1.彼の面影と出会う
中学時代の美術の臨時教師だった、不二祐介の葬式は1月3日に行われたが、私は参列しない選択をした。葬式に参列した中学時代の同級生、佐藤美咲からは、当日の様子を報告するようなメールがあった。
中学2年生の3学期から1年と少しの臨時教師だった不二。彼は不愛想で無口だったにもかかわらず女生徒からは人気があった。
本当に悲しくて涙を流している人はお葬式にはいたのだろうか。多くは知っている人が亡くなったことで、それなりの寂しい気持ちを抱えながらも、ある種、同窓会のような感覚で参列したのではと想像する。
当時27歳だった不二と、14・15歳の中学生だった生徒。
卒業式からは12年の月日が経っている。
知った顔と会う。懐かしい顔が揃う。それは同窓会となんら変わらないのではないだろうか。
美咲からのメールにも書いてあった。
『5組の生徒はけっこう参加してた。久しぶりに合唱部の面々と会ったよ。裕子は二人目の子供が生まれたんだって。千里は留学から帰ってきた。直樹がナナは元気か?と気にしていたよ。担任の近藤とか、数学の増田もいた。そうそう、辻島聡子先生、まだ独身だったw』
そう、いたって、同窓会なのだ。
裕子の旧姓は黒田裕子。現、佐々木裕子。腰まである長さの黒髪をふたつに分け、きちんと三つ編みしている髪型で3年間過ごしていた。優等生を絵にしろと言われたら、彼女を描けばいい。彼女はとても洞察力がすぐれた人だった。
松井千里は、物事をストレートに言う素直な人。年上の姉がいる関係でませている女の子だった。眉毛もいち早く整え、おしゃれに敏感で、休日はメイクもする中学生だった。
岡田直樹は、中学生の男の子のわりには、鋭い洞察力を持っている人だった。サックスがとても上手で、私に告白もしてくれた人だった。13歳~15歳の男女は、たいていの場合、女性のほうがませていて、ずる賢い。男性陣は、発する言葉を額面通り受け取ることが多く、その言葉の裏側に潜む、意図を読み取ることは苦手だ。
裕子、千里のこと、岡田しかり。美咲のメールからは知りたい情報は無かった。私が知りたかったのは誰が参加していたとか、近況報告ではない。
あの、女たちがいたかどうかだ。
閉ざした記憶から、忌々しい女の顔が浮かぶ。万が一にも不二の葬式に参列していたのならと考えるだけで、吐き気がする。殺意さえ芽生えた。
(ああ、私はまだ、彼女らを許していないどころか、存在さえ抹消したいと思っているんだな)
ぎゅっと体を縮めた。
不二の葬式から3カ月が過ぎた。
私は墓地にいた。
美咲から不二の墓の場所を知らせるメールを受け取り、やっと不二に向き合うことにしたのだ。
深く深く心の奥底に沈めた記憶が、浮上してしまった以上、再び沈めて、心を鎮めるためには、向き合うことしか手段が思いつかなかった。
電車とバスを乗り継ぎ、広大な緑に囲まれた、自然と共鳴し合うかのような美しい高台に位置する『みどりの谷霊園』に到着した。不二祐介が眠る地。門から桜の木が並ぶが、すでに桜は散り葉桜になっていた。葉桜からこぼれる陽光は美しかった。
夕方から天気が崩れると天気予報では言っていたが、午前10時の空はまばらに雲が散らばり、穏やかな太陽が顔を出す、水色の空だった。
受付で線香と花を購入し、教えられた不二の墓の場所へと向かう。手入れが行き届いた花壇や美しく配置された樹木を見ながら、長い階段を歩く。
辿り付いた不二の墓は、少し傾斜がついた横置きの墓石だった。墓石はつやつやで備えられた花は生き生きしていた。誰かが来たばかりなのだろう。受付で購入した花を無理やり挿すか、持ち帰るべきなのか躊躇する。ひとまず、花は墓石の横に置いた。線香に火をともす。
ここで不二に呼びかければ、不二は答えてくれるのか? いや、不二はここにはいない。そもそも、彼がこの世に存在していたことでさえ、幻だったのではないかと思うことがある。
けれど。
いまも目を閉じ、彼との記憶をかき集めていくと、無口だった彼がときおり発する声、押し殺す中で漏れた息づかい、いっけん華奢な体の線とはうらはらに、広い背中、意外と筋肉質な両腕のぬくもり、私の背中にまわった彼の大きな手が、思い出されていく。
