第33話 ディアナの奮闘
キャピレット公爵家で過ごすこと二日目。
「大きな欠伸ですね。寝不足ですか?」
一人で朝食を終え、綺麗な庭を少し散歩して帰ってきた廊下でオルランド司教に会った。欠伸を見られるなんて、自分の家でもないのに油断し過ぎの上、恥ずかしい。
「は、恥ずかしいところを、お見せしてしまいましたね……」
昨晩、ロミオと会話した後も、なかなか寝付けなくて、ようやく寝付いたのが朝方だった。眠りが浅く早々に目が覚めたものの、油断すると欠伸が出てしまう。
「構いませんよ。枕が変わると寝られなくなる人も多いといいますし。……ディアナ様、この後、少しお時間はありますか? お話する機会をいただくことはできますか?」
「あ……申し訳ありません。この後、公爵閣下と公爵夫人と予定がありますので、部屋で準備をしなければなりません」
「そうなんですね。であれば、また機会がありましたらということで」
「はい」
オルランド司教と礼して別れる。本当は少しなら話す時間はあるが、オルランド司教と話したい気分にはなれなかった。やっぱり苦手だ。何が苦手なのだろう。美青年で、しゃべりは柔らかく、一般的には苦手と思う要素はないのに。
その後、昼食は予定通り公爵夫妻と穏やかに終えた。そして、お茶をしながらゆっくりと話すために、場所を食堂から談話室に移そうと公爵夫妻と廊下を歩いていると、一人の女性と会った。見たことのある女性だ。きっとジュリエットの乳母。
「公爵閣下、公爵夫人、ごきげんよう」
丁寧に礼をする乳母はディアナに気づくと、一瞬気まずい表情をした。これはもしや、あの時のことを思い出してるのだろうか。
「スピナ夫人、ちょうどよいわ。紹介するわね。ディアナ・モンタール公爵令嬢よ。ディアナ嬢、スピナ夫人はジュリエットの乳母なの」
ディアナは、ここで頭をすぐに切り替えた。こういうことは苦手だし、他人の家の内部干渉になるし、あまりやりたくないが、そうも言っていられない。この乳母をこのまま放っておかないほうが良い気がするのだ。ディアナだって、貴族令嬢。多少の嫌みの応酬くらい、やればできるはず。多少罵倒されようと、公爵夫妻に対する汚れ役もやってみせますとも。
ディアナに対し礼をしつつも、ここを離れたそうな乳母に笑みを向けた。
「そうなんですね。公爵夫人、スピナ夫人もぜひ一緒にお茶をしてはいかがでしょうか」
「そうしましょうか」
談話室に移動し、全員ソファーに座るのを確認したディアナは、さっそく口火を切ることにした。
「スピナ夫人、前にお会いした時とお変わりないようで安心しました」
「あら、ディアナ嬢は、スピナ夫人をご存じなの?」
「はい。ずいぶん前ですが、街でスピナ夫人が夫と見られる方にナイフで殺されそうだったところを助けて差し上げたことがございます」
「まあ!」
公爵夫妻が驚いた顔で乳母を見た。
「そういえば、スピナ夫人の夫が捕まったと聞いたわね、あなた」
「ああ」
「そ、そんなこともございました。あの時はありがとうございました。モンタール公爵令嬢」
常識人のように頭を下げる乳母に、ディアナは悲しみの目を向けた。
「まあ、そのように今度は御礼を言って下さるのですね。前は『誰も助けてくれと言っていないのに、勝手に助けて恩を売るなんて、この偽善者』そう言われてしまい、私も小さかったものですから、とても悲しかったのですよ」
「……スピナ夫人? そのようなことを言ったのですか?」
「そ、そんなこと言ってません! モンタール公爵令嬢の言いがかりです!」
「勘違い? あの時のことは、私の護衛も見ていました。確か、あの後、事件のあらましを確認するために護衛が警備隊と話をしていたので、スピナ夫人が言った言葉も記録として残っていると思いますわ。確認しましょうか?」
まあ、さすがに一語一句までは残っていないかもしれないが、こういう場合は言い切りが大事だと思う。お陰で、乳母が動揺している。
「も、申し訳ありません! あの時は、動揺していたので、そのようなことを口走った可能性はあります……」
はい、自白してくれました。
「公爵閣下、あの時は、閣下が実の父とは知りませんでした。キャピレット公爵家とモンタール公爵家の不仲は有名ですが、キャピレット公爵は使用人にまでモンタール公爵家の人間に辛く当たるよう指導しているのかと思ったのです」
「……!? そんなことは指導していない!」
「あなた? 本当にしていないの? ディアナ嬢は私たちの子ですよ」
「していない! 私が仲が悪いのはモンタール公爵だけで、奴の子には何とも思っていないんだから」
やっぱり父同士は互いに嫌いなんだね。不仲の家系に生まれているというのはあるが、父たちは同じ年でアカデミーでも不仲だったというから、家系というより別の事が原因な気がしている。
「ディアナ嬢に恨みなどない。元気にしてくれればそれでいい。今後は、このようなことがないよう、使用人にも徹底しよう」
