秘剣

 そうするうちに使用人が戻ってきた。腕に抱えた二振りの剣を知廃生と飛雕にそれぞれ渡して、使用人はまた主人の横に収まる。

 飛雕は早速剣を抜き、くるくると振り回して長さや感触を確かめた。その小慣れた動きは九珠は思わず目を見張るほどだ。

 そういえば、飛雕は傲世会の棟梁と昨日会った江玲の息子だった。江玲が剣客だということは、二人からそれぞれ手ほどきを受けていてもおかしくはない。


「じゃあ、次は俺だ」


 ひととおり慣らし終えると、飛雕は顔の前で剣を垂直に構えた。それまでの不服そうな表情も一転して消え去り、真面目な顔付きになっている。

 飛雕は鋭い気合いとともに動き始めた。速く、激しく、まるで突風が吹き抜けるかのような剣だった——それでいて飛雕は勢いに負けることがなく、最後の突きを決めた手もまったくぶれていない。普段使わないとは思えない腕前だが、九珠は感心すると同時に違和感を覚えていた。

 飛雕が見せた剣を、九珠は今まで見たことも聞いたこともないのだ。律峰戒が様々な高手の剣を実演してみせたときでさえ、この動きをする剣譜はひとつもなかった。

 常秋水たちを盗み見ると、二人は狐につままれたような目で飛雕を見ていた。まるで幽鬼が目の前で失われた套路を演じているような表情だ。九珠は怪訝に思って口を開いた——だが、鄧令伯の感嘆の声が沈黙を破り、九珠は何も言えないまま現実に引き戻された。


「いやはや……なんと……実に見事だ! これだけの技があれば十分江湖で活躍できるだろう!」


「そうかい、おっさん。まあ考えとくよ」


 飛雕はまんざらでもなさそうに鼻の頭を擦っている。九珠は戻ってきた飛雕を捕まえて問いただそうとしたが、「さて」と声を上げた知廃生に遮られてこれまた何も言えなかった。


「最後は私か」


 知廃生は剣を車椅子の車輪にもたせかけ、自身は肘置きを掴んでぐっと力を込めた。体が持ち上がり、不安定に震える脚が少しだけ伸びる。知廃生は必死の形相で脚を一本前に出し、地面に触れさせたが、途端に体勢を崩してしまった。


「先生!」


 九珠と飛雕は慌てて知廃生に駆け寄った。くずおれる体を抱き留めて安定させると、二人は脇の下を支えるように知廃生の腕を肩に回させた。


「すまないね」


 そう言った知廃生の額には、早くも玉のような汗がびっしりついている。こればかりは演技ではないと九珠は直感した——飛雕と声を合わせて立ち上がる間も、知廃生は二人に頼るばかりで下半身を使えていない。

 知廃生は目を閉じて深く息を吸うと、細く長く吐いた。内功を巡らせているのだと九珠が気付いた直後、布でできた人形のように不安定だった脚で知廃生はすっくと立っていた。


「お待たせいたした。飛雕、剣を」


 知廃生が手を後ろに伸ばす。飛雕が差し出した柄を見もせずに引き抜くと、知廃生は舞うように套路を演じ始めた。

 両足で立つ知廃生は思いの外背が高く、常秋水とほとんど変わらない。剣を振るう姿はそれだけで十分に見栄えがしたが、常秋水の全てを制圧するような剣に比べ、知廃生の剣は周囲を取り込むような魅力があった——相手を自らの呼吸に引き入れ、絡め取ってしまうのだ。そして最後には隠された決め手で相手を完全に掌握する、侮ってかかれば必ず負けを見る剣だった。

 知廃生は技を決め、そのまま一礼してから後ろに下がった。まだ余裕があるのだろう、ふらつくことなくまっすぐに立っている。


「如何でしょう? 我ら四人、各々持てる技をお見せしましたが」


 知廃生が自信たっぷりに笑いかけると、鄧令伯は感嘆のため息とともに両手をもみ合わせた。


「いやはや、皆様実に素晴らしい腕前でした。此度の問剣会に華を添えてくださること間違いなしだ」


 歓迎を全面に出して笑う鄧令伯に、九珠はひとまず胸を撫で下ろした。門前払いになったら元も子もないのだから、第一関門を突破できたことは大きい。


「皆様、どうぞこちらへ。客間にご案内いたします」


 知廃生が車椅子に収まるのを待って、鄧令伯は門の内側に向かって腕を伸ばした。常秋水がさっさと敷居をまたぐ傍らで、九珠と飛雕は車椅子を持ち上げ、知廃生を連れて数段の段差を昇降する。


「俺はお飾りになるために来たのではない。そのことをゆめゆめ忘れるな」


 常秋水は通り過ぎざまに鄧令伯をぎろりと睨みつけた。どうやら相当虫の居所が悪いらしく、鄧令伯の出方次第では斬り捨ててしまいそうな気迫だ。


「ええ、ええ、それはもちろん……」


 そして鄧令伯も、混じり気なしの怒りと殺意を直に向けられてはさすがに人当たりの良さを保てないようで、九珠たちを見送る顔は引きつった苦笑いのまま固まっていた。



 四人が案内されたのは細い道を越えた先、奇岩と水流が見事な庭をぐるりと囲む部屋の中の一室だった。どうやら四人で過ごせるようにと大部屋を用意してくれたらしい。

 これは九珠にとって大きな誤算だった——いくら赤の他人ではなくても、生まれながらの男と一緒に寝泊まりするのはさすがに気が引ける。それにこれでは、不恰好な身体も世渡りの嘘も、全て彼らに知られてしまう。それに飛雕一人なら誤魔化せたことでも、常秋水と知廃生が一緒だと誤魔化しきれずにぼろが出そうだ。


「……あの、」


 九珠は案内役の使用人を呼び止めた。飛雕たちが聞いているのは分かった上で、あえて彼らにも聞こえる声で使用人に聞く。

「せっかく用意してくれたのに申し訳ないのだが、一人部屋にしてもらうことはできるだろうか? 無理ならせめて、衝立か何かで部屋を区切ることは……」


「ええ、できますよ。準備にお時間はいただきますが」


 使用人は快く答えたが、不思議そうに首を傾げている。九珠は各々荷解きをする三人をちらりと見て、


「他人と寝泊まりするのはあまり慣れていないのだ。弟分一人だけなら良いのだが、できれば一人の方が落ち着ける」


 と答えた。


「あの一番奥の牀に私の荷物を置いている。そこだけ区切ってくれればいい」


 使用人は「かしこまりました」と答えると、すぐに部屋から出ていった。


「大哥、そうだったの?」


 使用人が去るなり、申し訳なさそうな声で飛雕が聞いてきた。九珠はばつが悪い思いをしつつも頷き、すまないと謝罪を口にした。

 一方の知廃生と常秋水は揃って顔を見合わせ、なにやら小声で話している。九珠は二人からすぐに目を離すと、これでいいと自分に言い聞かせた。

 簫九珠は男だ。なぜならそう振る舞うことしか九珠は知らない。そうあることが九珠の一部になっている以上、簫九珠は男でしかあり得ないのだ。

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