第31話 ジュリエットの提案
王宮で行われたパーティーでの父たちの話し合いから、十日が経過していた。
「おかえりなさいませ」
「ただいま」
この日は昼過ぎから教会と孤児院に行っていたディアナは、帰ったばかりだ。
「ポポの足も拭いてあげてくれる?」
「かしこまりました」
ポポも一緒に出掛けていたのだ。孤児院では意外と猫なポポは人気なのである。
ディアナも外出着から室内用のワンピースに着替えて、ソファーに座る。
「お嬢様、本日届いたお手紙です」
「ありがとう」
手紙の封を切り読んでいると、足を拭いてもらったポポがディアナの膝の上に座った。侍女が礼をして去っていくのを横目に、手紙を読み進めながら溜め息を吐く。
『どうしたの? 心配事?』
ポポは「にゃぁあ」と鳴きながら念話を送って来る。ポポに手を伸ばし撫でながら、口を開いた。
「友達からの手紙なんだけど、モンタール公爵家の娘とキャピレット公爵家の娘が赤ん坊の時に取り替えられたっていう噂が流れているんですって」
先日のパーティーでは、結局ディアナが話し合いの場に呼ばれることはなかった。だから、帰宅してから父とロミオに話を聞いた。
話し合いでは、娘たちが誕生の悲劇の時に取り替えられていること、ディアナの血を検査し、父とロミオとは血が繋がらないことを確認していること、そして、これはジュリエットから聞くまで知らなかったことであり、キャピレット公爵夫人も知っているようであること、を話したという。
これはあくまでもジュリエットから聞いたから、こちらも事実確認をして知ったことにしている。ディアナとロミオが血が繋がらなかったことを昔から知っていたことは、わざわざ向こうに教えてあげる必要はないから。
話を聞いたキャピレット公爵は、相当動揺していたらしい。父はディアナが法律上でモンタール家の子となっているし、ディアナを実の娘としか思っていないから、娘をキャピレットに返すことはないと告げると、キャピレット公爵もジュリエットは自分の子だからモンタールに返さないと言ったという。結局、娘を本来の血筋の元へ戻す交換はしないと互いに合意したのだ。
話し合いはそれで終了した。
キャピレット公爵家には、ディアナとロミオが結婚する可能性については一度も触れていない。だから、いずれ二人が結婚するなら、ディアナは本当はキャピレット公爵の娘だと公表することがあるかもしれない。そのことについても、まだキャピレット公爵とは話をしていないという。
だから『モンタール公爵家の娘とキャピレット公爵家の娘が赤ん坊の時に取り替えられた』などという噂が出ていることがおかしいのだ。
モンタール側は父、ロミオ、ディアナしか知る人はおらず、使用人にも話していない。もちろん誰にも漏らしていない。ということは、キャピレット側から漏れたということになる。
貴族の中で流れる噂のスピードは速い。ディアナの友人は情報通が多いが、ほとんどの貴族に噂が回るのも時間の問題だろう。
扉のノックの音がして、ロミオが入ってきた。
「おかえりなさい、お兄様」
「ただいま」
今日のロミオは青騎士団の仕事をすると言っていたが、早めに帰ってこられたらしい。
『げぇ。魔王帰還』
ディアナの膝の上でポポが嫌そうな顔をし、立ち上がると、同じ部屋の遠くの窓際へ移動していく。相変わらずポポとロミオの仲が悪い件。
ロミオはディアナの横に座ると、ディアナにただいまの口づけをする。元は頬のキスだったはずなのに、いつの間にか唇で習慣化されてしまった。毎日甘くて、それに慣らされていく。とても幸せだった。だからこの幸せを失うのが怖い。
唇を離したロミオは、ディアナを抱き上げ、いつも通りロミオの膝の上に乗せる。
よく考えれば、逆行前のロミオは、モテる上に恋人も何人か変わっていた。ジュリエットに恋に落ちる前にも、何人か恋人がいたのを知っている。
逆行後のロミオは、昔から毎日ディアナを構ってばかりで、他の女性の影はまったくない。暇があればディアナを構いに来るロミオだが、ロミオは今でもモテるし、誰もディアナと恋仲とは知らないため、きっと色んなところで女性に誘いを掛けられているのではないだろうか。
「何? そんなにじっと見て」
「……お兄様はかっこいいし素敵だから」
「それで、何で拗ねた顔をしてるんだ?」
「……素敵だから、お兄様を誰かが盗ろうとするかもしれないでしょ。私のお兄様なのに」
ふっとロミオは笑う。
「俺を盗るなんて無理だ。俺に無理矢理というのはありえないし、そういうのは、俺の同意がない限り起きないんだから。俺はディアナに夢中で、ディアナ以外にいらない。ディアナが一番だ」
「……二番目とか三番目は?」
「ははっ、ディアナはヤキモチも可愛い。一番から五十番くらいまではディアナだよ」
「お父様は?」
「五十一番」
「クリスは?」
「クリスや騎士団関係者が百番くらい。あとはどうでもいい。順番はなし」
ディアナ以外みんな順位が遠かった。単純なもので、ディアナの気分が浮上する。
