第34話 暗躍

『ディアナ! 起きて! ディアナ!』


 ポポの声がする。それがどこか焦りを含む気がして、重たい瞼を意識的に開けた。


「嘘、もう起きた?」


 目の前には、心配そうにディアナを見ているポポ。そして、その向こうにはオルランド司教がいた。


 ここはどこ。先ほどまでいた客室ではない。この馴染みの揺れは馬車のものだ。


 ディアナは、馬車の座席に横になっていた。ベッドのシーツに包まれ、顔だけシーツから出している状態のようだ。


「……オルランド司教様?」

「おはようございますと言うべきですかね。たった今、猫まで包んで来たのかと驚いたばかりだったんですが、もう起きるなんて。あのお香は一日は眠り続けるくらい効果が高いはずなんですが」

「……お香?」

「猫は一緒に寝ていたんですか? 猫にもお香の利きが悪いとは、粗悪品をつかまされたのかな」


 状況的に、連れ去られていると見るべきだろう。まだ頭が重く、頭痛までする。


「……私を誘拐ですか?」

「その通りです。一緒に神聖帝国マリデンまで来ていただきます」


 また神聖帝国マリデン。逆行前にディアナを刺した女性も帝国の人だった。あの国は、犯罪を平気でやる国なのか。


(ポポ)

『どうしたの? 頭痛い? 治そうか?』

(ううん、それは大丈夫。自分でするわ。それよりも、私の声はポポにだけ聞こえるのよね?)

『そうよ。ディアナの声は、何でも拾うから、何でも言って!』


 普段、ポポ側は念話だけど、ディアナからは声を出しながらポポと会話していたので、通じるか試したのだ。


(お兄様と私以外には念話は聞こえないようにしててね)

『任せて!』

(そういえば、今までポポも眠ってた?)

『……っ、ごめんなさぁぁあい! これじゃあ使えないって、また魔王に怒られるぅ』

(いいのよ。今のポポの体は、動物と似た感覚を持っているんだから当たり前よ。泣かないで。それよりも、ポポがいつ起きたか教えてくれる?)

『ディアナが起きる数十秒前よ』


 ポポも寝ていたのなら、ポポに状況確認をしても無駄かもしれない。


 座席に横になったままのディアナは、頭痛を治すために手を上げ、頭へ神聖力を流す。


「へぇ。やはり神聖力が使えるんですね。ということは、眠りが浅いのは、自己防衛による神聖力が働いてるのかな」


 頭痛が無くなると、ディアナは体を起こして座席に座る。


 馬車の外は、まだ暗い。どれくらい眠っていたのだろうか。ディアナがいなくなったことに気づいてもらうにも、使用人が部屋にやって来るのは朝だ。まだ時間がかかるだろう。


 そういえば、ロミオに通信具で連絡をしていない。ディアナが寝てしまって連絡が来ないのだろうと判断しているだろうし、ロミオも気づくのは明日かもしれない。


 焦りで冷や汗をかいてしまう。もう二度とロミオと会えないとなったら、どうしよう。


「……落ち着いていますね。ジュリエット嬢とは全然違うな。彼女なら大声を上げて大暴れして、大変だろうなぁ。考えただけで面倒です」


 オルランド司教には落ち着いて見えるらしい。結構焦っているのだが、冷静にならなければと息を吐く。


「……どこに向かっているのですか?」

「港ですよ。船に乗って帝国まで行きます。ディアナ様は船酔いとかするタイプですか? 寝ていてくだされば、そんな心配もしなくて済んだのですが」

「……どれくらい馬車に乗っているのでしょう」

「ははは。どうにかここから抜け出そうと、無駄な努力でもしているところですか? あと一時間もすれば港に到着しますよ」


 面白そうな顔でオルランド司教はディアナを見ている。逃げるための情報を得ようとしていることがバレているようだが、油断しているようなので別にいいのだ。まあ、無駄な努力というのは間違いないのだが。


 タリア王国がよく使う港で、王都から一番近い場所で思いつくのは一か所だ。確か王都から馬車で八時間以上はかかるはず。ということは、すでに六時間から七時間程は寝ていたことになる。


 窓から外を見ると、遠くの方がうっすらと明るくなってきていた。朝方が近いのだ。


「逃げる算段ですか? 無駄ですよ。外には変装していますが、帝国の聖騎士が守っていますので」


 確かにディアナの力では無理だろう。今更だが、ポポから神聖力を使った攻撃用の技を習っておけば良かったと後悔する。神聖力にも魔法のように攻撃力の高い技もあるとは聞いていた。ポポは使えないけれど、教えることはできるとも聞いた。とはいえ、怖いのも痛いのも苦手なディアナは、そういった技は習得拒否してしまっていた。


