第9話 兄にストーカーが見つかった
孤児院に行った日から数日後、ディアナはたまたま外出先から帰って来たばかりの父と玄関ホールで会った。少し時間があるので裏庭でも散歩しようかという父の提案に嬉々として頷く。
だって父と散歩なんてデートみたいなものよね。ディアナは父が大好きだから、そんな幸運チャンスは逃さないのだ。しかも父の抱っこでの散歩。何ですか、良い子にしているディアナへのご褒美ですか。
父に抱っこされながら、素敵な庭を散歩する。
「――そうなの。孤児院の子たちにケーキが美味しいって言ってもらえたんだよ」
「それはよかったな。ディアナの作るケーキを私も食べてみたいよ」
「本当? あのね、まだ形が綺麗にできないのだけれど、お父様も食べてくれる?」
「もちろん、食べさせてくれ。私だけ食べさせてもらえないのは寂しいぞ」
「じゃあね、今度お父様のためにケーキを焼くから食べてね! 絶対ね!」
「ああ」
普通であれば、公爵家の令嬢はお菓子作りなどしないものだが、父は令嬢らしくないことでも、ディアナがやりたいことを最初から否定もしないでくれるから父が好きだ。
「――ディアナ! 父上!」
屋敷の方からロミオが走ってきた。
「ディアナ、部屋に来ないから、どうしたのかと探したんだぞ」
「あ、ごめんなさい、お兄様。お父様と会ったからお散歩することにしたの」
そういえば、講義室に行く途中で父を発見したのだった。ロミオが先に講義室にいるだろうとのことを失念していた。
「お兄様もお父様と散歩したかったよね。お兄様も呼べばよかったわ」
「それは別にいいんだけど。……父上、俺が抱っこを代わります」
「え!? お兄様もお父様に抱っこされたかったのね!?」
「そっちじゃない!」
え、どっち?
「ディアナは俺が抱っこするから」
あ、そっち。
「無理しないで。私って結構重いからお兄様が潰れちゃう」
「潰れないよ。そんなにやわじゃない」
いや、やわとかそういう話ではないと思うのよね。七歳の妹を十歳の兄が抱えるって、体格的に無理があるのでは? ディアナの方が小さいけれど、大人が子供を抱えるのと、子供が子供を抱えるのは訳が違う。二人は三歳差でしかないし。それに、普段ロミオがディアナを抱っこなんてしないのに。
「でも……お父様に抱っこされる機会って少ないから、お父様に抱っこされたいの」
「……」
わぁ。ロミオがショックの顔で固まってしまった。どうして急に妹を抱っこしたくなったんだろう。重いだけなのに。
「ふっ……」
「父上!? 笑わないでくれますか!?」
「いや……すまない」
まだ震えながら笑っている父は、ロミオの頭を撫でた。
「ロミオ、ディアナを抱っこしたいなら別の機会にしなさい。ディアナは今は私に抱っこされたいようだから」
可笑しそうに笑う父に、ロミオはむっとした顔を向けている。
「ロミオも一緒に来なさい。もう少しだけ一緒に散歩しよう」
父が笑い、ロミオは不機嫌だけど、ディアナはこの穏やかな時間が楽しい。それからしばらく、家族水入らずの楽しい時間を過ごすのだった。
結局その日、あまりにもディアナがロミオ抱っこを遠慮するものだから、椅子に座ったロミオの膝に座るという、抱っこの妥協案がロミオから出た。座ってからであれば、ロミオが潰れないだろうと思い了承した。なぜかその後、ロミオの膝上に座らされる習慣ができるのだった。
その次の日。
ロミオを誘って、母の部屋へやってきた。母の部屋は、母が亡くなる前のままで残されている。
実は逆行前は母の部屋には行ったことがなかった。母を亡くして悲しむ父に遠慮していたのだ。けれど、昨日、勇気をだして父に聞いた。母の部屋に行ってもいいかと。父は穏やかに「好きなだけ見てみなさい」と言ってくれた。母を思い出し父が辛い顔をするなら、部屋に行くのは止めようと思っていたのだが、父は了承してくれた。
ロミオも母の部屋、ロミオにとっては義母の部屋だが、母の死後、一度も来たことはないという。
