第四章:蘇口行

蘇口府

 風光明媚、玲瓏にして明朗たる蘇口の街。


 瑞州に似た水都でありながら、瑞州の賑わいがかすんで見えるほどの活気を持つこの街に、九珠は飛雕と共にやって来た。その繁栄ぶりは船を降りた瞬間から明らかで、船着き場からすでに露店や貸馬車の人足がずらりと並んで商いに精を出しているのだ。売っているのも軽食から土産の小物まで様々だ。


 蘇口は正しくは「蘇口府」と言い、物流や文化といった中原の中核を担う街だ。あらゆるものが集う蘇口に比べれば瑞州の繁栄など慎ましく、さしずめ長閑とした小都市といったところだ。


「すっげえ……!」


 山育ちの飛雕は、初めての大都会に興奮を隠しきれないらしい。九珠はしきりにあたりを見回して嘆息しているこの弟分の肩を叩き、あまり夢中になるなと言ってやった。


「そうでなくても江湖じゅうから人が集まっている。都会慣れした良からぬ連中もいるだろうし、つけ込まれかねない振る舞いはよせ」


 飛雕はハッと表情を正し、俄然真面目な面持ちになるとこくこくと頷いた。


「そうだな。それにまずは知廃生と合流しないと」


 九珠と飛雕は、瑞州を出るときに知廃生と待ち合わせをしていた——なんでも自分たちは先に蘇口に向けて発つから、「月圓閣げつえんかく」という宿で二人を待っている、というのだ。


「だけど月圓閣って変な名前だよな。年がら年じゅう中秋みたいじゃないか」


 雑踏を連れ立って抜けながら、飛雕があっけらかんと言った。九珠に言われてなんでもない風を装ってはいるが、その目はまだ何かを探すように忙しなく動いている。


「きっと何か所以があってその名にしたのだろう。それに悪い意味ではない」


 答えながら、九珠は足を止めて群衆と一緒に目の前を横切る馬車をやり過ごした。再び動き出した人の波に従って、二人はまた歩を進める。


「……なあ、大哥。腹減らないか?」


 ふと、飛雕がぼそりと呟いた。九珠は目を丸くして弟分を振り返り、驚き呆れて言い返した。


「だからあちこち見回しているのか? 船で散々吐いて何も食べなかったのはお前だろう?」


 飛雕は痛いところを突かれたように眉尻を下げ、「そうだけど……」と口ごもる。九珠は船中での騒動を思い出し、ため息をついてこめかみをもんだ。


「お前が誰と酒盛りをしても構わないが、頼むから限度と節度を守ってくれ。私がいくら船賃を上乗せしたと思っている……船頭たちと盛り上がるのは良いが、陸でも酒癖の悪いお前が慣れない船路で飲んだくれたらどうなるか、少しは考えろ。それに今回は粗相が許されない場だ。気を引き締めて臨め」


「うん……ごめん大哥……」


 飛雕はしゅんと顔を伏せた。一瞬言いすぎたかと迷いがよぎったが、九珠はすぐにそれを打ち消した——飛雕は素直だが奔放すぎるきらいがある。律峰戒ほど締め付ける必要はなくても、誰かが多少は叱ってやらなければならないだろう。義兄弟という関係にも慣れてきたからか、九珠の中にも彼に恥はかかせられないという思いが芽生えていた。


「だが、もう昼時だな。そこの店で休憩するか」


 九珠は慰めるように言うと、ちょうど目に入ったのぼりを指差した。



 湯気を立てる熱々の麺に、濃いめの味付けの肉がとろりと絡む。喉に残る油分をどこかの特産だという茶でさっぱりと流し込めば、慣れない味だというのにいくらでも箸が進んだ。向かいに座る飛雕も先ほどまでの落胆ぶりはどこ吹く風で、吸い込むように麺を啜っている。偶然立ち寄って正解だったと内心喜びながら、九珠は大きめの肉を箸でつまみ上げ、少し冷ましてから頬張った。

 店の一角には台が置かれ、その上で書生風の男が何やらごそごそと手を動かしている。見るともなしに見ていると、やがて男は支度を整え、咳払いをひとつしてからよく通る声を張り上げた。


「お集まりの皆々様! ここでひとつ、お食事中のお楽しみにいくつか物語をお聞かせしたく存じます。蘇口の街で起こった悲喜交々、街の外から伝わった奇想天外、美食と共にぜひごゆるりとお楽しみくださいませ!」


「へえ、講談があるのか」


 一心不乱に麺を啜っていた飛雕がふと顔を上げた。九珠も食べながら、何か有益な情報がないかそれとなく耳を傾ける。この手の講談は講談師や内容は玉石混交で、江湖のことが語られてもお馴染みの昔話であることが少なくない。だが、時折知っておかねばならないようなことが語られることがあるのだ——特に今の蘇口といえば、鄧令伯の催しを目当てに各地から人が集まっている。昨夜の事件が今日には講談になっている可能性も大いにあるのだ。

 しかし、身構えていた二人に語られたのは、鄷都関の悪党が二人組の若い英雄によって成敗される物語だった。特に二人が悪党の巣食う墳墓で大立ち回りを演じるくだりでは講談師の語りにも熱がこもり、周りの客も拍手喝采して盛り上がるという有り様だ——そのただ中で九珠と飛雕は顔を見合わせ、麺の残りをかき込んで早々に立ち上がった。


「勘定は置いてある」


 九珠は寄ってきた店員に告げると、飛雕とともに出口に向かおうとした。


「おっと、そこのお二人!」


 ところが、よく通る声が二人を引き留めた。振り返ると、講談師が台の上から扇子で二人を指している。よく見ると、どこか中性的な顔立ちの男だった——肌の色艶が男らしくない上に、声もわざと低く抑えているように聞こえなくもない。


「もしや手前の物語がお気に召しませんでしたかな? 今をときめく若き英雄が手に手を取り合って悪を討つ、正義と情誼の物語ですぞ?」


「そのようなことはございません。ただ私たちは道を急ぎますので」


 九珠は手短に答えると、飛雕の背中を軽く叩いた。その意図を察した飛雕は何も言わずに踵を返し、九珠も会釈して戸口を目指す。


「成る程。もしかして、鄧令伯とうれいはく殿の問剣会もんけんかいにご参加ですかな?」


 書生の声が二人を追いかける。その途端、九珠が止める間もなく飛雕が振り返ってしまった。


「お前! なんでそれを知ってるんだよ?」


「馬鹿やめろ、乗せられるな!」


 九珠が慌てて止めると、飛雕はしまったというふうに顔色を変えた。九珠は台上の講談師を睨みつけたが、講談師は今や愛想の良い笑みの下に隠した狡猾な気配を顕にし始めている。


「成る程、そうでしたか。では此度の問剣会にちなんで、ひとつ面白い話をいたしましょう……お時間の許す方はぜひこのまま、無論お急ぎの方はお引き留めいたしませんが」

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