「……どうして、私を誘拐なんかしたんですか?」

「私の目的は、最初から亡命皇族の誰かを連れ帰ることだったんです。ただ、ディアナ様が『六枚羽』の印を持つと聞いて、あなたが一番適していると思ったんです。最初はジュリエット嬢を狙っていたんですが、ちょっとアレは使えないですね。その点、ディアナ様は、神聖力も使えるようですし、私の目は間違ってなかった」

「どうして亡命皇族を連れ帰る必要があるんですか?」

「私が次期教皇になるためです」

「……」


 ただの権力争いに使われようとしている、ということだ。自分勝手すぎる。


「ディアナ様にも、皇帝の椅子をご用意しますよ。良い暮らしは期待していただいても良いです」

「皇帝の座など不要です」

「であれば、聖女はどうですか? 帝国では、聖女はもてはやされますよ。ディアナ様のように可愛くて、皇族の血を引くというなれば、民はきっとかしずきます。私の顔って、どう思います? ディアナ様が希望するなら、教皇になった後に私がディアナ様の愛人になって差し上げますが」

「聖女にもなりたくないし、あなたの愛人などもっと結構です!」

「そうですか? これでも顔が良いと女性に人気なんですがねぇ」


 本気で言っているのか、からかっているのか、分からない。


「……帝国には、他の聖女はいないのですか?」

「あれ? やっぱり聖女は気になりますか? 今は聖女はいないんですよ。昔は聖女を名乗っている偽物聖女はいたのですが」

「偽物聖女……ですか?」

「数年前まで私の姉が、聖物を使った力を自分の神聖力と偽って聖女の真似事をしていたようなんですよ。ところが、聖物が急に使えなくなって、聖女を名乗っていた姉は、どこかに行ってしまいました。だから、ディアナ様が聖女になりたいなら、帝国で唯一の聖女になります。きっと民たちは、熱心に信仰するでしょうねぇ」


(……ポポ。聖物って、もしかして)

『前にディアナに解放宣言してもらったときに、使えなくなった聖物のことね』


 聖女が再びやってくることを警戒していたのに、まさか自分でその可能性を潰していたとは。


 とにかく、港に着く前にこの馬車から逃げなくては。船に乗った後だと、逃げ出すチャンスが完全に無くなってしまう。


 馬車の窓から見える範囲にいる馬に乗った聖騎士は四人。あとはオルランド司教と馬車を動かす御者だけだろうか。


『ディアナ、この際だから、また私の時間を遡りましょうか? 漏れなく全員の時間が遡るわ』

(それって、例えば十時間前に遡ることも可能なの?)

『……頑張って調整すれば、十年くらいになら調整できるかも!』


 それは調整とは言いません。時間指定での遡りは難しいのだろう。また子供の頃からやり直すのは躊躇してしまう。


(時間を遡るのは最終手段にしておきましょう。実は、他の方法を考えてみたの。ポポが羽を持つ動物に変身するってどうかしら。私を連れて飛んでくれれば、この場を逃げられるのではないと思うの)

『なるほど! ディアナ、頭いい!』


 タンポポの綿毛に人間の足だけ生やすこともできるポポだから、きっと実在の動物でなくてもいいはずだ。


(羽を生やした馬とかはどうかしら)

『いいと思うわー!』

(……羽を生やした巨大猫の方が可愛いかしら)

『猫好きディアナのために、羽生えた巨大猫になります! 任せて! 巨大猫になって逃げられたら、ちゅーして!』

(……まあ、いいわ。お兄様には内緒ね)

『もちろん、魔王には内緒よ! ……でも、この司教はどうする? 起きてるし、逃げるには邪魔よね?』

(それも考えてるわ。神聖力を溢れさせてあげましょう)

『……なるほど! 私のディアナは天才!』


 神聖力を持つ人間には、人によって、持つことのできる神聖力に違いがある。ほんの少ししか持てないものもいれば、ディアナのように大量に持っている人もいる。人によって、持てる量に必ず限度があるのだ。普通であれば、神聖力を使って空きがでれば、そこを埋めるように神聖力が溜まっていき、限度が来ると溜まるのが止まる。


 では、限度を超える神聖力が体に流れるとどうなるのか。神聖力過多を起こし、体の中を異物が渦巻くような気持ち悪い感覚になり、苦しくなるのだとか。普通はそんなこと起こりえない事象だ。


 オルランド司教には、少しばかり苦しんでもらいましょう。そして、その隙に巨大猫に乗って逃げるのです。


 ディアナがオルランド司教に手を伸ばそうとしたときだった。馬車の外から騒ぎ声と「ぐぇっ」という苦しむ声が聞こえた。ディアナもオルランド司教も怪訝な顔で窓の外を見る。


