探索

「クソガキが、何でも聞けば教えてもらえると思ってるなら大間違いだぞ!」


 悪態で返した黒服だったが、飛雕は真顔で男の踝に刺さったままの矢を引き抜こうとする。肉を抉られる痛みに男は悶絶し、また「助けてくれ」と絶叫した。


「やめてくれ、頼むからやめてくれ!」


「そんなに助けてほしいなら、俺とこいつらに頭下げるぐらい造作もないだろ? でないと力づくでこの矢ぁ抜いちまうぞ。お前も弓使いの端くれなら、どれだけ痛いか分かるよな?」


 九珠は思わず顔をしかめた。助けてもらったとはいえ、飛雕のやり方はあまりに乱暴だ。


「やめてやれ。そこまでしなくてもいいだろう」


 九珠が割って入ると、飛雕は全く理解できないとでも言うように眉を吊り上げた。この少年、なかなかどうして粗野な部分が見え隠れしている。


「なんだよ。このまま逃してやれってのか?」


 噛みつき返す飛雕に、九珠は静かに首を横に振る。


「違う。ただ、いくら自分が仕留めた獲物でも好き勝手痛ぶって良いことはないという話だ」


 飛雕はこの言葉にも少なからずむっとしたようだが、道理を感じてもいるのか噛みついてはこなかった。九珠はそれを見て取るや、「それに」とすぐさま言葉を継いだ。


「秦老大ならまだしも、なぜお前が人質を尋問するのか? 窮地を救ってくれたことには感謝するが、私たちはお前の真意を知らない。もしかするとお前もこいつらの仲間で、私たちを信頼させて更なる罠にかけようとしている可能性も十分に考えられる」


 九珠がそう告げると、飛雕は怒りも露わに「なんだと⁉︎」と言い返した。そればかりか鏢師たちまでもが九珠の言葉を諌めだし、皆口々に騒ぎ始めた。


「なんてことを言うんだ!」


「いくらなんでも言い過ぎだ。彼は簫兄にとっても命の恩人じゃないか!」


「簫兄頼む、恩を仇で返すことだけはしちゃなんねえよ」


 皆がやいやい言い合う中、九珠は黙ったままの秦亮に目を向けた。対する秦亮はじっと九珠を見つめ返し、重々しく頷く。彼が小さく咳払いをすると、鏢師たちは一斉に口をつぐんで頭領の言葉を待った。


「飛小侠」


「何だよ」


 秦亮の呼びかけに飛雕がぶっきらぼうに応える。秦亮は少年をまっすぐ見据えると、


「残念だが、わしは簫兄弟に同意せざるを得ない。助太刀はたしかに有難いが、それが何か意図があってのことなのか、それとも純粋な義侠心によるものなのか、わしらには測りかねるからだ」


 と言った。


「無論、後者であってほしいとは思うておる。しかしなんとも言えない以上、疑わざるを得ないということも分かってほしいのだ……お前たち、我らに接近する者の全てが本当に善だと、安易に信じるのは危険ではないか? 飛小侠もそうは思いませんかな」


 秦亮の言葉に鏢師たちは顔を見合わせた。江湖は様々な思惑を持つ者で溢れている――会う者全てが善人などということは当然なく、良からぬ動機を持つ者も少なくない。

 これには飛雕も食い下がることを諦め、「分かった」と渋々ながら頷いた。


「あんたの言うことも一理ある。でも俺は本当に、これ以上あんたら鏢師が死ぬのを防ごうと思ったんだ」


 九珠は飛雕の目をまっすぐ見据えた。ここに来てようやく傲慢な若者の影が消え、切実さが見えた気がしたのだ。


「では聞くが、お前は『鄷都関』の話をどこで聞いたのだ?」


 九珠が尋ねると、飛雕は


「そこら辺の酒場だ」


 と即答した。


「あんただってそうだろう。江湖の噂話ってのは人が集まる場所で探すに限るからな」


 飛雕の言葉はたしかに的を得ている。九珠は頷くと、次の質問を口にした。


「なぜ我々が襲われている最中に姿を現した?」


「この辺りで連中の居所を探ってたんだ。こういう緑林の輩はだいたいどこかに拠点があって、そこを中心に活動するだろ? おまけに似たような襲撃は他の場所では起きていないから、鄷都関の近くに根城があるはずだ。もう五日も張り込んでるけど全然収穫がなくて、今日ようやく鄷都関の方に向かって移動していくこいつらを見つけたんだ。で、後をつけたらあんたらが襲われてたってわけ」


