告白

 九珠が念安寺の門を開けると、すっかり待ちくたびれた様子の飛雕が「大哥!」と大声を上げて飛び起きた。


「やっぱりここにいた! 待ちすぎてケツから根が生えるかと思ったぜ!」


「おい、ここであんまり馬鹿げたことを言うんじゃない。小さくても尼寺なのだぞ?」


 九珠は堰を切ったように騒ぎ出す飛雕をぴしゃりと叱った。途端に黙り込んだ飛雕はしかし、何かを考えるように眉をひそめる。


「うん? でも俺、尼寺に男は入れないからって……ええっ……⁉」


「……そういうことだ。今まで騙していて悪かった」


 驚きのあまり固まる飛雕に九珠は頭を下げた。公言していないとはいえ、義兄弟の仲でありながら本当の身分を隠しているのはやはりいい気がしなかったからだ。


「それで、今から私の師父がお前も交えて話をしたいそうだ。場所を変えるから、もしまだ私を信用してくれるなら、一緒に来てくれるか」


 どんな答えが返ってきても受け入れる覚悟で九珠は言った。飛雕は目をぱちくりさせながら九珠を見つめていたが、やがて首を縦に振った。


「なんにせよ、俺はあんたについてくよ。だって俺たち兄弟じゃないか、大……姐?」


 最後の最後に迷って首を傾げた飛雕に、九珠はぷっと吹き出した。


「好きに呼べばいい。行くぞ」



***



 簫無唱、九珠、常秋水、清義、飛雕、江玲。こぢんまりとした寂寧庵に集まるには少し多すぎるきらいもあるが、それでも簫無唱は嫌な顔をせずに皆を庵に通した。そればかりか、裏の畑のさらに奥の竹林へと皆を誘った。

 そこは九珠も知らない場所だった。細い道を一列になって歩き、小さくひらけた場所にあったのは二基の墓だった。

 九珠は思わず墓石に釘付けになった。飛雕はぎょっとして後退り、江玲と常秋水も目を見開いている。好奇心と沈痛さが入り混じった空気が広がる中、清義だけが訳知り顔で簫無唱を見つめていた。

 横並びの墓には「公孫然之墓」「公孫寧之墓」とそれぞれ彫ってある。それが剣によるものだと九珠はすぐに悟った。それも九天剣訣のように気功のみによってつけられた跡ではなく、実際に剣で斬りつけた跡だ。


「……然二哥兄さま、寧小弟」


 江玲がぽつりと呟いた。簫無唱は乾いた声で「そうです」と応え、悲しげな眼差しを二基に注いだ。


「最初の異変は鏢師たちが派閥争いを始めたことでした。鏢師たちを率いていたのは公孫の四妹、五弟、七弟、十弟の四名で、それぞれに異なる信念とやり方を持っていましたが、そのことで争うなどそれまでなかったのです。それが突然、手柄を取り合うところから始まり、次第に激化して、小競り合いの果てに五弟が命を落としました」


 淡々と語り始めた簫無唱は、まるで冥府から召喚された幽鬼のようだった。悲しみの滲む口調はがらんどうの洞穴に消えていくようで、虚しさと寂しさが線香の煙のように流れていく。


「葬儀の夜、然様は残った三人を詰問しました。ですが三人とも、鏢師たちの言動がおかしいことには気付いていたが、ここまでとは思っていなかったと答えるのです。鏢師の管理をしていた然様は、仕方なく騒動を起こした者を全員公天から追放しました。五弟の下にいた鏢師は残った三人の下に配置されたのですが……一度ついた火は消えないものです。すぐにまた小競り合いが起こり、今度は四妹と十弟が決裂しました」


「……そんな。十弟は四姐が一番好きだったのに」


 江玲がぽろりとこぼした。このときすでに傲世会にいた彼女もまた、事件の真相を知らないのだ。


「衝突したのが二人の配下だったこともありますが、何より死傷者が出ていました。そしてお互い自分の部下は悪くないの一点張りで、ついに十弟が限界を迎えたのです。四姐が残るなら自分は出ていくと……憧れの姉だっただけに反感も強かったのでしょう。ところがその晩、四妹が十弟の剣で殺されました。傷口も技の痕跡も彼のもので、言い逃れは不可能でした。十弟は罪を否定し、最後には自らの潔白のために自刎しました。いくら袂を別ったとはいえ、彼女から受けた愛と温情を最悪の形で返す所以などない、と」


 簫無唱が語れば語るほど、虚ろな声が千斤の岩のように皆の心にのしかかった。今や江湖の謎のひとつとして大々的に語られるばかりの公天鏢局の惨劇は、野次馬根性で騒ぎ立てるには重すぎる事件なのだ。


「十二人の兄妹のうち、これで残ったのは然様、三弟、七弟、九弟、十一妹、そして十二弟——末弟の公孫寧こうそんねいでした。玲八妹は遊歴に出たきり消息が分からなくなっていましたし、六妹は病で早世していました。然様と私は内情を悟られる前に立て直そうとしましたが、全てが裏目に出ました。元々心神が強くなかった三弟は正気を失って自ら命を絶ち、十一妹は鏢師たちの衝突を止めようとして命を落とし、七弟は護送に行った先で鏢師の反乱に遭い……まるで山崩れを止めようとしているようでした。兄妹の絆も鏢師たちとの関係も失われ、誰も信じられず、誰が公天を潰そうとしているのかと疑うばかりの日々でした。疑わしい者を全員切り捨てるわけにもいかず、かといって手をこまねくばかりでは鏢師たちの不満が高まるばかりです。鏢師たちが逃げ出したり、小競り合いで命を落としたりといった事件も頻発していました……そして、然様は公天を立て直すことを諦めたのです」


 簫無唱がそう言ったとき、江玲が大きく息を飲んだ。簫無唱は静かに彼女を一瞥すると、また息を吸って語り始める。


「このままでは遅かれ早かれ公天は崩れる。だから信頼できる一部の者だけを連れて第二の公天を作ろうと。先祖代々受け継がれ、逸大哥が大成させたものを捨てるのは心が痛むが、もうそれしかないのだと……そう言った然様は泣いていました。あの方は公孫という名の重みを誰よりも知っていましたから、きっと死よりも辛い決断だったのです。今の公天とともに自分も死ぬべきだとも言っていました。ですが、然様は恥を承知で生き延びる方を取りました。生きて、血と剣を繋いで、いつかまた公孫の名を天下に轟かせようと。私たちが真に残すべきは家業でも屋敷でもなく、公孫の血と技なのだからと……玲妹、あの方らしいでしょう? 臆病な当主ですまないと何度も謝られましたが、私は然様に従いました。十分に筋は通っていましたし、何より一生をかけてあの方を守り支え、如何なる時も裏切らないのが私の道だと、公天に嫁いだ日に誓ったのです。反対する理由などありませんでした」

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