24.恋に友情に忙しい

 自宅の勉強机で紅茶を飲みながら、スマホの画面を見ていた。名前にはYFとイニシャルを入れた。私は不二の携帯電話番号を手に入れた。何となく『不二祐介』と名前を入れることを躊躇った。


 不二は言った。いつでも私のタイミングで電話を掛けても良いと。彼の言葉を思い出し、胸が熱くなる。私は、聞こうと思えばいつでも彼の声が聞ける。しかし、電話はよく考えればハードルが高い。メルアドも聞けばよかったかな・・・と後悔した。それでも私は、電話をしても良い権利を手に入れた。


 何にせよ、まずは受験だ。浮足を立てている場合じゃない。本番まであと3カ月足らず。ここを乗り越えなければ、前には進めない。高校進学を確定させて、中学を卒業する。そうすれば彼との関係も、今、置かれた状況よりは良くなるはずだ。


(今、頑張らなくちゃ。今、この気持ちを乗り越えなくちゃ。)


 私は心で呪文のように唱えて、心を落ち着かせる。目まぐるしく感情が動き、心の中は慌ただしいけれど、一時の熱にほだされて受験勉強が疎かになってしまったら、本末転倒。気を引き締めなければならない。


 9月のコンクールを終えて合唱部は引退した。ひと足先に引退試合を終えた運動部に続き、ほとんどの文化部も引退となり、周囲はますます受験シーズンの雰囲気になる。合唱部は引退後も参加することが許されているので、ピアノ室もこれまで通り使用することはできる。


 ピコッとメッセージ音が鳴る。画面には岡田直樹の名前が表示された。

 『明日の放課後、少し演奏しない?』

 それを見て、やはり、不二のメルアドを教えてもらえばよかったと思った。



 翌日。放課後のピアノ室には、岡田と私がいた。千里、裕子、美咲にも声をかけたが、美咲は西村と帰ってしまっていて、千里と裕子は進路相談の面談が入っていた。出来れば岡田と2人になることを避けたかった。ここは不二と私の大切な場所だから。

 「これ、楽譜なんだけど。」

 岡田が見せてくれた楽譜は、ピアノと一緒にサックスを吹くためのピアノの伴奏譜だった。

 「こんなのがあるんだ、いろいろあるね。」

 パラパラと伴奏譜を見ると、すぐに弾けそうなのがいくつかあった。映画の主題歌で使用された曲やJポップ、クラシックまである。

 「桜井はクラシックがベースだよね? となると、ジャスアレンジの曲は、ちょっと練習が必要だよね?」

 「んー、そーだね。ジャズアレンジの曲は事前に練習したいかな。でも、このJポップならいけるよ。」


 さっそくJポットの曲を演奏した。ノスタルジックな雰囲気を感じられる楽曲だった。サックスとピアノで演奏するのにすごく合っている。弾きながら癒される曲って、意外といいかも・・・と思いながらピアノを弾く。

 演奏を終えると「これもなかなかいいね。」と、岡田も私と同じ感想だった。


 「あと、1曲。もう1回、前回の曲、いい?」

 岡田に言われて頷いた。鉄板だけど、以前、千里たちの前で弾いた「宝島」は、岡田の腕前もよくわかる曲で、爽快感が良かった。ぶっつけで合わせた前回よりも、2人の息は合っていた。

 

 演奏を終えて一息ついたところで、

 「じゃ、私、もう少しだけ・・・からここに残るよ。」

 少しだけ"ひとりで弾きたい"を強めに伝える。

 「了解。」と岡田は言い、サックスを片付けはじめる。


 「桜井、県外の高校も受験するの?」

 「県外の高校は親からのリクエスト。大学までエスカレーターの高校なんだよね。」

 「家から通うの?」

 「いまのところそう考えているけど、学校が提携している、女子学生専用のマンションがあるみたいで。少しそこに入居することも検討してるよ。全ては受かってから考えることだけどね。」

 「そっか。」

 「岡田も県外、受けるよね?」

 「桜井とは逆で、俺は西の方面だけどね。子供の頃住んでいたから、馴染みがあるし、祖父母も住んでいるから。・・・お互い、頑張ろう。じゃ、また。」


 岡田がいなくなってから改めて、ピアノを弾く。岡田とピアノ室に入る前、美術室と小部屋の様子を伺ったが、人の気配はなかった。不二は美術の授業が無ければすぐに帰宅する。もう、帰宅したのかもしれない。それに今日は進路相談の面談が入っている生徒が多い。進路相談の担当ではない不二には関係がないことだ。


 もう1度、宝島の伴奏を弾いた。ココ、もっと強弱つけていいかも。少し、ココはテンポを速めたほうが面白いかな・・・。やっぱり、伴奏とはいえ、面白い。もっと早く、岡田がサックスを吹けることを知っていれば、あれこれ演奏を楽しめたかもしれないなとも思った。しかし、今は余裕がない。不二のことと、受験で精いっぱいだ。


 締めくくりにラヴェルを弾いた。今日は「亡き王女のためのパヴァ―ヌ」を選ぶ。曲は変ホ長調。穏やかで静かな雰囲気が特徴で、変ホ長調で書かれている。亡き王女の追悼。美しい旋律だけど少し物寂しさもある曲。


