
沈黙が支配する中、九珠は鄧令伯の姿を見つけた。庭の端、回廊の出口に腰掛けを置いて、成り行きをじっと注視している。鄧令伯は珍しく無表情で、普段より冷たい印象を抱かせたが、九珠の注意はそこで試合に引き戻された。
雄叫びとともに一人目の剣客が常秋水に突進する。剣を大きく振りかぶり、一刀両断にせんと狙いを定めているが、常秋水は表情ひとつ変えなかった。
そればかりか、剣が振り下ろされる直前まで身構えもしなかった。しかし二人が触れ合った瞬間、挑戦者の手から剣が飛んだ。
「動きが大きすぎる。次!」
常秋水が剣を構え直すと同時に、剣客たちは我先に常秋水に襲いかかった。あっさりと敗北した一人目の仇を全員で討とうとするかのような気迫に地面は揺れ、次々に描かれる軌道があちこちに切り傷を残していく。常秋水は四方八方から繰り出される攻撃のただ中にあって少しも体勢を崩さなかった。代わりに悲鳴や悪態とともに輪から弾き出される者が一人、また一人と増えていき、定められた敗北に歯軋りしている。増えゆく傷も常秋水の剣が付けたものがほとんどだ。
常秋水の剣は剛直だが、それでいて竹のような柔軟さで大人数を圧倒し、全くぶれることがない。誰もが一手も交えないうちに跳ね返され、諦めたようにため息をついている。しかし常秋水は、この勝負にまだ不満があるようだった——彼にとっては、明らかに劣る相手を追い払う作業が続いているだけなのだ。
「おい、お前ら! ぼーっと突っ立ってないでお前らも行け!」
突然、誰かが九珠の肩を叩いた。振り返るとすでに負けた剣客が、まだ勝負していない九珠と飛雕をすがるような目付きで見つめている。
二人が呆気に取られているうちに、一際目立つ女の気合いが聞こえてきた——見ると江玲が覚悟を決めたように飛び出し、背負った剣を抜き放っている。江玲は鮮やかな手付きで剣を翻し、なんと常秋水と十手を交わした。ここで初めて常秋水は驚いたように目を見開いた——しかしすぐに顔が引き締まり、猛攻を仕掛けて江玲を追い詰める。江玲も決して弱くはなかったが、苛烈さも勢いも常秋水が相手ではどうにもかすんで見えてしまう。
「母さん!」
そのとき、飛雕が一声叫んで飛び出した。走りながら剣を抜き、常秋水を反対側から挟み込む。母子は一瞬視線を交差させたかと思うと、示し合わせたかのように常秋水に攻撃を仕掛けた。一方が踏み込めば他方が退き、右に踏み出せば左に踏み出し、円を描くようにして中心の標的を攻め立てる——ぴったり噛み合った動きは一朝一夕に完成されるものではなく、二人が長い時間をかけて修練を積んだことを示すものだ。常秋水は二人の包囲に囚われて、今や攻撃をしのぐことが主目的になっている。二人は誰よりも長く常秋水と渡り合った——群衆が驚きを隠せるはずもなく、皆がこの展開にどよめいている。
主に弓を使う飛雕がこれほど高度な動きを見せるとは驚き以外の何物でもないが、気になるのはやはり二人の剣法だった。二人の動きをみるにひとつの剣法なのは間違いなさそうだが、やはりこの剣は見たことがない。九珠は未知の剣法をじっと観察しながら、いつしか常秋水がどのように包囲を破るのか、自分ならどこを起点に隙を作るを考えていた。この剣法と戦いたいという思いが生まれていたのだ。
突き、払い、前後が入れ替わり、双方から一斉に刺突を送る。常秋水は身を屈めると同時に飛雕の足を払ったが、飛雕は倒れざまに手を伸ばし、地面をパンと打って起き上がった。そのままくるりと回転して着地し、もう一度剣を構えて攻めかかる——
「ここだ」
九珠は無意識のうちに呟いた。同時に常秋水が飛雕の剣を払い飛ばし、よろけた飛雕の喉元に剣指を突きつけた。背後から迫る江玲には後手に剣を突きつけ、二人ともを制圧する。江玲に向けられた剣は狙い違わず心窩に向けられていた。
勝負がついた瞬間だった。常秋水は背後の江玲を目だけで睨みつけ、怪訝そうに一言尋ねた。
「お前たち、一体何者だ?」
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