「な、なんだ?」


 馬に乗った聖騎士の一人が首を苦し気に搔きむしりながら上を向いていた。そして、少しずつ、その聖騎士は、馬から離れて宙を浮く。他の聖騎士たちからも、同じような声が上がっていく。


 異変を感じたのか、馬車がスピードを落とし始めた。


「なぜ止まるんだ!」


 オルランド司教が御者に言うが、馬車はまもなく停車した。オルランド司教が馬車の外を青い顔で確認し、「まさか」と呟く。それから、馬車の扉が外から開けられた時、ディアナはオルランド司教に引っ張られたかと思うと、ディアナの首元にナイフを当てられた。


 馬車の外にいたのは、見たことのある服。青騎士団の中の魔術師団チームの魔法騎士たちが十名ほどいて、その中にはロミオとクリスもいた。


「お兄様!」

「ディアナ!」


 ロミオが助けに来てくれた。嬉しくて叫んでしまう。


「それ以上近づかないでください! このナイフが見えないのですか!」


 オルランド司教はディアナを人質にしつつ外に出た。急にオルランド司教が小物感満載だ。だが、ロミオにはしっかり効いているのは分かる。まあ、とてもブチギレているのも分かるが。


「ディアナに血の一滴でも流させてみろ。死んだほうがマシな目に遭わせてやるからな」


 ロミオの方が悪役感がある。

 よく見ると、浮いた聖騎士たちの首に首輪のような物がはまっている。魔道具か何かだろう。かなり苦しそうだけど、大丈夫なんだろうか。


「何でこんなに早く見つかったんだ……」


 オルランド司教は焦った顔で独り言のようにブツブツ言っている。そこだけは、ディアナも気持ちは一緒だ。


「いいですか、ディアナ様を傷つけたくなければ、このまま私を見逃してください!」

「ディアナにそれ以上触るな」

「聞いてますか!? ディアナ様が傷ついてもいいのですか!?」


 ロミオの耳に、オルランド司教の声は届いていない気がする。据わった目のロミオの手が動いたかと思うと、人がいない空の馬車がなぜか馬車の内側へ潰れていく。


「なっ!?」

「もう馬車には乗れないな?」


 ロミオの魔法訓練を見ているディアナは、驚きはあっても恐怖はない。小さい頃から魔法で岩とか軽々壊していたもの。


 ディアナは今がチャンスと、オルランド司教がナイフを持っていないディアナの肩を掴んでいる方の手を握り、神聖力を流していく。オルランド司教はまだ馬車に目が行っているようだが、急にディアナを見た。


「何をして――!? 止めろっ!」


 オルランド司教が苦し気に顔を歪ませた時、いつの間にか、ディアナの傍に近づいていたクリスがナイフを持つオルランド司教の手を捻り上げる。その隙にディアナがするりとオルランド司教から逃れると、クリスが思いっきり魔力を込めてオルランド司教を蹴とばした。オルランド司教はぶっ飛んでいく。それ、いつも訓練ですごく痛そうだと思ってたやつ。


「ディアナ!」


 ロミオの声にはっとし、ロミオのところへ走った。そして、ロミオに抱きつく。


「お兄様! 会いたかった!」

「俺もだ。どこか怪我をしていないか?」

「私はほとんど眠っていただけだから、大丈夫――!?」


 いきなりロミオが口づけをしてきた。待って待って待って。青騎士団のみんなが見てる! ロミオを離そうと押すけれど、まったく離れてくれない。息苦しくなってきた頃、やっとロミオが唇を離してくれた。


「――お兄様! みんな見てるのに! ……あの、これは、私たちはその……」

「大丈夫だって、ディアナ。君らが血が繋がらないというのは、ここに来るまでにロミオに聞いたし、結婚する予定だとも聞いたから」


 クリスが苦笑しながら言った。


「それよりも、ブチギレてるロミオを、なんとか宥めながらここまで連れて来た僕たちの苦労を察して」

「……えっと、みんな、ありがとう」

「あと、後始末は俺らがするからさ、その動揺しまくりのロミオを見ててよ」

「うん」


 ロミオはクリスの話をまったく聞かずに、ディアナを後ろから抱きしめて動かない。これは、苦労しただろうな、とクリスや他の青騎士団のみんなに感謝しつつ、ディアナはロミオへ体を向けて、思いっきりロミオに抱きついた。


 できるだけ、冷静になろうとオルランド司教と対話していたが、正直怖かった。もう二度とロミオと会えなかったらどうしようと、一瞬だけそんな考えが過った。


 無事にロミオに会えてよかった。少しだけ涙ぐみながら、顔を上にあげて、自らロミオに口づけするのだった。

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