ロミオと母の部屋を見て回る。ベッド、テーブルセット、化粧台、衣裳部屋、そして、あまり大きくない本棚がある。本棚には古い本もあった。
ディアナは本を一つ取る。それは、女神マリデンについて書かれている本だった。
「たぶん、義母上が帝国を亡命するときに持ってきたものだと思う。ディアナが生まれる前から、その本はあった気がするから」
母が後妻として入ってしばらく、ロミオとも一緒に過ごしていて、母とは良い関係だったらしい。
「義母上は優しい人だったから、俺のことも本当の息子として可愛がってくれていた」
「そうなのね」
いいな。ディアナも母という存在と親子の関係を築く経験をしたかった。
逆行前にロミオとジュリエットが死んだ後、ディアナの本当の母とはキャピレット公爵家へ戻った後、接する機会はあった。キャピレット公爵夫人は、ディアナを娘として接してくれてはいたけれど、きっと一緒に暮らしたジュリエット以上の娘とは思われていなかった。一緒に暮らした期間が少ないから。
中身が大人なのだから、今更、母が恋しいなんて思うのはおかしいかもしれないけれど、ディアナにとっては会ったことがなくとも、モンタール公爵家の母が母なのだ。亡くなった人とは会えない。それは分かっていても母と会いたい。そう思ってしまう。
母の部屋のソファーに座って、少しだけ女神マリデンについて書かれている本をパラパラとめくる。隣にはロミオが座り、母の痕跡を探そうとするディアナの心に寄りそおうとしているのか、ディアナの手を握り、一緒に本を覗き込む。
しばらくすると、女神マリデンについて書かれている本が気になるのか、ストーカーのポポも本の上にやってきて、ぴょんぴょん跳びはねた。
やめて。いくらロミオがポポに気づかないとはいえ、色が濃くなり存在感が増したポポが跳びはねると、さすがにディアナが本を見るのに邪魔です。
そう思っていると、いきなりロミオがポポを手で掴んだ。
「――え」
「何だ、この気色悪い生き物」
「お、お兄様!? ポポが見えるの!?」
「ポポ? この毛むくじゃらのこと?」
いや、うん。掴んでるんだから、気づいているよね。でも、何で急に気づくようになったんだ?
「その毛むくじゃら、ポポっていう名前で私のストーカーなの」
「は?」
「あ、ええっと、うーんと、ストーカーというか引っ付き虫?」
「……」
ロミオが汚物でも見るような目でポポを見て、ポポを掴む手に力を入れたようだ。ポポの焦りが分かる。
「や、止めて、お兄様! ポポの中身がでちゃう!」
「潰して殺すから」
「やぁ!? こ、殺しちゃ駄目! あのね、ポポはずっと私の傍にいるんだけれど、えーっと、何だっけ。……あ、そう! 女神マリデンの化身なの!」
焦りでどのように言えばロミオが止めてくれるか分からない。
「女神マリデンの化身?」
「そう! 何で女神マリデンの化身が綿毛みたいなのかは分からないけど! 私が生まれた時から、ずーっといるの! 私にしか見えてなかったんだけれど」
「魔物の類では?」
「うーん、たぶん違うと思うの。あのね、ポポは近くにいるだけで害はないのよ」
「害がないって、どうして分かるんだ? こんなの近くにいたらディアナが危ない。潰そう」
「待ってぇぇ!! お願い、潰さないで! お兄様だけに秘密の事を教えてあげるから、ポポを潰さないで!」
「……秘密?」
ディアナはぶんぶんと顔を縦に振った。逆行のことは言えないけれど、ポポを潰さないために、女神の寵児の印の事ならロミオに教えてもいい。ポポを潰して、もし血でも出てきたらどうしよう。その血が赤色ではなく緑色だったりなんかしたら恐怖なんですけど。
「お兄様。お願い、ポポを放して。私の秘密と交換。ね?」
葛藤しているのか、ロミオは眉を寄せながら考えているようだったけれど、そっとポポをディアナの手に放してくれた。ポポは体を震わしている。怖かったのだろう。というか、女神の化身がこんなに弱いって、どうなんだ?
