出会い

 女は背中に長剣を渡している。どうやら旅人であるだけでなく、武術を生業としているらしかった。そして怒りに燃えた九珠には、彼女の視線は冷たい井戸水のように思えた——女は九珠に向かって小さく頷くと、講談師に向き直って言った。


「その『李玉霞』の話は誰が広めたのかしら? 彼女の剣を実際に見た人が言っているわけ?」


「そこまでは存じ上げません。私はただ、話題という種子に水をやり、できた話を皆さまに披露しているだけですから」


「では今の話、あなたが適当に水をやって育てたでたらめの可能性もあるわよね? 鄷都関のお話だって、居合わせた鏢師から聞いたなんて言っていたけれど、適当な噂話を継ぎ接ぎしてそれらしい前振りをすることもできるわよね?」


 女は講談師を見据えて容赦なく反論する。その語調は激しいながらも丁寧で、下手に言い返せばこちらが負けをみそうな勢いがある。


「それに李玉霞が蘇口にいるなんて、ハッ! 馬鹿馬鹿しいにもほどがあるわ。中原じゅうから剣客が集まって、常秋水まで現れたから信憑性があるとでも思ったの? 律峰戒が来る方がまだ信じられるわね!」


 講談師はすっかり痛いところを突かれたらしく、歯軋りして言い返せない。女はさっと立ち上がると、九珠に向かって「行きましょう」と告げた。


「あなたも問剣会に参加するのでしょう? だったら一緒に行きましょう。この目で何が本当か見届けるの」


 女は寄ってきた店員に銅銭を放ると、九珠の答えを待たずに戸口に向かって歩き出した。九珠ものろのろと彼女について踵を返した——

 そして、女以外に誰もいない戸口を見て唖然とした。

 飛雕がいつの間にか消えている。九珠が講談師に向かって歩き出したときにはたしかにいたのに、彼女が講談師をやり込める間に忽然と消えてしまったのだ。

 何事かと思う九珠に、女は促すように片眉を持ち上げる。九珠は仕方なく彼女について店の外に出た。



 二人は雑踏の中を無言で通り過ぎた。しばらくして女が路地に入り、九珠も一緒に通りから外れる。

 近くで見る女は、どこか見覚えのある雰囲気をしていた——男勝りな短袍を着ていることと、猛禽を思わせる鋭い目付き以外には目立つ特徴もない。中肉中背で、剣さえなければどこかの家の母親かと見紛うような風貌だ。


「先ほどはありがとうございました」


 九珠は違和感を押し殺して頭を下げた。


「前輩が止めてくださっていなければ、自分を止められませんでした」


「それが分かるだけで十分よ」


 女は手短に返して、九珠の全身をさっと見た。九珠は一瞬どきりとしたが、すぐに平静を装った——近い距離で人にまじまじと見られると、男の格好をした自分をあらを探すように見る律峰戒を思い出すのだ。


「あの、私、連れ合いを探さねばならないのですが……」


 九珠が控えめに切り出すと、女はなぜか黙り込んだ。


「どうやら講談師と揉めている間に先に行ってしまったようでして。何をしでかすか分からないところがあるので、早めに見つけてやりたいのですが」


 九珠が食い下がると、女はため息とともにこう言った。


「……あの講談師は天曜てんよう日月教じつげつきょうの一員よ」


「天曜日月教⁉︎ 邪教の徒が蘇口に何の用で?」


 驚いて九珠が聞き返すと、女はあっさり答える。


「それだけ鄧令伯の動きに皆が注目しているということよ。もしかしたら手先を参加させるつもりなのかもしれないわ。何にせよ、連中は悪知恵ばかり働く外道どもだから気を付けないと」


 九珠は無言で頷いた。天曜日月教といえば江湖でも特に悪名高い邪教の一派だが、敵対する正道を撹乱するために敵味方関係なく駒を定めて利用することで有名だ。もっとも、こんな場にまで現れるということは、それだけ問剣会の話が広まっているのだろう。


「そういえば、まだ名乗っていませんでしたね。晩輩は簫九珠と申します」


江玲こうれい。大したことはしていないから、堅苦しいお世辞はなしでいいわ」


 女——江玲はそう言うと、ふと屋根の上に目を向けた。同時に、視線の先でカチャンと猫が瓦を踏んだような音がする。


「ところで、簫さんは李玉霞がお好きなのかしら? もちろん変な意味ではなくて」


 江玲は何事もないように九珠に向き直った。九珠も屋根から視線を戻して江玲に答える。


「ええ。独自の境地を編み出すのは並大抵のことではありませんし、そこに男女の別はないと思うのです。彼女は小さい頃、私が剣を初めて持ったときからの憧れです」


「そうだったの。蘇口には腕試しに?」


「はい」


「そう。きっと良い経験になるわ」


 九珠は江玲と話しながら、不思議な女性だと思った。身なりは流浪の剣客だが、言葉遣いや話し方を見るにただ各地を放浪しているとは言い切れない気風がある。それに背中の長剣——大部分は外套の下に隠れて柄しか見えないが、それでもかなり精巧な作りをしていることが見て取れる。

 あれこれ詮索しないのが江湖の礼儀だが、得られた情報から相手を警戒するのは個々の自由——場合によっては必然の態度だ。この江玲も、何か理由があって九珠に接近したのかもしれない。

 九珠がそんなことを考えている一方で、江玲はまた屋根を見上げた。どうやら先ほどのがまだいると思っているらしい。


「ところで簫さん。あなたの連れ合いって、鷲の矢羽がお好きかしら」


 江玲は屋根の上を睨んだまま九珠に尋ねる。変な質問だと思いつつ、九珠は「ええ」と頷いた。


「そう」


 江玲は呆れたように言ったかと思うと、唐突に屋根に飛び乗った。すぐさま「げえっ!」という飛雕の声が聞こえ、ドスン、ガチャンと騒音がしたのちに、江玲が屋根から降りてきた――彼女の脇では首根っこを掴まれた飛雕が逃げ出そうともがいている。

 飛雕はすぐさま九珠を認めて顔を背けた。が、その一瞬の間に、九珠は江玲の顔に覚えた既視感の正体に気付いてしまった。

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