「じゃあ、ずっと私を好きでいてね」
「もちろん。永遠に愛してる」
再びディアナの唇に触れるロミオの口づけは、とても甘やかだった。
その日の夜、父とロミオと三人での夕食。父の話にロミオが怪訝な顔をした。
「キャピレット公爵から手紙が来た?」
「ああ。互いの娘の交換はしないが、ジュリエットが私とロミオと一緒に過ごす時間が欲しいと言っているらしい。三日間だけ、ディアナとジュリエットを一時的に交換し、互いの屋敷に住まうのはどうかという提案だった」
「ありえません。あの女はともかく、なぜディアナも向こうに行く必要があるんですか」
「キャピレット公爵夫人がディアナに一度会いたいと言っているらしい」
一応の解決と思っていた事項が、まだ終わっていなかった。
「ジュリエットの希望については、とりあえず叶えるつもりだが、ディアナはどうする? ディアナが嫌なら、向こうに行く必要はない。これは強制ではないから」
「ディアナ、行く必要はないからな」
急な話で、どうすればいいのか分からなかった。
ジュリエットがモンタールの屋敷に来るのは、特に否定する気持ちはない。逆行前の心配だった、ロミオとジュリエットの恋は回避されているし、ロミオの感じを見れば、再度ジュリエットに会ったからと恋するとも思えない。であれば、単純に父と兄と会いたいというジュリエットの気持ちを無碍にはできない。
問題はディアナがキャピレット公爵家に行くかどうかだ。逆行後は、一度もキャピレット公爵夫妻に会ったことがない。パーティーでも顔を合わせることもなかった。今更会いたいという気持ちもない。でも、キャピレット公爵夫人が会いたいと言っているなら、一度だけでも会っておいたほうがいいのかもしれないと思う。
キャピレット公爵夫人の会いたいというのが純粋なものなのかどうかは分からない。逆行前の記憶があるから、そういう希望は持っていない。ジュリエットが亡くなり、私のジュリエットを返してと、ロミオの妹だったディアナに、そういった意味のある視線を投げていたから。もちろん逆行前とは状況は違うが、今の内に一度会って話せば、気持ちの整理がお互いできるのではと思う。
「……三日間だけであれば、私も向こうに行きます」
「ディアナ!」
「一度はキャピレット公爵夫妻にお会いしておくのも良いと思うの。公爵夫人は目が治ったといいますから、一度は私の顔を見たいのかもしれないもの。……お二方を両親とは思っていないけど、でも産んでもらったことは感謝しているから、御礼は言わないと」
ロミオは眉を寄せた。
「……であれば、一日でいいだろう。三日も行く必要はない」
「ジュリエット様は三日いるのでしょう。きっとお父様とお兄様と三人で過ごす時間が欲しいのだから、私はいないほうがいいと思うわ」
「俺は反対だ!」
「ロミオ、ディアナが決めることだ」
不機嫌なロミオは、苛立たし気に口を開く。
「それならば、ディアナに一人は護衛を付けてもいいですよね」
「そうだな、それは付けた方がいいだろう。ディアナ、それは譲れないがいいな?」
「はい、お父様」
夕食を終え、自室に戻ってきたが、ロミオも付いてきた。
「あの女が、余計な希望を言ってくるから、面倒なことになった」
「ジュリエット様がお兄様とお父様と過ごしたいというのは、娘として当たり前に思う感情だわ」
「ディアナに三日も会えないなんて、俺が耐えられない!」
「実際は、まったく会えないのは、中日の二日目だけよ。一日目の朝の出かける前には会えるし、三日目の夕方には帰って来るわ。それに、毎晩、通信具でお兄様に連絡する。それなら顔は見られるでしょ?」
「……」
ロミオはディアナをきついくらいの強さで抱きしめる。ディアナと離れたくないという気持ちが伝わる。
『なになに、どうしたの~?』
ディアナの夕食の間は、ずっとディアナの自室でゴロゴロしていたポポが近寄って来る。ロミオの打ちひしがれている様子が気になるようだ。
ディアナがキャピレット公爵家に三日間行くことになったと告げると、猫姿のポポは、自信満々に言った。
『ディアナには私が付いてるから、何も問題ないわ~』
「何も役に立たない毛むくじゃらが、言うことだけは一人前だな」
『にゃにを~!?』
「物理攻撃に脆弱な体で、食事・眠気・ディアナの誘惑に弱く、ディアナにあざとく甘えるしか能がない毛むくじゃらだろう」
『ぐぐぐっ』
図星らしいポポは、悔し気にロミオを睨んでいる。ディアナは苦笑しながら、口を開いた。
「ポポが一緒に来てくれるだけで心強いわ。お兄様、心配しないで。今回だけ三日間行ってくれば終わりよ。そうすれば、もう二度と泊りで行くことはないわ」
「……本当に最初で最後だからな。通信具で毎日連絡して顔を見せてくれ」
「うん」
ただ三日間行ってくるだけ。何も起きやしない。そのはずだった。
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