「それで秘密って? 父上は知ってること?」
「お父様は……どうだろう。知らないと思うけど」
たぶん、知らないよね。妻を亡くした後、連れ帰った娘は乳母か侍女に世話を頼み、赤ん坊の裸など見たことはないはず。もし女神の寵児の印を見たことがあっても、母から女神の寵児の印がなんたるかを聞いたことがあるかは分からない。
「ふーん? 分かった。じゃあ、俺とディアナの秘密ってことにするんだね」
「うん。誰にも言わないでね?」
「言わないよ」
ディアナは頷き、今日着ているワンピースのスカートをめくった。
「は!? ちょっと、何してんの?」
「お兄様、あっち向いてて」
ディアナの子供パンツを見て、ぎょっとしたロミオの顔をあちらへ向けさせた。別にお年頃でもあるまいし、パンツくらいなんともない。ロミオは横を向いたままなぜか怒って「家族以外にスカートをめくって見せちゃだめだぞ!」と言っている。するわけないのに。さすがにディアナは痴女ではない。
腰までスカートをめくり、スカートを工夫しながらパンツが見えないようにしてみるが、お尻あたりは無理だな。
「お兄様、お尻は見ないようにしながら、私の腰を見てくれる?」
なんだか抵抗を感じるものの、しぶしぶといった体でロミオはディアナの腰を見た。
「腰に『六枚羽』の印があるでしょう。これね、女神マリデンの寵児の印なの」
「……なにそれ」
「女神マリデンに愛されていますっていう印」
「誰にそんな話を聞いた?」
「……」
やっばい。逆行前に知りましたなんて、ここで言えない。ディアナは焦ってポポを指した。
「ポ、ポポが言った!」
「……」
「ポポポ、ポポはね、返事ができるんだよ! ね、ポポ!」
ポポは焦っている様子でぴょんぴょんと跳びはねた。
「ほら! ええっと、ポポ、私のこの腰の印は、女神マリデンの寵児の印だよね!」
ポポはぴょんぴょんと跳びはねた。
「ポポは私が大好きだよね!」
ポポはぴょんぴょんと跳びはねた。
「でも、ポポはやっぱり私が嫌い?」
ポポは恐怖の様子で左右に高速で揺れた。
「ほら! お兄様、見た? 肯定の時は跳びはねて、否定の時は左右に揺れるの! ね、会話できるでしょ? こんな感じにポポが印は女神マリデンの寵児の印だと教えてくれたの」
ロミオは疑いの眼差しをポポに向けている。子供だましと思われているのだろうか。ロミオはポポを呪うような目で見ながら口を開いた。
「……ディアナに何かしたら、ぺしゃんこに潰すからな」
ポポは恐怖で高速にぴょんぴょんと跳びはねた。分かったと言いたいらしい。ロミオが怖い。逆らうまい。
「それで、このポポとやらはディアナにどんな恩恵をもたらしてくれるんだ?」
「え? 恩恵?」
時間を逆行させてくれたよ、とは言えない。
「……見守ってくれてるよ」
「何もできないんじゃないか」
ポポがしゅんとした。
「えっとね、たぶん、今は力を溜めているところなの。前のポポはもっと色が薄くてね、半透明だったんだけれど今は真っ白でしょ。そのうち、もっと女神マリデンっぽくなるかも。でも、もう少し妖精みたいな姿だったらいいのになぁ」
ディアナはポポを指でつんつんしながら言った。
「ねぇ、ポポ。少し力が戻ってるなら妖精みたいに変身できたりする? 羽とか手とか足とか生えるといいねぇ」
ポポはぴょんぴょんと跳びはねたかと思うと、じっとしてぷるぷる震え出した。あれ? もしや、本当に妖精になれたりする?
ぷるぷる震えていたポポから、急に人間の足が生えた。
「……!?」
他にも何か生えるのかと思いきや、どうやらそれが精いっぱいだったらしい。変身が終了した。
「や、やだ! ポポ、気持ち悪い!」
真っ白の綿毛に、セクシーな人間の足だけ生えました。中途半端すぎる。これは妖精とは言えないぞ?
「やっぱり、足は元に戻して。元の姿の方がいい。ごめんね、無理なお願いしちゃったわ」
ポポはしゅんとしながら、足を少しずつ短くしていき、最終的に元のポポの真っ白綿毛だけに戻った。足を少しずつ短くする行為も、ちょっと気持ち悪い。
ごめんポポ。そんなにしゅんとしないで。無理を言ったディアナが悪い。
その後、ロミオはまたポポが見えなくなった。どうやらポポが見えるのは、ディアナと手を繋いで接触していたかららしい。
まぁね、普段ポポは近くにいるとはいっても、物陰に隠れてディアナを見る癖があるようで、いつも少し離れている。だから、普段、ロミオと手を繋いだとしても、ロミオは少し離れているポポには気づかなかっただけらしい。
ディアナと接触している人に、ポポが見えるとは思わなかった。今度から気を付けよう。
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