 飛雕は人質を爪先で小突きながら話す。九珠は「そうか」とだけ答えたが、胸の内では驚きと疑問が渦巻いていた。


「なんと、五日もか」


 ふと秦亮が口を開いた。どうやら九珠と同じ点が引っかかっているらしく、感心したふうを装ってはいるが眼光がいやに鋭い。


「その若さで、単身山に分け入って自由に行動できるとは。いや驚いた、先ほどの弓術といい軽功といい、人は見かけによらないものだな」


「慣れてるだけだよ」


 しかし飛雕は秦亮の視線を気に留めるでもなく、ひょいと肩をすくめて答えた。


「五日間山に潜伏するぐらい、慣れてりゃどうってことないさ」


「それなのに、こいつらの根城は見つからないのか?」


 鏢師の一人が口を挟んだ。飛雕は悔しげにため息をつくと、足元の黒服をもう一度踏みつけた。


「そこなんだよ。こいつらひどく小賢しくて、全然足取りが掴めやしない」


「では今こそ情報を聞き出す絶好の機会というわけか」


 秦亮は呟きながら腰を落とし、黒服の首を持って無理やり顔を上げさせた。その双眸は今や爛々と輝き、積もり積もった怒りが全身から滲み出ている。


「答えろ。お前らはなぜここを通る鏢師を襲う?」


「誰が答えるか、このジジイ……」


 黒服はなおも威勢良く言い返したが、秦亮に睨まれると途端に声が痩せ細った。消え入るような罵倒にも秦亮は手を緩めず、帯に仕込んだ短刀を抜いて黒服の首筋に押しつけた。


「答えろ」


 地を這うような声で秦亮が唸る。黒服はヒッと悲鳴を上げると、すぐにべらべらと喋りだした。



 ***


 

「西に一里、北に折れて二里、西にもう一里のところにある廃廟の裏に回り、土手を降りた先にある窪地……か」


 九珠は首を傾げながら黒服の言葉を復唱し、飛雕とともに目の前の薮を見下ろした。二人の背後には見る影もなく荒れ果てた廟の残骸が木々に埋もれており、目の前にはたしかに土手がある。捕らえた黒服に吐かせた案内に従ってここまで来た二人だったが、土手の先が薮で覆われているとは思いもしなかった。飛雕も訝しげに薮を睨んでおり、黒服の証言を疑っているのは明らかだ。


「ここを降りたら連中に包囲されるなんてことないよな?」


「それは分からない。が、私とお前が囮になれば秦老大たちが鄷都関を抜けられる可能性は高まるだろう」


 心底嫌そうに言った飛雕に九珠は返した。


「少なくともあの場にいた連中はお前が皆討ち取っただろう。他に控えている仲間がいたとしても、その人数は少ないはずだ」


「もしかしたら俺が殺した奴らの方が数が少ないかも」


 飛雕がぼそぼそと言い返したが、九珠は無視して全身に気を巡らせた。この少年、素直ではあるが純朴ではない――九珠は飛雕のことをそう結論付け、密かに目を光らせている。捕虜に吐かせた場所に一人で行くと飛雕が宣言したときに同行を申し出、一緒に行動しているのもそのためだった。もし飛雕が鄷都関の凶行の加担者で、腹の内では秦亮たちを全滅させたがっていたとしても、九珠が一緒なら動向を見張ることができる上、飛雕が良からぬ素性を顕しても九珠一人の犠牲で済むと考えたのだ。


「行くぞ」


 九珠は大きく息を吸い、飛雕を待たずに藪の真ん中に飛び降りた。途端に堅い枝葉が顔を擦り、目を閉じた九珠を小さくも鋭い痛みが立て続けに襲う。固い地面に降り立つやいなや、九珠は目を開けて気を込めた剣指を構えた。


 まず目に入ったのは弓の手入れをしたまま動きを止めている黒服の男たちだった。十数人はいるだろうか、突然の闖入者に皆呆気に取られている――飛雕が仕留め、捕らえた男とまったく同じ装束だと瞬時に認めると、九珠は迷わず剣指を捻って一撃を放った。十分に練られた剣気が一人の心窩を貫き、声を上げる間もなく命を奪う。ようやく我に返った男たちが得物を取り出したときには、九珠は三人目の黒服を仕留めていた。

 弓矢は閉鎖された空間では真価を発揮しない。そのため男たちは揃って短刀を構えていたが、彼らは江湖最強の剣術を学んだ九珠の敵ではなかった。短剣を持った飛雕も遅れて姿を見せたが、伸ばして揃えた二本の指のみで確実に敵を捉える九珠の技に圧倒されているのか、弓矢を扱うときに比べて動きが劣っている。


 突然、鋭いものが空を切って飛んでくる音が聞こえた。咄嗟に身を捩るも間に合わず、右肩を突き飛ばすような衝撃と焼け付くような痛みが走り抜ける。勢いに取られてたたらを踏み、周囲を見回すと、腕に取り付けた小型の弩をまっすぐ構えている黒服と目が合った。

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