「私の事を気にしてくださるのは嬉しいのですが、気持ちだけで十分です。それよりも、ジュリエット様のことを気にして差し上げてください。公爵夫人も」
「え、ええ。それはもちろん、ジュリエットの事は気にしますけれど……」
「では、公爵夫人はジュリエット様が起こす揉め事の数々をご存じですか?」
「揉め事?」
「ディアナ嬢!」
公爵夫人はまったく知らないのだろう。公爵は公爵夫人には言いたくないのか焦っている。今までは怪我で苦しむ公爵夫人の負担にならないように気を使っていたのかもしれない。
「あなた? どういうことですか?」
「いや……それは」
「公爵閣下、公爵夫人に隠すことがジュリエット様のためになるとお思いですか?」
「……」
逆行前後のジュリエットの性格の違いは、間違いなく乳母のせいだと確信した。乳母を助けたのは間違ったことではないと思うけれど、ジュリエットが素直に成長することの阻害になってしまったのだ。これはディアナにも一因がある。
「公爵夫人、ジュリエット様については、あとで公爵閣下に聞いた方がよいでしょう。この場で確認しておきたいのは、スピナ夫人の今後についてです」
「……スピナ夫人の今後?」
「ジュリエット様が揉め事を起こす原因は、スピナ夫人が関係しているのではないかと思うのです」
「どうして私が!?」
「あら、忘れたのですか? 善意で助けた子供に偽善者と暴言を吐き、さきほどそれをなかったかのように嘘を吐きましたね。子供を養育することに適した方とは思えません」
「そ、それは……」
「公爵夫人は、これから生まれる子にも、スピナ夫人を乳母にするつもりだとおっしゃられていました。ですが、スピナ夫人を乳母にするのは、私は不安です」
公爵夫人は、赤ちゃんを守るように手をお腹へやり、疑いの目を乳母に向けている。公爵も疑いの感情を持ち始めた表情だった。
「子供は近くにいる大人にとても影響を受けますわ。公爵閣下、これまでジュリエット様の一番近くにいたのはスピナ夫人なのでしょう?」
「あ、ああ」
「これまで、スピナ夫人がジュリエット様に施す養育について、スピナ夫人以外に様子を確認したことは?」
「……」
「ないのですね。であれば、スピナ夫人にはこのままここにいてもらいましょう。公爵閣下は、昔からいる使用人に、乳母がどのようにジュリエット様に接していたのか、調査されることをお勧めします」
「な!」
「出ていかれては困ります、スピナ夫人。口裏合わせをされては困りますから。……公爵夫人、ここで確認しておいたほうがいいと思います。もし調査の結果、乳母として適切だったのであれば、私が謝ります」
「……あなた」
公爵夫人に弱い公爵は、公爵夫人の視線に頷いた。
それからは公爵夫妻は忙しくなり、ディアナは客室で大人しく過ごす。客人のディアナを担当してくれている女性使用人に聞いたところ、乳母は一室に止め置かれ、使用人たちの聞き込みが進んでいるらしい。
女性使用人は「あの乳母、旦那様と奥様に気に入られているからって、私たち使用人にも横暴だったんですよ。自分だって私たち使用人と似たような雇われなのに、お嬢様を使って自分の欲しいものも買ってたみたいだし。あの乳母を嫌っている子も多いから、きっと今頃、いろんな話が出ているはずです。それに、あの乳母、実は旦那様が好きみたいで。まったく相手されてないし、旦那様は気づいてもいませんけど。旦那様は奥様命ですから。雇われ主を好きになっても無意味なのに」と楽しそうに内緒話をしてくれた。
どの家の使用人もおしゃべり好きは多いものだが、いくらディアナがキャピレット公爵の実の娘とはいえ、法律的には他家の娘にペラペラと家主情報を話すとは、ここの情報管理が不安だ。情報が聞けるディアナは助かるが。
その日の夕食も公爵夫妻と一緒にすることを予定していたが、乳母関連で公爵夫妻が忙しいため、結局なくなってしまった。その変わり、豪華な夕食がディアナの客室に用意された。いつもロミオと食事していたから、久しぶりの一人の夕食が寂しい。まあ、ポポはいるのだけど。
夕食後、風呂に入って寝る準備をする。
「ディアナ様、本日はお香を焚こうと思いますが、よろしいですか? 安眠効果のあるお香だそうです」
「ええ、ありがとう」
部屋の去り際に、使用人がそう告げた。昨日も寝付けなかったから、すごく助かる。
昨日と同じように、ベッドにごろんと横になり、ポポがやってきた。
『また魔王と通信するの~?』
「うん」
大きな欠伸をした猫なポポは、ディアナの顔傍に横になる。
ディアナも欠伸をしながら、横を向いて通信具に手を伸ばす。ロミオに通信しなければ。きっと待っているはず。しかし、伸ばした手は通信具までは届かず、ディアナは眠りの世界に入っていくのだった。
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