手を合わせることなく、墓石の前でしゃがんだまま、墓石に刻まれた「不二祐介」の名前をぼんやりと見つめながら、不二の記憶をたどっていた。久しぶりの作業だった。そんな折、ふいに後ろから声が届く。
「ね、キミ、不二祐介の教え子?」
声に反応し振り返ると、すらっと背が高く細身で、黒髪の青年が微笑んでいた。シャープな輪郭に整った鼻梁。肌は色白。不二に似ている・・・と思った。
だがすぐにそんな考えを打ち消す。
不二はこんな風に柔らかく陽だまりのようには微笑まない。
「僕は藤本拓海です。不二祐介の従兄。キミは?」
「私は、桜井・・・です。」
「葬式には参列していないよね? だから墓参りに来たんだね。」
彼はちらっと、私ががあげた線香と花に目をやりながら、しゃがむと、ふたつあった花差しのうち片方の花を取り出し、ひとつの花差しに生けた。
「キミ、、、奈々子ちゃんの花はこちらに飾るといいよ。」
と、空になった花立てを私に見せる。
突然、“奈々子ちゃん”と呼ばれて、すっと血の気が引く。
不二に似たシルエットと、顔のつくりで、不二とは全く異なる他人との距離感をとることに、戸惑った。
けれど・・・。
不二の従兄が花を取り出し、生けなおす、指先の動きを見て、目が離せなくなった。色白の肌。大きな手と細長く綺麗な長い指。当時の不二の手が色鮮やかに思い出され、少し胸が熱くなった。
「奈々子ちゃんなんて、少し馴れ馴れしかったね。ごめんね。」
「・・・そうですね、年齢的にちゃん付けで呼ばれることが少なくなったので、少々、違和感はあります。」
「え?いくつ?」
「27です。」
「お、同い年!」
といってまた朗らかにやさしく笑う。私はぼんやりと不二の面影がある藤本の顔を見つめていた。頭では理解しているが不二と似ているその顔が、シルエットが心をさざ波のようにざわざわさせた。
墓から離れ、また長い階段を歩く。
行き道とは違い、ふたりで階段を下りた。
「このあと、時間、ある?」
「少しなら。」
「見てもらいたいものがある。どうしても奈々子ちゃんに。うーんと、1,2時間程度、時間をもらえないかな。」
初対面から距離が近い人は苦手だが、藤本は名前呼びしているにも関わらず、嫌悪感はなかった。何を見せようとしているのか聞こうとしたが、喉の奥がきゅっと縛られたようになり、中々、尋ねることができなかった。
簡単な質問なのに。
それは恐らく不安からだ。藤本は、不二と私のことをどこまで知っているのか。私と同い年ということは、藤本も当時は14歳か15歳。不二が彼を相手に私の話しをしたとは思えない。
もしかしたら、不二は何か遺書や日記など、書き記したものを残したのだろうか。
霊園に入る手前には駐車場があった。藤本はおしゃれなベージュ系のSUV車に近づき、後部座席のドアを開け、荷物、コートを入れると、私を助手席に乗るように促した。
「か、可愛らしい車だね。フランス車?」
「うん、そう。シトロエンC3っていう車だよ。母の車だけど。」
「シトロエン・・・。へー、これもシトロエンなんだ。」
まさか、車で移動するとは思っていなかったが、藤本にエスコートされるがまま、助手席に乗り込んだ。手荷物とコートは膝の上にまとめた。藤本もすでに乗り込んでいた。
「コートとカバン、よかったら、後ろに置くけど?」
「じゃ、カバンだけ」お願いします・・・と言いかけて顔をあげたとき、藤本の体が急に近づき、私の手からカバンが藤本に移った。間近で見た彼の顔。まつ毛がとても長かった。彼は運転席から少し体を伸ばして、私のカバンを後部座席に置いた。
車は静かに発進し、移動を始めた。
私は車内から外の風景に目をやる。
シトロエン。かつて、私が初めて男の人とのドライブに行ったときの車と同じブランド。そして初めて覚えた車の名前だった。
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