協力者

「敵襲だ!」


 秦亮しんりょうが叫び、全員が一斉に得物を構える。間髪入れずに次の矢が放たれ、荷を覆う布にずぶりと刺さった。唯一武器を持たない九珠は素早く矢を抜き取ると、迫り来る気配に向かって一振りした。カランと音がして、弾かれた矢が地面に落ちる。が、飛んできた方向を確かめる前に次の一箭が飛んでくる。気が付けば九珠は反撃すらできずに、雨あられと降り注ぐ矢の中を右往左往していた。そこかしこで重く鈍い音とともに呻き声が上がり、十人ほどいた仲間は半分近くに減っている。


「撤退だ! 撤退しろ!」


 秦亮が叫ぶ声がした。それを皮切りに鏢師たちはじりじりと後退を始め、九珠も彼らと共に逃げ道を探すことにした。荷が目当ての狼藉でないと分かっているなら、ここであたら命を散らす必要などないからだ。


 ところが、九珠たちは恐ろしい事実に気付いた――後退する彼らと一緒に包囲網まで移動しているのだ。相変わらずの勢いで矢が降り注ぐ中、鏢師たちも護衛たちも絶望を覚えずにはいられなかった。このままでは確実に死地に追いやられてしまう!


 九珠は汗ばむ手で矢を握り直し、ふと梢が不自然に揺れていることに気が付いた。襲撃を逃れるので精一杯で、彼らが移動しながら矢を射ていること――そして「移動しながら矢を射る」ことに関しては彼らの腕はそこまででもないことに目が向かなかったのだ。


 九珠は手中の矢を使って一か八かの賭に出ることにした。息を吸って内功を巡らせ、指先の一矢に意識を集中させる。空を切って矢が放たれ、反動で梢が揺れた瞬間に、九珠は狙いを定めて矢を投げ飛ばした。

 ギャッとくぐもった悲鳴がして、黒い影が梢から落ちてきた。が、曲者は転落の直前にも矢を射掛けていた――九珠が命中を見て取った直後、短くも耳にこびりつく断末魔がすぐ横から聞こえたのだ。

 振り返った九珠が見たのは、白目を剥いて息耐える朱雲秀だった。息を呑む間こそあれ、秦亮の警告がすぐさま九珠を我に返らせる。ハッとして首を巡らせた刹那、九珠の眉間に向かって矢が一直線に飛んできた――


 次の瞬間、ガキンと耳障りな音がして、目の前まで迫っていた殺気が消滅した。


 九珠は目を瞬いて地面に落ちる二本の矢を見た。一本はおそらく九珠を狙っていたものだが、もう一本がその柄を貫いて撃ち落としている。鷲を思わせる色と形の矢羽を持つそれに気を取られていた九珠は、今までのどの矢よりも鋭く空を切り裂く音に顔を上げた。


 地上の九珠たちはもはや狙われていなかった。冥府の射手は全員意識を他に取られていたが、それは射手たちの矢よりも鋭く、恐るべき正確さでもって彼らを冥府に送り返していた。


 縦横無尽に矢が飛び交い、こもった断末魔と重いものが地面に落ちて砕ける音が立て続けに聞こえてくる。九珠たちは呆気に取られてこの空中戦を眺めていた。たしかに助っ人が木の上にいるらしいが、この助っ人は九珠たちに一切姿を見せないばかりか、一本の矢も無駄にせずに曲者たちを仕留めていく。おまけに方々に移動して矢を射掛けているのにその痕跡が全く分からないのだ。梢も射手が移動を繰り返しているとは思えないほどにしか揺れていない――木に宿る小鳥よりも身軽なのではないかという身のこなしに、九珠はすっかり舌を巻いていた。

 ふと、九珠たちの真上でギャッと叫び声がした。一斉に避ければ、広がった輪の真ん中に黒っぽい服に矢筒を背負った男がぼとりと落ちてきた。見れば例の矢が踝を貫通しており、わざと生捕りにされたのだとすぐに分かる。


「やめろ、やめてくれ、何でもするからどうか命だけは――!」


 男はもぞもぞとうごめきながら身も蓋もない命乞いを口走っている。若い鏢師が嫌悪も露わに男を踏みつけようとしたが、秦亮が彼を押し留めた。

 やめておけ、と秦亮は首を横に振る。鏢師が渋々といった顔で退いたとき、頭上から若い男の声が降ってきた。


「随分良いご身分じゃないか。罪もない鏢師たちを何十人となぶり殺しにしたくせに、自分の命は惜しいってか!」


 次の瞬間、風変わりな装束の少年が一同の目の前に飛び降りてきた。木々によく馴染む深緑と茶色の衣だったが、踝までの上衣の上半分を脱いで腰からぶら下げ、下の短袍には皮の肩当て、手には弓術用の皮の指輪と装飾用の指輪が一緒くたにつけられている。腰の矢筒からは例の鷲の矢羽が覗いており、皮の甲当てをした手にも鷲の彫り物が施された弓が握られている。耳には輪飾り、ぼさぼさの長髪をまとめる小冠からも玉飾りが複数ぶら下がっている。何より目を引いたのはその顔立ちだった――彼はあれほどの腕前を見せたとは思えないほどあどけなく、ごてごてした装いがかえってそれを幼く見せている。背丈も小柄な九珠と同じか少し低いくらいで、本当にまだ子どもといった雰囲気だ。


 九珠たちが驚いていると、少年は「なんだよ」とぶっきらぼうに言った。


「命の恩人をそんなにじろじろ見るのがあんたらの礼儀なのか?」


「すまない、小兄弟。我ら一同、そなたの助けには感謝してもしきれない」


 秦亮がすかさず頭を下げる――それに従って他の鏢師も一礼し、九珠も少年に向かって拱手した。


「だが、ひとつ弁解すると、あれほどの使い手がまさかそなたのような少年だとは思ってもみなかったのだ。わしも全くの予想外で実に驚いた。是非とも名を聞かせてはくれぬか」


 秦亮が淡々と告げると、少年は満更でもなさそうに胸を張った。


「俺の名は飛雕ひちょう、これから大英雄になる男だ。覚えといて損はないぜ」


 自信たっぷりの名乗りだったが、聞いたことのない名前だった――九珠はこっそり鏢師たちの表情を窺ったが、皆あまり合点が行っていないらしく首を傾げたり眉を寄せたりしている。唯一秦亮だけが顔色を変えず、落ち着いて話を続けていた。


「そうか。わしは秦亮と申す者、ここの鏢師たちを率いておる。不覚にも仲間の半分に雇い入れた護衛までをも死なせてしもうたが……」


「不覚なもんか。全滅してないだけましだろう」


 飛雕はあっさりと言い放つと、九珠たちをぐるりと見回して尋ねた。


「ここにいるのは全員鏢師なのか?」


「いいや。そこにおわす簫九珠殿は護衛だ」


 秦亮の言葉に九珠はすかさず頷いた。飛雕はふうんと呟いて九珠を一瞥し、


「矢を投げて一人殺した奴か」

 と呟いた。


「鏢師にしちゃやけに腕が立つと思ってたけど、鏢師じゃないなら納得だな」


 一人頷いたかと思いきや、飛雕は這って逃げようとしていた黒服の背を思いきり踏みつけた。けたたましい悲鳴が上がる中、飛雕は黒服を無理やり立たせて剣呑な声音で攻め立てる。


「さて、次はお前の話を聞かせてもらおうか。お前はどこの誰で、なんでこの道で鏢師を襲ってる?」

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