2.制服。

 桜井奈々子こと私は、今日初めて出会った、藤本拓海の車に乗っている。藤本は中学時代、臨時の美術教師だった不二祐介の従兄だと言った。


 まさか、不二の墓参りの帰りに、初対面の人の車に乗ることになるとは思わなかった。藤本は人見知りをしないのか、とても気楽に話しかけてくる。私と同じ年の27歳。若いわりには、ベテランドライバーのような丁寧な運転だった。


 藤本は自分の仕事や趣味の話しを始めた。彼は新聞社に勤めているらしい。「記者で全国飛び回っているようなイメージがあるかもだけど、僕の部署は原稿をチェックしたり、取材の段取りを考えたりというデスクワークが中心なんだ」とか、「近ごろはweb記事が増えたから自分もけっこう書いている」とか、「新聞は今はほとんどスマホで見ているけど、僕自身は新聞紙ってけっこう好きなんだよね」だとか、中学から大学までバスケ部だったことから、今でもときどき大学に顔を出しているとか。


「奈々子ちゃんは普段、何しているの?」

「電子書籍を作っています。私もwebに記事を書くことはありますよ。宣伝文に近いものだけど。」

「そうなんだ。ジャンルは?」

「けっこう何でもかも。もとは絵本の会社だったみたいだけど、今は料理から子育て、マネー系までいろんなジャンルのものを制作していますね。」

「いろんな分野の本が出せるっていいよね。幅広い豆知識がつく(笑)」

「そう、浅く広い知識はつきますね。」

「でもその一冊に取り掛かっているときは、専門家の気分にならない?」

「確かに。完成するまで1つの分野に没頭するから気分はそうかも。」


 たわいもない雑談を繰り返すうちに、私の口調も藤本のフレンドリーさに引っ張られていった。ただ会話している中でも頭の中は、あれこれ別の思いを巡らしていた。

(人懐っこい笑顔や口調は不二とは別物だね)


 車は霊園から離れて高速道路の上。私が住む街の方向なので問題はないのだが、さきほどから本題に踏み込む話しをしていない。


 藤本は何を私に見せたいのか。その理由は何なのか。何故、不二の話しをしないのか。それとも、わざと不二祐介の話題を避けているだろうか・・・?


 ちらっと横目で藤本を見た。綺麗に整った顔は美人系だ。不二の家系はみな長身で、顔が小さく、鼻筋がすっと通っていて、色白なのだろうか。ハンドルを握る手指の美しさ。目が離せなくなる。ずっと見ていたくなる。

(まずい、見過ぎたかも・・・)

 

 私はなるべく自然にハンドルから目を離し、車窓へと移動させた。


 車は高速を降りた。少し渋滞する大きな通りを走り、長い坂が続く住宅街に入る。いくつか右、左と曲がり、木々に囲まれた和風の一軒家の前に車は停まった。

「これ、僕の実家。古いでしょ?」

 車を降りて周囲を見渡していると、ふわっとやわらかく笑いながら藤本は言った。玄関の門をくぐると石畳が続く。その先には玄関。左手には広々とした庭が現れた。そしてその庭の奥に離れがあった。


「あの離れは、不二祐介のアトリエだよ。」

「アトリエ?」

「うん、10年くらい前かな、ここで絵を描くようになったんだ。」


 大きなガラスの引き戸を開けると、8畳ほどの空間があった。木目調の大きなテーブルや棚には多数の画材が並び、イーゼルもいくつか並んでいた。美術室の隣に備えられていた不二の個室に置いてあったような、デッサンに必要な道具がたくさんあった。


「上がって」と、藤本に招かれてアトリエに入る。

「キミに見せたかったのはこれなんだ。」


 イーゼルにかかった布を藤本が取り除くと、大きなキャンパスに描かれた絵が現れた。


 制服を着た女性がピアノを弾いている絵だった。

 見覚えのあるピアノが置いてある空間と、制服。


「これってっ・・・」

 私は口元を両手で覆った。目は真ん丸に見開き、瞳がかすかに揺れる。ある種、おびえたような目だったかもしれない。

(これはおそらく、いや、私だ・・・)

中学時代の放課後、ピアノ室でピアノを弾いている自分の姿がキャンパスには描かれていた。


「やっぱり、奈々子ちゃんだよね、これ。お墓で会ったとき、右斜めのキミの姿を後ろから見たときに、この絵と重なったんだよね。」

 うんうんと、ひとり、謎が解明できた!という感じで、明るい声色で藤本が言う。

「じつはまだあって、このスケッチブックに描かれたのも奈々子ちゃんの中学時代じゃない?」

 藤本はぺらぺらと少し古びたスケッチブックをめくる。

 鉛筆で描かれたいくつかのデッサンは、確かに私だった。後ろ姿や本を読んでいる姿など、スケッチブックにいる私は、描き手に気がついていない。

(いったいこれは、どういうことなの?)

 私は戸惑い、体の奥から小刻みな震えが現れた。


「奈々子ちゃん、奈々子ちゃん!」

 藤本の声に、やっと今いる現場に意識が戻った。

「大丈夫?」

「・・・うん。」

 不二に似た瞳が私の顔を覗き込んだ。ずっと優しい笑みを浮かべていた顔が、申し訳なさそうな表情を見せた。

「・・・この絵とスケッチブックを奈々子ちゃんにもらってほしいんだ。」

「受け取れません。」

 私は即座に返答した。

「私・・・そろそろ帰らないと。」

「・・・。突然だとびっくりするよね。描かれていたのを知らないのなら当然、だよな。」


 「じゃ、送る♪」藤本は、その場の空気を切り替えるように明るく言った。

 優しい声色だけど、絶対に相手にNOと言わせない強さが彼にはあった。


 私は藤本に促されるがまま、車に乗った。正直にいえば、彼の提案に対して、抵抗する力も残っていなかった。


 私の家の近くのコンビニで降ろしてもらう。

「奈々子ちゃん。絵のことだけど、いますぐ、判断しなくてもいい。少しだけでいいから考えてもらえないかな。ちょっといいんだ、少しだけどうするのか考えてほしいんだ。」

 藤本の表情も声も懇願するように見えた。




 

 


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