 弾き終えると、スマホを取り出した。家ではまったく電話をかける勇気が足りないが、ここなら少しだけ勇気が出るような気がする。ショートメールという手もある。どうしよう・・・と悩むのは彼の声が聞きたいからだ。彼から携帯の電話番号を教えてもらって以来、ずっとこうして思い悩んでいる。恋は人を愚かにするモノなのだということを知った。


 携帯電話番号をやっと知ることができたが、私は不二のことをほとんど何も知らない。不二がどこに住んでいるか。ひとり暮らしなのか、家族と暮らしているのか。彼は普段、どんな日常を送っているのかもわからない。血液型も、誕生日すら知らない。


 『YF』の携帯番号が表示された画面を見つめる。

 (ダメだ、今日もまた、電話できない。意気地なし。)

 勢いよくピアノの椅子から立ち上がり、ピアノ室を後にした。



 10月の半ばから始まる、中間テストの時期に差し迫った。不二への電話は相変わらずできなままでいる私は、いつものメンバーと一緒に図書室にいた。

 「明日から中間だけど、まだ社会の暗記が出来てないよぉ。」

 と、千里が嘆く。

 「私も苦手。」

 「裕子、理数系は圧倒的にいいのに、暗記物、苦手だよね。それにしても、図書室で勉強する人、減ったね。」

 千里の言葉通り、授業が終わるとすぐに家に帰る生徒が増えた。

 「一緒に勉強している時期は過ぎたってことじゃない? 受験は個人戦だし。」

 裕子が淡々とした口調で言う。

 「私は一緒に出来る時間があったほうが、やる気が出るな。」

  頻繁に彼氏の西村と一緒に勉強している美咲が言う。

 「なんだかんだ、うちら、仲がいいよね。」

 ふいに千里が笑いながら言った。確かにそうだ。休み時間もお昼も放課後も一緒にいる時間が多い。

 「ね、ちょっと息抜きに喫茶「ひまわり」に行かない?」

 千里の提案に、みな賛同した。


 「はい、受験生応援パフェ。みんな、ちゃんと睡眠はとってる?」とひまわりのママが、フルーツ多めのスペシャルパフェをテーブルに置いた。安心安定の居心地の良い空間。

 「美咲、西村は?今日はよかったの?」

 「うん、今日は西村君、ちょっと風邪気味だったから心配で。急いで帰ってもらった。」

 「仲良しだね~。ほんと、美咲たち、いいカップだよ。私も受験を一緒に励まし合える彼氏ほしいー。」

 「ありがと、千里。受験が終わったらたくさんデートしようねって約束してる。」

 と、のろけた後、

「あのさ、ナナは岡田君のこと、どう思っているの?」

 美咲が私に質問をしてきた。

「何、突然。どうもこうもないけど。」

「それ、私も気になってた。岡田って、結構前からナナのこと気に入っているよね。他の男どもと違って、ちょっと大人びている雰囲気がナナに合うなって思ってたよ。」

「私は特に何も感じてないよ。演奏は楽しかったけどね。」

「ふたりで練習したんでしょ? ピアノ室デートじゃない。」


 千里に軽くからかわれる。おそらく先日、2人で演奏した件のことだろう。私は少々苛立った。不二と私の大事なピアノ室の空間を、そんな風に茶化されたくなかった。


「もし、岡田が私に気があるんだとしたら、2人で演奏するのは避けたい。」

 私は少しも岡田に気がないし、岡田の気持ちを少しも推し量ることができなかった。万が一でも岡田が私を気に入っているなら誤解してもらいたくない。

「はは、ナナってやっぱり真面目。」と千里が笑い、やりとりを見ていた裕子が代わりに答える。

「岡田はナナのこと、好きだと思う。もし、ナナが気になるなら、2人にならないように、うちらがフォローするよ。」

「ありがとう。岡田の気持ちは分からないけど、2人にならないようにしてもらえると助かる。」

 私は裕子の目を見て答えた。

「ナナはやっぱり、不二なんだね。」

「そうだね。でも、今は何も私にはできないよ。」

 少しだけ沈黙が流れた。

「ナナ。」

「何、千里?」

「まじで、何でもいいから、困ったときは電話して。メールでもいい。ナナは抱え込む傾向があるから。勉強のことは教えられないけど、恋愛なら私のほうが、ナナよりは先輩だし」

 千里は、本気で言った言葉を少し茶化すように言った。照れ隠しだったかもしれない。

「私は恋愛はうといけど、千里こそ、何かあったらいつでも連絡して。」

 私の答えに美咲も言う。

「そうだよ~、うちら、互いにもっと頼り合おうよ。いつでも何でも。私から言わせれば、ナナも千里も裕子も抱え込む傾向があるよ。私だけだよ、何でもかんでも泣きついているの~。」

 ひーんと、急に子供のように美咲が泣き出した。受験やもうすぐ卒業で離ればなれになることを普段から気にしている美咲は、いろんな感情がごちゃ混ぜになり、不安だったのだろう。15歳。この年頃は何かと情緒不安定になりやすい。


 裕子がその様子を見て笑った。表情があまり動かない彼女の笑顔は、不二と同じく、中々見られない。

「そうだね。頼ることも大切だね。」

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