品評

 翌日から本格的に始まった問剣会は、その名のとおり剣が全ての中心だった。

 その日催されたのは評論会だった。講堂に全員が集まって、日が暮れるまで剣について語り合う。老若男女、江湖に名を轟かせる者から無名の者まで、全員が各々思う剣の真髄について、ひたすらに意見を戦わせるのだ。


 評論会には鄧令伯も同席していたが、彼は剣客たちが語るに任せ、自分は給仕の指揮を執ることしかしていなかった。軽食や菓子、酒や茶が人波を縫うように供される中、剣客たちの議論は白熱する一方だ。

 九珠は飛雕と並んで隅の席に座りながら、皆の話をじっと聞いていた。簫無唱が「剣客が百人いれば百通りの剣の道がある」と言ったとおり、語られる内容は全員ばらばらでありながらも、「剣を極める」という一点のみにおいて合致している。


 剣術において重視すべきは外功か内功か。


 この門派は威力に優れるがあの門派は速さに特化している。ぶつかり合えばどちらが勝つか?


 あの達人が残した剣譜の意味するところはこうだ。だが、門下に広く伝わった今、それを分かる者は出てくるまい。


 この剣譜は五十年前なら最強だが今は弱い、なぜならこの技の弱点を突く術が当時はなかったからだ。


 あちこちに飛び移る話題を拾いながら、九珠は目から鱗が落ちる思いだった。知らない剣譜の名、模倣でしか見たことがない剣譜、失われた技に生まれつつある技、江湖剣界の全てがここにあると言っても過言ではない。


「……俺、ちょっと厠行ってくるわ」


 一言一句聞き漏らすまいとしていた九珠の隣で、飛雕が立ち上がった。九珠は飛雕を見上げ、怪訝に思いつつも「分かった」と頷く。


「だが、さっきも行っていなかったか?」


「ああ……そうなんだけどさ」


 どういうわけか、飛雕は議論が始まってから何度も「厠に行く」と言って席を外していた。いつもなら真っ先に飛びつくはずの酒や食事にもほとんど手を付けておらず、茶を数口飲んだ程度だ。


「具合でも悪いのか」


「うん……さっきから腹が痛くて。変なもん食った覚えもないのに」


 飛雕は首を傾げて頭を掻いた。九珠は昨晩と今朝の食事を思い起こしたが、豪勢なだけで出されたものは普通だったし、変な味もしなかった。

 もしかすると、食べ慣れないものが入っていたのかもしれない。九珠がそれを言うと、飛雕は「かもしれねえ」と答えて人波の中に消えていった。

 九珠はその背中を見送ると、再び議論に意識を戻した。あまり長いこと帰ってこなかったら探しに行こう、そう決めて一人ぽつんと議論の続きを聞いていると、「隣、いいかしら」と女性の声がした。

 そこにいたのは江玲だった。茶器と料理が乗った盆を持って九珠に笑いかけている。


「ええ。どうぞ」


 九珠が快く飛雕の席を勧めると、江玲はさっと座って膝の上に盆を置いた。


「すごい盛り上がりね。まさかここまでとは思ってもみなかったわ……でも、この調子だと、皆が酔っ払ったときに本気の小競り合いが起きそうね」


「本当ですね。興味深いのは確かですが」


 おどけた口調の江玲と一緒に笑いながら、九珠は差し出された茶杯を受け取った。薄い焼き物の茶杯は上品な色味で主張せず、淡い翡翠色の液体がよく映える。この茶も、上物には疎い九珠でさえ、ふわりと立ち上る芳香だけで高級だと分かるほどの逸品だ。


「良いお茶でしょう? おそらく茶所の宣州せんしゅう産の、一番高級な品だわ。さすが鄧令伯、中原じゅうで富を蓄えているだけのことはあるわ」


 江玲はさらりと言うと茶を一口飲んだ。鄧令伯邸の中では粗末とさえいえる身なりの彼女だが、茶を飲む所作はかなり洗練されている。おまけに嗜好品にも少なからず詳しいらしい。九珠は江玲が茶杯を盆に戻すところを思わずじっと見つめてしまった。


「どうかした?」


 江玲が首を傾げ、九珠は我に返って取り繕った。


「いえ、ただ……前輩にこう言っては失礼ですが、美しい所作だと思いまして。私など、いつも見ている飛雕がああなので」


「そう。……まあ、あの子は仕方ないわ。うちは義賊と言えば聞こえは良いけれど、荒くれ者の男所帯に変わりはないもの」


 こめかみを押さえてため息をつく江玲に苦笑で同意しつつ、九珠は議論に視線を戻した。

 話題はいつしか最強の剣客に移っていた——そして剣客たちの中心では、当代最強の常秋水がいつになく凶悪な顔で腕を組んでいる。明確な答えが目の前にいるのに何を今更と思った九珠だったが、ふと耳に「李玉霞」という言葉が飛び込んできた。


「やはり李玉霞の強さに及ぶ者はない。彼女を打ち破れた者こそが最強の剣客だろう!」


 誰かが声高に言っている。それに触発されるように皆が一斉に同意や反論を並べ出し、場が一気に騒がしくなる。


「だが李玉霞は消えた。いない奴にどうやって勝負を挑めっていうんだ?」


「李玉霞を破った剣客なら公天鏢局の公孫逸がいるだろう。公孫逸が最強でないなら誰が最強だ?」


「公孫逸も冥府の住人だろうが、適当抜かしてんじゃねえよ」


「死んだ連中のことばかり話してどうする? やはり生きてる剣客の中から選ぶべきではないか」


「だったらここにおわす常大侠が最強だろう。李玉霞と律峰戒が消えてから、常大侠に勝った奴が一人でもいるか?」


「律峰戒なんて、懐かしい名前を出すではないか。彼こそ今どこで何をしているのか分からないというのに」


 議論が二転三転し、皆が好き勝手に知られた名を挙げていく。律峰戒の名が出た瞬間、九珠はどきりとした。


「律峰戒なあ。そういえば一時期、律を名乗る連中が騒ぎを起こしてたよな。あいつらはどうなった? たしか全員律白剣譜の使い手だったじゃないか」


「律峰戒には九人の子がいると聞く。大方その九人が吠えていたのだろうが……」


「そういや最近聞かねえな。やっぱり実力不足だったんじゃねえの?」

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