13.私は病んでいない。
舞妓の話しの後、ときおり千里は物思いにふけることがあった。
少しだけバンダカにも距離を置いているように感じた。
「ね、美術の想像画のテーマ、決めた?」
4月の終わり、最後の美術の授業。1学期の課題は、想像画。テーマは自由で、何を描いても良いというもの。臨時の美術教師の不二は、必要最低限の内容だけ伝えた後、窓際にある机で本を読んでいる。
「壁紙みたいな、雰囲気にしようかなって思っている。」
「美咲のそれ、いいアイデアだね。」
「裕子に褒められるとなんか、嬉しいな。千里はどうするの?」
「わたしもそれ、ぱくっていい? 連続模様みたいな感じだと、やりやすいし、飾ってもかわいいよね。想像画って言われても、ぜんぜん思い浮ばないよ。」
相変わらず、4人で集まって相談。
さて。私は何をテーマにしたらいいのか。正直、テーマにそって描くのは苦手だ。
美術の授業が終わって教室に戻ると、まばらではあるが、自分の席で参考書を広げる生徒が増えた。ちらっと覗き見ると、参考書は塾のものだったり、受験する高校の過去の問題集のようだった。
いやがおうにも、受験シーズンはやってくる。
周囲の生徒は小学校から顔なじみの人が多い。うちの中学では、今回が初めての受験という人が大半だ。
裕子は小学校時に、中学・高校、一貫校の女子中学を受験し、合格した。でも両親を説得して、普通の公立中学校に行くことを決めた。合格したのに、選ばなかった理由の詳細はわからないが、裕子いわく、「受験時の学校の雰囲気が死ぬほど自分に合わなかった」らしい。
合唱部の練習も夏の大会に向けて、それなりに熱が入っていた。とはいえうちの合唱部は圧倒的な人数を誇る、ブラスバンド部と比べれば弱小で、人数も少ない。過去をさかのぼってもここ十数年、賞らしきものを獲得した話もない。
その代わり、とてもアットホームで自由だ。みながそれぞれ歌いたい曲を持ち寄り、歌うことも多い。
そのたびに私は新しい伴奏用の楽譜を渡されるのだが、だいたいは初見で弾けるようなものばかりなので、さほど練習する必要もない。
合唱部が終わった後、家庭教師が来る時間を逆算してひとりピアノを弾くことも私のルーティンになっていた。でもホワイトデーのあの日以来、不二と偶然に会うこともなく、不二を見かけるのは週1回の授業のみだった。
それでも。
彼があの部屋にいるなら、私の音は届いているかもしれない。
そう考えると、私は自分のためにストレス発散で弾くことよりも、彼に届けるためにピアノを弾くようになっていた。最後に弾く曲はラヴェル。
不二は私のピアノが好きだと言った。彼はどんな思いで聴いているのだろう。誰かが聴いているかと思うと、ピアノを弾くときの気分が変わる。1音、1音、丁寧に奏でる自分は、これまで知らなかった自分と向き合っているような気持ちにもなった。
不二祐介という人間は不思議な人だ。
今は臨時教師ということで、中学校の教師になっているが、教師にはまったく似合わない。教師どころか、他の職種でも彼に適したものがない。
画家といったほうが、しっくりくる。
そもそも、なぜ臨時教師を受けたのだろう。彼にはとても居心地が悪い場所に思えてならない。
いまだ彼のファンはいるが、不二の無口さ、反応の薄さに、少しずつさわぐ生徒たちは少なくなっていった。このまま静かに時を重ねて、彼の臨時教師の時間が終了すればいいと私は思っていた。
来年の春になれば、彼の役割は終わる。そうすれば、また彼は私たちの知らないどこかへ姿を隠し、煩わしいことが無い場所で、彼らしく過ごせるだろう。
私はほかの生徒、彼女たちとは違う。
私は安易に好きだの、恋人になりたいだの、夢みたいなことを口にしない。
現時点で、彼は27歳で、私は14歳。6月に誕生日を迎えて15歳になるが、不二との年齢差は埋まらない。
仮に彼に告白したところで、迷惑なだけだ。子供だと一笑される。そもそも彼からすれば、14.15の女なんて、対象にもなっていないだろう。
私は、理解している。
教師と生徒。しかも中学生だなんて、対等に彼の横に並べるわけがない。
千里だってそうだろう。バンダカへの思いは友人たちの前で吐露するものの、恋人として自分を対象にしてほしいなど、要望を口にすることはない。
「ね、ナナ、病んでる?」
5月の半ば、美術の時間。すでに各々生徒たちは想像画のテーマを決めて、想像画の制作にとりかかっている。
美術の時間が終わり、片付けに入っているとき、制作途中の私の想像画を見て、裕子が言う。千里も美咲も「うん、完全に病んでいるね。」と口をそろえた。
私が描いている絵は、シャボン玉。背景には大きな木があり、下面には水たまりのような湖。その湖から次々に浮かんでくるシャボン玉。でもシャボン玉の中にうっすらといろいろな人の形が入っている。
「これ、見方によってはうつろな人が閉じ込められているように見えるよね。」
「うん、こっちのシャボン玉の中の人はあきらかに泣き崩れているよ。」
「それに、この木のさらに後ろに、大きな人影があるけど、こっちを見てない? やばいよ、この絵。」
「悩みがあるなら聞くから言って! 受験? それとも何かあの子たちに言われた? まさか、好きな人が出来たとか??」
と美咲が矢継ぎ早に質問し、私の腕にしがみついてきた。
「美咲・・・。何もないから。それに私、病んでないし。」
「多感な時期だから、こう、深層心理に潜んだところにナナ、何かしら抱えているのかもしれないね。」
「いや、裕子、冷静な分析するのを辞めて。ほんとに何もないから。そもそも3人とも、本気で心配してないでしょ。からかうの辞めてよ。」
私は3人をいなすと、裕子、千里、美咲は顔を見合わせて少し笑う。
「でもこれって、ナナっぽくないというか。ダークだよね。」
「昨年書いた、ゴッホの想像画に影響されたのかも。」
私はもっともらしい理由を言う。
別に何を描こうと思って書き始めたわけではない。私はそもそもテーマに沿ったものを描くの苦手だ。だから何となく、筆まかせで書き始めた。最初は一面にレモンイエローで画用紙を塗りつぶし、何となく、背景に木を描いた。下に水があったら良いなという軽い気持ちで、湖を描いた。そしたら、自然に、シャボン玉のような玉が湖からぽこぽこ生まれたらどうだろう?と考え、その思いつきのまま、続きを描いた。
あとは少しずつ、少しずつ、こうしたらどうだろう、という思いつきを足していっただけだ。
テーマは無い。提出する際に後付けで考えればいいと思った。
(本当に裕子の言う通り、私が気が付かない深層心理なのだろうか・・・? まったくわからない。私は病んでいないし、何かに思い悩んでいるわけでもない。)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます