8.バレンタイン
中2の2月14日。振り返れば小学校3、4年生からこのチョコレートのイベント時期は女の子たちの会話の中心は、誰に渡すか?だった。
手作りにする?それとも買いに行く?
少ないお小遣いの中で、何人に渡すのか、本命のチョコレートはどんなものを渡すのかあれこれ会話が続く。
小学校のときでさえ、チョコレートだけでなく、マグカップをつけようか、小物入れを加えようかという話があった。女の子はませている。
男の子たちも、誰からもらえるのか、もらえないのか、気になる日だっただろう。
男性の教師たちは中学生にもらったところで、面倒なだけだったかもしれない。ひいきしないようにどうお返しをするべきか、チョコレートの受け渡しを禁止にするべきか?という議題も職員会議には何度かあがっていたらしい。
男性教師で注目株にあがっていたのは、体育教師のバンダカこと番場崇先生と、美術の臨時教師の不二祐介だった。
「千里、いつ渡すの?」
昼休みに美咲が千里に尋ねる。
「うーん、バスケ部の顧問だから、バスケ終わりかな。美咲もバスケ終わりなら一緒に待つ?」
千里がチョコを渡す相手はバスケ部顧問の番場先生。美咲が渡したい相手はバスケ部の西村だった。
「そもそもなんだけど、私、渡すことができるかなぁ・・・・。」
「デジャブだわ。昨年と同じこと言ってない?」
中1の入学式で、千里は番場に一目ぼれし、美咲は入学式に遅れて入ってきた西村に心を奪われた。2人して、入学式が恋に落ちた日だった。
「今回は絶対、渡しなよ。せっかく用意したんだから。」と千里が釘をさし、「裕子とナナは誰にも渡さないの?」と話題を変えた。
裕子も私も渡す相手がいない。ふたりして、友達にあわせた友チョコ交換しか経験がなかった。
「番場、朝からすでにいろんな子たちにもらってた。ライバル多いわ~。あとさ、さっき職員室にいったら不二を探している女子もけっこういたよ。」
「先生に渡す子は毎年いるけど、千里は違うじゃない。本命でしょ?」
「うん、もちろん。」
そう、断言できる千里はとても清々しい。
「中学生と大人って考えたら、大人からしたら受け入れてもらないかもだけど、たった9つ差だから。うちの両親なんてひとまわり違うからね。」
「でも、今の時点で、仮に付き合ってしまったら、新聞沙汰だよね。」
「ゆ、裕子、めちゃくちゃ、現実的は話しなんだけど。」
裕子の言葉に美咲のほうが焦った感じで、会話に割り込む。
「確かに、中学生と教師が恋人同士になるって、世間では認められないことだよね。でもこれでも純粋に好きなんだけどなぁ」
千里は化粧ポーチからビューラーを取り出し、少し下がったまつ毛を上げ直しながら言った。
「その純粋さがやばいんだよ。万が一でも先生が受け入れたら社会から制裁を受けるのは先生だからね。」
「制裁・・・。裕子、使う言葉が怖い。私を危険人物みたいないい方しないでよ。」
私はそのやりとりを聞いていて、ひとり、考え事をしていた。
(先生が受け入れたらという話をしているけれど、大人が中学生を本気で相手にすることがあるのだろうか・・・?)
「年齢差は関係なくても、現時点の立場がだめなんだね。私たちが高校を卒業したら認められるのかな?」
私の言葉に「高校卒業まで待てないよ~」と千里が言った。
その日の放課後。今日は合唱部の活動はない。けれど私はピアノ室にいた。
近ごろ、家ではなかなかピアノを弾かせてもらえない。そろそろ受験勉強に専念しろと父から言われて、家庭教師をあてがわれたためだ。家ではピアノを弾く時間帯が、家庭教師と勉強する時間に代わっていた。
『ピアノは好きだが、将来的に音大に行きたいわけではない。』
と、両親に打ち明けたことがきっかけだった。「音大に行かないなら、ピアノは単なる趣味、遊びだ。」と、父から言われてしまう。
家でも自由に弾けない分、部活終わりや部活の無い日は、ピアノ室に立ち寄っている。
ストレス発散には、作曲家の意図を無視して、速弾きするのがすかっとする。あとは暗譜している好きな曲を自由に弾いた。コンクールに出るための弾き方ではなく、クラシックなのに、気分はジャズ。自由に。自由に、気持ちよく。
音飛びも少し速過ぎる間も、音が多いことも気にしない。
そうやって自由にめちゃくちゃな弾き方ですかっとした後は、急に、忠実に。丁寧に作曲家に寄り添って、弾きたくなることもあった。
そしてピアノを終える前はいつも、ラヴェルの曲から選んで終える。子供の頃からラヴェルの曲調になぜかはまり、いつかラヴェルの曲を弾きたいという気持ちが、4歳からピアノを続けてきた理由だった。
最後の曲を終えて時計を見る。17時過ぎだった。運動部活動が終わる時間は18時頃だ。
鍵盤を軽く拭き、キーカバーをかぶせ、鍵盤蓋を締める。
チョコレートを渡すために粘る女性陣たちと出くわさないように、少し早めに帰らなければ。会うと面倒だ。私まで誰かにチョコレートを渡すために、残っていたかのように思われてしまう。
マフラーを首に巻きながら廊下に出ると、ほぼ同じタイミングで、美術室の備品庫に入ろうとしている不二がいた。両手にはたくさんのチョコレートらしき箱を抱えている。
2人はそれぞれ見合い、少しの間があってから、不二の腕からバタバタといくつかチョコレートらしき箱が床に落ちる。
漫画みたいなシチュエーションだなと思いながら、私は床に落ちた箱を拾い上げた。
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